機甲兵団と真紅の歯車 57・それは流れる川のように
「ふぁー、凄いなーこれは!」
一面に広がるキラキラと光を反射する大河と澄んだ青空、そして視界の端に見える風に揺れる草原の緑達。
普段よりずっと高い位置から見えるその風景に、俺は年甲斐もなく歓喜の声をあげてしまう。
そんな俺の姿にゲロ子は何か言いたげだ。
「・・・なんだよ?」
「いや、普段よっぽど凄い景色を見ているであろうユーキ様が、この程度の景色で歓声をあげるのは違和感が凄いです。無理してません?」
「お前・・・俺をなんだと思ってんだよ。こう言うのはな、風情というか雰囲気とかそう言うのもが大事なんだよ。分かるか?この、旅してるなぁ的な、このチマチマした移動が良いんだよ。分からないかなぁ。」
俺は目の前に広がる大運河を両手を広げてアピールする。
「ほらぁ!なんか、こう、凄いなぁーって感じするだろ!」
「ぶっちゃけ、あたしこの運河を通ってきたので、何も感じないんですけど・・・。」
「あ、そう言えばそうだったな。」
そう言えば、こいつはそうだったな。完全な敵だった。
━━━━あー、そんな事を思い出したらアルシェにこいつの事ちゃんと教えて無かったかも。
「お前の事、後でアルシェに貸さなきゃだな。」
「え?物ですか?あたしは物なんですか?てか、絶対止めて下さいよ、あの貴族女にあたしの身柄預けるの。死ぬよりも酷い目に合いそうなんで。」
ごちゃごちゃと文句をぶう垂れるゲロ子を放って、俺は改めて船の甲板を見渡す。甲板には他の常客の姿もチラホラあり、カップルとかがはじっこでいちゃついてたりする。目の毒である。死ねば良いのに。
「━━━━それにしてもあれだな。船ってどんなボロ船かと思ってたけど、立派なのがあるのな。」
正直、渡し船的なのを考えてたよ。頑張って渓流下りの細長い船かなぁと。
「どんなの想像してたんですか・・・。でもまぁ、これも普通じゃありませんからねぇ。」
「そうなのか?」
「そりゃ、これだけ立派なのは他の所には無いですよ。アレッサの交易船だからこそですよ。これは。」
「へぇ。」
アレッサが金銭的に富んでいるのは聞いていたけど、もしかしたら想像よりも凄い所なのかも知れないな。
「そういや、今更だけどさ、お前らってそのアレッサが管理してる所を通って来たって事なんだよな?」
「そうですね、アレッサの水門を潜ってきました。通行料、結構いい値段しましたよぉ。」
「通行料とかあるのか・・・。」
ゲロ子の言うことが本当なら、アレッサはゲロ子達の巨大蝸牛を見ていた事になる。巨大な置物には見えない、少なくない武装を施したあれを。
中立国だと聞いていたけど、争いの種になるかも知れない物を平気で通す連中は、果たしてどれだけ信用出来るのか?
