機甲兵団と真紅の歯車 51・大樹の最後
盛大な花火が空に上がった頃。
それを眺める二人の女がいた。
一人は赤い袴と白い振り袖に身を包み狐耳をピクピクさせる獣人ヤヨイ。
もう一人は銀紫の髪を靡かせる下半身が蜘蛛の魔物ネアクーネである。
ネアクーネは「ほぇー」と声をあげながら拍手する。
そんな間の抜けた様子に、ヤヨイは「はぁ」と小さく溜息をつくと嗜めるように言った。
「ユーキ様の僕の一人である貴女が、そのように間の抜けた顔を見せる物ではありません。はしたない。」
「キチキチキチ。そんなに怒らないで下さいっすよ~。他に見てる連中なんていないじゃないっすか?」
「いなければ良いと言うものではありません。品位の問題で御座います。」
「キチキチ。それこそ気にする事ないっすよ!なんたって主であるユーキんが、一番品位から掛け離れた所にいるんすからっ!」
「貴女ねっ!!」
ヤヨイの殺気が辺りに広がり森がざわめく。
まともな者であれば失神しても可笑しくない程の濃密な殺気だが、それを至近距離で受けるネアクーネの表情には余裕が浮かんでいた。
「おおーー怖いっす!ヤヨイんは冗談が分からない人っすねぇ!いやんいやんっす!」
「まったく!貴女はまたそうやって・・・・はぁ、もう良いで御座います。貴女に品位などと言った物を求める方が間違っておりました。精々、ユーキ様に相応しい召喚獣として強くある事だけは欠かさぬようにお願い致します。」
「酷くないっすか?なんか、ウチが戦いしか出来ないみたいな言い方。ウチは諜報員としてピカイチで・・・・てか、ヤヨイんこそ強くあり続けて下さいっすよ?割りと本気で、ヤヨイんって暴力が売りなんすから。」
「はぁぁぁぁ"ぁ"ぁ"あ"ん"!?」
ヤヨイの裏拳がネアクーネの顔面へと向け放たれる。
ネアクーネは顔を反らせそれをかわし、そっとその場から後ろに下がった。
「ちょっ!お、落ち着いて欲しいっすよぉ!!冗談っすよ、冗談!!マジにならないで下さいっすよ!!今の割りとマジで死ぬかと思ったすよ!!」
両手をばたつかせ冗談をアピールするネアクーネ。
だが、そんな様子にもヤヨイの表情は変わらない。
般若のような怒りに満ちた表情は。
「わたくしのぉ、何処がぁ、戦いしか脳がない役立たずの獣女だとぉ?えぇ、蜘蛛女様ぁよぉ!!」
「ええ!?無茶苦茶キレてんじゃないっすか!ちょっ、昔の口調戻ってっすよ!!ユーキんに聞かれてもいいすか!!」
「貴女様がぁ、ここにはユーキ様はいねぇっつったんでしょうが!!何を気にする必要があるんですかねぇ!?え"え"!?」
そう言うと魔力武器を周囲に展開したヤヨイがネアクーネへと突っ込んだ。ネアクーネは糸を操り猛るヤヨイ体を止めた。
「ちょ、ちょ、ちょっと!!落ち着くっすよぉ!そりゃ、ここにユーキんはいないっすけど、喚び出されてここに来てる以上、ユーキんとは少なからず繋がってんすよ!!」
「は、そ、それ、それはっ!」
「ロアちゃんみたいにユーキんとの魔力供給を切れて、自分の魔力で存在維持出来るならそんな心配しなくても良いっすけど、ヤヨイんは出来ないっすよね!?お願いなんで出来ないっていって欲しいっす!!」
「それ、それは、たし、確かに出来ません、けど。」
ヤヨイの中でたぎっていた怒りの衝動が弱くなっていく。
当然ネアクーネはその様子を見逃さない。
「ほら、ほら!それじゃやっぱり止めた方が良いっすよ!内容は伝わらなくても、感情が伝わるかもっすよ!良いんすか!?その状態をユーキんに知られて!」
「ふぬぅ、うぐ、でも、それは貴女がっ。」
「あ、あーあ、あーあ。今のヤヨイんを見たら、きっともう尻尾をモフモフしてくれないだろうなぁ!耳とか撫でてくれなくなるだろうなぁ!!だって、怖いもんなぁ!いつ怒るか分からないヤヨイんの耳も尻尾も、うかつに触るの怖くなるもんなぁ!!」
