そらのそこのくに せかいのおわり 〈 vol,07 / Chapter 01 〉
七月二十一日、月曜日。この日の騎士団本部職員らは、まるでゾンビのようだった。
本部敷地内の宿舎からオフィスまでのごく短い通勤経路、眩しい朝日に横っ面を殴られ、蒸し暑い大気に絞め技を極められ、息も絶え絶えにようやく本部庁舎にたどり着いたかと思えば――。
「総務の方ですか⁉ え? 施設管理課? いや、もうこの際何課の人でもいいんですよ! マルコ王子の普段のご様子をお伺いしたいのですが!」
「王子は食堂で皆さんと同じものをお召し上がりになるそうですが、好き嫌いは……」
「王族なのにエレベーターではなく階段で移動するというのは本当ですか⁉」
「熱帯魚を溺愛しすぎて、手に乗せて話しかけているという噂があるのですが……」
「ハドソン家の子息と仲が良いと話題になってまして! 実際のところ、どうなんですか? 友達以上というあの噂は……?」
「先日ダウンタウンで目撃された際、レイン・クロフォードさんと一緒だったわけですよね? 王子の情報がいただけないのでしたら、そちらの隊員のお話でも……」
「無視しないでくださいよ! なにかコメントおねがいします!」
「あ! おい! あれ特務の隊長補佐じゃないか⁉」
「本当だ! アレックス・ブルックリンだぞ! 間違いない! あ、逃げた!」
「アレーーーックス! おぉーいっ! 元同業者だろ⁉ 一言もらえないと社に帰れないの、分かってくれるだろ⁉ なあ、おいってば!」
隊長補佐が新聞記者たちを引き付けている間に、ベイカーとロドニーが通用口から本部に入ろうとする。すると記者らはそれに気付き、慌てて通用口のほうへ殺到する。
その隙に正面から堂々と入っていくのは、今や国民的ヒーローとなった王子、マルコ・ファレル・アスタルテである。
金色の髪を魔法で黒く染め、クリーンスタッフから借りた作業着と帽子、安全靴を着用している。大きな段ボール箱を積んだ台車をガラガラと押しながら入っていくその姿は、普段の凛とした王子の姿とは大きくかけ離れていた。他の王族は豪華な宝飾品を身に着けて、大勢の取り巻きに囲まれているのが『通常』なのである。記者たちも、まさか王子が一人で出歩くとは思っていない。
「うまくいったみたいですね? もう出ても大丈夫かな……?」
段ボール箱から聞こえた声に、マルコは小声で言葉を返す。
「まだですよ、ポール君。エントランス奥の通路までは記者も立ち入れますから、どこかで遭遇する可能性があります。もう少し我慢してくださいね」
「はぁ~い」
可愛い子供の声に、マルコは顔をほころばせる。
先日の『ドラゴンハンター騒動』以来、騎士団本部は連日この有り様だ。昼夜を問わない取材攻勢に、本部職員は誰もが疲れ果てた顔をしている。
ほんの二か月前に、女王の隠し子として突然お披露目された王子。その人物が五百年も前に滅んだ竜族の生き残りを仕留めたというのだから、『あれは何者だ』という疑問を持つのは当然であろう。しかしその報道合戦は日を追うごとにエスカレートし、今ではマルコと共同生活を送る特務部隊員も取材対象として追いかけ回されている。
今日は変装で入れたが、はたして明日もこの手が使えるかどうか。
バックヤードの大型エレベーターに乗り込むと、マルコは大急ぎで箱の蓋を開けた。
「ポール君、大丈夫ですか?」
「はい! 全然へっちゃらです!」
「頭が痛かったり、気持ち悪かったりしませんか? 今日は特に暑いので、熱中症の危険が……」
「宿舎からたった十分ですよ? いくらなんでも、そんな短時間で熱中症にはなりません」
「いえ、あの、ですが大人と違って子供の体は体温調節能力が……」
「もう! 大丈夫ですってば! 心配しすぎ! 僕、自分の症状も言えないようなちっちゃい子じゃありません!」
そう言って唇を尖らせている子供は、特務部隊隊長補佐のポール・イースターである。特例で騎士団に所属している天才少年は、彼は見た目ではせいぜい六~七歳。実際にはもう十一歳になっているのだが、エルフ族は成長も老化も遅いため、どうしても実年齢より下に見られてしまうものなのだ。
ポールは段ボール箱から抜け出ると、マルコの足元を見ながら尋ねた。
「それより、マルコさんのほうこそ平気なんですか?」
「え? 何がですか?」
「その服、クリーンスタッフのアンコーさんから借りたっておっしゃってましたよね?」
「はい」
「靴も?」
「ええ、そうですが?」
「あの人、水虫ですよ?」
「……え……」
自分の足を見て、マルコはフリーズした。
「あ、ついた。マルコさん、台車、僕が片づけておきますから。仮眠室で足洗ってきたほうがいいですよ?」
「はい……」
五階に降り立ち、まず向かう先が仮眠室のシャワーとは。今後は靴を借りる相手はよく選ぼうと思ったマルコである。
足をよく洗い、服を着替えてオフィスに入った。その瞬間、マルコの体から『キュポン』と抜け出す者がいる。それはひょんなことからマルコを守護し始めた異界の神、玄武である。亀の姿のこの神は、マルコが仕事している間、オフィス内をのこのこと歩き回ることが日課となっている。本人曰く『パトロール中』なのだそうだが、何からオフィスを守っているのかは誰にも分からない。
はじめは玄武一柱だったのに、今ではオフィスに大勢の『カミサマ』が出入りしている。
魚の姿の水神サラ。
大和の軍神タケミカヅチ、ミカハヤヒ、ヒハヤヒ。
トウモロコシの神、ヤム・カァシュ。
インカの月神コニラヤと、大和の月神ツクヨミ。
世界の不具合を修正するという神獣、オオカミナオシ。
本当はこのほかに九柱の女神もいるのだが、彼女らは特務部隊宿舎に残っている。隊員らが留守の間、宿舎にいるのは住み込みメイドのカレン一人。宿舎周辺が立ち入り禁止エリアでも、忍び込む記者がいないとは限らない。しつこい新聞記者にカレンが付きまとわれてはいけないと、女神たちが自ら進んで警護を引き受けてくれたのだ。今、カレンは九柱の女神に守護された『世界一ガードの固い女子』である。
さて、それではオフィスの神々は何をしているかというと、彼らは仕事の邪魔にならないよう隅のほうに集まっているのだが――。
「あの~、それはいったい、何をなさっておられるのでしょうか……?」
ヤム・カァシュとツクヨミがコニラヤを押さえつけ、軍神たちが衣服を脱がせていた。
