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そらのそこのくに せかいのおわり 〈 vol,07 / Chapter 05 〉

 七月二十二日、深夜。もうじき日付も変わろうかというころ、ザラキエルの身柄は情報部庁舎へと移された。そこで来歴や入国目的など『通常の不法入国者』としての取り調べが行われたのだが、当然、普通の情報部員が担当するわけにはいかない。取り調べを担当したのは、不本意ながらも創造主と言葉を交わした経験を持つピーコックである。

「つーまーりぃー? お前は天使長ってやつと同格で、自分の好きな時に創造主に会いに行ける立場で、『天使を堕天させる』って能力のおかげで『最強の天使』と呼ばれていたわけだ?」

「ああ……そういうことになる……」

「七大天使の序列二位」

「そうだ」

「それがいきなり独断で羽を切って脱走? 誰に相談することもなく?」

「その……まあ、そうだ。自分のしてきたことが正しかったのかどうか、気になったら、いてもたってもいられなくて……」

「それって、他の六人にしてみたらものすごい裏切り行為なんじゃない?」

「……そういう表現も……できなくもないな……」

 微妙な答え方になるザラキエルに、ピーコックはボールペンを突き付けた。

「お前が仕事を投げ出した穴は誰が埋める?」

「それは……誰にも埋められない。私と同じ能力の天使はいないから……」

「お前最悪だな。後先考えずやらかして、その結果を確かめたいからって、また先のことも周りの迷惑も考えずに勝手に飛び出して」

 ザラキエルは何も言い返せない。何もかも、その通りだからだ。

 下を向いて泣き出してしまったザラキエルを見て、ピーコックは溜息を吐く。

 ここは情報部庁舎内にある尋問室の中でも、特に口の堅い犯罪者に使用される『絶対に吐かせる尋問室』、別名『拷問部屋』だ。ザラキエルの態度次第では徹底的に調教してやろうと意気込んでいたピーコックだが、これでは拍子抜けもいいところだ。聞けばなんでも素直に答えるし、ちょっと責めてみれば泣き出してしまうし、まるで迷子の幼児を保護している気分だ。

 尋問を始める前にザラキエルの体を調べてみたが、今の彼は本人の申告通り、人間とほぼ同じ状態だった。普通に触れるし、体を動かせば疲労を感じるし、食事や睡眠も必要だし――事前に『元天使』と聞かされていなかったら、妄想癖のある精神疾患者として専門的な治療施設に送っていたかもしれない。そのくらい、『ただの人間』のようになってしまっているのだ。

 ピーコックはザラキエルが泣き止むまで、しばらく待つことにした。

 向かい合わせに置いた椅子に腰掛け、背もたれに体を預けて足を組む。それは尋問官らしく威圧感を漂わせるため、計算されつくした動作である。この相手には必要なさそうだと思いながらも、体に染みついた習慣に従い、さも偉そうな態度で手元の資料に目を落とす。

 身体データを見る限り、肉体的には十代前半から半ば程度の子供だ。身長百六十センチ、体重四十六キロ、スリーサイズは八十、六十、七十八。外見上は少年のように見えたが、規定に従い肛門検査を行おうとしたところ、女性器もあった。どうやら天使というものは、男でも女でもない両性具有の存在であるらしい。

 体内に爆発物等を隠していないか検査する必要があるため、肛門にも女性器にも容赦なく指や検査器具を突っ込んでしまったのだが――。

(あのさ、ヘビ子さん? 俺、天使の処女膜破っちゃったみたいなんだけど、これって創造主的にOKだと思う?)

 微妙すぎる質問に、バンデットヴァイパーも心の声で答える。

(貴様は自分の職務に従っただけだろう? NGだったら、今頃生きてはおるまい)

(だよねぇ? NGだったら、胃カメラなんて突っ込めなかったよねぇ?)

(尿道カテーテルも注射針も、挿入前に止められただろうな)

(ということは、やっぱりこいつ、もう創造主から完全に見捨てられてんのかな?)

