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機甲兵団と真紅の歯車 53・報告

 エクスマキア皇国。

 そこは大陸の中で最も魔道具技術の発展した北方一の大国、魔導技師の国である。


 時の権力者、皇帝アルブハイム二世の指導の元進められた魔導技師育成推進計画によって、五十余年もの間、大陸で最も魔道具技術が発展し、そして最新の魔道具技術が産まれる場所として栄華の限りを誇ってきたエクスマキア皇国だったが、今日その栄華にも翳りが見えてきていた。


 エクスマキア皇国の帝都スヴァローグは先進的な魔道具によって彩られた賑やかな土地だった。毎日毎日、魔導技巧の歯車の音があちこちから鳴り響き、そこに住まう魔導技師達の魔導技巧についての議論や考察で熱く語り合う声が聞こえ、魔技巧式の大時計塔から荘厳な鐘の音が時を知らせる、そういう賑やかな土地だったのだ。


 魔導技師によって聖地のような土地だったがそこに、嘗ての面影はもうない。

 路地を照らしていた外灯は今やただの置物と化し、人々で溢れ返っていた広場は渇れた噴水が印のように寂しく木枯らしが吹くばかり。観光名所として名高かった魔導技巧式の大時計塔も、その荘厳な金を鳴らさなくなってから久しいが、誰もその事を嘆く事すらしない。いや、嘆く余裕すらないのである。


 エクスマキア皇国は今、死に瀕していたのである。







 帝都の北西に位置するニエーバ城。

 その西塔の一つに、帝都を切なく見つめる少女の姿があった。


 少女の名はイリーナ・ヴァシュ・アルブハイム。

 現皇帝アルブハイム四世と皇后の間に産まれた、王位継承権第一位を持つ第一皇女である。


 イリーナは寂れた街並みを見つめながら、不意に零れそうになる溜息を飲んだ。部屋の中には数人の侍女がいる。イリーナは自らの立場を考え、溜息を零しそうになった自らの愚行を心の中で戒めた。


 迂闊に溜息を溢そうものなら、部屋の侍女達が要らぬ勘繰りを始める可能性がある。今・の・自・分・が街を見下ろしながら吐く溜息の意味を、侍女達が分からない筈もないのだから。


 イリーナは王位継承の候補者でありながら、既に国の中枢の一角を担っている。あまり公になってはいないが、現在進行しているある作戦の総責任者を任されていたりする。

 当然それは侍女達の知るところであるので、イリーナは下手に勘繰られない様その一挙一動へ細心の注意を払う必要があったのである。


 尤も、部屋にいる侍女達の性格や出自、家との関係性、自らに対する忠誠さを鑑みれば、情報が流出するような心配も少ないとは思っていはいたが・・・・・・。



 イリーナが心の中で小さな葛藤を抱いていると、侍女の一人が側にやってきた。何事かと思い視線をやると、軽く会釈してからそっと告げる。


「殿下、団長閣下がお目通り願いたいと。」


 団長。その言葉を聞いたイリーナの頭の中にニヒルに笑う髭面の男の顔が浮かぶ。━━━━それと、もう一人。


「団長・・・それは騎士団長セルゲイ・オクトーバで相違ない?」

「はい、間違いなく。あの懇願無礼な方はオクトーバ騎士団長で間違いないかと。」

「そう言う事を言ってる訳では無いのだけれど・・・・まぁ、良いわ。呼んで頂戴。」

「はい。直ぐに。」


 侍女が去っていく姿を見ながら最近新たに産まれた懸念についてイリーナは考える。軍部の最高指揮官である騎士団長を差し置いて、団長の名を手に入れた一人の男についてだ。


「ザイン・ルーメンス。」


 機甲兵団と呼ばれる特殊部隊の最高指揮官にして、我が国において初めて奴隷民から貴族に成り上がった男。


 他国と比べ血を尊ぶ者が多い皇国で、出自が定かではない者がのしあがる事は並大抵の事ではない。平民出身の者ですら大抵がその過程の何処かで妬みを買い、より上位の者により手痛い妨害を受け涙を流し人知れず消えていくのだ。奴隷民など押して図るべくもない。


