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そらのそこのくに せかいのおわり 〈 vol,07 / Chapter 06 〉

 ヘファイストスは七杯目のビールを煽った。

「やっと……やっとこの日が……」

 永かった。この日をどんなに待ちわびたことか。

 彼が世の人々に広く信仰されていたのは、もう二千年も昔の話。ギリシャにキリスト教が広まってからというもの、彼らオリンポスの神々は急激に力を失った。生活の随所に信仰の名残はあれども、人々の心を支える存在はゼウスではない。人々は『天上の雷霆』を畏れることをやめ、『地上の救世主』に困難の克服と魂の救済を求めるようになったのだ。

 人間の生活に表面的な影響はない。影響を受けるのは神々だ。それまで、人間から直接感謝されづらい神には主神ゼウスからの力の分配があった。しかし、ゼウスへの信仰が失われた今、それらの神々への力の分配は行われていない。

 鍛冶屋の守護神であるヘファイストスは、現在でも鍛冶職人からの信仰を受けている。

 勝利の女神であるニケも、今はスポーツ選手の守護神として世界中の人々に信仰されている。

 美の精霊カリストは、彼女の主人であった月の女神、アルテミスに向けられた信仰をその身に受けている。

 彼らは自分の力で『器』を作り、二つの世界を自由に行き来することが出来た。身の危険を感じれば異世界に逃げ込み、機を窺って地球に舞い戻り、『どうにかして生き延びる方法』を考え、実践し続けた。だからこそ、今もこうして『神』としての存在を保っていられるのだ。

 しかし、そうでない神の末路は悲惨だった。

 血気盛んな軍神たちはその他大勢の神々を引き連れ、同じくキリスト教の布教によって信仰を失ったローマ、エジプト、ケルト、スラブなどの神々と手を組み、天使らに戦いを挑んだ。

 誰もが甘く考えていた。天使たちは翼をもつ。それはつまり、与えられた役割に応じた能力以外に、すべての天使が風の属性を併せ持つということ。たった一つの能力しかもたない神々には、到底かなわぬ相手である。

 七大天使の率いる天使軍は一糸乱れぬ連携で、頭に血が上った軍神の特攻を軽くいなしていった。先陣を切った軍神はことごとく敗北し、消失するほど神格を落とすか、闇に堕ちるか――連合軍は、あっという間に瓦解した。

 大敗を喫したそのあとで、残された神々は食らい合いを始めた。自分の存在を維持するために、戦で負傷した神々を生きたまま食らったのだ。

 それは地獄のような光景だった。

 その日の出来事を思い出し、ヘファイストスは身震いする。

 彼は足に障害を抱えている。どれだけ強い剣を作っても、それを持ち、自ら戦うことは出来ない。自分がいつ『不要』とされ、荒ぶる神々の『獲物』とされるか。ヘファイストスは戦々恐々としながら、取り憑かれたように剣を打ち続けた。

 しかし、彼の剣は軍神が持ってこそ真の力を発揮するもの。オリンポス最強の軍神アテナが装備してもなお、天使軍にはかなわなかった。

 軍神アテナはもういない。マルスもアーレスもアポロンも、オーディンもセトも、みんないなくなってしまった。どれだけ強い剣を作ってみても、ヘファイストスの剣を使える軍神は、もうどこにも残っていないのだ。

 あとに残されたのは使い手のない剣、戦えない男、仕えるべき主人を失った随神と精霊。

 ヘファイストス、ニケ、カリストの三柱は、そのときに誓い合ったのだ。


 いつかもう一度、オリンポスに栄光をと。


 ヘファイストスは立ち上がる。

 今こそ、復権のときが来た。

「ククク……ザラキエル……もう悲鳴も上げられなくなったか……」

 酔いの回った足取りで、上機嫌に地下へと向かう。

 獣の姿の神々は、おそらく手足の肉だけでは満足できず、腸も、肝臓も、脾臓も心臓も、何もかも食いつくしてしまっていることだろう。しかし、問題はない。彼らは知らないのだ。弱り切った天使を食らったところで、この場ではたいした力は手にできないことを。こちらの世界にザラキエルの信者はいない。ザラキエルに対して向けられる信仰の力を我がものとするには、地球に行く必要があるのだ。

 ヘファイストスが食らおうとしているのはザラキエルではない。ザラキエルを食らってわずかに力を得た、あの獣たちである。これから自分たちがどうなるか、何も知らずに大喜びで餌を貪り肥え太る『家畜』たちの姿を想像すると、滑稽すぎて噴飯ものである。

 地下牢についてみれば、やはりそこには、思った通りの光景が広がっていた。

「あ、ああ……ヘファイストス様……」

「申し訳ございません……」

「その……あの……」

 机の上に残されているのはザラキエルの頭だけ。それ以外の部位は、骨も残さず綺麗に平らげられている。

 そんなつもりはなかったんです、とでも言いたげな上目遣いで、ゴリラやライオンたちはヘファイストスに媚びてみせる。

 ヘファイストスは一頭ずつ、ゆっくりとその目を見つめていく。目が合った瞬間、獣たちはより低く体を落とし、床に頭を擦るようにして服従の意を示す。

 その態度を確認してから、ヘファイストスは口を開く。

「このクズども。なぜ、俺の言いつけが守れない?」

 全ては想定内のことだが、ここは一応、凄んでみせる場面である。獣たちはヘファイストスの一喝で、ひれ伏したままあとずさる。

「……ふん。まあ、仕方ない。頭だけでも食わずに残しておいたことだけは、褒めてやってもいいか……」

 その言葉に、獣たちはホッとした顔を見せる。しかし――。

「私の肉を食らって、無事でいられるとでも?」

 ザラキエルの首が、はっきりとそう言った。その瞬間、獣たちの体に変化が起こる。

「おっ……おっ……?」

「ギエ……ゲ?」

「ケ……ケケ……?」

 獣たちは体を上下に揺さぶり、たった今食べたものを吐き出そうとしている。けれども吐き出せない。出てくるものは血でも肉片でもなく、高濃度の『闇』だった。

「あ……ヘファイストス様……」

「たすけ……て……」

「苦し……」

「フシュル……フシュルル……」

「痛い……痛いよぉ……」

 ヘファイストスは反射的に炎を放つ。だが、浄化できない。この闇は普通の『闇堕ち』の闇とは強さが違う。

「こ……これは……」

「私は闇を司る天使ザラキエル。天使を堕天させる役割を賜った者。その私が判断した。この者たちは、もはや『神』とは呼べぬ。ただの畜生となり果てた。よってここに、彼らの堕天を宣告する」

