華嫁降誕 群馬黙示録 隣人を大切に
一日目
教会
「ごめんくださーい!」
挨拶をしつつガラス扉を開けて玄関に上がり、木製扉を押して礼拝堂へと進む。
「どなたかいらっしゃいませんかー!?」
声が反響するだけで返事はない。
神父さん、ひょっとして居ないのかな? ……いや、鍵が開いてるなら居るはず。少し待ってみよう。
主祭壇から見て左側、前から三番目の木製の長椅子に腰を下ろし、一息つく。
救世主になれ……。って、かなり無茶振りだよなあ。いきなりそんなこと言われても困るけど、救世主になれば元の世界に戻してもらえるみたいだし、やるしかないよな。
主祭壇に飾られた聖母マリア像を見ながら、そんなことをぼんやりと考える。
しかし、よく考えてみると、救世主になれってことは、救世主が必要な世界ってことだよな? それって、救世主じゃなきゃ倒せないヤバい奴が居る、って解釈できる。
額から顎にかけて冷や汗が流れる。
滅茶苦茶不安になってきた。一体、俺は何と戦わされるんだ? ……あ、ヤバい。腹が痛くなってきた……!
比喩ではなく、文字通りの急な腹痛が襲いかかる。
このままだと実が出る……!
腹とお尻に刺激を与えないよう細心の注意を払いながら、ゆっくりと席を立つ。
トイレはどこだ……!?
礼拝堂内を見回し、主祭壇の両サイドに扉があることに気づく。
どっちだ!? トイレはどっちだ!? ……えーい! くそっ! 一つずつ開けて確かめてやる! まずは右だ!
前屈みの姿勢のまま、摺り足でゆっくりと慎重に歩く。
大は腸に溜まる! 大は腸に溜まる! 大は腸に溜まる! 大は腸に溜まる! 大は腸に溜まる! 大は腸に溜まる! 大は腸に溜まる! 大は腸に溜まる! 大は腸に溜まる! 大は腸に溜まる! 大は腸に溜まる! 大は腸に溜まる! 大は腸に溜まる!
自分に言い聞かせながら歩き続け、遂に扉の前に着く。
……頼む!
扉を開けると、赤絨毯の敷かれた薄暗い廊下があった。
廊下の長さは十メートルほどで、両サイドに四つずつ扉が並んでいる。
突き当たりは丁字路になっており、右折側からは緑色の明かりが漏れている。
落ち着け、十兵衛! 冷静になれ! ……教会は不特定多数の人が集まる場所。その中には、トイレに行きたくなる人が居る少なからず居る。……なら、そういう人のためにトイレの看板とかプレートがあるはず。
大は腸に溜まる。そう念じながら冷静に思考を巡らせる。
突き当たりの右から緑色の光。あれは恐らく非常口を知らせるアレの光。俺の経験上、トイレは非常口の近くか非常階段の隣にあることが多かった。……つまり、現時点で最もトイレがそこにある可能性が高いのは、突き当たりを右に曲がったところだ!
突き当たりの右の角を目指して歩き出す。
あと少し……!
その時、曲がり角に一番近い扉が開いて神父が顔を出した。
極度の緊張状態にあった十兵衛を驚かせるには、それは十分過ぎる出来事だった。
そして、ダムは決壊した。
一時間後
廊下の突き当たりを左に曲がった先の書斎には、四十代後半の神父と、真新しいズボンを穿いた十兵衛の姿があった。
「本当に申し訳ありませんでした……」
「いや、私も悪かったよ」
「廊下を汚したにも拘わらず……。替えのパンツとズボンだけでなく、お風呂まで沸かしてくださり、本当に、本当に、ありがとうございます……。ぐすん……」
「迷える隣人を助ける。私は主の教えに従い、当たり前のことをしたまで。……それ以前に、この出来事は私にも責任がある。だから、そんなに気に病まないで」
「し……神父さん……。ぐすっ……」
「今日のことは水に流して、明日を見るんだ」
「は、はい……」
ちなみに、廊下の両サイドに並んだ扉は全てトイレで、突き当たりを右に曲がった先は非常口だけだった。
「そういえば、名前をまだ訊いてなかったね」
「あ。……申し遅れました。乃木十兵衛です」
「乃木、十兵衛くん、か。初めて見る顔だ。失礼だが、この辺りの出身かね?」
「いえ、違います」
「では、どこから来たんだい?」
ど、ど、ど、どうしよう!? 何て答えればいいんだ!?
「え、えーと、その……」
スリに刺されたと思ったら、よく分からん奴に、救世主になれと言われて、この世界へ飛ばされて来ました! ……って、馬鹿正直に言うか? でも、下手に嘘吐いて、あとで辻褄合わないとかなったら面倒だし……。うん。正直に言おう。あと、ここって神聖な場所だから嘘吐いたら罰当たりそうだ。
「あの……。今から突拍子もないこと言いますけど、よろしいですか?」
「構わないよ。隣人の話は最後まで聴く。それが主の教え。それ以前に、それが私のモットー。だから、遠慮せずに話して欲しい」
神父様万歳!
「ありがとうございます。実は……」
数分後
「救世主……!? 君が……!?」
驚愕の表情を浮かべながら神父が訊ねる。
「は、はい」
「その声の主が、確かに、そう言ったのか……!?」
「はい」
「そうか……! 君が救世主か……!」
神父さん、急にどうしちゃったんだろ? 目が凄い輝いてるけど……。
「十兵衛くん!」
「は、はいっ! 何でしょう!?」
「君に会わせたい人が居る。着いてきてくれ」
こうして、十兵衛は神父と共に書斎を後にし、何処へと向かうのであった。