その言葉が止めとなり、耳と尻尾をシュンとさせたヤヨイから力が抜ける。限界まで張りつめていた糸がだらんと垂れる。糸の強度は限界ギリギリだったのか、どれも酷く痛んでいた。
ネアクーネはそれを確認し、今日はもう冗談は言わないと心に決めた。
ネアクーネとヤヨイが本気でぶつかれば、恐らく勝つのはネアクーネであるが、それはそれなりの代償を払った上で得られる結果だ。出来るのであれば、ネアクーネとてヤヨイとは戦いたくは無い。身内として、という意味もなくはないが、どちらかと言えばヤヨイの実力的にという意味合いが強いだろう。
「う、うう。先程のは、お忘れ下さいませ。ネアクーネ。」
「も、勿論っす!お互いユーキんに嫌われるのは勘弁なんすから言ったりしないっす。是非、安心して欲しいっす!」
「ええ、信じております。宜しくお願い致しますね。」
言ったが最後、血で血を洗う戦いが始まりそうなんで言えるわけねぇっすよ。
そう心で呟いたネアクーネは自らの背中をつついてくる者に目を向けた。
そこにいたのは青毛のキングゴリラである。
何か用でもあるかと訝しげな視線を送るネアクーネに、キングゴリラは自らの頭の上を慌てて指差す。
キングゴリラの頭の上で王の如く存在するそれ。
赤金の鎧皮を被った芋虫、ムゥである。
ネアクーネと視線があったムゥが短い足をあげる。
「先輩!」
ネアクーネは尊敬の眼差しと共に満面の笑みを浮かべた。
そんなネアクーネにムゥは口をもにょもにょと動かす。
声は出ているように聞こえないが、ネアクーネは言葉が聞こえているかのようにウンウンと頷く。
「成る程、成る程。まぁ、そうっすよね。ユーキんはそんな狭量ではないっす。ウチがアホだったっす、改めるっす!」
「・・・・。」
「えっ、ヤヨイんにちゃんと謝れって?いや、そりゃウチもからかい過ぎたとは思うっすけど、謝る程では・・・・うぐっ、分かったっす。ちゃんと謝るっすよぉ。」
「あの、今更なのだけど、宜しいで御座いますか?」
「ん、なんすかヤヨイん?」
まるでムゥと話しているような雰囲気を醸し出すネアクーネの言葉を遮り、ヤヨイは不思議に思っていたそれを指摘した。
「猿共と戦っていた時より気にはなっていたのですが。」
「?なんすか、なんすか?」
「本当にムゥと話してらっしゃるので御座いますか?」
「へ?」
「独り言、ではなく?」
「なんと!?それ本気で言ってんすか!?」
本気よ、と付け加えようとしたヤヨイだったが、ネアクーネのあまりの興奮具合に言葉が続かなかった。
「こ!こんなにっ!こんなに美しくて神々しい声が、聞こえてないんすか!?」
「美しくて、神々しい?」
チラリとヤヨイの視線がムゥへと向けられる。
ヤヨイの視界には口をもにょもにょと動かす芋虫がいるだけで、特に音は聞こえない。いや、足がプニプニと可愛らしい音をあげているのは聞こえたが。
「あの、プニプニとした、音━━━━━」
「はぁ?!何訳分かんない事いってんすか?」
「そ、そうで御座いますよね?ええ。」
「変なヤヨイんっすねぇ。」
ヤヨイには分からなかった。
そんなヤヨイを放ってネアクーネは再びムゥへと顔を近づける。
そしてウンウンと、これまた何かを聞いたとでも言うように頷いている。勿論音は聞こえない。なので、ヤヨイはネアクーネにしか聞こえない幻聴なのだろうと思う事にした。
「取り合えず、ヤヨイんには悪い事を言ったっす。この通り謝るっすよ。ごめんなさいっす。」
そう言って丁寧にお辞儀したネアクーネ。
色々と言いたい事は増えてしまったが、ヤヨイは取り合えず場を治めるために「もう良いで御座いますよ」と許した。