「堕天だと⁉ 待て! この者どもは天使ではなく……」

「同じことだ! 『神』とは創造主より役割を賜り、人を導き守護するもの! 天使と何が違う! 私の能力が通用することこそ、同等の存在であることの証であろう!」

「き、貴様は翼を失って、力も失くしたのでは……」

「失ったさ。けれど、失った分だけ譲り受けた。誰にだと思う?」

「……まさか……!」

「勝利の女神からの伝言だ。『敵国の神を捕らえる方法、力を吸い上げる方法は教えたが、同時に捕虜の扱いも教えたはずだ。捕虜を犯すとは言語道断。貴様との同盟もこれまでだ。あとは勝手するがいい』……とのことだが?」

「おのれ……おのれニケ! 俺を裏切ったか!」

 絶叫し、ザラキエルの生首に炎を放つ。しかしその寸前、ザラキエルは一羽の鳥に姿を変え、ひらりと攻撃を躱していた。

「裏切ったのはどちらだ? ニケは貴様を信用していたからこそ、同盟を組んだのだろう? それがなんだ? 捕虜を犯した? それは赦し難い。なんたる蛮行。主より遣わされた者として、あるまじき振る舞いである。私は今ここで、貴様に堕天を宣告する」

「クソ……堕とされるものか……。貴様ごときに、堕とされてなるものかあああぁぁぁっ!」

 ヘファイストスは自身の体に炎を纏い、ザラキエルの放つ闇の波動を相殺する。

 地下牢に爆音が鳴り響く。




 旧本部に到着したピーコックは、エントランスホールの受付カウンターからジルチの隊長、アーク・アル=マハを呼び出した。

 元々は総務部のオフィスだった場所をジルチ隊員の居室として改装したため、各自の個室には総務部時代の内線端末がそのまま残されている。『庶務課(消耗品補充係)』という一番立場の弱そうな番号が、隊長アル=マハの個室番号だ。

 しばらく呼び出し音を鳴らしっぱなしにしていると、重苦しい声でアル=マハが出た。

「こんな時間に何だ……?」

「やあ、アーク。寝てたか?」

「ピーコックか……何の用だ?」

「旧本部に抜き打ち監査だ。お前たちが居住区に部外者を引き入れている疑惑があるんだが?」

「ああ、部外者な。いるぞ」

「へえ? あっさり認めちゃうんだ?」

「情報部のほうにも『カミサマ』の話が広まった以上、もう隠しておけないだろう? 地球人が二名、こちらに来ている」

「二人? 両方とも女だろ?」

「なんだ、もう正体も分かっているのか?」

「いや、正確には。おそらくニケとカリストの器だろうなぁ~、ってことくらいまで」

「だいたいわかっているじゃないか。一階の仮眠室だ」

「了解。お姫様方をお迎えに上がりましょ~う♪」

「ああ、それとな、仮眠室に行く前に地下に降りる階段のところ通ると思うが、暇だったら地下もなんとかしてくれないか?」

「あ、もしかしてザラキエルが監禁されてるとか? 俺たち、その子も探しに来てるんだよねぇ?」

「そいつとヘファイストスが交戦中だ」

「は? 交戦中? 嘘でしょ? あの天使ちゃん、もう戦えるような力残ってないはずだよ?」

「ニケがドカッとエネルギーを注入したようだ。さっき見に行ったんだが、人間が入っていける環境じゃない。炎と闇の撃ち合いで、もう、なにがなんだかワケの分からん大激戦になっている。諦めて部屋に戻ったら内線が鳴っていた、という流れだ」

「へ~、そうだったんだ? 地下って、地下二階の牢屋だよな? 独房? 雑居房?」

「いや、一番奥の隔離室だ。途中の隔壁はすべて下ろしてあるし、地下一階のスプリンクラーはフル稼働させている。地上まで延焼することはないだろう」

「隔壁が下りてて、途中が水没してて、炎と闇が乱れ打ちされてんの? いや、それ、何をどう間違えば『なんとかしてくれ』とか言えちゃうワケ? どうやって現場までたどり着けって?」

