そらのそこのくに せかいのおわり 〈 vol,07 / Chapter 02 〉
その晩からマルコ、ベイカー、ロドニー、ポールの、非常に過酷な『社交界ご挨拶ツアー』が始まった。
「マルコさん、早く! 次の約束までニ十分切ってます! どこかに寄ってる暇はないんで、馬車の中で着替えちゃってください!」
「お手伝いいたします!」
「失礼します!」
「あ、は、はい……」
ベイカー家の使用人たちが、テキパキとマルコを着替えさせていく。マルコはされるがまま、次の面会相手の身分とロケーションにふさわしい服装、髪形に整えられていった。
「あ、あの、ポール君? ひょっとして、いつもこんな……?」
「ええ、王家主催の式典の前なんかは、大体こういうスケジュールですね。ベイカー隊長はもっと分刻みで面会予定が入りますけど」
「これ以上ですか⁉」
マルコに付き従うのはイースター男爵家の長男、ポール・イースターだ。七歳で大学を卒業した超天才少年は八歳で王立騎士団に入団。昇進試験無しではじめから特務部隊に配属されている。彼は生粋の中央生まれ、中央育ち。社交界デビューは赤ん坊のころというのだから、十一歳にして社交界歴十年以上。マルコよりもずっと王宮と貴族の事情に詳しい『中央社交界の大ベテラン』である。
小さな貴公子は手帳で面会相手の情報をおさらいしつつ、マルコに人脈作りの極意を伝授する。
「マルコさんは真面目だから難しいと思いますけど、相手の話は半分くらい聞き流したほうがいいですよ。全部しっかり聞こうと思っても、そんなに集中力もたないと思います。通常時は適当にテンポ良く相槌を打つだけ。『ここだけの話』とか『いや実は』とかって切り出しがあったら、そこではじめて脳ミソのスイッチをオンにする。そのくらいで充分ですよ」
「そうなのですか⁉ ですが、その、半分とは……どういう切り捨て方で半分にすれば……?」
「簡単ですよ。貴族の会話なんて半分が美辞麗句と自慢話ですから。で、四割くらいは下ネタと恋バナでしょ? 必要な話なんて一割もありません。全部聞くだけ労力の無駄です。『下半身にまつわる部分は聞き流す』と定義してもいいくらいですね」
ポールの言葉に、使用人二人が笑い出す。
「ポール様にそれをおっしゃられては、大人の立つ瀬がございませんね」
「それ、うちの坊ちゃまにも言っていただけませんかね? 『下半身にまつわる部分』ばかり熱心に情報交換されておられますので」
「おかげで泊まる予定の無いパーティーも朝帰りになることが多くて、我々もたいそう困っております」
ポールは使用人たちの要請に、胸を張って答える。
「それはお断りさせていただきます。隊長は野放しにしておいたほうが、僕にとっては都合が良いので。ベイカー隊長の社交界トークは八割が口説き文句ですが、それによるナンパ成功率は百パーセントです。いつか僕が大人になった時のために、生きた参考資料としてよく観察しておこうかと……」
「あんなのを参考にしちゃいけませんよ!」
「ああなるまでには、それなりに失敗もしておられますし……」
「そうです! これまでに何度決闘を申し込まれたことか!」
「えっ⁉ 決闘ですか⁉ それは穏やかではありませんね……」
驚くマルコに、使用人たちは神妙な面持ちで語る。
「人妻と彼氏持ちには手を出すなと、それなりにきつく言い含めたつもりだったのですけどね?」
「十代のころは、勢いに任せて色々とやらかしてくれまして……妊娠騒動も一度や二度ではなく……」
「まあいずれも、結局は坊ちゃまの子供でないと確認が取れたのですけれども。それでも、関係した女性の彼氏や婚約者から決闘を申し込まれましたから。決闘相手を殺さないように、剣に細工をするのが大変でしたね」
「何しろうちの坊ちゃまは、見た目と裏腹に超がつくほどの武闘派でいらっしゃいますので」
「ポール様は、あんな不良になってはいけませんよ」
「どうしてもうちの坊ちゃまの真似をなさるのでしたら、まずは百回決闘を申し込まれて全勝するだけの戦闘力を得てからになさってください」
「え~、それ無理ですよ~。僕運動音痴なんですからぁ~」
「では、慎み深く生きることをお勧めいたします」
「わざわざ人に怨まれに行く必要はございません!」
ベイカーのプレイボーイぶりは有名だが、まさか使用人にここまで言われるほどだったとは。マルコはショックのあまり、現実逃避気味に呟く。
「不貞行為に関する法律にだけ詳しいのはなぜかと思っていましたが、道理で……」
法に抵触しないギリギリのラインで火遊びを楽しんでいるのだから、問題ないと言えばそうなのだが――。
(う~ん……普通の恋愛で十分でしょうに……?)
