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機甲兵団と真紅の歯車 78・混沌デート回 、その2

 なんやかんやと始まってしまった男三人とのデート。

 来る前は嫌な気持ちが大きかったのだが、案外楽しんでる自分がいたりして俺は困惑してる。


 やってる事は基本食べ歩きなんだが、ギンが上手いこと気を使ってくれるお陰でいい気分でパクついていられるのである。

 俺が興味を持った物には直ぐに気づいてくれるし、食べたい量とかも何故か分かってくれてて程よく注文してくれたりするし、何より奢りと言うのが良い。


 あれ、女の子って楽しい?


 アイスを舐めながらそんな事を考えているとギンが二枚のチケットを見せてきた。


「ユーキ嬢、君さえ良ければ舞台を見てみないか?」

「舞台~?」


 映画いったり演劇を見に行ったりするのはデートの定番だけど、俺自身あんまり興味は湧かないんだよなぁ。


「今回はビヨンド歌劇団で一番人気の演目『拳聖』を公演するようなのだ。これは動きが多くて難しい話でもないから、初心者でも楽しめる演目なんだよ。どうだろうか、物は試しに。」


 物は試しにか━━うむむ。

 それにこう言う機会がないと演劇なんて見る気にはならないし、折角タダで見れるチャンスでもあるし・・・。


「行ってみるか。」

「そうか、それは良かった。では早速い━━━━」


「あ、待ってギンさん。」


 突然の静止の声にギンが止まる。

 止めたのはキーラだ。


「四人で回る事が条件として決まってたよね?なに、いきなり二人きりになろうとしてるの?」


 そんな取り決めがあったのか。

 なんだってそんな事を・・・このアイス旨味だな。何これ、至宝かな?国有財産かな?


 アイスをペロッてる間も二人のお話し合いは続く。

 あーでもないこーでもないとやり取りを行う二人を横目に、アイスも食べ終えた俺はロワと揚げ饅頭的な物を分け合って食べ始めた。油が悪いのか凄く胃がもたれる。不味くはないけど。


「ロワ、おかわりいる?」

「・・・はぁ、まったく。寄越すが良い。」


 ロワは俺の手元から食べ掛けの饅頭をとると、文句も言わずに一口で食べてくれた。俺はその男気あふれる姿に、お風呂以来初めて感謝した━━━が、もしやと思って一つ尋ねる事にした。


「もう一個食べる?」

「いらぬ。我の舌はそこまで馬鹿ではないわ。」


 気に入った訳ではないようだ。

 良かった。自称王様が、こんなのが好みだったらちょっとアレかなと思ってたからな。肝心な時に役立たなくて、舌がド庶民とか笑えないわ。


「王よ、心の中で罵倒しているであろう。」

「ううん、ぜぇんぜぇん。」

「下手な嘘をつくでないわ。」


 おう、簡単に嘘がばれるとは。

 伊達に王様を名乗ってる訳じゃないのな。


 それより、この余った揚げ饅頭どうしようか。

 試しに買っただけだから量はないけど・・・まぁ、いいや。なるようになるだろ。うん。


「ユーキ。」


 揚げ饅頭とにらめっこしてたらキーラに声を掛けられた。

 揚げ饅頭が欲しのかと思って差し出したら「それはいらない」と断られた。一つくらい貰ってくれても良かろう物を・・・。


 気を取り直して「どうした?」と聞くと、チケット二枚が目の前に突きつけられた。


「ユーキが誰と一緒に入るか決めてくれないかと思って。」


 ほほぅ。


「俺が好きに決めて良いのか?」

「え、うん、まぁ。」


 俺はキーラを見つめる。

 キーラは俺の視線に目を泳がせてオロオロし始めた。

 ふむ、やはりな。


 放って置けば俺とギンが入ったであろう事から、これまで黙っていたキーラが態々声を上げたのは、この演劇に興味があるからに相違ないだろう。そんな見てみたいなら素直に言ったら良いのに。この照れ屋めが。


