侵入者
二人は村の手前で、少し休憩を取ることにした。
かおりんが帽子を脱ぐと涼やかな風がすっと通り抜け、サイドテールの髪がふわっと舞って輝いた。
彼女はタオルで額の汗をふきながら、リュックからゼリー飲料を二つ取り出して、一つを悟に手渡した。
彼女は、帽子を道祖神の石像にかぶせ、しゃがんで手を合わせている。目をつぶり真摯に祈る姿に、悟は思わず見とれていた。いざ、目的の村を前にして、悟はこのまま時間が止まってしまえばいいのにと思った。家に帰れば、受験勉強の日々が待っている。この廃村探索は、高校最後の夏の思い出作りとして参加したが、また別の機会に、かおりんとどこかに行ってみたいと思った。
「なーに、ぼんやりしてるの?」
「いえ、ちょっと暑さで朦朧としてました」
「じゃ、もう少し休んでからいこうか。お地蔵さんに安全祈願しといたわよ」
新谷玄石地区ニュータウン計画は山中の地形を大規模に造成しているため、村内は平坦な土地が広がっている。ここまで手がけておいて計画を中断せざるを得なかった理由は一体何なのか。
住宅の基礎や土台だけを残して放棄された区域もあり、人工物が自然に浸食されている光景は、古い遺跡を見ているようだ。二人は、タクヤンの最後の足取りをなぞるように進んだ。
遠目に10軒ほどの住宅が見えてきた。
建物の玄関や窓はベニヤ板で塞がれており、人が住んでいる気配はないが、家の外に子供用の小さな揺り椅子や、錆び付いた自転車・洗濯機などが置かれており、遠い過去の生活感を残している。近づくにつれ、咳き込みたくなるような廃材の黴びた匂いが強まる。民家の区画は5軒×2列になっており、それとは別に離れた場所に物置のような掘建て小屋が並んでいる。
民家のブロック塀の一部に、
【お に が く る お に が く る】
と黒いペンキで走り書きが残されている。
悟は気味が悪いので、さっさと通り過ぎようとしたが、かおりんは腕を組んで塀の落書きに見入っている。
「これ、誰かのいたずらですかね」
「『おに』か・・・」
「鬼がどうかしたんですか」
「ここの地名、『新谷玄石地区』っていうでしょ。もう地図に載っていない地名だけど」
「ええ」
「戦前まで、ここは禁足地となっていた場所。でも、全国各地に、昔は「禁足地」や「女人禁制」、「男子禁制」の場所はたくさんあった」
「確か富士山も昔は女人禁制だったんですよね」
「そう、禁足地自体は珍しいものではなかった」
「今では、ほとんどの場所が解禁されてますよね」
「これは、単なる私の仮説だけど・・・」
かおりんは、前置きして語り始めた。
「ここの地名の由来が、『新谷』=『荒が野』、つまり『荒野』ね。『玄石』=『黒石』=『黒遺屍』という説」
「『黒遺屍』?どういう意味ですか?」
「病気になって死んだ人の遺体って意味。昔、ここは病気の人を捨てにくる場所だったと書かれた古い文献からの受け売りだけど」
「姨捨山みたいな感じですね。だから禁足地だったのですか」
「いや、そこまでは分からないけど。ただね、ここに書いている『おに』っているのは、病気の人を捨てにきた人間のことかもしれないし、捨てられた人の怨念が鬼になったかもしれないって思っただけ」
「思いつきで話しちゃっただけですか」
「ごめんなさい。今の話は忘れていいから・・・」
かおりんは、照れくさそうに顔を赤らめ帽子で顔を隠した。
しかし、悟はそんな昔話を連想するようなことが、塀の落書きで書かれていること自体おかしいと思った。
それに、この落書きは、タクヤンの動画には映っていなかった。悟はとっさに周囲を見回した。自分たち二人以外に誰かが潜んでいるような気がした。