真面目でノーマルなマルコには、わざわざ決闘を申し込まれに行く危険な性癖が全く理解できなかった。
そうこうするうちに次の面会相手の屋敷に到着した。本来ならば、王族は王宮でご機嫌伺いの貴族たちを待つ側である。しかしマルコは『女王の隠し子』という微妙な立場。王宮に自分の部屋はもっていない。かといって自分の屋敷に誰かを招待するとなれば、王族である以上、ある程度以上の規模の晩餐会や舞踏会を催さねばならない。隊の仲間たちとするような、フランクな酒盛りというわけにはいかないのだ。
その辺の事情は面会相手もよくわかっていた。誰もが屋敷をピカピカに磨き上げ、最高級の酒と料理でマルコをもてなす。その際、たいていはその家の娘たちが接待に当たるのだが、年頃の娘がいない家は、わざわざ親戚筋から見た目の良い少女を連れて来ていた。
王子との酒席に息子ではなく娘を同席させる理由は、一つしかない。
「マルコ王子? お疲れでしたら御寝所のご用意も……」
「当家には南部風の泡風呂がございまして……」
「異国から取り寄せた、とっても珍しいお酒です。ちょっと強いお酒なのですけれど……」
「わたくし、マッサージが得意ですの。ささ、どうぞ奥のお部屋で……」
あの手この手でマルコに『夜のお誘い』を掛けてくる。王族の仲間入りを狙っているだけあって、どの家も特に美しい娘たちをあてがってくる。正直マルコも、何回かは本気でなびきそうになった。だが、そんなときのために同行しているのがポールとベイカー家の使用人たちである。
「せっかくのお誘いですが、またの機会に。今日の私はポール君の保護者ですので、彼を無事に送り届けねばなりません。こんなに美しい人が目の前にいるのに……残念です……」
マルコは優雅な仕草で娘の耳元に顔を近づけ、小さな声で「本当ですよ?」と囁く。
この気障な演技を指導したのは、サイトお坊ちゃまの御乱行を諫め続けて十数年、苦労の絶えない使用人コンビだった。誘った女性に恥をかかせないように、なおかつプライドを傷つけないようにやんわり断るにはこの手が一番なのである。『他所の家の子供を預かっているので泊まれません』と言えば、誰もそれ以上は強く誘えない。
うまく『裸のお付き合い』を回避しつつ、マルコは社交界の重鎮たちとのパイプを形成していく。胃に穴が開きそうな腹の内の探り合い。それが一晩に連続して四件。一つの屋敷での滞在時間は小一時間程度だが、精神的な疲労は特務部隊の任務十件分に匹敵した。
この日の『ご挨拶ツアー』を終了し、マルコは馬車の座席にひっくり返る。
「大丈夫ですか?」
「すみません、さすがにちょっと、アルコールの影響が……」
「あ、やっぱり吐き戻さなかったんですね。ベイカー隊長もロドニー先輩も、こういう挨拶回りのときはお手洗いに行ったときに全部吐いてますよ」
「え? 本当ですか?」
「はい。だって、ほら、アルコールだけならいいんですけどね? けっこう盛られてるらしいんですよ、媚薬の類」
「媚薬……って……」
外見年齢六歳か七歳の子供の口から出てくると、それだけで衝撃的な単語である。だが彼は赤ん坊のころから社交界デビューしている本物の中央育ち。齢十一歳にして、社交界の光も闇もすべて知り尽くしている。
ポールは淡々とした口調で話す。
「ベイカー家は国一番の大富豪、ハドソン家は北部域の人狼族を束ねる長の一族。どちらも嫁ぐ価値は十二分にある家ですから。とりあえず既成事実を作るために、食事や飲み物に色々と盛られるそうです。マルコさんも気を付けてくださいね。マルコさん、さっきのお宅でお酒を控えるためにフルーツの盛り合わせにばかり手を出していたでしょう? 途中で追加されたメロン、マルコさんの側にだけ置かれたの気が付きました? 僕から見える側には別の果物が山積みにされましたけど、試しにメロンのほうに手を伸ばそうとしたら、絶妙なタイミングでメイドが出てきて……マルコさんも見ていたでしょう?」
ポールの言葉に、マルコは顔色を変える。
確かに見た。テーブル中央の大皿からフルーツを取ろうとしたポールに、慌てて飛び出してきたメイドが「お袖が汚れてしまいますわ」と声を掛け、さも親切そうにフルーツをとりわけ――。