(さあな。見捨てられている前提で好き放題嬲ったあとで、実はそうではなかったとしたら……)

(怖いこと言わないでよ、ヘビ子さぁ~ん)

(誰がヘビ子だ。きちんと名を呼べ!)

(嫌だね。俺の言霊が無ければうまく実体化できないんでしょ? だったら絶対に呼んであげな~い♪ まあ、ヘビ子さんが俺を『ダーリン♡』とか『ご主人様♡』とか呼んでくれるなら話は別だけど……)

(殺すぞクソ野郎!)

 バンデットヴァイパーは蛇の姿に変じてピーコックの頭に噛みつくが、自分の毒で死ぬ毒蛇はいない。

 ピーコックはここ数日、本当に一度も名前を呼んでいない。すっかり弱った毒蛇は、ほんの数秒で蛇から右腕に戻ってしまった。

「……え? 今の、なんだ? 腕が、蛇に……」

「お前が反抗的な態度を取ったら、今のでガブリと行くからな? いいな? さ、泣き止んだなら次の質問を……」

「頼む! 今の蛇、もっとよく見せてくれ!」

「……は?」

「すごく懐かしい気配がする! その蛇、何て名前だ⁉」

「これは……」

 名前を答えれば言霊の力を与えてしまう。きちんと実体化したらバンデットヴァイパーは全力で首に巻き付き、死なない程度に窒息プレイを仕掛けてくることだろう。

「こんなモノの名称を知ってどうしようって?」

 他の相手ならともかく、この『お子様』が相手なら質問を質問で返すだけで十分やり過ごせる。そう判断したピーコックだったが、その後の展開はピーコックの予想を完全に裏切るものだった。

「サマエルじゃないのか? 君は天使サマエル! そうだろう⁉」

「……サマエル?」

 ピーコックは聞いた名前をそのまま繰り返した。その瞬間、想定外の事態が発生した。ピーコックの右腕は肩から先が空気に溶け込むように見えなくなり、その代わりに、彼の右側に女が立っていたのだ。

 外見的な年齢は二十代後半か、三十代前半か。スッと通った鼻筋、朝露に濡れたような長い睫毛、形よく整った唇。腰まである長い黒髪は絹糸のような光沢の滑らかなストレート。身に纏う黒い衣は聖職者が祭礼で纏うガウンのようなものだが、大胆に着崩し、豊満なバストと張りのある太腿をあらわにしている。

 どこからどう見ても、文句の付けどころのない妖艶な美女である。

 彼女の琥珀色の瞳を見て、ピーコックはそれがバンデットヴァイパーであると気付く。

「……ヘビ子さん? その姿は……」

 ただのセクシーすぎる美女ではない。彼女の背後には透き通った赤い光の翼が十二枚。頭には創造主の祝福を受けた証、光の冠を戴いている。

 一見して、『ものすごく格の高い天使』であると理解出来る姿だった。

「チッ……ザラキエル、余計なことを……」

 ザラキエルはサマエルに近付こうと立ち上がりかけて、自分の両手が椅子の肘掛けに拘束されていたことを思い出す。

 座ったまま、満面の笑みで話しかける。

「サマエル、良かった。主から新たな役割を賜ったんだな? 今度の役割は、その男の守護天使かい?」

 しかしザラキエルの笑顔に対し、サマエルは露骨に嫌そうな顔を見せた。

「どこが良いのだ? せっかく自分の意思を取り戻せたと思ったら、この男の右腕と融合した状態で……」

「人と融合しているなら、他の守護天使たちよりずっと優遇されているじゃないか。霊的に守るだけでなく、物理的にも守ってやれる。守護天使としては、最高の条件が整っていると……」

「だから嫌なのだ! なぜ私がこんなスケベ中年を守護せねばならない!」

「スケベ、とは……ええと……ああ、エロスのことか? どこが悪いのだ? 種の存続のためにも、エロスは必要だろう?」

「だったら貴様が変わってくれないか? 毎日口の中に発射されるだけの簡単なお仕事だぞ? どうだ? やってみたいと思うか? ああ?」

「え、あの、その、サマエル? 昔から少し狂暴だったが……なにか、こう、雰囲気が悪くなっているような……?」

 ごめんなさい多分それ俺のせいです、と思いながら、ピーコックは天使たちの言葉の意味を整理する。

 サマエルがザラキエルに対して「余計なことを」と言うのだから、彼女は自身の正体も、本当の名前を呼ばれればその姿に戻れることも理解していた。それを知られたくないから、武器としての名称である『バンデットヴァイパー』を名乗り続けていたのだろう。