コニラヤはこれまで裸同然の姿だったのに、数日前、突然立派なローブを纏い始めた。どうやらレインからの信仰を得られたらしいのだが、それにしても豪華な装束である。
頭には黄金と翡翠の冠、ローブにも細かなビーズ刺繍と染め抜きが施され、手足には貝や獣の角の装飾具。一目見て『月の神』であると分かるよう、すべてのアイテムに意匠化された月と星が描かれている。これはコニラヤのためだけにあつらえられた、完全オリジナルの装飾具だった。これだけ立派なものを手にできたということは、レインの信仰心はかなりの強さということになるが――。
「見つからないよ~?」
「いや探せって! ヒハやん諦め早い! 絶対あるはずだから!」
「でも、どこにも無いよ? タケぽん、それマジネタ? ガセネタじゃない?」
「ミカちんまで! 俺本当に聞いたんだって! 器に本気で受け入れてもらった神には『契約の証』が浮かび上がるって……」
「情報源ヘファイストスでしょ? あのオッサンの言うことなんて信じられないってば」
「けど、ツクヨミにはあるじゃん! な、ツクヨミ!」
足を押さえていたツクヨミも、一応は頷くものの――。
「胸に刺青のようなものは浮かび上がっているけれど、これにどんな意味があるかは分からない。ヘファイストスの説明が真実であるとは限らないが……」
「関係ない! とにかく探せ!」
「え~? どこだ~?」
「腕にも足にもないよね……?」
「あー、もう、仕方ないな。褌も脱がすか!」
「いや、タケぽん? そこは武士の情けじゃない……?」
「ミカちん優しいなぁ~。それに比べてタケぽんは……」
「器の性格がうつったかな?」
「サイトのせいにすんなよ!」
「んーっ! んんーっ! んぐーっ!」
「お……?」
急に声を上げ始めたコニラヤを見て、軍神たちはやっと気付いた。自分たちの背後に仁王立ちする、鬼神の如き形相のマルコに。
「朝から何をなさっておられるのです? これはどう見ても、一対多数の暴力行為であると判断される事案ですが?」
彼らは神、マルコは人。力関係で言えばタケミカヅチたちのほうが圧倒的に強いはずなのだが、やはり、良くないことをしている自覚はあったのだろう。コニラヤ以外の神々はいっせいに姿を消した。
「あ! ……逃げるとは卑怯な……コニラヤさん、大丈夫ですか?」
助け起こされたコニラヤは、口に突っ込まれていたトウモロコシを吐き出し、涙目で礼を言う。
「ありがとう、たすかった。くるしかった……」
「いったい何ごとですか、今の騒ぎは」
「ええと、あのね。ぼく、レインにしんじてもらえたの。そしたら、ふくが、きれいになったの。それでみんなが、ちょっとしらべさせろって……いきなり……」
「まったくあの方々は……なぜ本人の意思を無視するような真似を……」
神々はよく言えば個性的、悪く言えば自分勝手。人類誕生以前に創られた神は落ち着いた性格なのだが、それ以降の神々は我が強く、非常に感情的である。人類と心を通わせるためにあえて情緒的に創られたのかもしれないが、時折手に負えないほど衝動的な行動に走る。振り回されるほうはたまったものではない。
コニラヤの服を整えてやっていると、オフィスに他の隊員らも集まってきた。
「あー、くっそー。もう本気で面倒臭ぇーっ! いったい何日つきまとう気なんだよ~っ!」
「オフィスに移動するだけで一苦労だな」
「まあ、ほとぼりが冷めるまでの辛抱だ。もうしばらく頑張ろう」
「ソレいつまでだっつーの!」
ロドニー、キール、ハンクの言葉に、マルコは頭を下げる。
「申し訳ありません、私が余計なことをしてしまったせいで……」
「いやいや! 違うって! マルコはなんも悪いことしてねえじゃん!」
「そうだぞ。マルコが闇堕ちを倒していなかったら、今頃市内は大変なことになっていたはずだ。もっと堂々としていろ」
「あのまま闇堕ちが人を食い殺し続けていたら……ダウンタウンを丸ごと焼き払うことになっていたかもな……」
「怖えこと言うなよハンク!」
「いや、ロドニー。俺も本当にそうなっていたと思う」
「え、マジかよ、キールまで? いくら何でもそこまでは……」
「行くと思うぞ? もともと衛生面でも治安の面でも問題が多い土地だから、この機に綺麗さっぱり……という意見が出てもおかしくなかった。かなりギリギリだったと思うが……」
キールに視線を向けられて、マルコも頷く。
「再開発に伴う利権も絡みますから。ロドニーさんもご存知でしょう? 白虎騒動で壊滅したスフィアシティの住宅街……」
「あ、おう。住民はそのままの形で再建したがってるのに、地権者たちは高層ビルと大型ショッピングモールを建てるつもりだって……」
「近郊のベッドタウンでその騒ぎです。ダウンタウンは王宮の御膝元。立地的に、あの住宅街以上の利用価値があるでしょう。何か理由をつけて焼き払ってしまえば、その後に巨万の富が得られる。それが分かっていて、理性的な対応ができる指導者がどれだけいるか……」
「あ~、だよなぁ……。ってことは、なにもかも貴族院議会の決定次第か……」
「ピーコックさんのお話では、この一週間、どこのマフィアもこれまでにない動きを見せているそうです。かなり危険な状態だとも……」
「情報部が『危険な状態』って言ってんのか? それ、もうマジで大抗争寸前じゃねえか……」
四人は表情を曇らせた。
ダウンタウンの問題は根が深い。あの土地は五百五十二年前の革命戦争終了時、行き場のない人間たちが身を寄せ合ってできた『奴隷部落』だったのだ。それを数百年かけて、ようやく『普通の下町』と呼べるまで浄化した。
しかしある時、せっかくの努力が水泡に帰す事件が起きた。
『大抗争』と呼ばれるその事件は、百年以上が経過した今も全容解明には至っていない。事件について分かっていることはただ一つ。複数のファミリーの構成員らが、ボスの命令を無視して戦闘行為に及び、それが日増しに拡大。収拾がつかなくなったということ。
今ならわかる。百年前にも、あの街には『闇堕ち』が出現していた。今回も、あの街の住人は闇堕ちを『新種の魔法呪文』か『異界から召喚した魔獣』だと思っていた。マルコとレインが現場に出ていなければ、誰もがあれを敵対勢力の攻撃と判断し、抗争を始めていただろう。
キールは腕組みをし、淡々と話す。