「あれ、明らかに選んでましたよね? あのメイドの立ち位置からなら、手前のメロンを取ればいいものを……」
「……確かに、大皿の奥の取りづらそうなところから……まさか、私が食べた果物には……」
「マルコさん、大丈夫ですか? 前にベイカー隊長が引っ掛かった時は大変だったんですよ? 一晩中興奮状態で……」
チラリと向けられたポールの視線。マルコ自身も、自分の下半身に目をやって微妙な面持ちになる。
「……今のところ何ともありませんが……」
「なら大丈夫かな? こういうの、体質によって効かない人もいるみたいですし。でもマルコさん、今後はホント、くれぐれも気を付けてくださいね。この辺じゃけっこうよくあることなんで」
「あ、はい……」
ポール・イースター、十一歳。天使のように愛くるしい外見とは裏腹に、中身はとんでもないモンスターのようだ。
このチビッコにだけは逆らってはいけない。
マルコの本能が、全力で叫んでいた。
マルコが慣れない演技に苦労しているころ、ベイカー、ロドニーもそれぞれの家の執事を連れて『ご挨拶ツアー』を敢行中だった。彼らのプレイボーイぶりは中央のみならず、全国の貴族らに知れ渡っている。ベイカー家の財産、ハドソン家の影響力を欲する弱小貴族以外は、どの家も嫁入り前の娘を傷物にされないよう、接待役の女を『外注』している。
プロミュージシャンの素晴らしい演奏、美しい女たちの歌と踊り、美味い料理と極上の酒。それらを心行くまで満喫しつつも、自分の『仕事』は忘れない。ベイカーは王子主催ダンパの打ち合わせ以外にもいくつかの開発計画について話し合い、非公式ながら約束を取り付ける。こうした根回しがあるとないとでは、貴族院議会での法案可決率が大幅に変わる。発言力がある貴族とは、つまりは他の貴族と個人的に人脈を築けている人物ということなのだ。
ベイカーの活動は特務の任務成功率にも直結する。貴族による犯罪を取り締まるには、対象を一緒に追い込んでくれる『協力者』が必要不可欠である。なにしろ相手は貴族。マスメディアを誘導して民衆を味方につけるだけでは弱い。特務部隊と足並みをそろえて不正を糺す『正義感あふれる貴族』こそ、最も頼もしい援軍となるのだ。
屋敷の主人との話が一区切りしたところで、ベイカーは手洗いを借りた。
貴族の屋敷の『お手洗い』はただの便所ではない。便器が据え付けられた『便所』の手前には身だしなみを整えるための豪華な鏡張りの部屋があるし、髪やメイクを直すドレッサーもある。女性の場合など、一人ではどう頑張っても用が足せないようなドレスを着用していることもある。なので、どの部屋も本人以外に使用人が三~四人は動き回れるだけの空間が確保されているのだ。
金ぴかの広い部屋の真ん中に便器が一つ設置されただけの絵面は、なかなかにシュールなものがある。ベイカーはそこでたった今飲み食いしたばかりの酒と料理を吐き戻し、洗面台で口を濯いでいた。すると、控えめな音で扉がノックされた。てっきり執事だと思ったベイカーは、飾らない口調で答える。
「開けてもいいぞ」
「はぁい♪ サイト様、お久しぶり♪」
顔をのぞかせたのは先ほど素晴らしい歌声を披露していた歌手である。名前は『歌姫シャオマオ』。貴族らの間では有名な歌手だが、誰も彼女の身分と、本当の名前を知らない。ベイカーは職業柄、彼女の素性を知っているのだが――。
「やあ、シャオマオ。いくら俺に惚れているからって、便所にまでついてくるとは感心しないな。どうしてもというなら、このままここで抱いてやらんこともないが……」
「あーら、相変わらずすっごい自信ですこと! 今夜はお泊り? ご挨拶だけ?」
「挨拶だけだ」
「そ。じゃあ、今ここで言っておいたほうが良さそうね。サイト様がこのお屋敷に入る十分前まで、ヴェニーチェ侯爵様がいらしていたわ。ダウンタウンの再開発計画を立ち上げないかってお話を持ちかけていたみたい」
「こちらの御主人の反応は?」