「がんばれ情報部エース」

「お前ね、エースにも出来る事と出来ない事ってあるの。そこんとこよく考えてから発言してくれないかなあ?」

「やなこった。ああ、あと、ジルチを戦力として考えるなよ。カリストとかいう精霊ちゃんに無力化させられて、全員風呂場でひっくり返ってるから」

「うっわ~、見たくねぇ~。全裸オジサンが群れで打ち上がってんのかよ~」

「座礁したクジラと思えば少しは優しい目で見てられるぞ。じゃあなピーコック。俺は寝る」

「ちょっと待て! お前は来い! 炎の中でも行動できるのお前だけなんだぞ!」

「眠い! 寝る! 以上!」

「おい! こら! 阿呆! なんだその理由は……って、クソ! 切りやがった!」

 叩きつけるように受話器を置き、ピーコックはグレナシンとレインに視線を向ける。

「地下二階でヘファイストスとザラキエルが交戦中。炎と闇の撃ち合いで、人間が入っていけるような環境ではないそうだ」

 そう聞いて、二柱の月神は同時に手を挙げた。

「私が見てこよう」

「ぼくもいく」

 ツクヨミとコニラヤは闇を司る神。ザラキエルの攻撃にもかなり長時間耐えられることは、以前戦ったときに身をもって確認している。

「気を付けてちょうだいね、二人とも」

「コニラヤさん、ウォッカの瓶は置いて行かないと。それ、引火しますよ?」

「あ、そうだね。ルキナちゃん、もってて」

「あ~い。コニーちゃん、いってらっさぁ~い。……んぐっ……」

 酔っぱらった月神から酒瓶を受け取った女神は、そのまま瓶に口をつけ、ウォッカを煽る。

 こんなものを原液のままラッパ飲みできるなんて、女神の肝機能はどれだけハイスペックなのだろうか。人間たちは、何とも言えない面持ちで女神の横顔を見つめる。




 二柱の月神は地下一階に降り、スプリンクラーの豪雨の中を駆け抜けた。

 今の彼らは肉体を持たない霊的存在。水に濡れることも、呼吸困難を起こすこともない。『神の眼』によって、視界も十分に確保されている。

 そんな二柱が、あるところで足を止めた。地下二階へと続く階段室の前で、これ以上は先へ進むことが出来ないと判断したのだが――。

「酷い瘴気だが……これは何の気配だ? ザラキエルとヘファイストス以外にも、誰かいるのか……?」

「みさご……ごりら……らいおん……」

「あー……コニラヤ? なぜ急にしりとりを?」

「ちがうよ! みさごのばけもの、ごりらのばけもの、らいおんのばけもの、すなぎつねのばけものがいる。あとのさんたいは、よくわからないいきもの……」

「君には見えているのだな?」

「うん。ぼくのめ、やみのなかのほうが、よくみえるから」

「闇の中と言っても……ここまで酷い瘴気の中を、どうやって見ているんだい? 私は覗き見ようとしただけでも、めまいがしてしまうけれど……」

 そう言いながらコニラヤの目を見て、ツクヨミは妙な既視感に襲われる。

 白目と黒目の区別のない、真っ黒な眼窩。あまりに闇が濃厚すぎて、そこに眼球があるのかどうかも判別できない。この漆黒の眼窩は、闇堕ちになりかけている神々のそれと、非常によく似ていた。

「……君ひょっとして、今も半分堕ちたままなのでは……?」

 問われたコニラヤは、海月のようなフワフワした動作で首を傾げる。

「よくわからない。ぼく、やみおちなの?」

 妙にゆったりと間延びした話し方。その声と仕草に、ツクヨミは疑念を強める。

 コニラヤは時々ものすごく鋭くなったかと思えば、無知で無力な幼児のようになることもある。今は酒の影響もあるだろうが、どうもそれだけとは思えない。彼の知能指数と能力は、その時々で非常に大きなムラがあるのだ。やはりこの神には、まだ何か問題が残されているような気がした。

(……いや、そもそも、オオカミナオシの判定を信じたのが間違いだったか……?)

 あの神獣の思考回路は他の神々と異なる。彼の基準で『問題ない』と言われても、人間基準で見れば大問題となることなどいくらでもあるのだ。

(……一応、やってみるか……)

 ツクヨミは指をパチンと鳴らし、指先に小さな光を創り出した。月の光をそのまま指先に灯したような白銀の光。ツクヨミはそれをコニラヤの顔に近付ける。

「うわぁ、きれい。なあに、それ?」

「清めの光だよ。君の眼球一つ分くらい、これでなんとかなると思うのだけれど……失礼!」

「ほあっ⁉」

 ツクヨミは唐突に首固めを仕掛け、コニラヤの左目に『清めの光』を捻じ込む。

 するとどうだろう。コニラヤの目は『器』であるレインとそっくり同じ、ライラック色の綺麗な瞳に変わった。

 光が触れた前髪の一部も、やはりレインと同じ黄色みがかった色に変化している。

「……あれ? なんだか、いつもよりあたまがさえているような……?」

「コニラヤ、一度皆のところに戻ろう。私たちはものすごく……もんのすごぉ~く、重大な事実に気付かずにいたようだ……」

「え、そうなの? ねえねえ、なになに? なににきづいたの? どうやってきづいたの? ツクヨミすごいね! おしえておしえて!」

 首固めを掛けられたまま無邪気に笑うコニラヤを見て、ツクヨミは確信する。

(うん。やっぱりこの子、どこかおかしい……)

 ツキノワグマの着ぐるみを着ているほうが正常で、神々しい装束を纏っているほうが精神の均衡を欠いているだなんて。外見だけでカミサマを判断しちゃあいけませんよと、誰に向かって言うでもなく、心に念じたツクヨミであった。




 エントランスホールに戻った二柱から現場の状況と『コニラヤの半堕ち疑惑』を聞かされ、ピーコックは無言のまま、生温い目で自分の右腕を見た。

 バンデットヴァイパーは宿主の視線を受け、自分の判断で蛇の姿に変じ、何の予備動作もなくコニラヤの頭にかぶりつく。

「うわ! い、いたい! いたいよぉ! うわぁぁぁ~ん! やだよぉ~! はなしてよぉ~! ふえぇぇぇ~っ! たすけてぇ~!」

 咄嗟に払い除けようとするコニラヤの手を、ルキナとツクヨミがガッシリと抑え込む。

 この場の誰もが薄々気づいてはいた。


 こいつはどこかおかしいぞ、と。


 原因が判明したなら、さっさと治療してしまえばいい。既に症状の出ている病気をそのまま放っておくことほど、その後に悪影響を及ぼすことはない。

 合理的判断ができる神と天使、人間らの迅速な対応により、コニラヤの内部にあった『闇堕ちの毒』はめでたく吸い出された。

 余計なものが除去されたコニラヤの姿は、レインと同じ黄色みがかった髪、ライラック色の瞳、赤みのさした健康的な肌色に変化している。もともと顔立ちがそっくりだったせいで、黙っていたらどちらがレインか分からないほどである。

「あ……あれ? 僕は、これまでいったい……? どうしてこんなに、爽やかな気分に……? 体も、軽くなった気が……?」

 半分闇堕ちになっていても、本人には自覚できないものなのだろうか。なぜ自分の具合が突然良くなってしまったのか、さっぱり理解できていない様子である。

「コニラヤさん! ほら見て! 髪の毛! 目の色! もう真っ黒じゃありませんよ!」

 レインに手鏡を向けられ、コニラヤはようやく、自分が本来の姿に戻ったのだと理解した。

「本当だ! なんだ! そうか! 僕はてっきり、力が弱まったから黒い髪と目になってしまったものとばかり……僕は、闇に呑まれかけた状態だったんだね⁉」

「そうです! ああ、良かった! 私についている神だけ知能指数がバカみたいに低くて、言動が乳幼児なくせに酒ばっかり飲んでるクソの役にも立たない海月で、本当にどうしようかと思ってましたが……」

「うわ酷い! 僕、そんなに酷かった⁉」

「ええ、そりゃあもう! どこのアル中患者隔離施設に捨ててこようかと思うほど!」

「ナニソレほんと酷い! いやだ! 恥ずかしい! 死にたい! いやいっそ殺して! うわあああぁぁぁ~!」

 コニラヤは両手で顔を覆ってしゃがみこんでしまった。

 知能指数が通常値に戻ったことで、これまでの自分の言動に耐えられなくなったらしい。

「ちょおっとコニーちゃあ~ん? ほんのちょこっと幼児化してたくらいで死にたいとか、生温いこと言ってんじゃないわよ! その程度でいちいち死んでたら、アタシたちなんかとっくにゾンビよ!」