「無事に終われば良いけどな。」
◇━◇
馬車の旅が始まって半日程、俺達を乗せた馬車は最初の目的地であるルーゼンへと辿り着いた。ルーゼンは中々に賑やかな町で人がごった返していた。港町のように船を受け入れる桟橋もあり、沢山の船も並んでいたりした。
船はどれも帆が無く、代わりに外輪がつけられた造りになっており、魔力を原動力に動かす物なんだとか。
のんびり町を観光する時間もなく、俺達を乗せた馬車はほぼ素通りで町を進み、一隻の船の前までやってきた。
船の大きさは推定70~80メートルくらいで、両脇に備え付けられた外輪が特徴的な大型の客船であった。
乗務員に案内され船に乗り込むと、どうしてドレスを着させられたのか理解した。
船内は金持ちそうな連中だらけだったのだ。
確かにこの場では、俺の容姿であのお気にの服は目立つ。しかも悪目立ちする方でだ。下手に権力をもったアホ連中に、余計なちょっかいを掛けられる可能性が高かっただろう。
でもドレスを着ておけば取り合えず貴族令嬢に見えるから、外見だけで迂闊に近づいてくる者も少ない。冷酷微笑アルシェが近くにいれば尚の事だろう。
猫被りしてない死んだ魚の目状態のゲロ子も、良い感じに連中を抑止してくれるし。
そうして乗り込む事になった船だが、予想以上に立派だった。
用意された部屋にはどういう仕組みになっているかさっぱり分からないが、温風と冷風が出せるライオン風の像が設置されていたり、レバーを引くと冷たい飲み物が出せるジュースサーバー(水か果実水の二種類のみ)が付いていたり、魔力を込めると天井に星を映し出すプラネタリウム的な奴があったりと、無駄に豪華だった。あっ、天蓋つきのベッドは無かったよ。凄くフカフカしたベッドではあったけど。
勿論これらは、アルシェ達が国の代表者として面子を保つ為に、一等客室をとったからこその豪華さだったりする訳なのだが。
まぁ、何がともあれ今夜はプラネタリウムして寝ようと思う。
因みにアルシェ達なのだが、船に入ってから会合に向けて色々と本当に忙しらしく俺に構ってる時間は欠片も無いとの事で放置された。最終打ち合わせだけ呼ぶらしい。
・・・で、いつなん、最終打ち合わせ。予定時刻も聞いてないんだけど。やるんだよね?俺を混ぜてやってくれるんだよね?アルシェ?ねぇ、目を見て言ってよ、アルシェ。
結局放置された俺はやることもなく部屋に缶詰かなぁと嘆いていたのだが、何故かゲロ子をお供につけるならある程度自由にしてていとのお許しを得たので、暇をまぎらわす為に船内をぶらつく事にした。ゲロ子と一緒なら、という所に些か不満を感じないでもないが、まぁ良かろうと思う。暇だからね。
そんな訳で甲板より下二階、甲板より上の三階立ての全五階の内、自分達の部屋のある一等客室が並ぶ三階と船底にある貨物倉庫を除き、他は勝手に出歩いて見回っても平気らしいので遠慮なく練り歩く。
二階は二等客室で特に入れる所も無かったのでさらっと見て終わりにした。船員さんがおふぃすらぶに勤しんでる姿を見た位で、特に面白くもなかった。気づかれて中断されなければ、結構良いところまで見れただけに惜しい。
一階はロビーと大きめな食堂とステージがあった。夜はステージの催し物を見ながら食事が出来るらしい。何をやるんだろうか、マジックショーでもやるんだろうか?
場所は甲板下に移り地下一階、少しじめっとしたそこは娯楽施設となっていた。娯楽と言ってもそんな大層な物もなく、ソファーが並べられているだけ。頼めばお酒も飲めるらしいが、俺くらいの年の子供には出してくれないとの事。飲酒に関して、この世界はアバウト過ぎるぜ。
そんなこんなで地下二階三等客室。階段を降りて直ぐ、廊下の汚さを確認して帰ってきたので中身は分からないまま終わった。一言で言えば、すげぇきちゃなかった。
そんなこんなで、一泊二日の優雅な船旅をそれなりに満喫していたのが、その平和な時はなんの前触れもなく突然終わりを迎えた。
一通り船内を練り歩いた後。
ゲロ子と甲板を満喫してから部屋に戻る途中、ロビーにある内階段まできた俺はその元凶を目にする事になった。いや、正確には耳にしたと言うべきか。
「おーお、おぅ、おーおおぅー!」
奇声が聞こえた。
聞き覚えがあること自体が不愉快な、男の耳障りな奇声が。
見たくは無かったが一応確認の為にそっと視線を奇声の発生源に移すと、そこにはやはりギター的な何かを掻き鳴らす馬鹿の姿があった。
「止めろ音痴!!てめぇっ、何が東方一の吟遊詩人だ!!」
「もう歌じゃねぇよ!騒音以外の何物でもねぇじゃねぇか!」
「また下手に竜弦が弾ける所が腹立つわ!!」
声を荒らげて馬鹿を押さえようとしているのは恐らく楽団員の人達。先程練り歩いてた時に、それなりに有名な楽団員が船の雰囲気を盛り上げる為に定期的に音楽を流す話を聞いていたから間違いはないだろう。
馬鹿は回りの楽団員に取り押さえられながらも、力業でそれを振り切りギターを鳴らし大声をあげて歌う。
「しゃぁぉぉぉおおおおおあ!!」
いや、叫んでるだけだ!