 本名を名乗らなかった理由は考えるまでもない。宿主がスケベ中年だからだ。ヘビ子の正体がこんな美女だと分かっていたら、もっと色々なことをしたに違いない。いや、絶対にする。しないわけがない。それは自信を持って宣言できる。

 次に「せっかく自分の意思を取り戻せたと思ったら」という発言からは、それまでは思考が制限状態に置かれていたことが分かる。つまり、寄生型武器として闇堕ちと戦い続けることこそ、彼女に課せられた何らかの『罰』だったのだ。

 サマエルが罰を与えられるほどの何かをしでかしたと推測できるのは、ザラキエルの笑顔と咄嗟に出た言葉だ。「良かった。主から新たな役割を…」という言葉とザラキエルの安堵した顔。それはどう考えても、堕天後、天使として創り直されない可能性もあったということで――。

「ねえねえヘビ子さぁ~ん? 人の事スケベ中年とか言ってくれちゃってるけどさぁ、ヘビ子さんは何をしでかして堕天させられたのかなぁ~? 教えてほしいなぁ~?」

 椅子に座ったまま、傍らに立つサマエルの黒髪を指先で弄ぶ。

 サマエルは生ゴミでも見るような目でピーコックを見下ろし、淡々と答える。

「まだ調整段階だった人類の雌、イヴに知恵の実を与えた。知能を発達させれば理想的な人類が完成するかと思ったのだが、失敗した。人類は不完全なまま『楽園』を追放され、繁殖した。そのせいで人類はいまだに不完全だ。私が原罪を生み出した張本人だ」

「ふぅん? 原罪、ねえ……? そのイヴっていう雌のプロトタイプが、王子様やロドニーが遭遇した造成地のアレだよね?」

「ああ。デカラビアの十号だ」

「十号? じゃあ、一号から九号までは?」

「一号から八号までは酷い失敗作で、ヒトの形すら成していなかった。やむを得ず、私が廃棄した」

「廃棄って?」

「殺して土に還したのだ。あれは人とも神ともつかぬ存在だからな。土に溶ければ、豊穣神とほとんど同じ働きをする。楽園の苗床として使われた」

「じゃあ、デカラビアはもう一人生き残っているわけだ?」

「いや、いない。九号はツクヨミに引き取られて、大和の国で苗床とされた」

「え? なに? サマエルちゃんとツクヨミって知り合い?」

「ちゃん付けで呼ぶな! ……大和の神々はかなり古い時代から世界各地を旅行していたからな。ツクヨミは、何度か楽園見学にも来ているぞ」

「楽園見学」

「ツァドキエルが天使向けの造園講習会を開いた時にも、はるばる大和からやってきて、熱心に勉強していたな」

「天使向けの造園講習会」

 なんて人間臭いことをしているのだろうと思ったピーコックだが、すぐに思い直した。『天使向け』と銘打たれるほどなのだから、おそらく人間の考える『造園』とはスケールが違う。なにせ天使だ。大陸を丸ごと改造する規模での『造園技術』なのだろう。

(……いや、これで本当にチューリップの球根の植え方とかだったら、全力でズッコケるけど……)

 ツクヨミの器であるグレナシンの性格を知っていると、どちらかというと『ズッコケオチ』の可能性が高いような気がしてくる。ピーコックは軽く頭を振りながら話を戻す。

「あー、それでさ、ちょっと話戻すけど、デカラビアがツクヨミに引き取られて、具体的に何がどうなったの?」

「我々天使が楽園で行っていたことと、まったく同じことを再現したのさ。ツクヨミはデカラビアの亡骸を苗床にイネやヒエ、アワなどを生み出した。それを大和の民に与え、食糧危機を乗り切った。本当は宇迦という神が生贄に使われるはずだったのだが、豊穣神を使い捨てにしてしまえば、その後が立ち行かなくなるからな。同じ豊穣神の性質を持つデカラビアを使うことを思いついたそうだ。楽園の肥料は十分足りていたし、デカラビアのほうも、ただ殺されるよりは民の糧になりたいと望んでいた。結果としては大成功だったようだ」

