華嫁降誕 群馬黙示録 お菓子の使徒
三日目 朝
前橋(水没) 紅雲町(水没)
群馬セントラル病院 本館 七階
内科・循環器内科病棟 七一五号室
今は亡きケーキ配りのオヤジの妻、水原祥子を救出するため、十兵衛たちはケーキやクリームにまみれた病室に足を踏み入れた。
「十兵衛さん。この部屋、外から見た感じに対して妙に広くないですか?」
「言われてみれば……」
「心中教会の時と同じね」
「うむ。くれぐれも用心だな」
互いにカバーできるよう固まって病室の中を歩く。
心中教会と同様、病室は広大な異空間となっていたが、ケーキ配りのオヤジが歩いた跡が残っていたお陰で一行は迷子にならずに進むことができた。
「大分歩いたわね」
「ふー……。年寄りには……ちとしんどいな」
生クリームで滑りやすくなっている床の上を歩くのは、老若男女問わずかなりキツい。路面凍結とは違い、時間経過で溶けて無くなる訳でもなく、足で退かしても油分が床に残るのでたちが悪い。
「足跡が向こうに続いてますよ」
目で追ってみると、足跡は天井まで届くほど大きいショートケーキとシュークリームの間を通っており、その先にはベッドがあった。
ケーキ配りのオヤジの話によれば、ベッドの近くに神の使いが居るとのことだったので、一行はベッドから三メートル離れたところにあった巨大なガトーショコラの陰から様子を窺うことにした。
「あのベッドが奥さんの……?」
「あっ、奥の方に窓がありますよ」
「窓際のベッド、間違いないわね」
「うむ。問題は如何にして助け出すか……だな」
「そうですね」
パッと見、ベッドの上とか下とか横に敵の姿は無いな。問題はシュークリームで隠れて見えないベッドの向かい側。もし、あそこに敵が潜んでいたら、助けに行った瞬間に攻撃されるよな……。畜生、あの邪魔くさいシュークリームさえ無ければ、すんなりと行けるのに……。
「私が行く」
「えっ? ペンタゴン!?」
「合体レプリカの私なら、生身の人間と違って多少ダメージを負っても平気だし、カウンターで切り抜けられるわ」
「でも、ダメージ前提なんて危ないよ。別の方法を……」
「向こうは待ってくれないわ」
おっしゃる通りです。分かってるんだよ。でも、行かせたくないんだよ。……でも、人の命がかかってるのは事実だし、奥さんを助けたいのは俺も同じ。駄々をこねてる場合じゃない……!
「行ってらっしゃい。その代わり、必ず帰ってこいよ」
「うん。じゃあ、行ってくる」
シュークリームとショートケーキの間をすり抜け、ペンタゴンがベッドに近づく。
「水原さーん。水原祥子さーん」
「ん……」
ベッドで眠っていた女性が目を覚ます。
「あなた、誰?」
「初めまして、私はペンタゴン……じゃなくて下川英理です。ご主人に頼まれて助けに来ました。もう大丈夫ですよ」
「主人に……」
「化け物が来る前に病院を出ましょう。起き上がれますか?」
「ええ」
女性の手を握り、ベッドから降りるのを手助けする。
「足元に気をつけて……。私に掴まってください」
「ありがとう」
ペンタゴンが女性を伴って歩き出したその時、背後にあるシュークリームの生地が開いたのを十兵衛は見逃さなかった。
「ペンタゴン! 後ろーっ!」
警告したのと同時にシュークリームから何かが飛び出し、瞬時に反応したペンタゴンが右手で裏拳を繰り出した。
重い打撃音が響き渡り、カウンターが決まったと誰もが思った直後、ペンタゴンが膝をついて倒れ、床が紅く染まる。
「ペンタゴン!?」
「ああっ! 腕が! お姉ちゃんの腕がっ!」
ペンタゴンの右腕は無くなっており、無惨に喰い千切られた断面からおびただしい量の血が噴き出している。
ペンタゴンに痛手を負わせた怪物はシュークリームの隙間から頭だけ出して口をもぐもぐさせている。その顔はピエロになっていて、顎を動かす度にホオジロザメのような鋭い歯が露出し、骨や肉を噛み砕く嫌な音が漏れる。
ごくりと飲み込んで食事を終えると、ピエロの怪物はシュークリームから這い出し、真っ黒い芋虫のような全身が明らかとなる。
芋虫……っていうより、まるで恵方巻だ!