「もちろんお断りしていたわよ。ダウンタウンの住人は登録されているだけで千人以上でしょ? その人たちの生活保障にどれだけの予算が必要だと思っている、って」
「ふむ。実にまっとうな反応だ。ヴェニーチェ侯爵はそれに対してなんと?」
「どうせ犯罪者ばかりだ、勝手に逃げるか野垂れ死にするかだろう……ですってよ? もう、あきれるくらいバカげた言い分なんだけど、妙に自信満々な態度だったの。あの口ぶりじゃあ、現時点でかなりの数の賛同者を集めていそうね。心当たり、あるかしら?」
「ああ、何人かはな。まったく。どこまで馬鹿なんだ、あの貴族どもは……」
ベイカーはうんざりした顔で天を仰ぐ。
ダウンタウンでまともに市民登録している住民は、表社会との窓口役として経歴をきれいに保っている。ごく普通に結婚もして、子供が生まれればきちんと届け出て、住民税も払っているのだ。マフィア組織の構成員であることは確実だが、騎士団や中央市のほうでいくら調べても、何の前科も出てこない。彼らに立ち退きを迫るには、それ相応の補償や代わりの住居を用意する必要がある。それを無視して話を推し進めれば、彼らは『善良な市民』として堂々と訴訟を起こすだろう。
だが、ダウンタウンを『犯罪者の巣窟』という目でしか見ていない貴族らにはそれが分からない。貴族らは自分たちを『高度な教育を施されたエリート』だと信じているのだ。ダウンタウンの住民たちが自分たちよりも知恵の回る『やり手』であるとは気付かないし、気付いたとしても認めようとしない。
ダウンタウンに手を出せば、貴族らが想定する以上のとんでもない反撃を食らう。そしてそうなれば、ダウンタウン以外に暮らす市民階級の人々も、全面的にダウンタウン側につくだろう。貴族の横暴にうんざりしている市民は貴族らが考えているよりずっと多く、その根は深い。つまり、そこまで行ったらこの国は終わりということだ。王宮の御膝元で内乱が勃発して、首都機能が維持出来ようはずもない。
ベイカーは軽く頭を振って、重苦しい思考を振り払う。
「シャオマオ、この後の予定は? ここの主人と?」
「いいえ、それはないと思うわ。今夜はお屋敷に奥様がいらっしゃるもの。私はサイト様のお相手用に呼ばれたの。だからサイト様のほうから、それとなく『お持ち帰り』をお願いしてくださらない? そのほうがここの御主人の面目も……ね?」
「分かった。どうする? 自宅に送るか、本部か……」
「お兄様方もお忙しいんでしょう? いいわ、自宅のほうで」
「そうか。それじゃあ、シアンには俺のほうから連絡しておく。気が向いたら、夜中にこっそり遊びに行くだろう」
「連絡しなくてもいいわよ! 気が向いたらじゃなくて、何を差し置いても必ず来るんだもの、あのシスコン! そんなに激務なら私の顔なんか見に来ないで大人しく寝てればいいのに!」
「なら、今日は居場所を伝えないほうがいいかな?」
「ええ、そうしてもらえると嬉しいわ」
ベイカーは笑って肩をすくめる。
情報部最強戦力シアン。その唯一にして最大の弱点が、この年の離れた妹の存在なのだ。歌手とは言いながらも、彼女は追加料金次第では夜の相手もする『夜会専門の歌姫』である。そんな職業についた妹の暮らしぶりを心配するのは分かるのだが、シャオマオがどこそこの貴族と寝たという話が伝わるたび、動揺のあまり誤作動を起こすお兄ちゃんの姿は見ていられない。
先日は足を踏み外して池にダイブしていた。その際耳にした「ふみゃあ⁉」という悲鳴は、ベイカーの心の宝箱に永久保存されている。
「それじゃ、戻ろうか」
「あら、何? 楽しそうね?」
「いや、何でもない。ちょっとした思い出し笑いだ」
「えー? 気になるー。ね、なになに? なんのお話?」
しなだれかかってくる猫耳美女と、よく似た顔のお兄ちゃんの情けない悲鳴。普段クールな男があの悲鳴はないだろうと、思い出すたびに顔の筋肉が緩む。この後、この家の主人ともう一度真面目な話をしなければならないのに、ベイカーの表情筋はまったく言うことを聞いてくれなかった。
マルコが到着したころには、時計の針は午前零時を回っていた。