「……宇迦……豊穣神……同じ性質……?」

 ピーコックは、何かが引っ掛かると思った。

 ツクヨミの行動が読めない。それと同じくらい、ツクヨミと同じ『月神』であるコニラヤの行動も分からない。彼らは豊穣神ではない。民に農作物を与えるのは、どこの文明でも太陽神や豊穣神、地母神の役割である。それなのに、あの二柱は当然のように民に食糧を与えている。

(なんだ? なんか妙だぞ? ツクヨミの言ってることが正しいなら、その宇迦ってカミサマが、今の地球で最強の豊穣神なんだよな? じゃあ、他の太陽神や実りの神とやらは何をしている神なんだ? 神システムってやつは、本当にカミサマの名前通りに仕事が割り振られてるのか……?)

 なぜか他の神の役割を代行している闇の神。これはもしかすると、自分はとんでもないカラクリに気付いてしまったのではないかと思ったピーコックだが――。

(いや、待て。そんなに簡単な仕組みに、カミサマ本人が気付かないなんてことがあるか……?)

 ピーコックが思考を整理している間に、ザラキエルとサマエルは口喧嘩を始めていた。

「大体な、貴様が後先考えずにポイポイ堕天させるからこういうことになったのだぞ? なぜあそこでルシファーを堕とした? まだシステムの一端である人間が調整段階だったのに! おかげで開発を急ぐ破目になって、知恵の実を与えるしかないという結論に……」

「主の決定に異を唱えたルシファーが悪い! 私は己の役割に従ったまでだ!」

「何事にもタイミングというものがあろう! 動ける天使全員が天界戦争に駆り出されたせいで、楽園の管理者はイオフィエルとツァドキエルの二人だけになってしまったのだぞ⁉ システムの開発どころか、地上の環境整備も遅れに遅れて……戦地に向かった天使らの気持ちが分かるか⁉ 彼らは本来の役割を投げ出してまで、あの戦いに参加させられたのだ!」

「システムが未完成だったなんて、私は聞かされていなかった!」

「自分から聞きに来なかった貴様が悪い! 他の天使たちと関わることをせず、好き勝手に放浪して……全部貴様が原因ではないか!」

「だって……だったら! なんでサマエルは、それを私に教えてくれなかったんだ⁉ 話をする機会なら、いくらでもあったじゃないか!」

「知るか! 貴様のほうから話しかけてきたから、他の天使たちとも普通に話をする奴だと思っていたんだ! 情報共有はできているものとばかり……」

「他の奴らとなんて、仲良くできるわけない! みんな闇の力を畏れていた! 私を怖がらなかったのはサマエルだけだった! ……私には、サマエルしかいなかったのに……」

「私も、皆から畏れられる『神の毒』を司る者だ。天使長を含め、一部の天使たちとしか付き合いはなかった。それでも、己の務めを全うするためには、自分から皆と関わっていく必要があると判断した。イオフィエルとツァドキエルとも、そうして仲良くなった。……貴様は、そうではなかったのだな……」

「……だって……私は……」

 天使たちの喧嘩を見守る人間は、単純にこう思った。


 似た者同士なんだろうなぁ、と。


 しかしほぼ同じ境遇に生まれながら、その後は見事に正反対だ。自分から世間と関わっていこうとした者と、誰かが関わってきてくれるのを待ち続けた者。己の過ちに気付いて罪を償い終えた者と、気付かぬふりをしてさらなる罪を重ね続けた者。

