プロローグ
今、男は息子に殺された。
人は死ぬ間際に走馬灯を見るというが、男はまだそれを見ていない。ただ、自分を殺した子供の顔をずっと見つめているだけだ。映画の流れる映像を一時停止した時の様に、男の思考以外は完全に止まっていた。
男の思考は少しずつ動きだし、自分の生い立ちを再生し始める。ああこれが走馬灯なんだなと理解した男は、自分の生い立ちからの記憶を少しずつ思い出していった。
男はとある村で生まれた。生まれついての性か後から根付いた性かわからないが、男の性格は村の人間に受け入れられる事はなかった。ただ1人、後に妻となる人物だけが男を受け入れてくれた。
父親も母親も男が生まれてしばらくして死んだ。男の8才の誕生日、戦場で死んだのだ。それから男は祖父母に育てられたがそれは幸せとはいいがたいものだった。祖父母も男の性格が肌に合わない。しかし愛する子供の忘れ形見だ、歪ながらも鬼畜ながらも祖父母は男をとりあえずは育てていった。男は全てを受け入れた。育てくれているそれだけで満足だったからだ。そして同じような環境の幼なじみが側にいたから。後に妻となる幼なじみは同様に孤独、村人からも嫌われていた。
ここで記憶が少し飛ぶ。男は幼なじみを妻にとり、子をもうけた。男はその日、生まれて2回目の大きな喜びを感じた。1回目は結婚だ。そこから男の風向きがほんの少しかわる。立て続けに大きな幸せがやってきたのだ。ああ、幸せだ。男は感じた。しかしそれも長くはなかった。男に再び悲劇が襲う。これも人生で2回目の悲劇。1回目は両親の死だ。妻が死んだ。病だった。男は一晩中泣いた。涙枯れるまで泣き続け、そして我に帰った。私にはまだ家族がいる。男は前を向いた。それから祖父母が立て続けに死んだが男はその都度前を向いたのだった。
ここで記憶が少し飛び、村の長夫婦に呼ばれたあの日に変わった。それは初めての出来事、今まで聞いたこともないことが男に降りかかる。
すぐに記憶が大きくとんだ。脳が心を守るように、しかしどこか戒めるように記憶を断片的に見せ、そして飛ばしていく。次に見た記憶は、男が禁忌を破った日。男はその記憶に一番恐怖した。ここだ、ここで全てが狂った。男は発狂しそうだった。盛大に行われたそれは後の悪夢をまったく予期させぬ、聖なる幸せに満ち溢れていた。
ここでまた記憶が飛んだ。それはとても大きなジャンプ、悲劇が起こるほんの少し前の記憶。男が目覚めた瞬間だった。
「桃太郎が来たぞっ」
そうだれかが言った気がした。まさかと思いながらも安息についていた男は、突然の轟音に飛び起きた。眩いばかりの赤い光が男の目を襲い、焦げ臭い臭いが鼻を襲った。
「燃えてる?」
男は窓を開けた。その瞬間、目の前に広がる光景に息を飲んだ。もうそこには自分の知っているいつもの村はなかった。
あたり一面炎に包まれ、人々の逃げ惑う悲鳴だけがこだましていた。
「何が起こった?」
ほどなくして男は叫び家中を走り回った。そしてすぐさま家をでた。村を必死で走った。道中、何かの動物の様な鳴き声が聞こえ、続けて人の悲鳴が聞こえる、その繰り返し。鉄の腐った様な臭いと煙の臭いがいっそう吐き気を誘った。足下には沢山の人間の死体が転がり、地面をおぞましいほど真っ赤に彩っていた。罵声や喜声、異質な泣き声を交えながら悲鳴が響いていく。その光景はまるで地獄絵図のようだった。
「…?…今はそれより…どこだ?」
男は必死で探した。我が子を…。しかし見つからない。あの時まさかと思った自分に呪いをかけ、男は必死に探し続けた。
動物の鳴き声が止み、悲鳴の波がほんの少し収まったとき、男は立ち止まった。目の前にいる人物に視線を合わせ、急いで駆け寄った。そして口を開こうとした。その刹那、男の体に衝撃が走る。その衝撃は瞬時に痛みに代わりそして残りが血渋きとなって男の体外へと噴き出していった。
そして記憶の再生が終わる。走馬灯が終わったのだ。男は思った。これは自分が犯した罪なのだと。禁忌を破った厄、その事実にまちがいない。そして呪った、自分自信を。我が子を蔑ろにした己の情けなさを。
自責の念が男の脳と心を戒めた後、男は悟った。自分は殺されても仕方なかったのだと。それが償いであり因果。…ただ村には申し訳ない、その気持ちは胸いっぱいだった。ああ、俺はなんと幸福か。男はそうも思った。我が子に殺してもらえる。たとえそれが、も…。
そして男の意識は消えた。