第41話『浴場で欲情-前編-』
8月12日、日曜日。
ゆっくりと目を覚ますと、そこにはテーブルやソファーがあった。一瞬、どうして自分の部屋じゃないんだと思ったけれど、酔っ払った松雪先生にベッドを占領されてしまったんだった。それで、僕はリビングのソファーに寝たんだっけ。
スマホを見ると今は5時半過ぎか。こんな時間に起きたのにスッキリとした目覚めなのは、昨日は早めに寝たからかもしれない。
「あれ、メッセージが来てる」
ぐっすりと眠っていたからか、全然気付かなかったな。
確認してみると、メッセージの送り主は咲希か。どれどれ。
『どうしてリビングに寝ているのかは分からないけど、翼の可愛い寝顔をいただいた! これからランニングしてくるね!』
というメッセージと、クッションを抱きしめて寝ている僕の写真が。自分の寝顔の写真を見ると恥ずかしい気分になるな。あと、送信時間が『5:03』って。早朝にランニングする習慣があるとはいえかなり早起きだ。夏だと、このくらい早い方が涼しくて気持ちいいのかな。
今の時間だと、部屋に戻っても昨日酒をたくさん呑んだ松雪先生が爆睡しているだろうな。ここでコーヒーを淹れようかな。いや、せっかくの旅だから朝風呂もいいな。体もちょっと冷えているし、朝風呂にしよう。
「おおっ、これはいい景色だ……」
ゆっくりと体を起こして外の方を見ると、そこには夜明けの海が広がっていた。快晴だからか青くて、朝陽に煌めいた海がとても綺麗だ。この時間に起きたからこそ見ることのできる景色かもしれない。
「さてと、風呂に入るか……」
でも、誰かが女性が入っているかもしれない。旅行だと普段よりも早く起きることも多いし、その可能性はありそうだ。
「あっ、翼。おはよう」
「……おはよう、咲希。あと、おかえり」
「うん、ただいま」
ターコイズ色のノースリーブのランニングウェアを着た咲希が戻ってきた。ランニングをしてきたからか、顔や腕には汗が浮かんでおり、呼吸が少し荒くなっている。それでも、走ったことが気持ちよかったのかいい笑顔をしている。
「いやぁ、初めてだからか周りの景色を楽しみながら走れたよ。昨日の夜、美波にオススメの道を教えてもらったんだ。30分近く走ったかな」
「そうだったんだ、お疲れ様。ついさっき起きてさ、これから朝風呂に入ろうと思っていたところなんだ」
「そっか。じゃあ……一緒に入らない? 汗を流したいし。もちろん、今、誰も入っていなかったら。2人きりがいいし。……ねえ、いい?」
甘い声でそう言われ、上目遣いで咲希に見つめられる。
「咲希がそう言うならいいよ」
「うん、ありがとう!」
咲希が浴室を確認し、誰もいなかったので彼女と2人きりでお風呂に入ることに。
他の人を起こしてしまわないよう気を付けながらお風呂に入る準備をして、咲希と2人で脱衣所に入る。
「翼と一緒にお風呂に入るのって10年ぶりだよね。前に入ったときは明日香や芽依ちゃんも一緒だったけど」
「ああ、そうだね。芽依と一緒に入る習慣があったからか、あのときは咲希や明日香と一緒に入ることにもそんなに緊張しなかったな……」
「妹がいるって大きいんだね。あたしは……あのときはちょっと緊張してた。それで、今は凄く緊張してる」
「……そうだよね。僕も緊張してる」
あのときは、仲のいい同い年の子としか思っていなかったけど、今は僕のことを好いてくれている素敵な女性。他の女性とは違う特別な存在。そう言えるのは咲希以外には明日香しかいない。
「そっか、翼も緊張しているか。何だか嬉しい。じゃあ、お互いに緊張しているってことで背中を向けて服を脱ごっか。でも、こっちは洗面台で鏡があるから、翼は棚の方を向いて着替えて」
「分かった」
僕は咲希と背中を向けた状態で服を脱ぐことに。僕からは咲希の姿が見えないけど、咲希からは鏡で僕の後ろ姿を見られているかもしれないのか。そう思うと何だか恥ずかしいな。
服を脱いで、タオルを腰に巻いたとき、
「翼の背中って本当に綺麗だよね。でも、筋肉もあって男の人の背中って感じがする」
そんなことを言われた途端、後ろから抱きしめられる。昨日、海で抱きしめられたときよりも断然温かくて、色々と柔らかくて。さっきまでランニングをして汗を掻いたからか、彼女の匂いを強く感じて。体で女性になった咲希と10年以上の時間を感じている。
「翼の温もりも、匂いも、感触も全部大好き。桜海に帰るって決まったとき、まだ翼に恋人がいなかったらこういうことをしたいってずっと思ってた。それが旅先で叶うなんて、とっても嬉しいよ」
ということは例のやりたいことリストに、僕と一緒にお風呂に入りたいって書いてあるのかな。
「……そっか。それは……良かった」
「……うん」
そう言うと、首の近くで温かくて柔らかいものが触れたような気がした。
咲希が大浴場に入っていくのでついて行こうとするけど……後ろ姿が丸見えじゃないか。凄く緊張しているとは言っていたけど、僕なら見られてもいいって思ってくれているのかな。
昨晩、1人で入ったときはとても広かったのに、今は咲希と2人だからかそういう風には思えなかった。
幸いなことに、咲希は一番奥の洗い場を使っているので、僕は一番手前の洗い場を使って髪と体を洗うことに。緊張はしているけど無心になれ。咲希の可愛らしい鼻歌が聞こえてくるけど気にするな。
理性を最大限に働かせ、何とか髪と体を洗うことができた。そして、素早く湯船に浸かる。窓から見える海と草木が織りなす自然の景色は美しい。
気持ちいいけれど、咲希がいるからか早いうちにのぼせてしまいそうだ。
「よし、これでいいかな。やっぱり、翼は先に入ってる」
そんな咲希の声が聞こえると、どこを見ればいいのか分からないのでゆっくりと目を瞑った。
「あぁ、気持ちいい……」
すると、何かが触れてきているのが分かる。
少しずつ目を開けると、僕の右隣に肩まで湯船に浸かっている咲希がいた。目が合うと彼女はにっこりと笑って。たぶん、今日はこれ以上は激しくならないだろうと思うくらいに、心臓がバクバクと鼓動している。
「お家のお風呂もいいけれど、こういう広いお風呂もいいよね。脚が伸ばせるからかな」
「そうだね」
「昨日は女の子7人全員で入って楽しかったなぁ。水着を着ているときにも思ったけれど、鈴音先輩の胸が一番大きかったよ。次に明日香と先生だったかな。美波と陽乃ちゃんも結構大きくて、あたしよりも小さかったのは芽依ちゃんだけだった……」
はあっ、と大きなため息をつく咲希に、どういう言葉を掛ければいいのか分からない。そこまで小さいわけではないと思うけれど、周りに自分より大きな人がたくさんいるとどうしても気になってしまうのかも。
あと、女の子って7人だったっけ? 年齢的に1人多く数えているんじゃ?