 いずれにしても、天使という連中は、どうにもこうにも人間臭い感情に突き動かされているらしい。

「あのさぁ、ヘビ子さん? ちょっといい?」

「なんだ?」

「ヘビ子さんが仲良かったのって、ほんの数人なんだね?」

「そうだが?」

「じゃあザラキエルのほうにも聞くけど、仲良くしていたのって何人?」

「……サマエルだけだ」

「会話したことくらいはある、っていう相手は?」

「七大天使となら、少しは……」

「『堕天させた神の様子がおかしい』と教えたのは? その七大天使の仲間か?」

「……いや……私の、よく知らない天使だった。向こうから話しかけてきて……」

 ザラキエルの答えに、サマエルはハッとした。

 自分からザラキエルに話しかける天使が、はたして何人いるだろうか。天使を堕天させる役割を持つザラキエルは、創造主への忠誠心を試すサマエルと同じか、それ以上に忌み嫌われていたのに――。

「ザラキエル! その天使は、どんな奴だった? 顔は? 髪の色や、翼の色は⁉」

「ええと……炎みたいな綺麗な緋色の翼と、少しカールした、長い赤毛の……」

「その天使、女の姿か⁉」

「う、うん。そうだよ……」

「鎧兜と、長剣を装備していなかったか⁉」

「え……そうだけど……サマエル、あの天使を知っているの……?」

 サマエルとピーコックは顔を見合わせた。


 意外なところに黒幕がいた。


「ザラキエル! お前はここで待っていろ! 行くよ、サマエルちゃん」

「『ちゃん』をつけるな!」

「え、あの……どうしたんだ? 何が……」

 ピーコックとサマエルは、何かに弾かれたように尋問室を飛び出していく。

 あとに残されたザラキエルは、絶望的な表情で呟いた。

「片腕でいいから、外して行ってほしかったのに……」

 原因不明の足の痒みは、既に限界に達していた。




 特務部隊宿舎に駆け込んだピーコックは、二階のリビングルームに直行した。

「おい、ベイカーはどこだ⁉」

 時刻は午前零時三十分。とっくに消灯時間を過ぎていても、特務部隊にはまとまった睡眠を必要としない隊員がいる。

「あ、ピーコックさん♪ どうなさったんですか? こんな時間に……」

 そう答えるのはレインである。彼はシーデビルという海棲種族で、陸生種族とは体の構造が異なる。彼は数秒から数分程度の睡眠を一日の内に何度も取ることで体を維持できるため、深夜でもリビングルームにいることが多い。

 いつも通り読書していたレインに、ピーコックはもう一度問う。

「ベイカーは、もう帰っているか?」

 昨夜に引き続き、ベイカー、ロドニー、マルコ、ポールの四人は貴族への挨拶回りに出ている。明日も定時から仕事があるのだから、朝帰りはしないだろうと踏んでいたのだが――。