 こいつとは色々あったけど、こいつの事が嫌いな訳ではない。

 最近になって色々と思う事があって、それはまぁギクシャクはしたけど・・・・こいつにはあの集落の皆の分もやりたい事を見つけて楽しく生きて欲しいと思ってる。

 これがその助けになるか分からないけど、ようやくこいつが真っ直ぐ俺を見てきたんだから俺もちゃんと答えてやろうと思う。


「ギンと━━━」

「ふっ。」


 ギンのどや顔が見えた。

 ふむ。やっぱり、こいつもか。


「━━━キーラの二人で楽しく見てこいよ!」


 俺は行きたい二人に花を持たせてやる事にした。

 立てた親指がキラリと光ったような気がする。


「えっ━━━!?」


 驚愕を顔に浮かべるキーラ。どや顔のまま固まるギン。

 そして俺の隣から「試すような真似をするからだ、アホ共が」と呟きが聞こえてくる。


 試すというロワの言葉は謎だが、まぁ気にする事も無いだろうと二人に手を振った。


「俺とロワは外で待ってるからさ、楽しんでこいよ。」

「だそうだ。暇潰しに魔術の手習いでもしてやろうか?」

「おぉー。」


「「待ったぁぁぁ!!!」」


 ロワが魔導書を出した所で二人から待ったが掛かった。


「ユーキ嬢!それは幾らなんでもあんまりではないか!?私に興味がないのは分かるが━━━━うぐっ!自分で言ってて辛いものがあるな。いやっ、挫けるな俺っ!・・・兎に角、キーラ少年と見ても意味がないのだ!!」

「そ、そうだよユーキ!これはそういうのじゃないんだって!!何が悲しくて権力とかお金とかしか良いところがない、こんなヘタレな人と見ないといけないの!」

「キーラ少年!?君は私をそんな目で見てたのか!?」

「見てたよ!!毎回毎回、高い物買ってきて餌付けみたいな事してさ、話す内容も自慢話みたいな事ばかり!もしかしてあれで口説いてたの?正直センスを疑うね!!て言うか、今やっと分かった!オレがモヤモヤすんのは、ユーキの相手があんたみたいな奴になりそうだからだ!絶対そうだ!!見守らせろよ馬鹿野郎!!」


