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第35話『別荘にやってきた』

 咲希と鈴音さんという熟睡者がいることもあってか、車内の雰囲気は穏やかだ。といっても、起きている人は7人いるので、常に誰かしらの声が聞こえており無言の時間はない。


「全然知らない景色だね」

「そうだね。今回は電車じゃなくて車だからか、桜海市を出てからずっと知らない景色ばかりだよ。旅行に来てるなって感じがする」

「それは言えてるね。実際はさほど遠くないのに、知らない景色だと随分と遠くに行っちゃったんだって思うよ。でも、つーちゃんは2年生くらいまでは、休日はたまにバイクで出かけてなかったっけ?」

「そうだね。ただ、桜海から出ることはあまりなかったかな。アニメの聖地巡礼で遠出したけど、そこは夏山町とは反対方向だったと思う」

「へえ……」


 たまにバイクで走ることもあってか、こういった景色を見るのは好きだ。運転するときはもちろん色々と注意しなければいけないし、誰かの運転する車の中でゆったりとできるのは贅沢だなと思う。


「そういえば、免許を取ってから1年以上経ってから、つーちゃんの運転するバイクに何回か乗せてくれたよね」

「一般道の2人乗りは免許を取得してから1年経たないといけないんだ。実際に、そのくらい経ってバイクの運転も慣れたかな」

「私もお兄ちゃんに乗せてもらったなぁ」

「めーちゃんもあるんだ。あと、バイクの運転にはそういう決まりがあるんだね。あのときは爽やかな風を感じられて気持ち良かったなぁ。つーちゃんのことを後ろから抱きしめていたから幸せで……」


 そのときのことを思い出しているのか、明日香はほんのりと頬を赤くして幸せな表情を見せている。

 そういえば、明日香を乗せたときは常に背中に温かくて柔らかいものが当たっていて、1人で乗るよりも身体的には楽だった気がする。芽依を乗せたこともあるけど……特にそんなことはなかったかな。


「幸せそうだね、明日香ちゃん」

「やはり、蓮見と一緒にいるときが一番いい笑顔になるな、朝霧」

「可愛らしいですね。夫婦と呼ばれる理由が分かる気がします! 明日香先輩!」

「学校中から夫婦と呼ばれても在学中は結婚しちゃダメだよ、明日香ちゃん。それが校則だからね」

「またいい写真を撮れたよ、明日香」

「ううっ、凄く恥ずかしいよ……」


 明日香は顔を真っ赤にすると、両手で顔を覆う。芽依と3人で話しているけど、ここは車の中。普通の声の大きさで話しても羽村達にちゃんと聞こえるんだな。常盤さんに至ってはみんなの可愛らしい写真を撮りたいのか、常にスマホやデジカメを持っているし。

 それにしても、咲希と鈴音さんは一度も起きることなく今もぐっすりと眠っている。それだけ車の中が気持ちいいってことかな。


「翼、クロールなのにどうして後ろに進むの……」

「パンケーキのビキニはさすがに無理だって、翼君……」


 彼女達の夢に登場する僕は色々な意味でおかしいな。実際の僕はクロールで泳ぐとしっかりと前に進むし、パンケーキはしっかりと食べますよ。


「でも、パンケーキか……」

「蓮見、もしかしてそういうプレイをしてみたいと思っているのか?」

「そんなわけないだろ。バイトを辞めてから料理もスイーツもあまり作ってないから、別荘で久しぶりに作ってみるのもいいかなって」

「そういうことか。てっきり、宮代さんの夢を正夢にするんだと思ったぞ」

「アホか」


 食べる以外の目的でパンケーキを作るつもりは全くない。仮に鈴音さんの夢に出てくるようなビキニがあったら、それはパンケーキに似た何かだろう。

 そんな感じで話し声が途絶えることのないまま、僕らが乗る車は確実に夏山町へと近づいていった。

 途中、夏山町近くにある食事処に立ち寄って、昼食とご当地スイーツを食べることに。その際に車を降りるまで、咲希と鈴音さんは一度も起きることはなかった。

 この食事処のある地域では海の幸が豊富であり、海鮮料理が名物とのこと。魚介の旨みたっぷりのラーメンもあったので僕はそれを食べた。松雪先生が奢ってくれたこともあってか、みんなも満足そうで。地元の美味しい物を食べるのはこれぞ旅行という感じだ。

 スイーツについては各自が好きなものを買って、時には互いに食べさせることも。お茶っ葉も名産の1つなので、僕は抹茶アイスを食べる。ただ、明日香達にも食べさせたので実際に食べられたのは半分くらいだけど。

 別荘でも食べるお菓子などを買って、僕らは再び車に乗って別荘へと向かった。



 午後2時過ぎ。

 僕らは常盤さんの別荘に到着した。さすがに3年連続となると、今年の夏もここで過ごすことができる安心感がある。ただ、もはやホテルと言ってもいいんじゃないかというくらいの3階建ての立派な外観は、毎度のこと凄いなと思わせてくれる。