 だが、ザイン・ルーメンスはのしあがった。

 あらゆる不利を押し退け、数々の功績を打ち立て、血を尊ぶ貴族達にぐぅの音も出させずに━━━━。


「失礼致します。殿下。」


 イリーナの思考を止めるように渋い男の声が掛かった。

 顔を向けるといつものように、ニヒルに笑う髭面の男がいた。

 エクスマキア皇国軍元帥にして、皇帝直属十二騎士団長を務めるセルゲイ・オクトーバである。


「何か、ありましたか?」


 イリーナからの過度の視線に眉を寄せるセルゲイ。

 対するイリーナはそのセルゲイの口の気楽さに苦笑した。


「何かあるのはこれからでしょ?貴方が来ると、碌な報告が来ませんもの。」

「それはそれは、ご心痛お察し致します。━━しかし、あれですよ?別にオレが面倒事起こしてる訳では無いんですからね。オレだって苦労してるんですから~。」


 砕けた話し方に侍女達は眉をしかめたり、袖を捲り上げ飛び掛からんばかりの殺気を放ったが、イリーナは気にした様子もなく手を軽く振ってそれを制した。


「━━っ!殿下っ、なぜこのような無礼者を庇われるのですか!!毎度毎度、殿下に軽口を叩いてっ、何度直せと言ってきたか!!この馬鹿団長には一度キツいお灸を据えないといけません!!」


 侍女の恫喝のような勢いのある言葉が、セルゲイに突き刺さる。


「ひでぇな、ロジー嬢。これでもオレってば偉いのよ?馬鹿とか、あれよ、ダメなのよ、立場的にさ。」

「立場を盾にするのでしたら、お言葉使いをお直しなさいませ!!いつまでもチンピラみたいな話し方をするつもりですか!!それでよく、侯爵家の家名を恥ずかしげも名乗れたものですわね!!」

「あー、それは、あー、それはあれだよ、ロジー嬢。言っちゃいけない奴よ。オレも流石にカチンときちゃうよ?いっちゃうよ?いわせちゃうよ?」


 そう言って腕捲りをするフリをしたセルゲイに、ロジーは廊下への扉を開け叫んだ。


「きゃーーー!!ここに、変態がいますわーーー!!襲われるぅぅ!!殿下がぁ!!」

「あっ、ちょっ、何言っちゃってんのぉ!?」


 慌ててロジーの口を塞いだセルゲイの姿は正に変態の謗りを受けるに相応しい姿で、外に控えていた警護の兵達は白い目でセルゲイを見つめた。

 セルゲイはその視線を送る兵達に、愛想笑いを浮かべ早々に部屋の中へと戻る。


 扉を閉じたセルゲイは抱えていた、してやったりと顔を綻ばせるロジーを忌々しげに見下ろした。


 二人の様子を楽しげに見つめていたイリーナだったが何時までもそうしている訳にもいかない現状を思いだし、適当な頃合いを見計らい本来の用件を済ませる為に両の手を打った。


「ロジー。」


 イリーナの一声で何を命令されたか直ぐに悟ったロジーは「ご用があればお呼び下さいませ、殿下」と一言残し、他の侍女を引き連れ頭を下げて部屋を出ていった。


 静かになった部屋の中で、セルゲイはイリーナと対面になるように丸テーブルを囲む椅子の一つへ腰掛けた。そして早々に佇まいを正し深く頭を下げた。


「殿下、少々無礼が過ぎました。お許し下さいませ。」


 それまでの飄々とした態度が嘘であるかのように、騎士と呼ぶに相応しい態度を示すセルゲイ。その姿にイリーナは否定するように首を振る。


「構いません。貴方のお蔭でロジーが笑ってくれました。他の侍女達もです。最近は特に空気が沈んでいたので、明るくして頂いて感謝してます。私も貴方の様に振る舞えたら良かったのですが・・・・。」