「そんな基準で言ったら、俺もお前も、二百回か三百回は死んでるもんな?」

「男はケツ穴開通してからが人生本番よ! たくましく生きなさい!」

「いや、ここまでたくましくならなくてもいいからな? ほどほどにユル~く生きていこうな?」

 人間社会の闇の側面をこれでもかというほど体験し続けている情報部エースとオカマ副隊長の金言である。神の心に響いたかどうかはともかく、『生きろ』という強いメッセージは伝わったらしい。

「う、うん……頑張る……頑張るよ。頑張って生きなきゃ……」

「そうですよコニラヤさん! 副隊長の姿をよく見てください! 透けたネグリジェのままでもTバックでも、こんなに元気に存命中なんですから! それにほら、ツクヨミさんだってツキノワグマの着ぐるみパジャマですよ! こんなふざけた格好で表情だけは超クールとか、神として偉大すぎでしょう⁉ 変な格好でも思わずひれ伏したくなる神オーラ発散くらい、貴方にだってできます! まずはその神々しい服を脱いで、水玉海パンキャラで攻めていきましょう! 露出芸人のように!」

「ちょっと待ってレイン! 君が僕に何を求めているのかよく分からない!」

「いいですかコニラヤさん、よく聴いてください? ヒョウモンダコ色の髪とアメフラシの紫汁腺分泌液色の瞳なんて、それだけで無駄に小奇麗な印象になってしまうんですから。そんなお高く留まった『カミサマ像』が、現代人に受けると思いますか? もうウホウホやってた古代人の王国はどこにもないんですよ? 後光を背負って降臨したって、誰も信じてくれません。『え、それLED? ホログラム? 投影機どこ? バッテリーどこに入ってるの?』なんて言われるだけですよ。ここはもっと、第一印象から万人受けする一発芸人風のカミサマとして……」

「そういう路線⁉ 僕、そういう出オチ芸人系神様としてやっていかなきゃいけないの⁉」

「これだけキャラの濃いカミサマがうじゃうじゃ登場しているんですよ⁉ 真面目に神々しいカミサマなんて、これ以上増えても群衆の中に埋もれて忘れ去られていくだけです。そうは思いませんか?」

「た、確かに……」

「存在そのものを忘れられたら、また弱体化して半闇堕ち状態に逆戻りですが……貴方、それでいいんですか? 本当に、それでいいんですね……?」

「え……い……いやだ! 忘れられるのも闇堕ちするのも嫌だよ!」

「じゃあ脱ぎましょう! 勇気を出して!」

「う……うん!」

 レインに悪気はない。彼は真面目だ。そしてコニラヤも、ふざけているつもりは毛頭ない。ただ、一人と一柱が天然だった。これはそれだけの悲劇である。

 神の装束は寄せられる信仰の強さによって変化するものなので、信徒らが純白の聖衣を想像すればそのように。黄金の鎧兜や月桂樹の冠、青いヴェールや漆黒のドレスなどを想像すればそのようになる。

 現在、コニラヤの信者はレイン一人。彼が全力で『最強装備・水玉柄の海パン』を想像すればそのように変化してしまうのが、『神システム』における最大の欠陥であるといえた。

 コニラヤは神々しい光に包まれた直後、ストロベリーヤドクガエルのような色彩のビキニパンツに衣装チェンジされていた。

 海パン一丁の月神は妙なテンションで駆け出し、再び地下へと向かう。

「ふ、不毛な戦いはやめるんだぁ~っ! 世界の平和は、僕が守ぉ~る!」

 言っていることは正しいのだが、レイン以外全員の胸中に、半堕ち時以上の不安が渦巻いた。

「ねえピーコさん? 売れないグラドルがAV転向を決意する瞬間って、ひょっとしてこんな感じなのかしら?」

「あ、ああ、うん、綺麗につるっと脱がされたよな、今……ってゆーか、その……いいんだろうか……本当にこれでいいんだろうか……レインとコニラヤの言動が想定外すぎて、まったく作戦が立てられない……」

「ちょっとピーコさん? この程度で黄昏てんじゃないわよ。うちのレインちゃん、あれで平常運転ですからね? そんじゃツクヨミ! アタシたちも行きましょ!」

「了解クマ!」

 マスコットキャラクターか何かのつもりなのか、着ぐるみの月神は謎の語尾をつけて涼やかに返答した。




 地下一階は、先ほど入ったとき以上に視界が悪化していた。

 スプリンクラーからの散水量は一定。これによる視界悪化はない。問題は湯気である。地下二階で燃える炎によって地下一階の床面が加熱され、降り注いだ水分が次々に蒸発しているのだ。

 ここは蓋をした石鍋のようなもの。足元は熱々に熱された石材で、空気中には蒸発した大量の水分。通風孔もあるにはあるが、充満した水蒸気を綺麗さっぱり吹き飛ばすほどの換気能力はない。

 神々は肉体を持たないため、この高温の中でも問題なく先に進める。しかしグレナシン、ピーコック、レインの三人は、階段室から先、廊下に足を踏み入れることすらできなかった。

「ん~……カミサマたちだけで、大丈夫かしら……?」

「駄目だろ。どう考えても。テンションのおかしい海パン野郎と、語尾がクマのヤツと、酔っぱらい女神って……」

「信じます! 私は海パン戦士コニラヤンZが世界を救うと信じています!」

「レインの信仰心がヤバい」

「小説オタクがある日いきなり特撮ヒーローモノにハマるとこんな感じになるわよ?」

「え、そうなの?」

「自分の体をサイボーグ化したり秘密結社みたいなブラックすぎる組織の長官になってみたり、まあやることがぶっ飛んでるというか、なんと言うか……」

「待って。そういう人にものすごく心当たりがあるんだけど?」

「まあ、誰とは言わないけどね? アタシの知ってる人の場合、寝言で『超人戦隊マッシヴ☆イレブン』の主題歌口ずさんじゃったり、マッシヴ☆パープルのコスチュームでプレイしたがったり……」