「美波ちゃん、ここで合ってるの? ホテルっぽいけれど」

「大丈夫ですよ、里奈先生。ここが常盤家の別荘のうちの1つです。それなりに大きな方ですね」

「私が住んでいるアパートよりも立派だなぁ。凄い」

「あたしの住んでいるアパートよりも立派ですよ、里奈さん」

「一昨年と去年、翼や明日香達はここに来て楽しい思い出を作ったんだね。羨ましい」

「そうですね、咲希先輩。一緒に楽しんで思い出を作りましょう」

「そうだね。まあ、陽乃ちゃんは主に羽村君と楽しい思い出を作るんでしょ?」

「……ふふっ」


 先生のように、僕も初めてここに来たときは別荘じゃなくてホテルだと思ったな。初めて来た人達も期待しているみたいだ。今年はここに9人で4日間過ごすのか。


「美波お嬢様、お待ちしておりました。別荘の中の清掃、食料の調達などの準備はできております」

「今年もありがとう、凛さん」


 常盤さんは専属メイドの月影凛(つきかげりん)さんのことをぎゅっと抱きしめた。そういえば、一昨年も去年も別荘を綺麗にしてくれたり、食料を用意してくれたりしていたな。お金持ちって感じがするよ。

 月影さんは嬉しそうな笑みを浮かべる。


「こちら、うちの専属メイドの月影凛さん」

「初めまして、月影凛と申します。先日、美波お嬢様から今回のご旅行の話を聞きまして、別荘の清掃や食料のご用意をさせていただきました。みなさま、今日からの4日間……こちらで楽しい時間をお過ごしくださいませ。お嬢様、お帰りになる火曜日にまた伺いますが、何かありましたらご連絡ください」

「うん、分かった。今回もありがとね」

「いえいえ。みなさま、思う存分楽しんでくださいませ。では、失礼いたします」


 月影さんは僕達の元から立ち去っていった。これも毎年同じパターンだ。一昨年も去年も僕らだけで問題なく過ごせたけど、彼女を呼ぶとどうなるんだろう。常盤さん曰く、かなりやり手のメイドさんだそうけど。


「さっ、みなさん。常盤家の別荘へようこそ。さっそく入りましょう」


 僕らは常盤家の別荘へと入る。1階の広いリビングを見ると、また今年の夏もここに旅行に来たんだなと安心できる。


「うわー! すごーい!」

「ここで4日間も過ごせるなんて夢みたいだね、咲希ちゃん!」

「別荘でこんなに立派だなんて。美波先輩のお屋敷はどれだけ凄いんだろう……」

「美波ちゃんの家がお金持ちなのは知っているけど、やっぱり凄いなぁ」


 初めて来た人達は驚きでいっぱいのようだ。2年前、僕も同じようなリアクションをしたので微笑ましい気分になる。


「1階はリビング、キッチン、大浴場があります。あとはちょっとした会合にも使われることもあって、会議室もあります。ホワイトボードもあるので、勉強をするときは会議室を使うのがいいと思います。2階と3階にそれぞれゲストルームが5つずつありますので、今回は1人1部屋ずつという形にしましょう」


 ゲストルームも立派でもちろん僕の部屋よりも広くゆったりとできる。1人ずつの部屋としているけど、部屋にあるベッドは2人くらいなら余裕で眠れるくらいの大きさだ。ちなみに、一昨年と去年は男子が2階、女子が3階という形で分けていた。


「分かった、美波ちゃん。まずは部屋割りを決めて、荷物を置いてこようか。それで、今日は……どうするつもりですか? 羽村旅行会長」

「旅行会長ですか、先生。そうですね……今日は初日ですし、プライベートビーチも目の前にありますから、海でたっぷりと遊ぼうと考えているのですが、みなさんどうですか?」

『賛成―!』


 女性メンバー全員が元気いっぱいにそう言った。


「僕も海で遊ぶことに賛成かな」

「蓮見も賛成か。じゃあ、泊まる部屋を決めて、荷物を置いたら海で思いっきり遊ぼう!」

『おー!』


 運転した松雪先生も含めてみんな元気だな。女性陣は今回のために新しい水着を買ったのもあるかもしれない。目の前に綺麗な海もあるし、昨日までみんなそれぞれのことを頑張ってきたんだから、旅先でたっぷりと遊んでいいよね。

 その後、部屋割りが決まり、3階は明日香、咲希、常盤さん、三宅さん、芽依。2階に羽村、僕、松雪先生、鈴音さんが泊まることになった。

 別荘に到着して旅行気分全開になってきた。火曜日にここから帰るとき、楽しい4日間だったねと言えるように過ごせればいいなと思う。

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