「私のような者に感謝などと、畏れ多い事で御座います。それに、殿下は私のように道化になる必要はありません。どうか、そのままの。」

「そうは言いますが・・・。」


 眉を下げるイリーナにセルゲイは和らげていた目を鋭くし、口を開いた。


「人には役割と言うのもが御座いますれば、殿下のそれは殿下にしか出来ない事なので御座います。胸をお張り下さいませ。常に殿下が落ち着き払っているからこそ、我等は平静に事を進められるので御座います。それにですな、昼行灯などと揶揄される私こそが、その役目には相応しいのですよ。出自も定かではない若僧に出し抜かれ、軍の一部とはいえ掌握されてしまった私こそがね。」


 セルゲイの役職上、エクスマキア皇国軍の全権は彼の手の中にある筈だった。だが現在、ザイン・ルーメンス率いる機甲兵団だけは、完全に管轄外の存在なってしまっているのだ。勿論彼等が上官であるセルゲイの指揮を蔑ろにしている無法者だからという事ではなく、現皇帝から直々に独立した部隊として認められているのが理由なのであるが。


 セルゲイにとって目の上のたんこぶと言えるザインとその部隊の事を思い、思わず苦笑を浮かべてしまう。

 そんなセルゲイにイリーナは以前より考えていたそれを口にする。


「閣下。どうにか、あの方の首に鈴を付けられませんか?」


 イリーナからその言葉が出た事にセルゲイは驚いた。

 それまでのイリーナであれば、例え考えていたとしてもそう言った事を行おうとする人物でなかったからだ。

 良く言えば優しく、悪く言えば甘い。それがイリーナに対するセルゲイの評価だった。


 驚きを隠せないセルゲイを前に、イリーナは自らの言葉を噛み締めるように続ける。


「あの方は恐らくこの国の中で、頭から数えた方が早い程に優れております。それは単純に頭が回るといった事ではなく、素行や考え方、人を惹き付ける魅力。およそ王として必要な、人の上に立つ者の素質があると考えています。」

「王とは・・・・随分と大きく出ましたな。」

「買い被りならばそれで良いのですが、恐らくはこのままいけば、彼の権威は王権にまで及ぶ事になりましょう。」

「あの男の実力は買いますが、果たしてそう、上手くいきますでしょうか?」


 セルゲイの否定的な言葉にイリーナは頭を横に振る。


「現在進行されている作戦が、彼の望む形で終えられるのだとしたら・・・・空席となっている十二騎士の一席が、彼に与えられる事になるでしょう。そうなれば、彼は晴れて準伯爵の貴族位を与えられます。一代限りとはいえ上級貴族の一員ですね。」


 イリーナの言葉を聞き、セルゲイは思わず腰を浮かした。

 皇帝直属十二騎士は名誉職でありその実態は無いに等しいのだが、それでも貴族は貴族。ただの市民と一線を画す発言力を得る事になる。だがしかし、いやそれ故にというべきか、それを得る為には絶対に欠かせない条件があるのだ。

 そしてそれは、今現在ザイン・ルーメンスは持ち得ていない物。貴族の持つ、青い血。


 開国以来より一度の例外なく、十二騎士の席に貴族の血筋でないものが座った者はいない。戦働きを認められ奴隷から十二騎士に成り上がった古の英雄も、血筋を辿れば少なからず貴族の血が流れていた。故に、多くの貴族は渋りながらもそれを認めたのだ。

 それを知ってるが故、主とも言える彼女を前にしていながら、セルゲイは声を荒らげてしまう。


「馬鹿なっ!十二騎士は元々上級貴族にのみ与えられる物っ!確かに過去にかの英雄や、下級貴族で十二騎士になった者もおりますが、いやしかしあり得ません!!陛下はっ、陛下はそこまであの者に入れ込んでおられるのか!確かに、陛下は血縁より実力を買う方で在らせられるが、それは幾らなんでも他の貴族達が黙っているとは・・・・。」

「当然黙ってはいないでしょう。鼻の利く者達が色々と動いているようです。━━━ですが、それは皇帝陛下も同じ事。既に皇帝派のフェーグノ侯爵家と皇弟派のリングイネイト伯爵家は抱き込んでいるようです。」