「昨日は楽しかったけど、今は翼と一緒に入っているからかとてもドキドキする。でも、これもいいね」
「……そっか。僕もドキドキはするけど、昔のことを思い出すことができるし悪くはないかな」
「ふふっ。そういえば、どうしてリビングのソファーに寝ていたの?」
「昨日の夜、酔っ払った松雪先生が僕の部屋に遊びに来て、ビールを呑んだらベッドに寝ちゃったんだよ。少し時間が経てば起きるかと思ったら、全然そんな気配もなくてね。誰も使っていない205号室で寝ようと思ったら鍵がかかっていて。誰かの部屋にお邪魔するのは気が引けるからリビングのソファーで寝たんだ。意外と気持ち良かったよ」
「ふかふかだもんね。クッションを抱きしめている翼、可愛かったよ」
「そ、そっか。あと、写真撮っていたんだね。全然気付かなかった」
それだけぐっすりと眠ることができたってことだろう。実際、スッキリと目覚めることができたし。
「羽村君のところは……そっか、陽乃ちゃんと一緒かもしれないもんね。他の人は分からないけど、あたしは明日香の部屋で美波と一緒に3人で寝たなぁ」
「あのベッド、ダブルベッドくらいの広さがあるから、女の子なら3人でも眠れるか」
「うん。ちょっとキツかったけど、明日香を真ん中にしてみんなで寄り添ってね。もちろん、早く起きてランニングに行くことは伝えてあるから大丈夫だよ。まあ、こうして翼と2人きりでお風呂に入っているとは思わないだろうけど」
「そうだろうね。僕がリビングで寝ていることを知っているのって咲希だけかな。あそこで寝たのは11時過ぎだったんだけれど」
「その時間だと、知っているのは私だけかも。お手洗いや洗面所は3階にあるし……明日香や美波も部屋から出ることは全然なかったからね」
「確かに、2階にもお手洗いや洗面所はあるしそうかもな……」
咲希だけならいいけど……まあ、リビングって場所を考えたら他の人に見られても仕方のないことだ。それに、写真まで撮られているので、咲希がきっと明日香達にこのことを話すんだろうな。
「そうだ、翼。おはようのキスをしてもいい?」
「……いいよ」
すると、咲希は肩までお湯に浸かったままゆっくりと動いて僕の脚に跨いでくる。そして、僕のことをぎゅっと抱きしめてきた。さっき、背中で感じていた柔らかさを今度は前面で感じることに。彼女の肌からボディーソープの甘い匂いをしっかりと感じる。
「おはよう。大好き」
そう呟き、咲希はキスしてきた。咲希からも激しい心臓の鼓動が伝わってきて、僕の鼓動のタイミングが重なっているような気がして。
昨日のように唇を重ねるだけでは留まらず、明日香がやったように舌を絡ませてくる。ただ、この激しさは明日香以上のもので。それによる音が大浴場の中に響く。
唇を離すと咲希は顔を真っ赤にしながらも嬉しそうな笑みを浮かべ、
「ここが誰も入ってくることのない場所だったら、勢いで……しちゃったかも。そのくらいに幸せなキスだったよ」
そう呟いて僕の胸に頭を触れさせてきた。
キスしているとき、ドキドキはしていたけど、それがとても心地よくも思えて。多分、それは咲希だからなんだと思う。ただ、明日香なら同じような気分になれる気もして。
「ねえ、翼。もうちょっとだけこうしてもいい?」
「いいよ」
咲希のことをそっと抱くと、心なしか……寝るときに抱きしめたあのクッションよりも柔らかいような気がした。
『さあ、お風呂に入って目を覚まそう!』
『うん! 朝から広いお風呂に入ることができるっていいよね、みなみん』
『これこそ旅の醍醐味だよね。あれ、電気点いてる』
『誰か入っているのかな?』
脱衣所の方から明日香と常盤さんの声が聞こえてくる。そういえば、一昨年や去年も明日香と常盤さんは朝にお風呂に入ることがあったな。すっかり忘れていた。
さあ、どうしようか。変な事態にならないようにしなければ。