「待って待ってホントに待って! その先聞きたくない! 聞きたくないから!」

「あらそう? 汗掻いたせいで全身タイツ脱げなくなって片足ケンケンで部屋の中一周した話とか、けっこう面白いネタあるんだけど……」

「ヤメテ! 俺の中の理想の上司像が木っ端微塵になるから本当にヤメテ!」

 騎士団の黒すぎる側面に、さすがの情報部エースも若干声が裏返った。

 そんな宿主の耳元で、黒い蛇がぼそりと呟く。

「水を撒こう」

「え? あ、ああ、この廊下? 消防ホースで? 全体的に温度下げるの?」

「そうだが、消防ホース程度では足りない。サラに協力させよう。これだけスプリンクラーが設置してあるなら、どうせ排水用の設備もあるのだろう? いったん完全に水没させねば、ヘファイストスの炎で全員焼け死んでしまう」

「へえ? ヘファイストスって、そんなにすごい火力なの?」

「ああ。あれは野火や灯火の神でなく、鍛冶屋の炉を守護する神だ。金や銅の融点は千度を超える。造る物の大きさにもよるが、金属を鋳融かして加工するには、数時間から数日間、安定的に炎を燃やし続けねばならない」

「え? 数日……?」

「それが出来るのが『鍛冶屋の守護神』だ。人間の火炎属性魔法と同列に思っているなら、すぐに考えを改めることだ。ほんの一瞬炎を放つ魔法とは、根本的な破壊力が違うからな」

「……そりゃあマズいな……?」

 三人は顔を見合わせ、それからすぐに特務部隊宿舎に通信を入れる。

 今は真夜中。リビングルームの電話がいくら呼び出し音を響かせても、誰も出ないだろうと思ったのだが――。

「……もしもし?」

 出たのはチョコだった。これ以上はないくらい不機嫌な様子の声に、ピーコックはおおよその状況を理解する。

「やあチョコ、こんな時間に悪いね。こちらは情報部のピーコックだ。酔っぱらい貴族どもが帰宅したところかな?」

「あー、はい、そうです。んもう、玄関でドタバタ五月蠅くするから目が覚めちゃって……」

「王子様は?」

「マルコさんは先にお部屋に戻られましたよ。隊長とロドニーさんが『もう歩くのやだココで寝るーっ!』って駄々こね始めたんで、諦めて……」

「悪いけど、今から王子様に緊急出動だ。できればお前も一緒に」

「はあっ⁉ 本気ですか⁉ 今メッチャ夜中じゃないですか!」

「旧本部が炎上・消失するかもしれない一大事なんだよ! カミサマ連れて、とにかく来い! 旧本部だぞ!」

 言いたいことだけ言って、さっさと切って通信機を仕舞う。この身勝手さは特務部隊の伝統かもしれない。ほんの一瞬、自分の行動を顧みて微妙な顔になるピーコックであった。




 ピーコックたちは一階に移動し、階段室前でマルコらを迎えた。

「……というワケで、現在ザラキエルとヘファイストスが交戦中。で、このありさま。早く消火しないとヤバい。OK?」

 非常に手を抜いた説明であるが、このところ神がかり的な異常事態に慣れつつある二人は、あっさり受け入れて行動に移った。

「ゲンちゃん、接続を解除します! サラ、来てください! 貴方の力が必要です!」

「ヤム・カァシュ! 有り余ってるパワーを、下に降りたルキナさんに!」

 サラは一瞬でマルコのもとに現れ、優美な竜の姿に変じる。

 ヤム・カァシュはトウモロコシ型マラカスを振りながら地下二階へと降りてゆく。


〈ここ、全部浸水させてもいいの?〉


 体内の水分に直接響く不思議な声。マルコはサラの声に大きく頷いて見せる。

 次の瞬間、サラは鋭く啼いた。

 声とも音ともつかない竜の咆哮。それと同時に、どこからともなく溢れ出す大量の水。地下一階はあっという間に水没し、天井まで完全に水で満たされてしまった。

「それじゃ。地下二階の隔壁を開けるぞ。サラちゃん、水の量が足りないと思ったら、随時追加する方向でよろしく」

 サラはぴょこんと頭を下げて、了解の意を示す。

 ピーコックが階段室前の操作レバーを上げていくと、地下から機械の駆動音が聞こえてくる。

 地響きのような、低く鈍い音。それが連続して八回。

「……あれ? やっぱ、一番奥の隔壁は壊れたかな?」

 隔壁の枚数は九枚。階段室にまで溜まっていた水が一気に引いていくところをみると、手前から八枚目までは問題なく操作できたようだ。

 大量の水を注ぎ込んだことによって、地下一階の温度は急激に低下。体感としては三十度から四十度ほどだろうか。蒸し暑さは感じるが、真夏の熱帯雨林だと思えば問題なく行動できる。

 暑さに弱いレインがこの場で待機し、他の四人で突入しようと話し合っていたのだが――。

「……何の音だ?」

 ピーコックが猫耳をピコピコさせている。だが、彼以外は獣人系種族ではない。ネコ科の彼には十分聞き取れる音でも、人間の耳にはその音が分からない。

「何か聞こえるのですか?」

「ええ、獣の足音が三種類ほど。それと……なんだ?」

 ピーコックは知らない。

 闇堕ちと化した神のうち四体が、隔壁を開けたことでこちらに向かって這い出してきていることを。

 彼に分かることはただ一つ。全身の毛が逆立つほどの何かが、こちらに向かって接近中であるということだ。

「何か来るぞ! 全員構えろ!」

 ピーコックのその声を聞きつけ、獣たちは狙いを定めた。

 真っ暗な地下から最初に飛び出したのは、巨大なオニプレートトカゲだった。

 階段室の出入り口と同じくらい大きく開かれた口。その口で出入り口前にいたマルコを丸呑みにしようとする。

「させるか!」

 ピーコックの声と同時にバンデットヴァイパーがマルコの胴に巻き付き、素早く横に引き倒す。

 空振りしたトカゲは出入り口のフレームに足を掛け、無理矢理通り抜けようともがいている。オニプレートトカゲは頭より体が太い。口だけは階段室から突き出せても、そこから先に進めずにいる。

身動きが取れないのならばこちらの攻撃チャンスだ。マルコはホルダーから銃を引き抜き、ためらうことなく発砲する。

 ドゥンと低く響く発砲音は、《デスロール》特有のものである。

 魔弾はトカゲの口腔を抜け、喉の奥に直撃した。この魔弾は付随効果として、着弾点で超小型の竜巻を発生させる。着弾と同時に傷口を風の魔法でズタズタに引き裂くため、その破壊力は強大である。人体や通常の生物にこの魔弾が直撃したら、まず間違いなく、一撃で命を落とすことになろう。