「ちょっと変わった味だけど、美味しかったのです」
ピエロの怪物は、その生理的に気持ち悪い見た目からは想像できない無邪気で可愛らしい声で感想を述べ、舌舐めずりをしながらペンタゴンらに近づく。
「ま、待てっ!」
十兵衛がガトーショコラの陰から走り出す。
「堕天使! 徳永さん! ペンタゴンを頼む!」
「は、はいっ!」
「任せろ!」
ペンタゴンの手当てを二人に任せ、十兵衛は恵方巻ピエロと対峙する。
「お前が神の使いか!?」
「あなたは誰です? 人に訊く前に名乗るのが礼儀なのです」
恵方巻みたいな見た目のくせに偉そうに……!
「俺は乃木十兵衛! お前らからこの世界を救うために異世界からやって来た!」
「乃木……十兵衛……。なるほど、あなたがそうでしたか」
「俺のことを知っているのか!?」
「はい、園田から話を聴きました。方舟で私の仲間と派手にやり合ったそうですね」
「園田!?」
あの門番、この病院に逃げていたのか! ということは、園田は乱闘が始まってすぐに教会から逃げたのか。慕ってたシスターより自分の身を優先して……。どうやら、園田は見切りをつけるのが上手な男らしい。
「園田は今、どこに居る?」
世渡り上手ってだけなら別にいい。問題なのは、奴がシスターを慕っていたことだ。シスターの上には救いを謳う神が居る。シスターを通して神の思想に賛同しているのは間違いない。要するに信者だ。もし、世渡り上手の信者が明日をも知れぬ世紀末で暗躍したら……。なんとなくヤバい気がする。早く奴を見つけないと……!
「園田なら九階のコンサートホールに居るのです」
「コンサートホール?」
「はいなのです。今朝から失恋人魚様主催のバイオリンコンサートをやっています。園田はクラシック鑑賞が趣味で、特にバイオリンが好きなのです」
失恋人魚様? この病院に居る三人の神の使いの一人か? ネーミングからして不吉な予感しかしない……。
「さて、お喋りはここまでにして、あなたたちをいただくのです」
野郎……っ! 俺たちを食べる気だ!
「ま、待て! 言われた通り、俺は名乗ったぞ! 今度はお前が名乗る番じゃないのか!? 名前の分からない奴に食べられるなんて俺は嫌だぞ!」
「……。そういえばそうでした。うっかりしていたのです。ごめんなさいなのです」
よっしゃ! 延命という名の時間稼ぎが成功したぞ!
心の中でガッツポーズしつつ策を練る。
ペンタゴンが右腕を失った今、裂胸暗黒宮で決着をつけることは不可能。俺、堕天使、徳永さん。俺たち三人で立ち向かわなければならないが、持ってきてる武器は堕天使のガスバーナーだけ。圧倒的に決定力不足だ! どうする!?
十兵衛が思考を巡らす中、恵方巻ピエロが名乗る。
「私はお菓子の使徒C・R・L・T。私たちの仲間を手にかけ、神様に逆らう者たちに甘き死を与えてやるのです!」
その時、十兵衛はズボンのポケットにあるものが入っていることに気づいた。
この重さと硬さは……! あの時、自分で拾ったのにすっかり忘れてた。これなら奴と戦える! やってやるぞ!
闘志を胸に十兵衛はそれを取り出した。




