第34話『はじまり』
8月11日、土曜日。
今日は山の日だけど、これから海の側にある常盤さんの別荘へ、3泊4日の旅行へと向かう。別荘は桜海市よりも遥か西にある夏山町にある。桜海市からだと車で2時間半ほどかかるところにある。
天候は晴れで絶好の旅行日和。別荘のある夏山町も今日から4日間晴れる予報となっており、天気が大きく崩れる心配はないという。
別荘には松雪先生が運転するレンタカーで行くことになっている。ちなみに、先生の持っている普通運転免許は10人乗りの車まで運転できるらしい。なので、最大10人乗れるワゴン車をレンタルできたとのこと。
旅行に参加するメンバーの住んでいる地域を考慮して、遠回りになってしまうけど西桜海駅で常盤さんと三宅さん、桜海川駅で羽村を乗せ、そして桜海駅で明日香、咲希、鈴音さん、芽依、僕を乗せて全員集合という形となる。羽村から、4人揃って桜海駅に向かうという連絡は来ている。
午前10時。
僕ら4人は鈴音さんとの待ち合わせ場所である桜海駅のきっぷ売り場に向かうと、そこには既に白いワンピース姿の鈴音さんがいた。僕らに気付いた彼女は楽しそうな笑みを浮かべて大きく手を振ってきた。
「みんな、おはよう!」
「おはようございます、鈴音さん。今日も暑いですね」
「そうだね、翼君。晴れてくれて嬉しいけれど。早く別荘に行ってみんなで海で遊びたいよ。昨日、里奈さん以外の女の子で新しい水着を買いに行ったんだ」
「芽依から聞きました。今回の旅行のために新しく買ったんですよね。どんな水着姿になのか今から楽しみです」
可愛らしい人や美人な女性が勢揃いしていることもあってなおさら。特に明日香と咲希の水着姿は楽しみかな。
「楽しみにしていてね、みんなも可愛い水着を買ったから。そういえば、みんな昨日はちゃんと眠れた? あたし、楽しみ過ぎてあまり眠れなかったんだよね」
鈴音さんはあくびをしている。
「僕はしっかりと眠れましたね。芽依と一緒に寝たんですけどね」
「旅行の前の日はあまり眠れないタイプですけど、お兄ちゃんのおかげで今回はしっかりと眠ることができました!」
「つーちゃんパワー凄いね、めーちゃん。私もぐっすり眠れたよ。さっちゃんはどうだった?」
「あたしは……楽しみ過ぎてあまり眠れなかったかな。でも、習慣になってる朝のランニングをしたら眠気が吹っ飛んだよ」
咲希はよく眠れるイメージがあったんだけど、意外に眠れないタイプなのかな。でも、ランニングをして眠気が飛んだというのは彼女らしい。
「じゃあ、今眠いのはあたしだけなんだ。この中では一番年上なのに何だか恥ずかしい」
「今日は車ですし寝ても大丈夫ですよ、鈴音先輩。ランニングして眠気は飛びましたけど、走っているときの車の中ってけっこう気持ちいいので、寝ちゃうときもあるんです。2時間以上かかるみたいですから、たぶん、寝ちゃうかな……」
「そうなんだ! じゃあ、一緒に寝ようね、咲希ちゃん」
鈴音さんは咲希と固い握手を交わす。どうやら、自分以外にも眠りそうな人がいて嬉しかったようだ。あと、いつの間にか鈴音さんへの咲希の呼び方が先輩になっているな。さすがは桜海大学文学部を第一志望にするだけある。
――プルルッ。
羽村からかな。スマートフォンを確認してみると、今回の旅行メンバーで作られたグループトークに彼からの新着メッセージが1件あり、
『もうすぐ桜海駅に到着する。シルバーのワゴン車だ』
そんなメッセージが届いて、今回乗る銀色のワゴン車の写真が送られてきた。常盤さんと三宅さん、先生が写っているおかげで車がかなり大きいことが分かる。
『分かった。こっちも5人揃ったから、桜海駅前で待っているよ』
どうやら、無事に羽村達と会えそうだな。あと少しで涼しい車内に入れると思うと安心する。
「何だか立派そうな車だね。あたし、夏休みに入ってから教習所に通い始めたけど、ここまで大きな車は運転できそうにないな……」