「今回は間一髪、抗争発生前に止められた。だがあの一件で、今度は貴族たちがダウンタウンに注目し始めた。これはもう一波乱あるぞ。確実にな……」
全員、無言で頷いた。今回の件がなくとも、いずれは浮上する問題であっただろう。
セントラルシティ近郊の新規造成地が次々と完成し、新しい住民は続々と増えていく。そのたびに上がる声がある。それは王宮のお膝元に存在する薄汚れたダウンタウンと、そこに暮らす住民たちに関する問題だ。
大抗争でマフィアが総崩れになったあと、ダウンタウンは一時、港湾労働者や土木作業員らが住まうごく普通の住宅街となった。まず家賃が安いダウンタウンに居を構える。それで何年か働いて賃金が上がったころに結婚し、別の住宅街に家を買って引っ越す。そのころは、それが下層労働者たちの『自然な流れ』だった。
しかし、今は違う。
半世紀ほど前、国は干潟を埋め立てた土地に公営住宅を大量に建設し、労働者に住宅を斡旋し始めたのだ。身元が確かで経歴がクリーンならば、誰でも格安で安全な家に住める。新規造成地には立派な公営施設も学校もある。まともな労働者は皆、我先に公営住宅に移ってしまった。今ダウンタウンに残っているのは、公営住宅の入居審査から弾かれる前科者や公共料金滞納者ばかりである。現在あの街が『犯罪者の巣窟』という言葉以外で表現されることはまずない。
あの邪悪で不衛生なエリアをいつまで放置しておく気か。市議会でも貴族院議会でも、この話は毎回のように議題に上る。
マルコはため息交じりに言った。
「私も何か、メディア向けにコメントを発表したほうが良いでしょうか?」
「いや、何もしないほうがいいだろう。半端なコメントを出すと……ほら、この有り様だぞ?」
キールがひょいと手渡したのは、小脇に挟んでいた新聞である。ゴシップネタばかりを扱う三流紙だが、その一面には隠し撮りされたロドニーとマルコのツーショット写真が。
見出しに踊る文字を読み、マルコはげっそりとやつれた顔つきになる。
「……なぜ、そのような解釈に……」
先日の現場ではロドニーが人命救助に当たったことになっている。攻撃に長けた人狼が怪我人の治療で、治癒魔法に長けたマルコが対ドラゴン戦。これはどういうことだ、配役が逆だろうと、各所から質問が相次いだ。それに対する答えとして『ロドニーの体調不良』という苦しい言い訳を使ったのだが――。
〈マルコ王子、彼氏の体を完全網羅!〉
実に酷い要約である。
会見で、マルコは記者の質問にこう答えた。
「彼は体調不良で戦うことができませんでした。ですからあのような役割分担となったのです。騎士団員は誰でも、最低限の応急処置法を習得しています。何でも治せるというわけではありませんが、あの現場の負傷者の状態を見る限り、彼の治癒能力でも十分と判断しました。お分かりいただけましたでしょうか?」
どこを切り取ってもゴシップネタにはならないよう、細心の注意を払って原稿を作成した。それなのに、なぜこのようなことになったのか。
使用されているのは二人並んで歩いているだけの写真だが、偶然、ほんの一瞬、マルコの手がロドニーの腰に添えられたようになっている。実際には一切触れていない。しかし写真というのは不思議なもので、望遠レンズで撮影された場合、距離感が分からなくなることがある。
見出し文と相まって、二人はまるで結婚直前のラブラブカップルのようだった。
この世の終わりのような表情になったマルコを、ハンクが励ます。
「あまり気にするなよ。こういうのは、みんな読み物として楽しんでいるだけなんだから。誰も信じちゃいないさ」
「はい……ありがとうございます……」
足元では玄武が『うんうん』と頷いている。水槽のほうからはサラが水面を叩くパチャパチャという音が聞こえてくる。創世神二柱がかりで励ましてもらえるだなんて、自分は何と幸せなのだろうと思ったマルコである。
四人がそれぞれのデスクに着いたころ、オフィスに他の隊員たちも集まってきた。
「ノーミュージック、ノーライフ! 今日もシャカリキいきまっしょい!」
「やっと到着ですぅ~。本部が遠い……」
「うむ、確かに遠かったな。いつもの二倍は歩いた気がする」
「全部ヘボ王子のせいだ」
チョコ、レイン、ベイカー、トニーに続き、大量の書類を抱えたグレナシンも姿を見せた。
「やっだもう、アタシがビリッケツぅ~? みんな早くなぁ~い? っと! きゃあ! ちょっと! 誰か助けて! 崩れる!」
「うわ! 副隊長無理しすぎですって!」
「大丈夫ですか⁉」
「あぁん! ありがと、チョコ、レイン! アンタたち優しい! 惚れるかも!」
「うぇいっ⁉」
「それはちょっと!」
いつもの軽いジャブを全力でガードしつつ、二人は手分けして書類を並べていく。
「うっへぇ~、こんなにあるのか~」
「これ、全部貴族案件ですか? 優先度の高い物から着手するとしても……」
「つーかこれ、優先度の高い案件なんか無くね?」
「ですよねぇ……」
グレナシンが抱えていたのは、他の部隊や王宮から持ち込まれる『貴族案件』の概要説明文書である。市内で発生した交通事故や揉め事にはその場で急行するが、それ以外にも様々な事案がある。売買春、違法賭博、非合法ドラッグ、談合、暴力事件のもみ消し等々。特務部隊には貴族が関わっていると思われる案件ならば何でも持ち込まれる。その中から特に緊急性の高い案件を選び、その現場に近い複数の案件をいくつかまとめ、それらを一度の出張で一気に解決して回っているのだが――。
「隊長~、これ、どう見ても無理じゃないですか~?」
渋い顔のチョコに、ベイカーはチョコ以上の渋面で答える。
「ああ、無理だ。だから優先度が極端に低い案件は治安維持部隊に差し戻す。みんなで手分けして、書類の山から『ペットが行方不明』という案件を抜き出してくれ。それさえ抜き出せば、もう少し楽になる」
「は~い」
全員、言われたとおりに書類を抜き出していった。するとなんと、三百件分はある文書のうち七割以上がペット探しの依頼だったのだ。これには全員、驚きを通り越して呆れかえっていた。
「なんだこりゃ! マジかよ!」
「ひっでぇ~!」
「嘘つくなよ貴族ども!」
「巷で話題の王子様に会いたいからって……」
「ここまでくると、見え見え過ぎて好感度下がりまくりだよな……」
「まともな出動要請はこの一件だけかな?」