ここは中央市内でも特に有名なダンスクラブ、『ザイオン』。厳格な身分制度が守られている中央市内にあって、貴族も市民も下層労働者も関係なく受け入れる、一風変わったクラブである。
一応は会員制だが、その友人として連れてこられた人物へのIDチェックは行われない。入場料は周辺のクラブの相場から見れば十倍以上。しかしそれさえ払えば飲み放題で、朝まで滞在可能。高級志向とも庶民的ともつかない不思議な営業形態で人気を博している。
薄暗い階段を下った先、防音処理の施された分厚い扉を開くと、そこにはマルコにとっての『異世界』が広がっていた。
「うわぁ~……」
派手なファッションに身を包んだ男女が好き勝手に踊り、酒を飲み、歓談する。人脈作りを目的とした貴族のパーティーとは根本的に違う。みんな、とにかく自分が楽しむためにこの場に集まっている。
中でも特に目立って『楽しんでいる』人物が――。
「ようてめえら! まだまだ元気か⁉ もうとっくにママに怒られる時間だぜ! ママが怖ぇってやつはさっさと帰りな! あ? 誰も帰らねえのか? いいぜいいぜ! 最高だぜこのクソガキども! 元気が有り余ってるなら、ダンスバトルおっぱじめるぜ! 準備できてっかおい! さあ、来いよ!」
ステージ上、DJブースの前でマイクを握っているのはロドニーである。彼の呼びかけに答える形で、十数名の若者がステージに飛び乗った。ロドニーはそのうち二人を適当に選んで指差す。
他の若者はステージの端に寄り、中央の二人は互いに拳をぶつけ合う。その瞬間、DJは唐突に曲調を変える。
激しいダンスミュージックに乗せて、二人は交互にステップやヘッドスピンを披露し始めた。何がどうなっているのか、初めて見るマルコにはさっぱり分からない複雑な動作の連続である。
「す、すごい……なんですか、あれは……」
マルコと一緒に入店したベイカー家の使用人たちは、マルコにルールを教えてやる。
「最近流行りのダンスバトルです。バトル開始のコールが入ったら、参戦希望者はああしてステージに飛び乗りまして……」
「即興で自分の技を見せつけ合うのです。相手が出来ないような難しいステップを入れたり、相手がやった技を直後にそのまま、相手以上の完成度で再現してみせたり。観客に自分を印象付けるために、色々と駆け引きがあります。ダンスの最中にも小刻みに挑発し合って……ほら! 今の!」
直前に相手が見せたステップを完璧にコピーしながら、フリーになっている両手で相手を指差し、親指を下に向ける。その瞬間、歓声が上がる。『いいぞ、もっとやれ!』『これで勝負がついたか⁉』『いや、お前もやり返せ!』と、様々な感想が入り混じった嬌声と拍手の嵐である。
「ね? 駆け引きが面白いんですよ」
「ええ、本当にすごいですね! あの方々は、プロのダンサーですか?」
「いいえ。全員一般市民です」
「えっ⁉ こんなにお上手なのに⁉」
「はい。今右側で踊っているのはダンスバトル常連のアヤタ・ラミアですね。地球からの移民三世で、市場通りで人気の『綾田うどん店』の店員です。ご覧の通りとても上手い『踊り手』ですので、中央市のイベントなどにも招待されていますよ」
「アヤタ・ラミアさんですか……彼がステージに上がっただけで、会場の空気が変わりましたね……すごいスター性だ……」
「では、あの方と出演交渉をされますか? 主催パーティーに巷で話題の『踊り手』や『歌い手』を呼ぶのも、昨今の流行でございますが……」
「はい! ぜひあの方にお願いしたいと思います!」
マルコがそう言うと、クラブスタッフらは一斉に動き出した。場内のスピーカー音量が大きくて、マルコは自分の後ろに数名のスタッフが集まっていることにも気づいていなかった。
「えっ⁉ あ、あの……?」
「ああ、アヤタさんとの交渉用に、楽屋を用意してくれるのでしょう。うちの坊ちゃまがDJをスカウトするときも、だいたいそうなので……」
「は、はあ……」
自分が『王子』と知らされてから三ヶ月ほど。国民に発表されてからは二か月と少し。マルコはまだまだ、自分の発言の影響力が実感できていない。