「先ほど連絡がありまして、帰りはかなり遅くなる、と……」

「女か!」

「あ、はい、おそらくは。電話の後ろで、女性の声が少なくとも二人分は聞こえておりまして~……」

「ったく、あの女誑し! 平日の朝帰りはやめろって何度言ったら分かるんだか……」

「あの、隊長に何かご用ですか?」

「いや、ベイカー本人に用はないんだ。俺が探しているのはニケだ」

「ニケさん? あれ? そういえば、昼ごろから一度もお会いしていないような……?」

「本当か? おい、コニラヤとルキナっていうのも、レインの中にいるんだろう? 誰かニケを見ていないか?」

 二柱の神はひょいと姿を現し、揃って首を横に振る。

「しらないよ?」

「そう言われてみますと、私たちもニケには会っておりませんわね……?」

「よるはいつも、しゅくしゃにいるのにね?」

「他の女神たちはカレンの部屋で女子会の真っ最中ですわよ? 呼んできましょうか?」

「いや、ニケ本人がいないならいい。クソ、今日に限ってベイカーと一緒か? どうするヘビ子さん?」

 ピーコックの右腕に戻っていたサマエルは、蛇の姿に変じて答える。

「いや、おそらく、タケミカヅチの器とも一緒にいないはずだ。奴が黒幕だとすれば、ザラキエルがこちらに来たことを仲間に伝えに行ったはずで……」

「仲間って言っても、全員、たいした能力は持ってなかったよな? 自力じゃ顕現できないくらい弱ってる連中だったわけだし、奴らは情報部の庁舎内にまでは……」

「ああ、彼らは入れないだろうが……私たちは、まんまと嵌められたようだな」

「そうだな……まだ無事だといいが……」

 ピーコックとバンデットヴァイパーの様子に、レインもただごとではないと気付く。お気に入りのティーンズノベルを置き、立ち上がる。

「私にも協力できることはありますか?」

「協力どころか、主戦力になってもらいたいくらいだね」

 ピーコックは手短に説明する。話を聞き、レインも顔色を変えた。

「……ニケさんが……」

 ピーコックの説明を引き継ぐ形で、今度はバンデットヴァイパーが話す。

「現時点で一番怪しい。あれは勝利の女神。私が思うに、ニケは人々の信仰を失っていない。戦争のみならず、勝負事全般を司るからな。ニケにすがる人間は多いはずだ」

「でも……他の神々にも気づかれないように『弱ったふり』をするなんて、可能なんですか?」

「方法ならばある。ヤム・カァシュと同じだ。力を失っている神に、自らの力を分け与えてしまえばいい。自己の存在を維持できる最低限の力さえ残しておけば、『弱体化したカミサマ』の完成だ。彼女はヘファイストスと同じ炎の属性を持つから……ヘファイストスに力を与えていたら、他の神々にはヘファイストス本人の力かどうか、区別がつかない」

「そんな……」

 バンデットヴァイパーがレインと話している間に、ピーコックは情報部に連絡を入れている。

「……そうか、分かった。いや、いい。おそらくそれは追跡不能だ。……ああ、そうだな、そちらは頼んだ……」

 通信を切ったピーコックは、忌々しげに告げる。

「尋問室からザラキエルが消えた。腕を拘束していたベルトは、綺麗に焼き切られていたそうだ」

「ならば、やはりニケだな。人間の防犯装置を突破することなど、女神には造作もないことだ」

「どこに連れて行かれたと思う? ニケの心の世界かな?」

「いや、自らの心の世界を戦場に選ぶことは無かろう。あれは自分の家のようなものだ。いくら弱っているとはいえ、『堕天宣告』の能力を持つザラキエルを連れ込むのは危険すぎる」

「とすると……それこそ、あいつが協力してるっぽいね?」

「だろうな。ニケが『異界送り』にされた神ではないとしたら、彼女は器を持って、二つの世界を自由に出入りしていることになるが……幼子や老人では行動が制限されてしまう。できることなら若者……十代後半から二十代前半が良いのだが……」

「女神の器は、やっぱり女でしょ?」

「ああ。ニケにそっくりな人間の女が一人、どこかに囲われているはずだ」

「若い女を一人、誰にも知られずに囲っておける場所と言えば、あの場所しかないよな?」

 ピーコックに視線を向けられ、レインは頷く。


 旧本部である。


 あの場所は現在、ジルチの本拠地として使われている。一般職員の立ち入りは禁止されていて、立ち入り権限を持つ一部の騎士団員も、滅多なことでは訪ねて行かない。行ったとしても、先日のピーコックとレインのように、エントランスホールより先には入らないのだ。奥の居住空間に女がいるとしても、おそらく気付かれることはない。

「レイン、覚悟しろよ。今回は本気でやり合うことになる」

「私は構いませんけど、コニラヤさんが大丈夫かどうか……」

 見た目だけは神々しくなった月神は、妙に情けない内股気味のガッツポーズで宣言する。

「ぼく、がんばるよー。ヒック……」

「私もご協力いたしますわ~。おほほほほほ~! ういっく……」

 コニラヤとルキナは酔っていた。レインが読書中、二人で酒盛りをしていたらしい。

「おいスケベ中年。いきなり不安要素しかないぞ?」

「ヘビ子さん、俺の呼称それで固定するのだけはやめてくれない?」

 小声で言い合う二人を見て、レインも申し訳なさそうな顔をしている。

 と、ここでリビングルームに、もう一人と一柱が姿を見せた。

「あらやだピーコさん、どーしたのよこんな夜中にー。ひょっとしてアタシに夜這いかけに来たわけぇ~? そういうことならちゃんと予告しといてよぉ~♡ 勝負パンツ穿いといてあげたのにぃ~♡」