 何故か口喧嘩し始めた二人。

 取り合えず別に演劇がみたい訳じゃないのは分かった。

 となると券が勿体ないな。


「━━んじゃ、ロワ見に行くか?」

「む、別に構わんぞ。」


「「行かせるかぁぁぁ!!!」」


 やっぱり行きたいんじゃないか。

 何なんだよ、もう。

 俺はどっちでも良いって言ってるのにさ。


「じゃ二人で行ってこいよ・・・。」

「「そういう事じゃない!!」」


 二人が大声を出すから周囲の視線が痛い事になってきた。

 元より注目を浴びてるのは分かってたけど、これは辛い。

 こういう時ゲロ子がいれば上手い事やってくれるんだろうけど、ゲロ子は絶賛追いかけっこ中で不在。ガイゼルに追い掛けられてる奴が助けには来る事はないだろう。


 どうしたものか。


「なぁ、ロワ。」

「我に振るな。あの吐瀉物女のような真似は出来ぬぞ。」

「吐瀉物女って、お前酷い奴だな。」

「名付けた王が━━━婚約者殿が言うのか。」


 まぁ、確かに俺が名付けたけど。


「でも、俺には愛があるから。」

「無いと思うぞ。」


 それよりどうするか。

 どうにか出来ないかとアイディアを求めて辺りを見渡す。

 すると丁度良い人物を見つけた。


「おーい!」


 声をあげて手を振ればその人物が手を振り返しながら此方に来てくれる。やってきたのは僕らのヒーロー、カザジャ族出稼ぎ男衆の一人ケモナーのゾド君だ。

 ゾド君は俺に向かって一度敬礼すると顔を緩めた。


「英雄様━━━━いえ、同志ユーキ様!ご無沙汰しております!不肖ゾド、今日も己の心に正直に精一杯生きております!」

「うむ、同志ゾド君!元気そうで何よりだ!聞いたぞ、モフモフしているか?」

「モフモフしているであります!!」

「そうか、良かった!」

「はい!」


 このゾド君、まだまだ街の新参者であるにも関わらず既に彼女がいる。彼が愛して病まない獣人の女の子だ。この間キノ伝から聞いた話だと可愛げのある犬系獣人らしい。

 良かったなゾド君。あんなに愛してたもんなぁ、獣耳を。


「それでだ、実は同志ゾド君にちょっと頼みがある。聞いてくれるか?」

「はいっ!同志の頼みであれば何なりと!!」

「あれを何とかしてくれ。」


 そう指を差したのはいがみ合う男二人。

 いつの間に悪化したのか、ただならぬ妖気が溢れてる。

 今にも何が始まりそうな程だ。


 そんな剣呑な雰囲気にゾド君は冷や汗を流した。


「ど、同志の頼みは、出来れば受けたいのですが・・・。」

「ですが・・・?」

「漸く心より望んでいた獣耳の彼女も出来、今、おれは、順風満帆の時を過ごしております。━━━ので。」

「ので・・・?」

「嫌です!!」


 逃げようとするゾド君の肩を掴む。

 絶望を浮かべるゾド君へ笑顔と共に「健闘を祈る」と一声かけて、彼を無造作に二人の間へと投げ込んだ。


 悲鳴、衝突音、怒声。


 俺は騒ぎが起きたそこから目を逸らし、近くにあった木箱に腰掛けた。片手にジュース、もう片手にスティック揚げ芋を持って。


「ロワ、魔術おせーて。」

「時々我は、王が恐ろしく見える。」


 そんな事をぼやきながらロワは魔導書を取りだし魔術について講義を始めた。














 それから少ししてロワの講座で俺が魔術を学ぶ事を放棄した頃、オレとロワの前で可笑しなポーズをとる二人の姿があった。

 さっきボロボロになって帰っていったゾド君によれば、四精拳で決着をつけるのだという。


 四精拳それは四種の指の出し方で勝敗を決める遊戯で、ジンクムに産まれた者であれば誰もが知っている子供遊びであり、物事を円滑に決める便利ツールの一つである。

 ようはジンクム流ジャンケンである。


 四種の構えはそれぞれ四大精霊を模しており勝敗もその相性によって決まっている。

 全部の指を間隔を開けて伸ばし炎を模した火の構え、全ての指を握り込み岩を模した土の構え、親指と人差し指を繋ぎ滴を模した水の構え、指と指をくっ付け合い手刀のようにし吹きぶさむ突風の鋭さを模した風の構え。

 火は風に強く、風は土に強く、土は水に強く、水は火に強い。そして勝敗がつかない構え同士がぶつかった時は仕切り直しとなる。


 それが四精拳の全てだ━━━とは言えない。


 リビューネに教わった事のある俺は知っているが、このジンクム流のジャンケン、もう一つ特徴的な所がある。

 それは勝敗に一切関係ない、手を出す前の姿だ。


「「・・・・・・・。」」


 俺とロワは二人の姿をまじまじと見た。


 キーラは腕を交差させた上で掌同士を合わせ、地面につく位下に伸ばすポーズを取っている。

 対するギンは天に伸ばした右腕に左手を絡め大きく仰け反ったポーズを取っている。


 色々諸説あるみたいだが、その昔ジンクムの英雄が戦勝を祈って精霊に祈りを捧げているポーズを見た者が、四精拳の時に真似したのが始まりなのだとか。

 それ以来、皆が皆それを真似して好き勝手にポーズを取るようになり、幾つかの格好いいポーズが流派になったり、その当時の家長が決めたポーズを受け継ぐようになったり、なんかそんな感じになったらしい。


 因みに、ゲヒルト家にも伝統ある四精拳のポーズがあるらしい。リビューネはまだ幼い事を理由に伝授されていない為、そのポーズの全容は謎だが興味もないので別に良いと思った。

 ついでに、リビューネの編み出したポーズは可愛かった。


「行くぞ、キーラ少年。我が一族が連綿と受け継いできた覇王の構え。それより産まれる王の絶対的な力をその身に刻みつけてやろう。私の力の一端に目にする事を光栄に思いながら、そして挑んできた事を何処までも後悔するが良い!!」

「ギンさんこそ、村の四精拳王に授けられた地龍の構えより導き出される、大いなる大地の力受けて見ろ!!」


 火花散る二人をジュース片手に見ていると、ロワがぼそりと呟いた。


「我は何を見させられているのだ。」


 俺は二人の姿を見て、よく考えて見た。

 そして一つの結論に至る。


「男と男の、熱い戦い。」

「いや、馬鹿と馬鹿のとるに足らぬ下らぬ小競り合いであろう。」


 こ、こらっ!馬鹿とか言うな!!