「え? ホントに?」
「まともなヤツなんてあったか?」
ハンクが手にしている書類をみんなで覗き込む。そこには赤い文字で『ヒグマとマストドンとバッファローのキメラビースト(禁止法施行以前に造られた個体なので一応は合法)が逃走中。殺傷能力レベル★5以上』とある。
「ナニコレ怖い」
「ヤバい」
「死ぬ」
「これを『傷つけずに優しく保護してほしい』って……?」
「ってか、これこそ治安維持部隊がやるべきじゃねえか……?」
「ああ。特務部隊員を一人呼んでもどうにもならんよな……?」
「誰かこれ保護したいやつ、挙手!」
キールの声に、誰もが一斉に視線を逸らした。
ハンクは無言で頷き、書類を『差し戻し』の山に置く。
残りの案件を精査して優先度順に仕分けていくが、今すぐ着手すべき案件に絞ると、ほんの十件ほどしか残らなかった。
あきれ果てた顔でチョコが言う。
「これ、みんなマルコさんの話が聞きたくて、何でもいいから特務部隊を呼び出そうとしてるんですよね? だったらいっそ、向こうから来てもらったほうがいいんじゃないですか?」
「むこうから?」
「どういうことでしょう?」
首を傾げる一同に、チョコは首に掛けたヘッドホンを指差して見せる。
「マルコさん主催でダンパとかどうでしょう? 同世代の連中だけ集めてポップな感じで。俺、DJなら何人か紹介できますよ?」
「ダンパ……ですか。面白そうではありますが、私にはイベント主催の経験が……」
「大丈夫ですよ、実務はパーティーイベント専門のマネージメント会社に丸投げすればいいんですから。マルコさん、子爵家にいたころはあんまりパーティーに出てなかったんですよね? 同世代なのに一度も会ったことない人、多いんじゃないですか?」
「ええ、実はそうなのです。私は『愛人の子』でしたから、パーティーに出席する機会が少なくて……」
正妻の子ではないため、マルコ本人に招待状は届かない。父と兄の都合がつかないときだけ代理として出席していた。そのため代理出席が認められないような式典では、クエンティン家はいつも欠席扱い。つまり、マルコと直接言葉を交わしたことがある貴族はとても少ないのだ。だからこそ余計に『王子にお目通りを』『せめてご挨拶だけでも』と盛り上がっているのだが――。
「二十代限定! って宣言して参加者募れば、かなり人数絞り込めますし。一人一人に招待状とか出さなくても、来たい人だけ来てくれますよ? 面識がない人も気軽に参加できると思うんですけど……」
社交界の事情に精通しているベイカーとロドニーは、チョコの提案に顔を輝かす。
「それだ! 王子がパーティーを主催すると言ったら招待状をもらうためにあれこれ画策して大騒ぎになるが、自分から名乗り出てもらえば角が立たない!」
「とりあえず日時だけ決めて、先に参加希望者募っちゃいましょうか? 人数に応じてあとから会場を選べば……」
「だったら最初から、玄武がいたあの造成地のイベントホールに決めてしまえばいい。あそこならデカラビアが守ってくれるだろう? イベントが盛り上がりすぎても怪我人は出ない」
「あ、それ最高! じゃあちょっと国土開発省に電話してみます」
「ああ、できるだけ明るく楽しくハイテンションにな。長官が断れない空気の流れを作り出すんだ!」
「了解!」
マルコ本人の意見は関係ない。王子主催のダンスパーティーが開かれるという情報を流さないことには、特務部隊に舞い込む『ペット探し案件』は減らせないのだ。
どんどん進められていく話を聞いて、マルコはおずおずとした様子で打ち明ける。
「え~と……あの、チョコさん? 恥ずかしながら、私、そういったイベントには一度しか参加したことが……」
「大丈夫! 今夜から毎晩みっちりクラブ通えば、フロアの空気にもすぐに馴染めますって!」
「今夜から、ですか? あの、そういったパーティーは、そんなに頻繁に開催されているものなのでしょうか?」
「ええ、もう、毎晩やってますよ!」
「毎晩⁉」
多くのDJやミュージシャンが入れ代わり立ち代わり演奏する形式のクラブイベントは、マルコにとっては全く未知の領域であった。貴族にとって、繁華街のクラブやライブハウスは非常に縁遠い場所。一度参加したことがあるダンスパーティーも、知人の誕生パーティーに余興としてクラブDJが招かれていたものであって、本格的なハコを使った爆音ダンスイベントではない。
「毎晩……あんなお祭り騒ぎを……?」
全く実感がわかないマルコを置き去りに、話はさらに進み、テキパキとまとめられていく。こういう時の特務部隊には、謎の結束力とスピード感がある。
全員参加で打ち合わせすること、わずか十五分。王子主催のダンスパーティーはあっさりと詳細が決定した。あまりの早さに、マルコはただただ感心しきり。一言も口を差し挟めぬまま、ダンパに向けた準備作業が始まった。
登庁直後にロドニー・ハドソンからの電話を受けた国土開発省長官は、半ば躁状態で電話をかけまくった。
あのマルコ王子が、初めて主催するパーティーの会場に、なんと自分の管轄下にある造成地を選んだのだ。伯爵家の子息が言うには、関係各所への根回しはこのまま自分にまかせてもらえるらしい。
これはチャンスだ。人生最大のチャンスと言っても過言でない。ゲストとして参加できるのは二十代だけでも、主催協力という形でなら王子と繋がりを持てる。他の省庁の重役たちに『王子と挨拶できる機会』を用意してやれば、並々ならぬ恩を売ることができるのだ。
斯くして王子主催パーティーの噂は、昼過ぎには中央省庁高官たちに知れ渡っていた。
隊長室の電話には、ひっきりなしに外線着信音が鳴り響く。
「はい、こちら特務部隊隊長室でございます。あ、どうもどうも事務次官殿! いつもお世話になっております! ……マルコ王子ですか? たいへん申し訳ございませんが、個人的にお付き合いのある方以外はお繋ぎ出来ない規則となっておりまして……」
「はい特務です。ええ、はい、そうです。イースター家のポールです。お久しぶりです、大臣。え? ダンスパーティーの件? あ~、え~っとぉ~、これ、僕からだって言わないでくださいね? 実は王子も、お一人で主催されるのは不安がおありのようで……。僕もなにか協力出来たらと思ったのですが、主催経験なんてありませんしぃ~。やはりここは、大臣のように経験豊富な大人の方にご協力いただけたらなぁ、なぁ~んて……」