どんな歌なんだよ、原曲が見えてこねぇよ!あそこであんな必殺技を出すみたいな声を要求する歌があるのか!?おい!あれ?俺が間違ってるか!?俺が間違ってるのか!!
「なんですかねぇ、あれ。あの男は何が悲しくって、泣きわめいてんですね?」
そう呟いたゲロ子に、俺は自分の感覚が間違っていないことを確信し、思わず声をあげた。
「━━だよなぁ!あれは歌じゃないよな!」
「え?は、はぁ。━━━え?歌ってんですか?あれで?」
「あれは、ただの、大声だ!うん!」
自分なりに納得した俺は頷く。自らに言い聞かせるように。
そんな俺を見て何を思ったのか、ゲロ子が怪訝そうな顔で尋ねてきた。
「・・・・まさか、あれと、お知り合いなんですか?」
その顔には侮蔑や嫌悪などといった負の感情が織り混ぜられていた。まるでゴミ虫を見るかの如くである。
「んなっ、な訳ないだろ!なんだ、その目は!止めろよな、そう言う冗談は!」
「それなら良いんですけど・・・。なんて言うんですかねぇ、あの男とユーキ様って、似た者同士的な雰囲気があると言うか、見てると既視感を感じると言うか・・・なんか近い気がするんですけども。」
「一緒にするなぁ!俺はあんなに非常識ではない!!」
くわっとゲロ子を見返してやるが、ゲロ子ほ半目で「何言ってんだこの人」的な雰囲気を醸し出してきた。まるで俺が非常識の塊みたいな扱い。俺は憤慨である。━━━解せぬ!
「ん??おっ、およよよよ!美人少女!奇遇だねぇ!何々観光?!」
ゲロ子とわちゃわちゃしていると、馬鹿の声が掛けられてきた。
ゲロ子の白い目が突き刺さる。後、周りの人達の白い目も突き刺さる。ついでに楽団員達の救いを求める眼差しまで突き刺さる。
「・・・・・。」
突き刺さる視線に俺が出来る事はただ一つ。
さっと馬鹿に背を向け━━━ユーキは逃げ出した。
━━━がしかし、楽団員に回り込まれてしまった。oh。
「お嬢様のお連れ様ですかな?」
「ヂガウヨ。━━━あたち、しやないもん。」
「なんで片言なのですか?あと可愛くいっても誤魔化されませんよ。」
楽団員Aは俺の手をそっと取ると、真剣な眼差しで告げてきた。
「どういったお知り合いか存じ上げておりませんが、どうやら何かしら縁があるご様子。そんなお貴族様にお願いです。どうか、どうか、あの馬・・・お連れ様を引き取って下さい。次の港に着くまで、あの馬鹿・・・お連れ様に歌われお客様の気分を害い続ければ、私たち楽団全員が首をはねられかねませんのです。」
騒音だけで首を、まじか。
でも、この人達はそれを売りにしてる訳だから、あり得なくもないのかも。剣の使えない剣士も、魔術が使えない魔術士も、服を結えない針子も、使い道なんてないだろうしな。
でも、首チョンパはやり過ぎだぜぇ。
そんな事を考えてる俺を余所に、楽団員さんの切実な願いは続く。
「今度、故郷に残した妻が、子供を産むんです。お仕事が必要なんです、お金が必要なんです。子供の顔を拝む前に、死にたくないんです。どうか、あの馬鹿を引き取って下さいお願いします!!」
楽団員さんは掴んでいた俺の手を放し、土下座を敢行してきた。
もう必死である。衆人環視の中もお構い無しである。
周りからもヒソヒソと話し声が援護を掛けてくる。「可哀想に」だとか「義理はないのか」とか、「ユーキ様の鬼畜」だとか聞こえてくる。
・・・ゲロ子、お前は後でデコをピンるからな。覚悟しとけ。
