赤い道
旧道沿いに「ジビエ料理」と書かれたのぼりが風に揺れている。
看板もない古びたログハウスの脇にかおりんは軽自動車を乗りつけた。
一見しただけでは店とは気付かず通り過ぎてしまいそうな佇まいだ。入口の重厚な木製戸には、「営業中」という小さな札が下がっている。
「ここ店ですか?」
「ええ、ここでお昼にしましょう」
二人が戸を開けると、入口の上部に付いている小さな鐘がカラン、カランと来客を告げた。
薄暗い店の奥から、待ち構えていたかのように中年の男の声が響き渡った。
「へい、らっしゃい!」
声の主は、店の主人のようだが、奥の調理場から出て来る気配はない。
店内は、8人掛けくらいのサペリの無垢材のダイニングテーブルが一つと、奥に2組分ほどの小上がり席があるが、客の姿はない。
壁には、捕獲したクマやイノシシなどの写真や毛皮が飾られており、壁際に置かれた冷蔵ワゴンには販売用に真空パックされた加工肉が並んでいる。店の外観とは違って、中は意外と小綺麗な印象だ。
「あれ?仕入れの人じゃない?食事の人?」
「はい、食事に来ました。大丈夫ですか」
「ごめんね。少し座って待っててくれるかい」
どうやら、店主は大きな肉の塊をせっせと解体中のようだ。内蔵などはすでに抜かれて処理されているが、まだ元の姿が想像出来るほど原形を残した野生動物の肉塊は生々しい。悟たちは、肉の仕入れ業者と間違われたらしい。
彼は慣れない光景に少し戸惑ったが、かおりんは気にする素振りはなく、適当な席に腰を下ろした。席に付くと、かおりんはポーチから紙とペンと取り出した。
「これを見て」
彼女は折り畳まれた紙を広げた。それは、市販の地図をコピーしたと思われるものだった。
「現在地はここ。駅からずっと山側の旧道を走ってきたの。そして、旧道は、ここまでしか続いていないの」
地図には、この先にあるゴルフ場までの道のりは記載されているが、そこで行き止まりになっているようだ。
「そこから先は歩きですか?」
「でもね、こっちの地図を見て」
彼女はさらに、1枚の紙を取り出した。黄ばんだ古い手書きの地図だが、描かれている地形は、先ほどの市販の地図とよく似ている。その地図には、旧道の先に、赤ペンで道が書き加えられている。
「この赤い道が、例の村に通じる道よ」
村までの道を示すその赤い道は長く、もし歩いて行くとすれば相当時間がかかりそうだ。
「私の見込みだと、目的の村の手前までは車で行けるはずよ」
「ここから20〜30分くらいはかかりますかね」
「たぶん。でも、途中で道が分からなくなったり、通れなかったりで、15時になっても、村にたどり着けない場合は、残念だけど引き返すことにするわ」
悟が地図から顔を上げると、かおりんと視線が合った。
かおりんはじっと悟の顔を見つめ確認を促し、彼は無言でうなずいた。
「そして、村を見つけた場合も、16時までには、村から離れることにしましょう」
「帰りの時間を考慮すると、あまり長居はできませんね」
「ええ。トラブルが起きても、山の中だから携帯がつながらないかもしれないし、今回は私たち二人だけだから無理は禁物ね。最低限、村の位置を特定できれば十分よ」
「分かりました」
「お客さん達、どこ行くの?」
いつの間にか店主が二人のそばまでやってきて、突然、話しかけてきた。悟は背後から不意をつかれて、驚いて声が出そうになった。店主はがっちりした体格で短髪で目がギョロッとしており、色黒の顔は皺が深く刻まれて、威圧感のある独特なオーラを発している。
かおりんは、広げていた地図を手早くポーチに片付けた。
「ここから先に行くのはやめておいた方がいいよ」
「何かあるんですか?」
「いや、特に何もない。あるのは、ゴルフ場くらいだ。もう閉鎖されて入れないが」
「この辺り、ドライブで散策するには面白いかな、と思って」
「お客さん、この辺来るのは初めて?俺もここが地元じゃないんだ。5年前に東京から移住してきたんだが、地元の人間は、この先にある旧ゴルフ場付近には絶対近付かないよ」