「はい、特務部隊長のベイカーです。やあ、これはどうも。公爵様から直接ご連絡いただけるなんて、大変光栄でございます。して、どのような御用件でしょうか? ……ああ、そのことでございますか。さすがは公爵様、お耳が早い。実は今、主催協力者を募ろうかと話していたところでして。マルコ王子に協力したくとも、俺もロドニーも、まだ一人で大きな式典を仕切った経験はありませんし……ええっ⁉ 本当ですか⁉ ありがとうございます! 公爵様のお力添えがいただけるのなら、もはや成功したも同然! とても素敵なパーティーになることでしょう! では、詳細につきましては近日中に……」
「労働省の事務総長殿ですか? たいへん申し訳ございませんが、直接面識がない方とは……」
「うわぁ、お久しぶりで~す! はい、ポールです! やだなあ侯爵様ってば! 僕、もう十一歳ですよ! 玩具につられて知らないおじさんになんてついて行きませんからぁ~! ……え? おいしいケーキ? スイーツグランプリ三年連続優勝パティシエの……? はい! 絶対行きます! ……ええっ⁉ 王子も一緒に、ですかぁ⁉ ……ん~っと、王子のスケジュールは、僕にはちょっと……あ、じゃあ、あとでかけ直します! きっと王子も来てくれると思いますよ♪」
「はいベイカーです。おや、伯爵様。いかがなさいました、そんなに慌てて……え? ダンスパーティーのことで? いえ、それがですね。つい先ほど、公爵様から協賛のお申し出があったばかりで……ええ、そうです、あのお方が。そういうことですので、このたびは、その……ええ、申し訳ございません、せっかくご連絡いただきましたのに……」
「特務部隊です。こちらの番号は特務部隊の任務に関するご用件のみ受け付けております」
「うっわぁ~、子爵様ぁ、お久しぶりで~す! はい、ポールですよぉ~♪ え? 今夜ですか? ごめんなさ~い。僕と王子、今夜は侯爵様からディナーのお誘い受けてましてぇ~。……はい、ディナーだけですよ? 王子、そのあとは市内のクラブにDJ探しに……どこのクラブかって? え~っと、たぶん『ザイオン』ってハコだと思いますよ? ベイカー隊長とロドニー先輩も一緒に行くような話してましたしぃ~」
「ベイカーです。申し訳ありませんが、パーティーの主催協力は既に公爵様からのお申し出が……」
「こちらの番号ではマルコ王子の私生活に関するご質問には一切お答えしておりません」
「ねえねえ男爵ぅ~♪ 今日ね、僕、王子と一緒に侯爵様のところでディナーの予定なんですよぉ~♪ 確か侯爵様って、男爵の従兄の奥様の親戚筋の方ですよね? もし今夜同席できれば、確実に王子と仲良くなれますよぉ~? ……はぁい! それでは今夜ぁ~♪」
「父上? いちいち職場に電話してこないで頂けますか? 俺が絡んでいて、ベイカー家が主催協力者でないハズが無いでしょう⁉ あと、父上の好みで見合い写真を送ってくるのはやめてください。あれは巨乳とは呼びません! ただの肥満です!」
「現在多忙につき緊急性の高いご連絡以外はお断りさせていただいております」
「あ、ごめんなさ~い! 僕も王子も、もう別の方のお誘い受けてましてぇ~……」
「姉上、ご安心ください。当日までには王子と面会できる機会を設けます。はい。義兄上にもよろしくお伝えください。ですから職場に電話は……」
「事件性のないご相談はご遠慮ください」
「ホントごめんなさ~い、またの機会に~……」
「こら、ショコラ! 職場に電話してくるなと言っているだろう? お兄ちゃんだって忙しいんだから! え? 女学校のお友達が王子に会いたがってる? 王子とのお茶会がセッティングできなかったらイジメ確実⁉ いや、その、え~っと……わ、分かった! 分かったから泣くな! お兄ちゃんがなんとかするから! なっ⁉ だけど、ちょっと待ってくれよ! その子達の御父上のご身分は、伯爵か子爵だろう? 公爵家の御令嬢より先に会わせるわけにはいかんのだ! ……ああ、分かった。明日中には、俺のほうからその子たちに招待状を送る! 絶対に送るから! だからもう泣くなって!」
「お繋ぎできません」
「ごめんなさ~い」
「やあやあ、どうもどうも。実はその件についてご相談が……」
ベイカーと隊長補佐二名の判断で、貴族や高官らは次々とふるいに掛けられていく。特務部隊長に直に連絡できるということは、彼らは何ら後ろ暗いことがない『善良な上流階級』である。基本的には全員、マルコに近付けても何の問題もない。問題になるのはその順番だ。やはり身分の高い順、女王や側近と仲の良い順に面会させていかねば、後々角が立ちかねない。手元のリストとカレンダーを見ながら、優先順位ごとに面会予約を振り分けていく。
午後四時を回ったころには、この電話ラッシュは終了した。事前の打ち合わせ通りうまくタイムテーブルを組むことができてホッとする半面、今夜以降の超過密スケジュールを思うと気が重い一同である。
夕方以降の『激務』に備えて仮眠室に入ったベイカーとポールに代わり、副隊長のグレナシンが隊長室に入った。
「あ~あぁ~、貴族のイベント前って、結局アタシにシワ寄せが来るのよねぇ~……」
「まあまあ、どうぞ、コーヒーでも」
「あらん♪ さっすがアレちん、気が利くじゃなぁ~い♪」
アレックスが差し出したカップを受け取り、グレナシンはコーヒーの香りに満足げに頷く。
「そうそう、これよ、これ。どうも食堂のヤツは好みじゃないのよねぇ~」
「あちらは国産豆ですから」
「地球産のほうが美味しいとか、もう完全に喧嘩売られてるわよね。せっかく苗木持ってきて、地球よりきれいな土と空気で育ててるっていうのに……」
「それこそ、近頃皆さんがお話になっておられる『カミサマ』とやらの御業では? 地球の植物には『守護神』がついていらっしゃるのでしょう?」
「ん~……言われてみれば、そうかもしれないわね? そういえば、大和の国にも『茶の神』っていたわよねぇ……?」
そういうグレナシンの視線は、彼の傍らに向けられている。アレックスの目には何も映っていないが、その仕草で、そこに何かがいると判断したのだろう。彼は自分の分として持っていたカップを、グレナシンの左側に置いた。
「どうぞ、ツクヨミ様」