結局雰囲気に追い込まれた俺が選べる答えなど決まっているような物で、最後には責任を持って馬鹿を預かる事を確約されてしまった。
テロ、テロロン。
ユーキの仲間に、馬鹿が加わった。
なんつってな・・・・・くそぅ。
ゲロ子と馬鹿を引き連れて自室に戻ると、早速馬鹿が馬鹿をしようとしたのでボディブローを一発打ち込み黙らせる。
避けようと小癪に動いたので、ブラストで速度をあげた分かってても避けらない系の奴を打ち込んでやった。
のたうち回る姿に一部の感傷も抱かない。純度百パーセントのざまぁである。
「う、腕をっ・・・・あげた、ねっ、美人少女。良い拳だ。」
「そりゃどうも。ずっとそこで這いつくばってろハゲ。」
「は、ハゲては、まだ無いんだけど・・・。」
「えるせぇ、ハゲろ。ハゲろ馬鹿。」
ムカついたのでハゲるように呪いを込めて頭をぺしっておく。
今日ほど呪術を学んでなかった事を、後悔した時はない。
まぁ、機会も無かったんだけども。
「そんな事より、なんでお前がここにいるんだよ。客船を兼ねてるっても元々交易船だから、身分が可笑しい奴は乗れないって聞いてるぞ?」
今乗ってる船は人も運んでいるが荷物を運ぶのが主な役割の船だ。客を運ぶのはあくまでついなのだ。
商魂逞しい船のオーナーが荷物を運ぶにしてもスペースが余りまくっている事を嘆き悲しみ、ついでに儲けようと考えて今の客船を兼ねたスタイルを編み出したらしい。
とは言え、河を下っていくとそのまま都市国内へと入る事になるので、かなり厳重に乗せるお客さんは選ばなくてはならず、客を厳選する経費も掛かってしまい儲けは辛うじて赤字が出ない程度なのだとか。
そんな船に、こいつみたいな奇人変人の馬鹿が乗っているのは不自然極まりない。間違いなく審査の時点で乗船拒否されて然るべき危ない奴なのだから。
そんな俺の当然の疑問に、馬鹿は呆気らかんと答えた。
「いやぁ、僕こう見えて良いとこの坊ちゃんでね、この商船のオーナーと僕の親父は古くからの知り合いだったりするんだよ。まぁ、コネだよねぇ。親の七光りだよねぇ。」
まさかのコネだった。
「もう、死ねば良いのに。」
「おっと、美人少女。辛辣過ぎやしないかい?流石に傷つくよ?」
「血ヘドを吐きながらのたうち回って、死ねば良いのに。」
「あっはは!これはまた随分と嫌われたものだね~。いやぁ、困った困った~。」
俺はゲロ子を見て親指を立てた手で窓の外を差した。
「ゲロ子、これ、魚の餌。OK?」
「はぁ、ユーキ様がやれと言うならしますけど。」
「ちょ、ちょっと待ってくれないか!?え?!本気かい!?」
本気だけども。
ゲロ子に担ぎ上げられた馬鹿は漸く俺の本気に気づき謝罪を口にしてきた。正直無視して河に放り出して良かったのだが、一応金持ちの倅らしい馬鹿をこれ以上無下に扱うのは後が怖かった為、縄でグルグル巻きにしてテラスの所で逆さずりにする刑で手を打つことにした。
「温情なんて欠片も無い、十分な罰だと思うのだけど。ねぇ美人少女。」
なんてほざいていたが知らん。
大人しくしない馬鹿が悪い。
そんな馬鹿を放ってドリンクバーの冷たい水をチビチビ飲みながら、馬鹿の持っていた竜弦とか言う楽器をいい加減に鳴らして遊んでいると、窓の外を眺めていたゲロ子が「あっ」と声をあげた。
「どうした、ゲロ子?落ちた?馬鹿が餌になった?」
「なってないよ」と馬鹿の声が聞こえてきた気がするが、きっと気のせいだと思う。あいつは落ちて餌になったんだ、悲しい。