「よりにもよって、あの二家がですか。」


 エクスマキア皇国の貴族界は現在二大派閥に分かれている。

 一つは現皇帝を指示する皇帝派閥、もう一つは前皇帝の兄弟であるグラン皇弟を指示する皇弟派閥である。

 そしてその各派閥の中で、最も発言力を持っていたのが先にあげた二家なのだ。


 唸るセルゲイにイリーナは続けた。


「皇帝陛下は予てより、貴族達の有り様に疑問を呈しておられました。貴族としての務めを果たさず、伝統と血縁ばかりを重んじ民を蔑ろにする、見てくればかり取り繕う貴族の有り様に。」

「耳が痛い話ですな。」

「ええ、私もそう思います。ですが、今の今までそれに甘んじておりました。王家の一人として言い訳は出来ません。」

「殿下・・・・。」


 イリーナの沈痛な言葉で、部屋は静寂に包まれる。

 セルゲイはその姿に慰めの声を掛けようと口を開きかけたが、イリーナが続けて何かを言おうとしている雰囲気に気づき言葉をつぐんだ。


 そして数十秒の沈黙を破って出た言葉は、セルゲイを更に唖然とさせる物だった。


「皇帝陛下は、エクスマキア皇国を終わらせるつもりです。」

「なっ━━━━━」


 流石に続く言葉は出なかった。

 自らが忠誠を尽くす皇帝が、守るべき国を、民の安寧を終わらせようとしていると言うのだ。憤り、怒り、悲しみ、焦り、驚愕。様々な思いが交錯するが、やはり声として出ていかない。


 そんなセルゲイをそのままに、イリーナは続ける。


「終わらせると言っても、国を潰すと言うわけではありません。現体制を変えるという事です。」

「げ、現体制を、変える?」

「血縁や伝統のみで政をとり行う者達の、首をすげ替えると言う事です。」


 イリーナの言わんとしている事は理解した。

 だが、セルゲイはそれを理解出来なかった。

 当然だ、そんな事をすれば国は大きく傾くのだから。


 貴族達の反感を買うのは間違いなく、下手を打てば内乱の始まりを告げる鐘に成りかねない。仮にそれを治める力があったとしても、まだ決着の見えない南部戦線という爆弾を抱えて行う事では決してないのだ。


 ━━━━が、そこでセルゲイの脳裏にある男の姿が浮かんだ。


「━━━━━だから、ザイン・ルーメンスを、ですか?」


 イリーナはセルゲイの言葉に頷く。


「皇帝陛下は━━━いえ、父は、あの方を変革の旗印にするつもりなのです。国の膿を出すのに、これ以上の適任はいないでしょう。血ではなく、後ろ楯もなく、実力だけでのしあがった民達の希望、国の窮地を救った英雄ならば。」


 不可能と思われた南部戦線を押し上げ、領地をも奪還したザインにどれだけの兵が敵意を保てるか。セルゲイは疑問でならない。

 セルゲイですら敵対すると考えただけで冷や汗が滲む。それが一般の兵ならどうか。英雄と呼ぶべき偉業を数々なした男に敵対し、何を抱くというのか。恐らくは恐怖。焦燥。嘆き。希望などと言う言葉はさぞ遠くなる事だろう。


 そして同時に、こう思う者が出てくる筈だ。

 こんな無謀な戦いへと向かわせる、貴族達にどれだけの正義があると言うのか、と。


 一度誰かがそれを口にすれば、全ては覆る事だろう。

 変革の嵐は直ぐに他領へと飛び火し、一月も掛からず国土全体に貴族社会に対しての不満が満ちる。それほどまでにエクスマキア皇国は限界に達しているのだ。

 その中でザインは適切に選ばれる国に巣くう害虫のみを叩いていくのだ。民の熱烈な支援を受けて。散々に領地の民の反感を買い続けた貴族達に、味方する者は相当に少ないだろう。何しろザイン達の後ろ楯は国そのものだ、それだけでも大抵の者達は矛を納めるだろう。