そう言って頭を下げたアレックスだが、彼は知らなかった。
神に供物をささげ、首を垂れる。それによって、その人間と神の間に『繋がり』が生まれることを。
「ありがとう。すまないね。これは君の分だろうに……」
「えっ⁉」
アレックスは驚いてあたりを見回す。
声は聞こえるが、姿は見えない。コーヒー一杯分の繋がりは、ツクヨミ側がどれだけ頑張ってみてもこの程度である。
「今の、声が……?」
「あら、聞こえた? そうよ、今の声が、アタシに憑いてる『月詠の尊』。名前の通り、月のカミサマ」
「まあ月と言っても、実際に惑星外を周回する衛星をどうこうする力はないのだがね。月とは夜、即ち闇を表す言葉だ。私は闇属性の神。それ以上でも以下でもない」
「は、はあ。さようで……」
驚きに目をしばたかせているアレックスに、ツクヨミは言葉を続ける。
「どうだい? せっかくの機会だ。君も少し、地球の神と雑談してみないかい?」
ただの暇つぶしのようにも聞こえる言葉だが、そうではない。異界に下れども神は神。自分に供物をささげた人間に、その対価となるだけの情報を与えるつもりなのだ。
アレックスは面白そうな顔で、姿の見えないツクヨミに問う。
「私、元新聞記者ですので。ありがたいお話の途中でも、疑問に感じたことはガンガン質問してしまうかもしれませんが?」
「構わないよ。地球の神に単独ロングインタビューした最初の記者になってごらん? 私も、異界で取材された最初の神になってみよう」
どうやらこの相手、かなり冗談が通じるタイプのようだ。そうであれば話は早い。二人と一柱は応接用のソファーに移動し、どこにも報道されない『究極の真実』について話を始めた。
アレックスが最初に聞かされたのは、ツクヨミやタケミカヅチら、大和の神々の話だった。これまでにこちらの世界で起こった出来事は、ベイカーらがまとめた極秘報告書によって一通り把握している。その中で最も気になっていた記述、『器を持つ神は地球との出入りに何ら制限がない』という部分の種明かしがなされたわけだが――。
「え? つまり、それは……貴方は、今、ご自分の意思でこちらにいらっしゃると?」
ツクヨミは自分の存在がアレックスにも見えるよう、隣に座るグレナシンの髪をふわりと掻き上げながら答えた。
「そうだよ。我々は国も信徒も失っていない。大和の国は天皇家が存続する限り『大和の国』であり続ける。だから私はこちらに来るために、自分の意思で能力の九割を切り離した。私の力は、今は宇迦という食糧の神に預けてある」
「なぜ、そのような決断をされるに至ったのですか?」
「こちらの世界を知っていたからさ。私たちは昔から、観光旅行気分でこちらに出入りしていたからね。だから私は異界下りを決断できた。私は、五百五十年前のあの悲劇もリアルタイムで目撃しているよ。ひどい戦争だったね、あの『革命戦争』は。地球の戦争もひどいものだが、こちらの世界には魔法と呪詛があるからなおさら質が悪い。まさか、死体まで戦わせるとはね……」
「地球で世界規模の戦争があったのは約七十年前と聞いておりますが、ツクヨミ様はそのころからずっとこちらに?」
「ああ、そうだよ。こちらの革命戦争を知っていたおかげで、私たちは正しい判断が出来たと思う。戦後復興に必要なのは希望の光と、食料と労働力。そしてなにより、人が人を思いやる慈しみの気持ちだ。闇の神も戦の神も、そこには必要とされない。だから大和の国の敗北を悟った瞬間、私は力を切り離した。そして創造主に頼み、こちらに送ってもらって……思った通り、私が持っていた繁栄の力は宇迦にこそふさわしいものだった。彼女は焼け野原になった東京を、たった半世紀で世界有数の巨大都市にまで発展させてくれた。まあ、少々やりすぎのきらいもあるけれどね。今や東京は飽食と快楽の都となってしまったが……」
「ひょっとして、夜を司る神が不在だから『眠らない街』になったなんてことは……」
「うん、その可能性はあると思うよ? 私は『安息』も司っていたからね。宇迦に預けたのは人の心を昂らせて子作りさせる『繁栄』の能力だけで……正直私は、そろそろ地球に帰るべきかとも思っている。繁栄しすぎて、この頃では人口バランスも狂ってしまった。首都に一極集中しすぎだな、あれは」
「人口の一極集中と言いますと、こちらの世界でも都市部の人口急増が問題視されておりますが、何かお心当たりは? だいたい半世紀前から異常な増加傾向に転じたと言われておりますが?」
「ああ、すまない。それはおそらく、私たちのせいだろうね。大和の神は旅行慣れしているから、異界暮らしもちょっとしたバカンス気分だったのだけれど……同時期にこちらに送られた別の神族の神々は、やはり不安が大きかったようでね。私たちの気配を察知して、この中央市に大集結してしまったことがあるんだ。それが、およそ半世紀前の事かな? 敗戦国の神同士、みんなで共同生活を始めたのだけれど……何しろ、神だからね。みんな自尊心の塊みたいな連中だから、うまくいかなくて一度は解散した」
「なんだか、ロックバンドが勢いで立ち上げたレーベルみたいなお話ですね? 共同生活してみたけれど、誰も家事が出来なくて揉める、みたいな……」
「ははは! いいね! そう、まさにそんな感じだったよ! 私以外は軍神や刀鍛冶、鬼神や鎮守神ばかりでね! みんな自分が最優先で、仲良くする気なんてゼロ! うまくいくはずが無いよ!」
「では、そこで解散して、それからは?」
「住み心地の良さそうな土地を探して、しばらく放浪した。そして西の砂漠で、とてもきれいなオアシスを見つけたんだ。その泉は『聖月光』と呼ばれていたが、名前のわりに、特に神や精霊の気配も無くてね。それならここを守護しようかなと、腰を落ち着けた」
「なるほど。それでグレナシン自治区に……」
「泉の守護神として無難に平和な日々を過ごしていたら、ある日突然、数十年に一度の儀式だか何だかが始まってね。幼い娘が生贄として殺されそうになっていたから、今の君にしているように、村人たちに声を届けてやめさせた。そうしたら今度は、その娘が『神に寵愛された乙女』として村長のところに嫁がされて……」
ここでグレナシンが、超巨大な溜息と共に説明を引き継いだ。
「その当時でママが十歳、パパが六十九歳で~っす。ママがアタシを出産したのは十一歳のお誕生日でした~」