空耳を無視してゲロ子を見つめていると、少しだけ顔をしかめたゲロ子がこちらを向いた。
「え?いやまぁ、大した事では無いんですけど、ユーキ様が好きそうなの見掛けましたよ。」
「俺が好きそうなの奴?」
気になってゲロ子の指差す方向を見てみると、空一面に大きな影が浮かんでいた。よくよく目を凝らして見れば、それは夥しい程の鳥の群である事が分かった。
「おお!なんかすげぇ!渡り鳥的な?」
テレビなんかで見た一斉に飛び立つ鳥達の姿に、その光景はだぶる。
しかし、ゲロ子は俺の言葉に顔をしかめたままだった。
「ん?どした?」
「あーー、いえ、なんて言ったら良いのか。あの鳥の種類には見覚えがあるんですけど、あたしが記憶している限り渡り鳥なんかでは無いんですよ。どちらかと言えば、一度定住する場所を決めたらいつまでもいる奴なんです。」
「ん?」
そうは言っても沢山飛んでいる。
俺達と逆の方向に向かっているんだから、迷いもなく真っ直ぐ西にだ。
「間違いじゃないのか?現にめちゃ羽ばたいてるじゃん。」
「そうなんですよねぇ。まぁ、西行けばアスラ沿いにある山脈連の麓に森が犇めいてますし、餌には困らないのは分かるんですけど・・・あれだけ一斉にってのは、少し気になりまして。」
そんな事言われると不安なんだが。
そっとゲロ子から視線を外し、外に影を作る鳥達を見た。
その姿は先程感じていた光を失ってどこか薄暗く見えた。甲板で感じた不安を思い出させるように。
◇━◇
それは遠く、遠く、荒れ果てた東の極地。
その隅にひっそりと佇む、打ち捨てられた亡国の廃城。
名すら忘れられた、ある国の権威の証がそこにあった。
朽ち果てた城下を行くのは、死にきれぬ念を抱えた亡者達だけ。かつてそこにあった筈の活気も繁栄も、欠片さえ見る事は叶わない。
しかし、生者の姿は一つとて無いその場所に、ただ一つ灯火のように輝く命があった。
城という体を辛うじて守る廃城そこに、それはあった。
カシャン、カシャン。
弱々しい蝋燭の灯火に照らされた廊下に金属を打ち合わせる音が鳴る。それは金属の鎧が地面や間接部の鎧とかが打ち合わせる音であり、つまりそれは鎧を纏った者が歩く音であった。
金属を打ち合わせるそれは廊下を進み━━━とある部屋の前で止まった。
止まったそこにはボロボロの鎧を纏った亡者が守るように両脇を固める不釣り合いに真新しい立派な扉がある。
「亡者達よ、取り次げ。」
その言葉に亡者の一人が扉の前で立つそれに背を向け、扉に設置されたドアノッカーを鳴らした。
その音が鳴ってさして時間も掛からず、扉が内側からゆっくりと開かれた。部屋の内に待機していただろう侍女服を纏った亡者は外にいたそれに軽く会釈し、部屋の外にいたそれを中へと誘う。
それが訪れたそこは、他の場所とは比べられない程真新しく絢爛な家具で飾られた部屋だった。一言で言うなら、上流階級の物が住むような、そんな金の掛かった一室である。
その部屋の中で窓から最も近い丸テーブル。
それをを囲む椅子の一つへ腰掛ける、淡い桜に染まった長い髪を持つ女性の姿があった。
「息災か、ハルハ姫。」
掛けられた低い声にハルハと呼ばれた女性は振り向いた。
彼女の黄金の瞳が、蝋燭の光を反射し煌めく。
「変わりはありません。お気遣い痛み入ります、ヴィシャスブェルデス様。」
ヴィシャスブェルデスの姿を確認したハルハは礼儀正しく頭を下げた。
しかし、その姿にヴィシャスブェルデスの骸骨の顔が僅かに曇る。