 伝統とか、歴史とか、なんかそんな、大切な何かが懸かってるんだよ━━━━━━多分。


「行くぞぉぉぉ!!」

「うぉぉぉぉ!!」


 二人の拳が振り上げられた。


「「精霊様がっ━━━」」


 振り上げられた拳が落ちる。


 それぞれの思い乗せて。


「「━━━━導いたっ!!」」










 ◇━◇








 ドーム状に広がった空間の中で重厚な音が重なりあう。

 初めて聞くような楽器達が奏でるそれは経験の少ないオレでは表現のしようもないほど凄くて、まるでお伽話の世界に入ってしまったかのような気持ちにさせられた。


「━━━━ぐぅ。」


 そんな中、オレの隣から寝こけた人間が出すような間抜けな声が聞こえてきた。見なくても分かるが視線をそちらに移す。

 そこにはお菓子籠を抱えたまま涎を垂らし気持ち良さそうに眠るユーキの姿があった。


「おおぉ、なんと言うことか!これが精霊のお導きだと言うのか!なんと残酷な運命なのか!我が愛娘ルーシェ━━━━━」


 舞台は佳境を迎えていて、男優の男がここ一番の熱演を見せる。

 きっともうすぐ主人公の男が大見得を切りながら現れるのだろう。時間を考えればヒロインを敵から取り返すのはもうすぐな筈だ。


 オレは舞台からユーキに視線を移し、今にも落ちそうなお菓子の籠を取っておいた。ついでに涎も拭いて置こうかと思ったけど、起こしてしまうかも知れないと思い止めておく。

 舞台が始まる前、「演劇とか初めて見るけど、こう言うのには詳しいから煩いぞ、俺は。厳しい目で見ちゃうぞ、俺は」と豪語していたと言うのに、中盤に差し掛かる頃にはすっかりこの状態だ。演劇の感想がどうなるのか今から楽しみだ。


 ユーキの幸せそうに眠る姿を眺めながら、今更ながらオレは何をしているんだろうと思った。


 話たいとは思っていた。

 あの日の事とか、これからの事とか。

 沢山話たい事があったから。


 でもそれは、こんな時じゃなくても良かった筈だ。

 ギンさんの邪魔をしてまで、こんな場所でするべき事じゃなかった。後で時間を作って貰えば良いだけだった。


 それなのに、オレは今ここにいる。

 あんなに剥きになって四精拳で戦ってまで。

 態々隣にいる資格を手にいれた。


「似てるな、やっぱり。」


 ユーキの寝顔はオレのよく知る彼女とそっくりだった。

 ふとした時に見る、警戒心の欠片もない無邪気な彼女の寝顔が、オレは好きだった。オレの側で、あんな顔をして貰いたかった。痛みに苦しんだり、何かに辛そうにしてる顔じゃなくて、ただ幸せそうに笑っていて欲しかった。


 そっとユーキの前髪払う。

 前髪払ったそこにある顔はやっぱり彼女に似ていて、オレは思わずその名前を呼びそうになった。けれど口にはしなかった。ユーキがクロエじゃない事は、何となく分かっていたから。


 どうしたいのだろう。

 オレはオレが分からない。


 クロエでないならユーキが誰と付き合おうと関係ない筈だ。最初は同一人物で何か事情があってそうしてるのかもと思ったけど、それにしてはユーキはクロエには無いものを持ちすぎていた。勘違いなのはもう気づいてる。例えどれだけ似てたとしてもユーキはクロエとは別人で、オレとユーキは助けられた人と助けた人の関係でしかない。そんなオレが何を言えるのだろう。


 ユーキがクロエだったら、掛ける言葉が沢山あったと思う。

 嫉妬してギンさんを扱き下ろすような事を言っただろうし、少しでも自分を良く見せたくて自慢だってしたかも知れない。きっと今のギンさんとそう変わらない事をしてたんだと思う。


 だって、好きだから。

 自分だけを見て欲しかったから。


「オレは・・・。」


 ユーキにどうして貰いたいのだろう。

 あの時みたいに手を伸ばして欲しいのだろうか。


 それとも━━━━。


 ジャーン、とシンバルの打ち合う音が響いた。

 舞台を見れば主人公の登場シーンだった。

 大見得を切りながら現れたその姿は、絵物語の主人公そのもので男のオレから見ても格好良く見えた。


 けれどユーキは相変わらずで、身動ぎしたものの体勢を変えて再び寝息を立て始めている。


 カタ、と足元に何か落ちた。

 見ればユーキのポシェットが床に落ちている。


 そう言えば膝の上に置いてあったな、と思い出しながらオレはそれを手に取った。


「━━━あ、これ。」


 ポシェットの隙間から覗いたソレに目がいった。

 他人の持ち物を漁るなんて良くない事は分かってはいたけど、それでも気になってオレはゆっくりとポシェットを開いた。

 そして女の子らしい持ち物の中に、見覚えのある物を見つけた。


 息が止まりそうになった。

 だってそれは、彼女の物だったから。


「クロエ。」


 見間違える訳がなかった。


 カバーについた傷も。

 大きさの違う紙の束も。

 紙を止める為の赤いヒモも。


 その一つ一つに、沢山の思い入れがあるのだ。


 どうして、そう思いながらオレは赤いヒモを解いてカバーを開いた。そこに書かれている文字は、見慣れた彼女の物だった。弱々しくて頼りなくて、でも優しくて綺麗な彼女の文字だった。