「なかなかひどい児童婚案件だろう? このままこの子を村で育てさせたら、ろくなことにならないと思ってね。胎児のうちに私の器として改造して、あれこれ手を尽くした」
「『この子は外の世界を知るさだめであろ~う』なんて、それっぽく村人にお告げしてまわってくれてね? 自治区の外の小学校に通えるようにしてもらって……」
「あれは骨の折れる作業だった。一晩で村人全員の夢枕に立つなんて、我ながら無茶をしたと思う」
「でも、おかげで助かったわよ。アタシ、村にいたら次の生贄になってたと思うし」
「生贄の儀式自体を廃止できなかったのは、いまだに悔やまれるところだ……」
「何千年も続いてるんだから、いまさら無理じゃない?」
「そうかもしれぬが……泉の水量を増やしたいならば、植林活動をしたほうが確実なのだがなぁ……」
「植林活動とか水の循環サイクルとか、あの村の知的水準じゃ理解できないわよ?」
「どこの世も、ままならぬものだな……」
さらりと語られるヒストリーにかなり高濃度な『社会の毒』が含有されている気がするが、今はこのまま話を流したほうがいいと判断し、アレックスは次の質問をする。
「では、ツクヨミ様は副隊長が生まれる以前から、副隊長を守護し続けておられるわけですね?」
「そうだよ。何と言うか、もう、私の子供のような気分だ」
「アタシも、遺伝的なパパよりこっちのほうが父親っぽく思えてるわね」
「おふたりはたいへん仲がよろしい、という理解で大丈夫でしょうか?」
「問題ない」
「他のどの器よりも、カミサマと仲良くやってる自信があるわ。ねー?」
「もちろんだとも。誰にも負けない」
二人の一風変わった親馬鹿&ファザコンぶりに、思わず表情が緩むアレックスである。
「いや、失礼。とても微笑ましいご関係だと思ったもので。それでは、他の神も器とは『父と子』のような関係であると思ってよろしいのでしょうか?」
この問いには、ツクヨミもグレナシンもしばし沈黙した。
「……いや、神によってそれぞれ異なる……かな?」
「隊長とタケミカヅチは、ド底辺高校の悪友同士みたいな感じよね? 顔面偏差値だけは馬鹿みたいに高い俺様系ヤンキー二人が、仲良く大暴走してる感じで……」
「青龍……いや、今はサラか。サラとあの青年は、青年によってリセットされたせいもあるが、若い父親と赤ん坊のような関係であるし……」
「レインちゃんとコニーちゃんは……何かしら。サンゴと褐虫藻?」
「熱水鉱床とコシオリエビのような……?」
「ジンベイザメとコバンザメ……は、違うかしら……?」
「イソギンチャクとカクレクマノミの関係では?」
「ん~……なんか、分かんないのよねぇ、あの二人。コニーちゃんって、本当は創世神クラスの力があると思うんだけど、なぜか弱いし……」
「私よりも神格が高いはずなのだが、能力が完全ではない。もしかすると、あの神は単一の存在ではなかったのかもしれないね」
「それはどういうことでしょうか?」
「神の中には双子神や三つ子神がいる。同一属性で、ほぼ同じ能力を有し、それぞれに秀でた分野のみを受け持つ。タケミカヅチが良い例だ。あれは三つ子神の一柱で、ミカハヤヒが罠や暗器、ヒハヤヒが飛び道具、タケミカヅチが刀剣類を守護する。三柱揃ってはじめて本物の『軍神』として力を発揮するのだが、なにしろよく似た能力だからね。人間たちによって神話が整理され、武士たちは一番わかりやすい刀剣の神、タケミカヅチのみを信仰した。いや、信仰するだけならば良かったのだが、時代が下るにつれて。他二柱はタケミカヅチが顕現する際にとる『別の姿』や『異称』としてひとまとめに記述されるようになってしまったのだよ。気の毒に、今ではタケミカヅチから力を融通してもらっているような有り様だ。兄たちに力を分け与えている分、タケミカヅチ本人も満足に行動できる状態ではないし……」
「ベイカー隊長は十分すぎるほど強いと思うのですが……あれでも不完全なのですか?」
「いや、君が知っているのはサイト君単体の能力にすぎないよ。サイト君はマルコ君やケイン君と同じく、主さまから『役割』を賜った人間だ。サイト君が使う光の剣は、九割九分、サイト君の魔力で生成されている。タケミカヅチは自分の能力をほとんど使っていないはずだ」
「あれ、自力で出していたんですか⁉」
「ああ、恐ろしいことにね。タケミカヅチは魔剣の形状を維持するために微調整をしている程度で……」
「だからアタシたち、よく『このクソニート!』って怒鳴ってんのよ~。アイツがあまりにも何もしないから……」
「あ、そういうことだったんですか。なるほど……では、あの、最後にこの一点だけ。報告書に記載されていた『マガツヒ』とやらなのですが……」
「闇を凝縮すると発生するものだ。大きさによってマガツヒ、オオマガツヒ、ヤソマガツヒ、オオヤソマガツヒと大別している」
「その区分の、基準となる例を示していただけるとありがたいのですが」
「そうさな……人間サイズがマガツヒと思ってくれ。身長三メートルくらいまでなら、こちらの世界には普通にいるだろう?」
「ええ、種族によっては平均身長ですね。マガツヒが人間サイズとすると、『オオ』とつくほうは……」
「そのものズバリだ。マガツヒが巨大化したものがオオマガツヒ。特にこれと言った特殊能力はない。ただ大きくて狂暴で、周囲に闇を振り撒く」
「どの程度の大きさでしょう?」
「私が知る限り、最大で五十メートルほどかな? それ以上の大きさにはならず、それ以降は闇の濃度が増して、ギュッと凝縮して……大きさ自体は、イエネコか小型犬程度になる。それがヤソマガツヒ」
「え? 上位種のほうが小さいのですか?」
「ああ。小さくて、毛むくじゃらで……見た目は愛らしい小動物のようになるんだ。そして困ったことに、その見た目を活かして『無害で無力な弱者』を装う。保護してやろうと近付いた人や神の心を蝕んで、木偶人形のように操るんだよ」
「それは非常に厄介ですね……。そのヤソマガツヒが、さらに成長すると……?」
「オオヤソマガツヒになる。大きさは……おそらく、限界値というものは存在しない。莫大な闇を周囲に振り撒き、新たな『マガツヒ』を大量に生み出す。あとは振出しに戻る。マガツヒが育ってオオマガツヒ。オオマガツヒが育ってヤソマガツヒ。ヤソマガツヒが巨大化してオオヤソマガツヒとなり、マガツヒを量産する」