「よせ。貴女が私を気遣う必要は欠片とて無い。貴女は私の我が儘に付き合わせているに過ぎんのだ。怒り嘆きをぶつけられるならいざ知らず、そのように心を砕く必要は無い。━━━その憂いの代償として求むる物があるのであれば、遠慮なく告げて頂きたい。叶えられる範囲で叶えよう。」
ならば、と、ハルハはそれを口にする。
「━━━では、帰して頂けませんでしょうか。」
「それを、認める訳にはいかぬ。」
駄目元で試しに口にしただけなのであろう、拒絶の言葉に大した反応も見せずハルハは小さく溜息をつく。
「では結構です。他に求める事はありません。」
「そうか。」
ヴィシャスブェルデスは凛と佇むハルハの姿を暫し眺めた後、背を向け廊下への扉に手を掛け━━━━そこで再び口を開いた。
「━━━━仮に私が貴女を解放したとして、貴女はどうする。」
その言葉にどれだけの思いが込められていたのか、ハルハは悲痛なまでに酷く重苦しい物を感じた。それでもそれにはハルハの口を縫い付けるだけの力はなく、覚悟の乗ったハルハの言葉が響く。
「是非もなく。この身を"龍神様"へと捧げます。」
ヴィシャスブェルデスはそっと扉を開き部屋の外へと足を踏み出した。
「貴女達はいつもそう言うのだな。それで救われぬ者もあるというのに。」
「━━━貴女達・・・・ヴィシャスブェルデス様、貴方は私に誰を見ているのですか。」
そう言ってハルハは壁に掛けられた一枚の絵を見た。
そこに描かれた女性は何処となくハルハに似ていたが、髪のクセや瞳の色のなどといった細部の違いからまったくの別人である事が分かる。そもそも、掛けられたその絵は見た目から分かる程に古く、そこに描かれたそれが二十も生きてないハルハである筈もないのだ。
「分かっている。貴女は彼女ではない。」
それから二人の間に続く言葉もなく、扉を閉めたヴィシャスブェルデスはもと来た道を戻っていく。
城門から外に出て愛馬ネーロスパーダのもへとやってきたヴィシャスブェルデスは、その身体を撫でながら暗雲立ち込める北東の空を見た。
「・・・直じきに、奴が現れる。それまでもう少し私に付き合ってくれるか、ネーロスパーダ。」
ぶるる、と返事をする愛馬。
ヴィシャスブェルデスはその様子に頷く。
「済まない。感謝する。」
そう告げたヴィシャスブェルデスは腰に提げた剣を擦った。
そこに誓った己の意思を確認しながら。
「今度こそ、貴様を斬り捨てて見せよう。━━━龍神『フェイロン』」
宙へと舞ったその言葉は、ただの言葉でしかなかった。
けれど、それを他の誰が側で聞いていたのであれば、ただの言葉で終わるものではなかっただろう。
きっと感じる事になるのだろうから。
その言葉に込められた並々ならぬ憤怒を。怨念を。
気すら狂わせる程の、常軌を逸した激情を━━━━。
◇━◇
真紅と漆黒が同じ空を見上げていた頃。
それは確実に迫っていた。
大きな影を大海に落としながら、漂う雲を巻き込みながら。
重くゆっくりと、しかして確実に。
嵐を起こすそれは避けようもない運命となり、大河の如く押し寄せる。
それは世界を揺るがす邂逅であり、一つの分岐点。
一つの答えに辿り着く道程であった。
誰が何を得て、誰が何を失うのか。
はたまた誰もかれもが何もかも失い、虚無だけが残るのか。
その答えを知っている者はまだいない。
それを知るのは、その運命の先にいるであろう、誰かなのだから。