 しかし、これは闇堕ち状態の神。

 ある程度の打撃を受けた様子はあるが、死んではいない。

「マルちゃん! 撃って撃って撃ちまくりなさい! こいつのすぐ後ろにイノシシの化け物もいるわ! 後ろからグイグイ押してる!」

 ツクヨミと離れていても、『神の器』として強化された能力は健在である。グレナシンの目では、トカゲの後ろにいるモリイノシシ、オジロスナギツネ、ボスウェリアの姿をしっかり視認できていた。

「く……こんなことなら、《ティガ―ファング》をチャージすべきでしたね……!」

 マルコは呼び出しを受けた時点で、すぐにでも攻撃動作に入れるよう魔弾のチャージを始めていた。デスロール残弾、二十五発。対人戦闘であれば楽に二ダースの敵を葬り去れる攻撃力なのだが――。

「駄目です副隊長! 致命傷を与えられません! こちらの攻撃速度を回復力が上回っています!」

「嘘でしょ⁉ 口の中よ⁉ どんだけすごい生命力なのよ、このトカゲ!」

 貫通力の高い《ティガ―ファング》であれば、もう少し違った効果も期待できたかもしれない。けれども現在チャージ済みの魔弾は《デスロール》のほうだ。今から使用弾種を切り替えたとしても、フルチャージには時間を要す。それに、もしもこのトカゲに合わせて弾種を変えた後で、その後ろのイノシシ相手には《デスロール》のほうが有効と分かったら――。

「あー、もう! マルちゃん、下がってなさい! 魔弾は《デスロール》のままチャージ続行! アンタは防御とサポートに専念!」

「了解!」

 マルコは後方に回り、指示通り全員に《銀の鎧》を使用する。

「ちょっと! 誰か爬虫類に詳しい人いない⁉ こいつの弱点どこよ!」

 そう言いながらグレナシンは、手持ちの呪符を発動させる。それは主にアダルトグッズ店で販売されているセックストイで――。

「んもう! アンタ、ものすごく口臭い!」

 トカゲが口を閉じた瞬間、うまく鼻先に捻じ込んだ。

「ホギャッ⁉」

 何が捻じ込まれたか、トカゲ本人は知る由もない。よもや神の鼻の穴に、ピンクのディルドが突っ込まれる日がこようとは。グレナシン以外誰もがフリーズし、世紀の瞬間を目撃する。

「バイブレーション最大出力! スイングスイッチ、オ~ン!」

 グレナシンの指示で、ディルドは振動を始める。鼻の中で異物が震えて、ブンブンとスイングしはじめたのだ。これで驚かない生き物はいない。

 トカゲは大きく後退した。その直後、トカゲと壁の隙間から出入り口に突進してきたのはイノシシの化け物である。こちらもかなり大型だが、出入り口を抜けられないサイズではない。

 助走距離は不十分でも、持ち前の脚力で真正面のグレナシンに体当たりを掛けようとしたのだが――。

「いや~んっ! こわぁ~い!」

 軽く体を捻りつつ、足元に呪符を一枚。こちらもアダルトグッズショップではお馴染みの商品、『潤滑液』の呪符である。

 イノシシが呪符を踏みつけた瞬間、蹄と床の間に非常に滑りの良い潤滑ジェルが出現した。

「ブギャアアアァァァーッ⁉」

 イノシシはあり得ないくらい見事にすっ転び、床の上を前方に六回転ほど転がったところで動きを止める。

 アダルトグッズで闇堕ちと対抗できるなんて、誰が想定しえただろうか。事の成り行きを呆然と見守っていたマルコは、ハッとして《緊縛》を発動させ、イノシシを拘束する。

「サラ! 浄化をお願いします!」

 同じく呆然としていたサラも、ハッとした顔で吼え、青く光る水の球を大量に出現させた。そしてそれをイノシシにぶつけ、噴出する黒い霧を浄化し始める。

 その間にも、グレナシンは次なる敵と対峙していた。

 スナギツネは出現と同時に闇の波動を放ち、それを追う形で襲い掛かってきた。波動を食らってでも本体からの攻撃を回避するか、一枚の防壁で二種の攻撃を凌ぎきるか。普通ならばどちらとも判断できぬうちにノーガードで連続攻撃を食らう距離である。しかし、多種多様な経験が豊富すぎるグレナシンに限って、そんなことにはならない。

 マルコの《銀の鎧》がある以上、闇の波動は気にする必要がない。ならば本体とどう戦うかと言えば――。

「変身!」

 グレナシンが選んだのは、『コスプレ用呪符を使って肉弾戦』という驚愕の手法であった。

「クケッ⁉」

 妙な声を上げたその瞬間、スナギツネの姿は『超人戦隊マッシヴ☆イレブン』のピンクになっていた。これは頭のてっぺんから足の先まで、完全にひとつながりの全身タイツ型コスチュームである。人間用の全身タイツを着せられたスナギツネは前が見えず、耳も折りたたまれ、鼻も口も完全に布で覆われている。前脚にはツルツル滑るサテンの手袋、後ろ脚にはヒール付きのロングブーツ。これでは動くことはおろか、立つことすらできない。

 無様にもがいてジタバタ転げまわるスナギツネに、グレナシンは全体重をかけたボディプレスを食らわす。

「どっせえぇ~いっ!」

「ぎゃんっ!」

「ピーコさん! チョコ! あとよろしく!」

「おいコラなんだそれ! しょうがねえなあ! 呑み込め、バンデットヴァイパー!」

 漆黒の蛇がスナギツネの心臓に噛みつき、その闇を吸い上げていく。そしてその闇が限りなくゼロに近くなったところで――。

「チョコ! こいつを燃やせ!」

「了解! 《業火》発動!」

 炎は一瞬でスナギツネを呑み込み、残された最後の闇を焼き祓う。

 そしてそのころには、グレナシンは最も正体のつかめない相手、ボスウェリアと戦いはじめていた。

 この神は動物ではなく、植物から『神』へと昇格した存在である。人類と対話可能な言語を持たず、その精神構造は動物と異なる。

 つまり、グレナシンには攻撃パターンが全く予測できないのだ。

「きゃあっ⁉」

 突然伸ばされた根。それはまるで槍のように、グレナシンの眼前に鋭く突き出される。

 階段室から這い出したボスウェリアは一気に根を伸ばし、エントランスホール中に展開した。石造りの床や壁に木の根は入っていけないが、その分、表面に這わされた根の存在感は異常だった。