 ピンクのスケスケネグリジェの三十代男性の登場に、一同の精神力は自分の足で立っていられるギリギリの水準まで急降下した。

 TPOをわきまえていると表現すべきか、グレナシンの後ろのツクヨミもツキノワグマの着ぐるみパジャマを着用している。二人はリビングの話し声を聞きつけて部屋から出てきたようだが、今からすべて説明し直すのも面倒臭い。ピーコックはザックリと、旧本部に夜襲をかけるからついて来いとだけ告げる。

「夜襲? どっちの? エロいほう? ガチなほう?」

 彼の選択肢に『エロいほう』が存在することについて、いちいち突っ込んでいては身がもたない。「顔面をグーで殴るほう」とだけ話すと、彼はノリノリでソファーのシートクッションを外した。

「最高! ちょうど寝付けなくてモヤモヤしてたのよね~♪ 今こそこの子たちの出番だわ~♪」

 そう言いながら取り出したのは、大量の呪符である。騎士団の正規品ではない。というか、戦闘用呪符ですらない。

「え? それ、何に使う気だ……?」

「夜襲でしょ?」

「エロくないほうだぞ?」

「ガチだからこそ使えるのよ?」

「まあ、何か考えがあるなら止めないけどな……?」

「さあ行くわよぉ~! ジルチを汁まみれにしてやりましょ~♪」

「っておい! 待て! その格好のまま行くのか⁉ うわ、お前Tバックかよ! やめろ前歩くな! うお~いっ!」

 ネグリジェから透けて見える三十代男性の尻を直視しないよう、神も人間も、薄目で焦点をずらす以外にできることはなかった。




 そのころ旧本部には、ヘファイストスの高笑いが響き渡っていた。

 笑っても笑っても、笑いが尽きることはない。あとからあとから溢れてくる。楽しくて仕方がなかった。

 ついに手に入れたのだ。オリンポスの神々から人々の信仰を奪った宿敵、月天使ザラキエルを。

 最強の天使と称されるザラキエルを食らえば、自分はまた、以前の神格に戻れるだろう。そして力さえあれば、地球で再び信仰を得ることができる。他の神々を食らい、取り込むことによって、その神に向けられていた信仰を我がものとできるからだ。

「……さあ、早く食らえ下僕ども! 食らい尽くしてやれ! ザラキエルの肉を、魂を! そして我らは……フハハハハハ!」

 旧本部地下二階。かつて地下牢として使用されていた房の一つに、ザラキエルはいた。手術台のような机の上に仰向けに寝かされ、両手足を机の脚に固定されている。

 机の周りを囲むのは、ヘファイストスの配下についた神々だ。彼らは今、本来の姿で顕現している。ニケから分け与えられた力で顕現したこの状態でなら、ザラキエルに触れることも、人間の体から出たまま行動することも可能なのだ。

 彼らは怯えるザラキエルの顔を覗き込み、残忍な笑みを浮かべている。

「ギエッ! ギエッ! ギエッ! さて、どこから食ってやりましょうかね! ギエッヘッヘ!」

「首と心臓は最後。まずは手足の先から」

「そうね。首と心臓はヘファイストス様のものだものねぇ。ケケケケケ!」

「ウヒヒ……うまそうだなぁ、うまそうだなぁ……」

「ウホッ! ウホッ!」

「フシュルルルルルゥ~、フシュルルルルルゥ~……」

「早く食おう……なあ、早く食おうぜ……」

 はじめから人型の神はいない。彼らはキリスト教の伝播と共に廃れていったエチオピアの神々。現代ではアニミズムと称される、一種の精霊信仰である。獣や植物、器物に宿った精霊が信仰の力によって、神や天使と同格の存在にまで力を高めたものなのだ。