 あの日からずっと会いたかった、彼女の。


 演劇場は暗く文字は読みにくい。

 けれどオレには、僅かな明かりに照らされるその文字がくっきり見えた。


 他愛のない日々を彼女らしい文字で描かれている。

 その日、その日。同じような事の繰り返しなのに、彼女の文字はいつも楽しそうで、幸せそうで━━━━━。


「━━━━━ぇ。」


 涙が溢れてきた。


 クライマックスを迎えた演劇場は熱を帯びた感嘆の声や拍手に満ちているのに、オレの頬から流れるそれは重たくて暗くて寒い涙だった。


 誰もいなくなってしまったと思っていた。何も無くなってしまったと思っていた。

 両親も、妹も、友達も、誰もかも。思い出の場所も、家も、見慣れた風景を全部。

 実際にそれは事実で、本当の事で、夢とか幻とか、そういう物じゃなくて、全部全部が真実で。


 それはオレの足を止めてしまう程悲しい事で、辛い事で、耐え難い事だった。


 でもだから、立ち上がれた。

 何もなくなってしまったから、諦められたんだ。

 そう、あの日姿を消した彼女以外を━━━。


「クロエ、クロエ、クロエぇ━━━━」


 どうしようもなく溢れてきた。


 叶わないと思ってた、願いが。


 彼女の声が聞きたい。

 彼女の手に触れたい。

 彼女の笑顔が見たい。


 ただ一人死体もなく、害された痕跡もない彼女。

 もしかしたら生きているかも知れない思っていた、思わせてくれた彼女。

 オレの知らない何処かで今も笑ってくれてるんじゃないかと、信じていた彼女。


 それが都合の良い話である事は知ってる。

 理屈で考えれば考える程、それはあり得ない。

 あるわけがない。


 でも、それでも、信じたかった。


 だって、オレが生きようと思えたの、彼女が生きているかも知れないって思ったから。いつか会えた彼女に、立派になった姿を見せたかったから。


「━━━にゃ、ん?きーらぁ?」


 不意に間延びした呑気な声が掛かった。

 きっと周りの音でユーキが起きたのだろう。

 オレはクロエの手帳をポケットに突っ込み、涙を袖で拭いてからユーキへと顔を向けた。


 寝惚け眼のユーキは辺りの様子を伺いながら大きな欠伸をかく。

 そして舞台上で役者一同が手を振っている姿を見て、頭を掻きながらこちらを見て言った。


「・・・・・・もしかして、終わった?」


 オレは頷き肯定を示す。

 声を出そうとしたけど、涙声になってる気がして止めておいた。


「そっか。・・・・・・面白い話だった?」


 終盤以外はまともに見てたから感想は言える。

 でも、今は声を出せないのでどうしようかと悩んだ。

 すると、オレの目を凝視したユーキが意地の悪そうな顔をした。


「ふふん?キーラはまだまだお子ちゃまだな。演劇で泣いちゃうなんてさ。」


 明後日の方向に勘違いしたユーキに少し驚いたけど、都合は悪くない為否定はしないでおく。

 どうせならと上手い具合に勘違いしたユーキに、オレは声の震えるを気にしないで返した。


「━━━こう言うのは、初めてだったからさ。」

「おおぅ、まだ声が震えるぞ。━━━そんなに良かったのか?」


 首を傾げるユーキにオレは頷いた。


「うん。とても。」

「そっかぁ・・・ちゃんと見れば良かったか。くぅ。」


 悔しがるユーキを眺めながら、オレはポケットの中の手帳を指でなぞった。


 ユーキは何か知っている。

 これは勘でしかないけれど、確信に近い何かを持ってそう思った。


 それはあの日消えたクロエの事だけじゃない。

 クロエの抱えていた痛みや突然村に現れたその理由も全部。


 それを語らなかったのはそれなりの理由があるとは思う。

 ユーキ自身の問題か、それともオレには語れない何か。

 きっと読まない方が良いのだと思う。




 でも、それでも━━━。




 部屋に明かりが灯り、薄暗がりだった客席がはっきりと目に映るようになった。観客が立ち去る中、ユーキもそれに伴って歩き出す。

 オレはポケットに沈めたそれをそのままに、ユーキに続いた。


 それを返す事は出来そうになかった。

 どうしても知りたかったから。

 オレの知らない、彼女達を。

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