王族や大貴族が主催するイベントに出演したら、通常そのダンサー、シンガー、DJらは他の貴族のパーティーにも引っ張りだこになる。今日のような『普通の興行』でもらえる出演料の数倍、数十倍のギャラを手にすることになるのだ。
フロアに王子がいると気付いたDJたちは、一回のバトルごとに目まぐるしくチェンジしていく。いつもならばダンスバトルの間中、一人のDJがずっとブースに入っているのだが――。
「あれ? 今日転換早くない?」
「ウッソ! リリコ一曲しか回さないの⁉」
「は? おいマジで? 次DJライノかよ! なんであんな大御所がダンスバトルを……」
「舞台袖見たか? 他のDJも全員出てきてんぞ?」
「え? なんで? 今日、なんかあるの……?」
観客も、徐々に『いつもと違う』と感じ始めていた。
場内の空気を察して、六組目のバトルを始める前にロドニーがMCを入れる。
「ようてめぇら! 今日のダンス、そんなもんか? ぬるくねえか? もっと熱いバトル見せてくれよ! 王子様も来てんだからよお!」
この瞬間、それまでダンスに夢中だった参加者も観客も、DJたちのいつもと違う挙動の意味に気付いた。
この後の熱狂は、とにかく異様だった。
場内の大半はごく普通の市民階級、ごく普通の労働者たち。歌や踊りが得意だとしても、それを職業にするために必要な業界へのコネや伝手を持っていない。そんな彼らにとって、ここは自分を売り込む唯一の舞台なのである。
このクラブで行われるダンスバトルやラップバトルは、身分にかかわらず、あくまでも実力のみがジャッジされる。このクラブで貴族の目に留まり、ストリートシンガーから一躍『国家の歌姫』となった歌手もいる。今ここで王子に気に入られれば、もっと大きなハコ、もっと大きなイベントに呼ばれる『一流アーティスト』の仲間入りも夢ではない。
普段なら素人のダンスバトルには参戦しないプロダンサーまで飛び入り参加し、かつてないハイレベルな戦いが繰り広げられている。
マルコはクラブのスタッフに誘導され、二階のVIP席に移動した。オペラハウスやコンサートホールと違い、このVIP席に壁はない。ステージ正面の一番よく見える場所に椅子とテーブルが用意されただけの、非常に簡素な空間である。
そこにはベイカーとチョコがいた。
「やあ、やっと来たな」
「マルコさん何飲みます? ビール? ワイン?」
「ここに来るまでにかなり頂いているので、できれば軽いものを……」
「スタッフぅ~! 青汁オーダー入りましたぁ~!」
「青汁⁉」
「あっはっは、駄目だぞマルコ。この店で『軽いの』と言ったら、青汁かトマトジュースしか出てこないぞ」
「あまり軽くない気がしますが⁉」
「いや、十分軽い! 『重いの』と言うと、『火だるまスタミナスムージー』が出てくるからな!」
「火だるま……? スムージーは冷たい飲み物のはずですよね? 中身が想像できませんが……?」
首を傾げるマルコに、ベイカー家の使用人二人が補足説明を入れる。
火だるまスタミナスムージーとは、ニンニクとニラとモロヘイヤを入れたココナッツスムージーに卵黄とマカエキスとジンジャーパウダーをトッピングし、その上に注いだアルコール度数85%のウォッカに火をつけて供されるドリンクメニューである。ウケ狙いで冗談半分に注文すると、その後丸一日、下半身の収拾がつかなくなることで有名だ。
かつて大失敗した経験を持つベイカーとチョコは、悟り切った眼差しで語る。
「一気コールで青汁を飲み干すくらいが、健康的でいいと思う。調子に乗ってあんなものを飲むと、もう、脳内が常時バラ色になってしまうからな……」
「世の中には注文しちゃいけないメニューってあるんですよ、マジで……」
「飲んでから二~三時間後に効いてくるのが、また質が悪い。女子を家に送り届けた後だったりして、一人で悶々と苦しむことになるんだ……」
「タチはいいんですけどねー」
「それな」
この下ネタを淡々と葬式のような顔で語るのだから、よほどひどい失敗談なのだろう。
興味本位で珍メニューをオーダーしてはいけない。
今日もまた新たな『下々の常識』をインプットし、マルコは運ばれてきた青汁をイッキした。