「それはどうしてですか?」
「詳しくは分からないが、昔、何か事件があったらしい。地元では、祟りがあると噂されてて、俺も指定された猟区以外は絶対に足を踏み入れるなって言われている」
店は昼時にも関わらず、他の客が来る気配が全くない。
店主は元々食品加工会社に勤めていて、脱サラして猟師になったという。自分で仕留めた野生動物の肉をジビエ料理専門店向けに卸す仕事をしているようだ。店で提供する料理は趣味と実益をかねた副業だと言う。
二人は、店主おすすめの鹿肉のサンドイッチを注文した。
食後、悟は用を足しに店の離れにあるトイレに向かった。
その途中、何気なく周囲の風景を撮影しようと思いたち、車内に置いてきたカメラを取りに駐車場へ向かった。しかし、車はロックがかかっていたため、彼は諦めて店に戻ろうとした。その時、後部座席に置かれているファイルケースが目についた。
【京浜大学 中尾倫子】
ファイルにネームラベルが貼られている。
これが「かおりん」の本名だろうか。
「何か取り出したい物ある?」
いつの間にか、かおりんが店から出て来て、悟の後ろに立っていた。
悟は慌てて振り返った。
「財布を車内に置き忘れちゃって・・・」
財布はズボンのポケットに入っていたが、車内を覗き見ていた後ろめたさでごまかした。
「お金は払っておいたよ。悟くんの分は私のおごり」
「あ、ありがとうございます」
「いいからいいから、早く出発しましょう」
二人を乗せた軽自動車は、山中の旧道をさらに奥へと走らせた。
道路は舗装されており走行しやすいが、徐々に道幅が狭まっていき、場所によっては車がすれ違うのも厳しいほどだ。背の高い木々が生い茂っており、そのせいで道が薄暗く不気味さを増している。
「さっきの店の人、昔、事件があったとか言ってましたね」
「ええ、そうね」
「かおりんさん、知ってました?」
「高度成長期にここでニュータウン計画が進められていた時期にね、『集団失踪事件』があったらしいの」
「それって、タクヤンの動画でも似たようなこと言ってましたね」
「昭和40年代に起きた未解決事件よ。一晩で10人余りの住民が不可解な失踪を遂げたの」
かおりんは淡々とした口調で、話し続けた。
「事件当時も、あまり報道されなかったらしくて、今もネットで探してもほとんど情報がない。私も大学の研究室の資料を探している時にたまたま、この地域の公民館が保存してた当時の新聞記事を読んで知ったの」
「ということは、これから行くのは、本当に事件が起こった曰く付きの村ということですね」
悟は急にお腹が痛くなってきたような気がした。
「事件の全容は、情報が少なすぎて分かっていないの。一説には、宗教組織が絡んでいるとかで報道規制がかかっているとも言われているけど」
「・・・何かやばそうな感じですね」
閉鎖された旧ゴルフ場の錆び付いた大きな案内板が旧道の脇に立っている。
ゴルフ場に至る道路は、チェーンと車止めが設置されており、厳重に立ち入り禁止になっている。
地図上では、旧道はゴルフ場までしか記されていない。
「あれが、古地図に載っていた赤い道よ」
実際には、旧道は途切れておらず、アスファルト舗装はされていないが、さらに山の中を進む細い砂利道が続いている。
二人はその砂利道の前で車を止め、一旦、車を降りた。
目の前は樹々が生い茂っており、虫の鳴き声がうるさいくらいに響き渡っている。
かおりんは、その道の先をじっと眺めたまま立ち止まっている。
「悟くん、どうする?引き返すなら、今のうちだけど」
「せっかくここまで来たことだし、もう少し行ける所まで行ってみたいと思いますが、かおりんさんは、僕らのコミュニティのリーダーですし、全てお任せします!」
少しの間、沈黙の時間が流れる。
「・・・実はね、3年前、タクヤンにこの村の探索をお願いしたのは、私なの」