 血管のように脈打つ木の根。それらが槍のように、鞭のように、ときにはまるで巨大な両手のように、グレナシンただ一人を狙って襲い掛かっている。

「わ、ちょ、やだ! なによ! 何なのいったい! どうしてアタシだけ狙われんのよぉ~っ! アンタ、何の守護神なのよ!」

 尋ねたところで答えない。もし闇堕ちになっていなかったとしても、この神にははじめから、人の言葉を話す能力は備わっていないのだ。

 高速で突出される根をギリギリで躱しながら、グレナシンは考えた。これが植物から神格化した存在であるなら、人間にとって非常に有益な種類の樹木であったはずだ。その正体さえ分かれば、最適な倒し方が分かるかもしれない。

 グレナシンはレインのほうを見て叫ぶ。

「ちょっと! レインちゃん、植物に詳しいわよね⁉ この木、何か分からない⁉」

 レインは四方八方に展開される根の間で右往左往しながら、悲鳴のような声を上げる。

「葉っぱも樹皮も見覚えがありません! 少なくとも、中央市周辺では栽培されていない品種ですぅ~っ!」

「地球の固有種かしら⁉ 弱点が分からないなら、普通に伐採するしかないわね! レインちゃん! 倉庫からチェーンソーとガソリン持ってきて!」

「除草剤でなくていいんですか⁉」

「あら! そんなモンがあるの⁉」

「訓練場に雑草が生えないように月一ペースで散布されてます!」

「さっすが園芸男子! そういうところだけは無駄に詳しいわね! 何でもいいわ! 植物相手に効きそうなもん掻き集めて来てちょうだい!」

「了解です!」

 レインはどんどん蔓延っていく根の間を駆け抜けながら、必死に出口を目指す。そのとき、この植物から放たれる微かな芳香に気付いた。

(あれ? この木、もしかして……?)

 その香りはどことなく、グレナシンの匂いと似ている気がした。

 レインの退路を確保すべく、チョコは魔法を使ってボスウェリアの気を引く。

「うおらあああぁぁぁーっ! 食らええええぇぇぇーっ! 《百裂火炎弾》っ!」

「サマエルちゃん! 俺たちも炎で行くよ! 《火炎弾》!」

「天の火よ! 罪悪の都を粛清せよ! 《メギドフレイム》!」

 チョコ、ピーコック、サマエルの三人がかりでの火炎系攻撃。その瞬間根の動きが弱り、グレナシンへの攻撃が止んだ。マルコはその機を逃さず、グレナシンの傍らに立って防御結界を展開する。

「ご無事ですか⁉」

「ええ! 全然平気よ! ってゆーかこの木、なんでアタシだけ狙うのかしら⁉」

 そう言いながらマルコのほうに振り向いた瞬間、髪からふわりと漂う香り。それはグレナシンが愛用する香水の香りで――。

「あ! 同じ!」

「え? 何が?」

「あの、ご自分から同じ香りがするためにお気付きになられていないのだと思いますが、この木は副隊長の髪と同じ香りがします!」

「え、ホント⁉ ってことはこの木、ボスウェリアなの⁉ あら! だとしたら納得だわ!」

「何がでしょうか?」

「地球の歴史から見て、この木がザラキエルを敵と認識していても何もおかしくないってこと! 原始宗教のころは乳香の木それ自体が神として崇められていたのに、キリスト教が流行り始めてからは、この木は神でも何でもない、ただの木として扱われるようになったのよ! だからヘファイストス側についたんじゃないかしら? ねえ、どうなのよ、ボスウェリア様⁉」

 グレナシンに名前を呼びかけられ、ボスウェリアはピタリと動きを止めた。こちらの言葉が分かるのだろうか。この反応なら会話が可能かもしれないと、グレナシンとマルコが希望的観測を抱いた次の瞬間――。

「フシュルルルルルルルルルルル!」

 声ではない。木の葉が擦れる音のようだ。その音は次第に大きく、荒々しくなっていき――。

「うっわあっ⁉ あっぶねーっ⁉」

 大げさな悲鳴を上げてチョコが跳び退る。何事かと振り向くと、チョコの真上に設置されていた電球が落ちていた。

 天井を見れば、他の電球もカタカタと音を立てて振動し、今にもソケットから抜けそうになっている。

「共振してるの⁉ 何よこの技! こいつ本当に木の神⁉ これって風属性よね⁉」

「話し合いはできそうにありませんね……サラ、一旦接続を解除します! ゲンちゃん!」

「まかせてよ! 《生命創造》! シロアリ!」

「えっ⁉ シ、シロアリ⁉」

 キュポンと現れた玄武の足元が緑色に光り、大量のシロアリが湧いて出る。

「ぃいいいやあああぁぁぁーっ! ちょ! やめ! あああぁぁぁーっ! この技もなんなのよぉぉぉーっ!」

 透けたネグリジェの三十代男性を抱きしめる私もなんなのだろう。

 マルコは自分史上最も複雑怪奇な表情で、飛びついてきたグレナシンを優しく抱きとめていた。

 シロアリはボスウェリアの根に取りつき、一斉にかじり出す。

 ボスウェリアは木の葉を擦り合わせ、まるで悲鳴のようにあの音を出した。そしてシロアリの取りついた根をバンバンと床に叩きつけ、シロアリを払い除けようとしているのだが――。

「なんのぉ~! まだまだぁ~!」

 玄武が再び光を放ち、一回目と同じか、それ以上のシロアリを発生させる。

 幹のほうを攻撃していたピーコックとサマエルも、さすがにこれにはドン引きした。

「た、確かに、木には効きそうだけどさぁ……」

「焼きたい……焼き払いたい……なんて邪悪な軍団なんだ……あああぁ……」

「サマエルちゃん、大丈夫? 顔色悪いよ? あ、じゃあ気を紛らわせるためにちょっとした豆知識を。シロアリは名前に『アリ』ってついてるけど、ホントはアリの仲間じゃないんだよ♪ なんとあいつらはゴキブリの仲間で……」