 元になったものの姿の限りなく近い彼らは、天使の中でも最上級、七大天使の肉を食らえることに歓喜していた。しばらくはどこから解体するかを話し合っていたが、なにしろ元が獣。目の前に『うまい肉』を用意されて、いつまでも我慢はしていられなかった。

 猛禽の姿の神が、しびれを切らしてザラキエルの足の肉を啄みだした。それを見てライオン、ゴリラ、トカゲ、イノシシ、キツネ、樹木の神も、我先にザラキエルの手足に食らいつく。

 地下牢に響く悲鳴。けれどもザラキエルを救う者など、ここには誰もいない。

 ジルチの面々も旧本部内にいるが、彼らは今、カリストの能力で完全に自我を喪失している。

 カリストはヘファイストスと同じ神族である。彼女とニケは、はじめからヘファイストスに捕まってなどいない。『囚われていた哀れな女』を演じて他の女神たちと一緒に助け出されることで、誰に疑われることもなく、自由にタケミカヅチらの動向を探ることが出来たのだ。

 ニケ、カリスト、ヘファイストスは、地下から漏れ聞こえるザラキエルの悲鳴を肴に祝杯を挙げていた。

「おめでとう、ニケ。アテナ様の仇、討てたね!」

「ああ、ありがとう、カリスト。お前のおかげだぞ」

「てへ♪ 私、がんばちゃったもん♪ アテナ様が闇堕ちにされたとき、私、何にもできなかったから。今度こそ頑張るって決めてたんだ♪」

「ヘファイストス、私とカリストの目的は果たされた。あの天使にもう用はない。あとは貴殿の好きにしてくれ」

「言われるまでもない。フフフ……ハハハ! あの獣ども、何も知らずに今頃……」

 歪んだ笑みを浮かべるヘファイストスに軽く微笑みかけ、ニケはカリストを伴って部屋を出た。

 廊下を進むカリストは、隣を歩くニケの顔を見上げ、いたずらっ子のように言う。

「何も知らずに今頃、だって♪」

「ああ、本当にそうだな。何も知らずに今頃、だ」

「行こう、ニケ。地球へ」

「もちろんだ。もうこんな世界に用などない」

 二柱は一階奥、かつては事務職員らの仮眠室として使われていた部屋に入る。そこにいたのは、二柱とそっくり同じ顔の、二人の少女である。

「あ、ニケ。もう終わったの?」

「ねえカリスト、早く帰ろ? あたし今日も学校あるんだよ? 早く寝ないと朝がつらいよ~」

「え? 学校? 今夏休みでしょ? 先週終業式やってなかったっけ?」

「うん、そうだよ。でも、夏休み中も部活はあるもん」

「あっちゃぁ~、部活かぁ~。ごめ~ん、忘れてたぁ~」

 頭を掻くカリストの隣で、ニケも申し訳なさそうな顔をする。

「すまない、()(づる)。始鶴も委員会が……」

 始鶴と呼ばれた眼鏡の少女は表情を変えず、淡々と答える。

「大丈夫。私は(まな)()と違って、体育会系じゃないし」

「それならいいが……始鶴」

「うん……」

 ニケと始鶴は互いに手を伸ばし、抱き締め合う。するとその瞬間、ニケの体は緋色の炎に変わり、始鶴の体を包み込んでから、ゆっくりと『器』に吸収されていった。

「カリスト、あたしたちも!」

「まぁなかぁ~♡」

 超絶美少女二人の抱擁で、辺りには色とりどりの花びらが舞い飛ぶ。そしてニケ同様、カリストの体は光の花びらになり、愛花の体に吸い込まれた。

「じゃ、帰ろ♪」

「うん」

 二人の少女は手を取り合って、『魔法の言葉』を口にする。


「我、混沌の宇宙(そら)を越えて行かん! かつて別たれた双星の片割れへ!」


 二人の足元に光の輪が出現し、その肉体も、魂も、身につけている衣服や所持品も、すべてが光の粒に変換されていく。そして光は昇天するかの如く、ふわりと宙に舞い上がり――。




 少女たちの姿が消えた後、旧本部仮眠室には、彼女らが食べ散らかしたスナック菓子の包装のみが残されていた。


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