 利益にさとい商人達も義理程度の取引は継続するかも知れないが、権限を大きくしていくザインを恐れ鳴りを潜めていくのが目に浮かぶ。


 となれば、セルゲイが口にする事は決まっている。


「殿下。最初の質問にお答したいと思います。ザインへの楔、最早打つ事は不可能であるかと。早期に、そうですな、せめて彼の二家の内どちらか一つでも此方側においていて下されれば、話はまた代わったと思いますが・・・・・。」


 神妙な面持ちでそう告げたセルゲイに、イリーナは静かに頷く。


「ありがとう御座います。軍部を預かる貴方から聞けた事で、私も覚悟を決める事が出来ました。もう迷いません。」

「殿下。」


 イリーナは一度大きく深呼吸し、大きく開いた眼でセルゲイを見つめた。


「セルゲイ・オクトーバ騎士団長。これより私は、血にまみれた修羅の道を行きます。国の為とあらば、友を斬り、家族を斬り、己すらも斬り倒しましょう。かの方を旗印に、この世の地獄を、エクスマキア皇国の大地に作り上げます。━━━━共に着いてきてくれますか?」


 イリーナから発せられた覚悟の言葉を受け、セルゲイは椅子から立ち上がった。

 そして椅子の隣の床に膝をつき最敬礼をとる。


「勿論です殿下。私の王は、あの幼き日にお誓い下さった時より、貴女だけです。どこへなりと、共に。」




 セルゲイの言葉を受けったイリーナは椅子に深くもたれ掛かり、溜め込んでいた息を吐いた。その姿にセルゲイは笑みを浮かべる。


「━━━━━━はぁ。なにか疲れましたわ。」

「ふふ、そうですな。まだ本題にも入っていないと言うのに。しかし、何故いきなりこんな話をされたので?」

「どうしてかしら。貴方が持ってきた報告に、嫌な予感を覚えたからかしら?それで、報告は・・・・やはりあの方からの定時報告なのですよね。」


 セルゲイは懐から一枚のスクロールを取りだし「その通りです、殿下」と苦笑する。


 イリーナはそれを受け取り早速目を通した。

 すると、直ぐに体を大きく揺らし目を見開く事になった。


「ひゅっ!」と気の抜けた声があがってしまう。


 常に冷静を心掛けているイリーナらしくない様子に眉をしかめたセルゲイは、その原因であるスクロールをイリーナの手から取り同じ様に読んだ。


 するとイリーナと同じ様に間の抜けた声をあげ、目を見開く事になった。


「何を考えているのですか、ザイン・ルーメンス。何故、今更こんな事を━━━━━」


 部屋に弱々しく木霊するイリーナの声。

 それが何を意味するのか、それはスクロールを読んだ二人にしか分からない。








 ◇━◇








 アーーー、アーーーと、海鳥の声がよく響く大海の真ん中に、島と見まごう程の巨大な鋼鉄の塊が悠然と泳いでいた。

 巨大なそれの尾が一度振られる度、大海に大きな波紋が生まれる。波紋は大きな波となり周囲にある有象無象を無差別に押し流していく。


 その巨大な鋼鉄の塊の上で、空をぼんやりと見上げる男の姿があった。

 長身でよく引き締まった体をしたその男は、頭の後ろの所で結わいた長髪を風に靡かせながら寝息を立てている。


「━━━どうした?」


 寝息を立てていた筈の男が突然声をあげた。

 目を開いている様子はないと言うのに、まるで見えているかのように、的確にそれに向けて声を放った。


 声を掛けられたそれは女性だった。

 二十代も半ばといった所の灰の髪を男のように短く切った、意思の強そうな女性。

 彼女は突然あげられた男の声に動揺する事なく、切れ長な目を更に尖らせ口を開いた。


「報告はあげました。ザイン団長の言うとおりに。ですが、あれで良かったのですか?もう少し言い様があったと思いますが。あれではザイン団長への評価が━━━」

「取り繕う必要はないさ。事実だけ述べていれば良い。」