「成長して次世代を生み出すとすれば、それは普通の生き物のように思えるのですが、全体的には『神』に近い存在なのでしょうか? 話だけを伺った感想としては、生物と神のちょうど中間的な存在に思えるのですが?」
「まさにそれだな。あれは神としても生命としても不完全な闇の塊だ。我らと同じ『闇』の属性を持ちながら、誰からも必要とされない。必要とされねば、神として存在することは出来ない。かと言って、もともと普通の生き物として創られたものでもない。運命の輪に入ることも出来ず、無理に世界と繋がりを持とうとすれば、周囲の生き物を死に至らしめる」
「それは……見方によっては、少々気の毒な存在とも思えるのですが……」
「その通り。あれは世界という巨大なシステムの、とても気の毒な被害者さ。けれど、同情もできない。放置すれば我々が殺されるのだからな。だから我々はあれと戦う必要がある」
「なるほど……やはり、戦闘は回避できないと……」
「可能なことならば、回避したいけれどね。この子の部下をマガツヒとして始末したくはない」
「そうですか……分かりました。ツクヨミ様のお話で、疑問に思っていたことが色々と腑に落ちました」
「ロングインタビューと呼ぶには短い気がするけれど、これでいいかな?」
「はい。現時点では、私がこれ以上伺いましても理解が追い付かないというか……」
「知りたいことが出てきたら、いつでも聞いておくれ。今日はセレンの外にいるけれど、いつもはたいてい、この子の内側から君たちを見ているから」
「どうもありがとうございました」
「こちらこそ」
その言葉と同時に、それまで湯気を立てていたコーヒーがふっと熱を失った。グレナシンはツクヨミのカップを持ち上げて、アレックスに差し出す。
「触ってごらんなさい。驚くわよ?」
アレックスはぬるま湯のようになったコーヒーと生温いカップを想像していたのだが、受け取ったそれは予想の上を行っていた。
カップも中のコーヒーも、氷のように冷たい。
「……どういう原理です?」
「詳しくは知らないわ。けど、カミサマってエネルギー生命体みたいなものだから。多分、飲んでくれたのよ。貴方が淹れたコーヒーの『熱』の部分だけをね」
「は、はあ……熱を……」
不思議なこともあるものだと思った。それと同時に、アレックスには妙な既視感もあった。
(……熱が、一瞬で……? これが神の『食事』だとしたら、もしかして……?)
表面上は普通の様子を保ちながら、アレックスはカップを下げた。
「さ~てと! 隊長たちが貴族の関係調整に奔走する分、この先一週間くらい、通常任務はぜぇ~んぶアタシたちに押し付けられるわよ! アレちん、覚悟はできてる⁉」
「できてなくても、やるしかないでしょう?」
「そぉよねぇ~? じゃ、とりあえずこの案件からやっちゃいましょうか。これならキール単独でも、ギリギリでイケるはずだし……」
「それでしたら、こちら二件はハンク君ですな。彼なら明日中に二件くらいこなせるでしょう」
「海棲種族との揉め事相談は全部レインちゃんで、トニーには野盗討伐とかモンスター駆除系の案件をまとめて十件くらい……」
「チョコ君には護衛任務だけを連続でお願いしましょうか」
「それじゃこっちの幽霊屋敷ネタは……って、あぁ~ん、もう! 駄目じゃない! ガッチャンいないんじゃ、他に幽霊と戦える隊員いないわよ⁉ あの子いつ退院だっけ?」
「順調にいけば木曜か金曜には、と聞いておりますが……難しいでしょうなぁ。なにせ、ピーコックさんと同型のつもりで移植したのに……」
「なんだっけ? 蛇じゃなくて、ムカデになっちゃったんだっけ?」
「いえ、ムカデを含む節足動物類が数十種、数千匹出現して結界内に隔離状態、というお話ですが?」
「ちょっとしたホラーね」
「かなり強烈なホラーだと思います」
「でも、別に害はないんでしょ? 本人にも周囲にも無害って聞いた気がするけど……」
「そのようですが、二十四時間全身虫まみれの人がその辺を出歩くわけにもいきませんでしょう?」
「まあ、そうね。ぶっちゃけ絶交するレベルだわ」
「ピーコックさんのように寄生型武器として完全制御できるようになるまで、外には出られないでしょうから……念のため余裕を見て、一か月ほどはゴヤ君無しで回していける体制を作っておくべきではないかと」
「ん~、一か月かぁ……ま、長めに見積もっておいたほうがいいかしらね。じゃ、どうしようかしらん? アタシも一応、魔導式短銃は装備できるんだけど……」
グレナシンは自治区の族長の息子。中央の身分制度では士族と貴族の中間程度とされているため、銃の携帯許可は下りる。ただし、問題が一点。
「アタシ、これまで一度も的に当たったことないのよね……?」
たった三メートルの距離で外すのだから、もはや『狙いを外す才能』があるとしか思えない。自動追尾型の特殊魔弾を撃っても突発的な誤作動が発生し、あらぬ方角に弾が飛ぶのだ。以前射撃訓練を行った際には三十発連続で誤作動が起こり、隊の仲間を震え上がらせた。
誰もが本能で直感した。
この人に銃を持たせてはいけない。
もはやなにかの呪いだ。これ以上グレナシンに銃を撃たせたら、絶対に誰かが死ぬと思った。アレックスはそのときの光景を思い出し、軽く身震いする。
「心霊事件はゴヤ君の復帰まで保留ということでいかがでしょう?」
「うん、アタシもそれが良いと思うわ……。《サンスクリプター》みたいな特殊機能で誤作動が発生したら、何がどうなるか分かったモンじゃないものねぇ……?」
ふぅっと溜息を吐くグレナシンの顔に、ほんの一瞬、そっくりなもう一人の顔が重なって見えた。申し訳なさそうな、しかしどこかホッとしたような表情である。
これで気付かない阿呆はいない。
(……なんて過保護な……)
銃を通常装備できる騎士団員は少ないため、非常に重宝されている。必然的に、他の騎士団員より危険な現場に駆り出されることも多くなる。ツクヨミはグレナシンの身に危険が及ばぬよう、全力で妨害工作を行っているのだろう。
ツクヨミの所業を知ってか知らずか、グレナシンは嘆きの声を上げる。
「あぁ~ん! なぁ~んでアタシだけ銃撃てないのよぉ~! もぉ~っ!」
アレックスは何も気付かなかったような顔で一礼し、分担の決まった指示書を持ってオフィスへ向かった。