「やめろぉぉぉーっ! 聞きたくなぁーいっ!」

 天使の全身に鳥肌を立たせるという驚異的な破壊力を発揮したピーコックだったが、そのお返しとして、左の頬に強烈な平手打ちを食らってしまった。

「うう……痛い……」

 誰もピーコックをかばう者はいない。自業自得である。

 玄武のシロアリ攻撃により、ボスウェリアは大量に蔓延らせた根を必死に引っ込めている。今はマルコらの周りだけポカリと丸く、穴の開いたような『安全域』が出来上がっている。だが逆を言えば、それ以外はエントランスホール全域がボスウェリアのテリトリーということだ。

 これは闇堕ち。表面的には闇が噴出している気配はないが、植物の神が堕ちるとどうなるのか、この場の誰も見たことがない。どこからどんな形で闇が湧きだすかも分からない。迂闊に動くことは出来ない状況である。

 彼らは自然と背中合わせになり、五人で死角をカバーし合う。

「なあ、最初に出てきたトカゲ、いったん引っ込んでそれからどうなった?」

「知らないわよ、アタシ、そのあと忙しかったんだから」

「出てきていないことは確かだと思います。俺、スナギツネ焼いた一瞬以外は出入り口見てましたし……」

「副隊長がスナギツネから離れられた瞬間には、もうこの木の怪物が出現して、出入り口を塞いでいました」

「じゃあ、この根っこを何とかした瞬間にトカゲ戦スタートか……」

 自分たちが動きを止めたことで、地上の物音はボスウェリアの根が床を叩く音のみになった。それによって地下での戦闘音が鮮明に聞こえるようになったのだが――。

「……奴ら、なにとどう戦ってるんだ?」

 獣の咆哮、雄叫び、連続して響く炸裂音。どう考えても、それは敵側の出した音である。戦闘に不向きなツクヨミ、ルキナ、コニラヤに応援要員としてヤム・カァシュも加わったが、彼らだけでは攻撃手段がない。

「ツクヨミさんとコニラヤさんが防御で、ルキナさんの蛍が唯一の攻撃手段では……?」

「あ、俺もそのつもりで、ルキナちゃんに力を、って言ったんだけど?」

「でもあのオネエチャン、ぐでんぐでんに酔っぱらってなかったか……?」

「たしか最初に偵察行ったとき、コニーちゃんが『みさご、ごりら、らいおん』ってしりとりみたいな報告してたわよね? ミサゴもゴリラもライオンも、蛍なんかより圧倒的上位の捕食者だけど……?」

「……え? もしかして、俺たちよりカミサマのほうが弱い……?」

「『海パン戦士コニラヤンZ』に奇跡を起こしてもらうしかなさそうね……」

「あれ、パンイチになって何か能力増えたのか?」

「どうかしら……防御力が下がったくらいしか変化ないんじゃない……?」

「レインとコニーが不確定要素すぎる……」

 渋い顔の宿主に、サマエルが言う。

「本人が自覚していれば良いが、あれは正確には月神ではない。もっと別の存在なのだが……」

「え? じゃあ何?」

「コニラヤ・ヴィラコチャは創世神だ。完全開放された状態であれば、玄武、青龍らと比肩する強大な能力を有する」

「は? 嘘でしょサマエルちゃん? あのクソ弱そうなひょろひょろパンイチもやしが?」

「見た目は気にするな。あれは人類が最後に移住した大陸で、最後の文明と最後の神話を紡いだインカの神だ。すべての文明の主食となる作物は、私たち天使がエデンの園で原種を開発したものだった。人間と天使、もしくはその土地の農耕神が協力し合い、よりよい品種に作り替えていけるよう、どの作物にも進化の余地とその可能性を与えた。しかしあの大陸だけは、他の文明よりずいぶん遅い時代に発展を始めたのでな。一から育てさせたのでは人類、植物双方の進化が遅れると判断し、創造主はコニラヤに、他の神よりも強い力を与えたのだ。だから、おそらく今ならば……」

 語尾を濁して床を見る。ピーコックの目には床の石材しか映らないが、天使サマエルの目には地下での戦いの様子も見えていた。

 神々は人間たちの想像通り、ルキナの蛍に頼った戦法を取っていた。決して押されてはいないのだが、だからと言って、勝機の見いだせるような戦局でもない。ダラダラと長引くばかりの消耗戦の様相を呈している。

 サマエルは舌打ちし、全員に向かって言う。

「私とこの男が地下へ行き、彼らに加勢する。ここでこうしていても埒が明かないからな」

「え、俺? まあ行くのはいいけど、どうやって?」

「そうだな……まず、玄武。あの出入り口の場所に、ピンポイントでシロアリを発生させることは?」

「ボクは自分で歩いた場所にしか命を与えられないよ! でも、サラの水で運んでもらえば、このホール中、いっぺんにシロアリだらけにできるよ!」

「よし、それでいい。全体をシロアリだらけにすれば、あの木は狂ったように暴れだすだろう。そうなったらマルコ、お前の結界だけが仲間の身を守る砦だ。神の攻撃に耐えられるか?」

 マルコは一も二もなく頷く。

「できる、できないの問題ではないでしょう。意地でもやり遂げてみせます」

「木の根が退けば、またあのトカゲが出る。おそらく先程のように、入り口をふさがれてしまうだろう。セレン、あの呪符、まだ残っているか?」

「バイブ? アレ一枚しかなかったんだけど……」

「いや、潤滑液のほうだ」

「ああ、そっちならあるわよ。そうね、滑りさえ良くしちゃえば、ギリギリ抜けられそうな大きさだったものね?」

 そう言いながらピーコックに渡された呪符は十枚。薬局で購入した際のパッケージがそのままついている。

「うわあ、お買い得ぅ~。一枚増量パッケージのうえ使用期限間近で半額シールまでついちゃって……」

「余ったらピーコさんとサマエルちゃんで使っていいわよ?」

「あ、ホントぉ~? うん、それじゃありがたく……」

「直ちに去勢しろ。そして野良猫のように耳先をカットされるがいい」

「……そんなガチで拒否らなくてもぉ~……」

 シュンとしてみせるネコ科スケベ中年を無視して、サマエルは話を続ける。

「トカゲがこちら側に抜けたら、私とこの男とで地下に降りる。トカゲとあの木、両方の相手を任せてしまうことになるが……」

「大丈夫よ。レインちゃんが除草剤持ってきてくれるまで、何とか持ちこたえるわ」

「俺の《百裂火炎弾》、結構効いてたみたいですしね!」

「防御結界だけは絶対に維持します!」

 マルコの頭の上で、魚の姿に戻っているサラも胸鰭で胸を叩いて見せている。

 全員で頷き合い、行動を開始する。


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