「きっと、里奈先生は凄いんですよ! 先輩」
鈴音さん、自動車の運転免許を取るために教習所に通っているのか。教習所の車もこんなに大きくないだろうし、鈴音さんが運転できそうにないと言うのも分かる。
ちなみに、桜海高校も年齢などの条件を満たせば、自動車や二輪車の免許を取得し運転していいことになっている。僕もバイトでお金を貯めて、普通二輪免許は取得した。2年生までは、たまに父親のバイクに乗って、気分転換に適当に桜海市内を走り回ったりしていた。自動車の免許は……受験もあるし来年、大学に進学してからかな。平成のうちには取得はできないだろう。
「お兄ちゃん、もしかしてあの車かな?」
芽依が指さした先には大きな銀色のワゴン車が。周りにある車よりもかなり大きいな。
「きっとあれだろうな。僕らの近くに止まりそうな雰囲気もあるし」
僕らの言葉通り銀色のワゴン車は目の前に停車した。さっき羽村が送ってきた写真と見比べると……同じだな。
「明日香!」
助手席の扉から姿を現した常盤さんは、嬉しそうな様子で明日香のことを抱きしめる。
「みなみん、おはよう! 今年も一緒に旅行に行けて嬉しいよ」
「うん、あたしも! ずっと楽しみにしてた」
「あたしも美波達と一緒に旅行へ行くのを楽しみしてたよ!」
「うんうん、咲希とも行けて嬉しい!」
去年、旅行から帰ってくるとき、3年生の夏休みは受験もあるだろうから旅行に行くのは無理かもねと言っていたくらいだ。だからこそ、こうして今年も旅行に行けて嬉しいのだろう。
「おはよう、みんな。蓮見兄妹、明日香ちゃん、咲希ちゃん、鈴音ちゃん……とこれで全員集合だね。じゃあ、後ろに荷物を入れてみんな車に乗ってね」
「よし、僕がみんなの荷物を入れるよ。明日香達は先に車へ乗ってて」
「分かったよ、つーちゃん」
「荷物運び、俺も手伝おう」
気付けば、羽村も車から降りてきていた。そんな彼のことを三宅さんが目を輝かせて見ている。きっと、2人はこの旅行で関係を進展させるのだろう。
羽村と一緒に僕ら5人の荷物を後ろの荷台に運ぶ。9人分の荷物でも難なく置くことができたな。
僕と羽村も車の中に。
空いている席は後部座席1列目に座る三宅さんの隣と、最後尾に座っている咲希と明日香の間か。
「翼、ここ、ここ」
「宗久会長はこっちです」
「……だそうだ、蓮見」
「やっぱりそうなるよな。失礼するね」
僕は明日香と咲希の間の席に座る。その途端に咲希は僕の右腕を絡ませて、明日香は僕の左手を掴んできた。昔もこういったことがあったけど、ドキドキもして心地よくもある。あのときには味わえなかった感覚に浸っている。
「さあ、みなさん。毎年恒例であり、お待ちかねの旅行の日がやってきました!」
「9人全員で行けることがとても嬉しいです。初めての人も、何度も行ったことがある方も、4日間楽しみましょう!」
おー! と、僕以外の全員が拳になった手を挙げた。みんな、この旅行を楽しむ気満々だな。あと、さすがは生徒会会長と副会長だけあって、羽村と三宅さんの息がピッタリだった。絶対に事前に練習してたな。
「それじゃ、美波ちゃんの別荘に向かってしゅっぱーつ!」
松雪先生もノリノリである。彼女のそんな掛け声と共に、僕らが乗る車は常盤さんの別荘に向かって走り始めた。
さて、今年も行き先は夏山町にある常盤さんの別荘だけど、参加人数が9人になったり、受験勉強もする予定であったり、別荘まで車で行ったりと色々と違うポイントがある。果たしてどんな4日間になることやら。
「それにしても、前の席では羽村君と陽乃ちゃんがイチャイチャ、後ろでは明日香ちゃんと咲希ちゃんがベッタリとくっついているし……何だか凄いね、芽依ちゃん」
「羽村さんと陽乃先輩は恋人同士ですからね。明日香ちゃんと咲希ちゃんは……お兄ちゃんのことが大好きですからね。こうなったら私達もくっつきますか?」
「そうだね。芽依ちゃんなら全然OKだよ、凄く可愛いし。ほら」