「━━━━そうは仰りますが、私はいち副官として団長が正しく評価されないのは不服なのです。面倒臭がらず、しゃんとして下さい。」


 苛立ち混じりの声に、ザイン団長と呼ばれた男は笑い声をあげる。


「はははっ!私が副官に、子供のように怒られていると知ったら、皆はどう思うのだろうな?」

「さぁ、私には分かりかねます。少なくともこの艦に乗り合わせている皆は、ザイン団長の事はよく知ってますから、なんとも思わないのではありませんか。」

「これは手厳しい事だ。私もよい歳だ。そろそろ威厳を身に付けなくてはいけないな?」


 その言葉に副官の女性は首を傾げた。


「それこそ無理な話では。幼子へ魔術について語るような物です。」

「それは、絶対に無理だと?私もやれば出来ると思うのだが。」

「でしたら試してみては如何ですか。」

「あー、まぁ、取り合えず明日からやってみるとしよう。」

「・・・・はぁ。」


 溜息をつかれたザインは居心地が悪くなったのか、起き上がり鈍った体を伸ばした。

 潮風を浴びながら、ふと、それを副官に訊ねた。


「撃滅くんは、落ち着いたかい?」

「はい。一応は、ですが。」

「一応、か。」


 ザインは撃滅が機甲体を暴走させた日を思い出した。

 古き友、迫撃の死亡報告を聞いた、その日だ。


「撃滅くんは、なんと言っている?」


 ザインの問いに副官は顔を伏せた。

 その様子を見たザインは撃滅の様子を察し、「分かった」と一言だけ告げその話を終わりにする。


 続けてザインはもう一つの懸念について訊ねた。


「かの国との連絡はついたか?」

「はい、そちらも既に。返答も頂いております。」

「聞くまでもないが、なんと?」


 副官は懐から取り出した羊皮紙をザインに見せて言った。


「ジンクム、トウゴク、そして我がエクスマキア皇国での三・国・会・合・の件、了承した、と。」


 その言葉を聞いたザインは嬉しそうに口元へ弧を浮かべる。


「敵は食いついてきた、後は上手く釣り上げるだけだ。さぁネーブ、号令をかけろ。」

「はっ!!ザイン団長閣下!!」


 ザインに敬礼した副官ネーブはザインに背を向け大きく息を吸い込んだ。


 そして━━━━放たれる。

 腹の底から吐き出された、聞いてるだけて体が震えあがるような怒号が。


「各員っ!傾注!!!!」


 その声へ返すかのように、数百を越える軍靴が一斉に踏み鳴らされた。

 そして更に別の音が返る。


「「「「「「「はっ!!!!!!」」」」」」」


 一子乱れぬ数百人による怒号の返事。

 大気が大きく揺れる。


 ネーブの前にあったのは軍服を纏った兵士達。

 そのどれもが見開いた目をぎらつかせ、一糸乱れぬ統率された動きでザインへと音を立てながら向き直る。


 注目の的となったザインは立ち上がり、ゆっくりと兵士達を見渡した。

 全員の精悍な顔つきを眺め、満足したザインは大きく頷く。


「諸君!目的地は決まった!!目指すは東方の地、ジンクムのデンタール大運河、その河口だ!!他国の使者に遅れる事は栄えあるエクスマキア皇国の恥としれ!総員、直ぐ様出立の用意にかかれ!!!」


 ザインの言葉に兵士達が一斉に敬礼し、叫ぶ。


「「「「「「「はっ!!!!!!」」」」」」」


 声をあげた兵士達は直ぐ様各指揮官に従い動き出す。

 バラバラと走り出すその姿を眺めながら、ザインはまだ見ぬある少女に思いを馳せた。


「ははっ!さぁ、これでようやく会えるな。練り上げた渾身の計画を、これ以上ない程粉々に叩き潰してくれた、愛しき姫、ユーキ嬢に。」


 楽しげに笑うザインの声は、大海を叩く金属の尾があげた飛沫に飲まれ消えていった。


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