「……あっ、鈴音さんの胸が柔らかくて気持ちいい。好きかもです」
「ぬおおっ! 生ボイス百合ドラマが後ろから聞こえてくるぞ! 振り返りたいが振り返ってはまずい気がする! どうすればいい、陽乃!」
「お二人に迷惑がかからなければどちらでもかまわないかと。ただ、声だけだからか、ドキドキしてしまいますね」
「だろう?」
「……今の会話を運転しながら訊くと何ともカオスな感じがするよ。美波ちゃんはどう思う?」
「年齢もバラバラですし先生もいますから、この旅行はどうなるんだろうって思っていましたけど、意外と愉快な感じになりそうだって思いました」
「ははっ! それは言えてるね、美波ちゃん。旅行中は私のことを先生というよりは、君達に引率する知り合いの27歳の大人の女性だと思ってね。変に先生として気を遣ってくれなくていいという意味だよ」
「はい、分かりました。アラサーの里奈ちゃん」
「いきなり態度を変えてきたね、美波ちゃん。まあ、四捨五入したら30だけれど……個人的にはアラサーという言葉は好きじゃないかな」
松雪先生の言うように、カオスな空間だな。ただ、常盤さんの言う通り、年齢はバラバラだけれど楽しそうな旅行にはなりそうな気がする。
「車で行くのもいいね、つーちゃん」
「そうだね。プライベートな感じがしていいね。独特な雰囲気だけど」
「確かにそれは言えてる。……あれ、さっちゃん、眠い?」
明日香がそう言うので咲希の方を見てみると、咲希はウトウトとしている様子。昨日はあまり眠れなかったって言っていたな。車の中で寝ちゃうかもとも言っていたか。まだ、出発して15分ほどだけど。
「車の涼しさと、翼の温もりと匂いが気持ち良くて……一気に眠気が来ちゃった」
「昨日はあまり眠れなかったって言っていたし、眠れるときに寝た方がいいと思うよ。途中、休憩やご飯の時間になったときはもちろん起こすから」
「……うん、じゃあ、お言葉に甘えて寝るね。あたしが重かったら遠慮なく窓側の方に体を寝かせていいから。じゃあ、おやすみ」
そう言うと、咲希はゆっくりと目を閉じる。そして、これまで眠気と戦っていたのか、10秒もかからずに気持ち良さそうな寝息を立て始めた。
「咲希ちゃんも寝たんだ、お兄ちゃん」
「うん。その言い方だと鈴音さんも?」
「うん。私を抱きしめたら、眠くなっちゃったのかそのまま寝ちゃって」
「本当だ。めーちゃんが鈴音さんの抱き枕になってる」
明日香の座っている席からだと、少し姿勢を変えれば前の列に座っている芽依と鈴音さんの様子を見ることができるのか。
すると、明日香は僕から手を離して、咲希のように腕を絡ませてきた。
「ちょっとの間だけでいいから、こうしていてもいいかな」
「もちろん。好きなだけこうしていていいよ」
「ありがとう、つーちゃん」
明日香は嬉しそうな笑みを僕のすぐ目の前で見せてくれる。本当に可愛いな。咲希の寝顔も可愛いし。こういうのをまさに両手に花と言うんだろうな。いや、今の状況だと両腕に華と言うべきだろうか。
そういえば、今みたいに明日香と咲希に両腕を抱かれる夢を見たことがあったな。あのときは2人ともウェディングドレス姿だった。
「……明日香と蓮見君のいい写真が撮れた。助手席からだといい感じに撮れるんだね」
気付けば、助手席に座っている常盤さんがスマホをこちらに向けていたのだ。確かにあの位置だと、真後ろは明日香になるのか。
「ううっ、勝手に撮るなんて。恥ずかしいよ。……でも、あとで写真送ってください」
「分かったよ。デジカメでも撮ったから、旅行から帰ったら現像するね」
デジカメも持ってきていたのか。もしかしたら、絵画の参考にするためかな。コンテストに出品する風景画も別荘からの景色だし。
両側からしっかりと腕を絡まされているので、スマホを弄ることもできない。でも、旅行だし、みんなといるしそんなことをするのも味気ないかも。明日香や芽依と話しながら、車窓から見える景色を楽しむのであった。