正直、怒りなどとうに無くなっていた。それよりも、ムゥの事が気になって仕方なくなっていた。
主であるユーキもムゥの事がお気に入りの様子だったが、その事と今回の疑問は関係があるのか。果してその声は届いているのか。はたまた、それに気づかずにただ愛玩しているだけなのか。
そもそも、ネアクーネ程の化物が尊敬の眼差しを送るムゥとは何なのか。
今夜は眠れない、そう思うヤヨイだった。
「それにしても、口ほどにもない連中だったすねぇ。あの金属猿。デカくて頑丈だっただけで、他はなんもなかったっすからねぇ。」
「それは、確かにそうで御座いましたねぇ。なんとも歯応えのない・・・・・寧ろ猿共の方が手を焼きましたね。」
「二段階治療が必要だったすからねぇ。」
「なにを・・・・それはユーキ様がいらっしゃった間の話で御座いますでしょう?」
「キチキチ。そう言えば、そうだったっすねぇ。」
「まったく。貴女は。」
そう言って息を吐いたヤヨイにネアクーネは笑顔を見せる。
「いやぁ!それにしても見てたっすか?あのユーキんの魔力制御。あれだけ強大な魔力を保持していながら奢らず溺れず。空の上から針の穴を通すようなコントロールで踊らせるように自在に操る。育てがいがあるっすよ、本当。」
「それは、そうで御座いますね。あれからまた上達されたようで。・・・・口が過ぎるかも知れませんが、魔力制御について多少手解きした身としては、喜ばしいお姿ではありました。」
実の所、猿達に掛けられた洗脳はヤヨイ一人で十分処理する事が出来た。わざわざユーキという一手間を挟むことなく、もっと早く。事実、ユーキが去った後、猿達の洗脳を解いて回ったのはヤヨイなのである。
それでもユーキに任せたのは理由がある。
それは経験させる為だ。
具体的に言えば魔力制御の経験を積ませる為だ。
魔力制御と言うものは召喚士にとって最も大切な技術になる。
魔術士や魔法使いにも言える事ではあるが、召喚士にとっては生命線とも言える技術なのだ。
ユーキは当然のように行っているが、本来召喚獣を喚び出した後、召喚継続させる為に行われている魔力供給は想像を絶する集中力と緻密なコントロールが必要になる。
それこそ、身動きをとるのが不可能な程に。
魔力供給と簡単に言うが、実際にこれを行う為には魔力供給に必要なパイプの維持と、そこに流す魔力を同時コントロールする必要性があるのだが、これが異常な程難しい。年間数万人にも及ぶ召喚士を目指す者の半数がこれを理由で諦める程だと言えば分かるだろうか。
召喚術を困難にさせているこの同時コントロール技術だが、この二つが分けられているのには勿論理由がある。
魔力供給とは言っても常に流れている訳ではない。ある程度の感覚をあけて必要な量を必要な時にだけ流すのだ。その為、召喚獣との間から魔力を送る繋がりが無くなる事を防ぐ為に魔力パイプが存在しているのだが、この魔力パイプこそがくせ者なのである。魔力パイプはその存在を形成する事、維持する事に繊細な魔力コントロールを要求してくる。前述でネアクーネが述べたような、空から針の穴に糸を通すような、とは決して大言壮語な言葉でなく、それ相応とも言える評価で、実際に絶対的な緻密さと絶対的な繊細さを併せ持つ技術なのだ。
常に流していれば良いと思うかも知れないが、魔力は有限であり、一度譲渡した魔力は過剰量であったとしても召喚主に還る事がないので、余程の魔力持ちでなければ直ぐ魔力を枯渇させ死んでしまう為、あまり現実的とは言えない。
他にも裏ワザ的に、召喚時に維持魔力を逆算して先に譲渡しておく方法や、魔力を込めた装飾品やそれに該当する道具を渡し維持魔力を持たせる方法があるが、こういった方法は通常の魔力供給より燃費が悪い上、再補充に関して難があったり、維持費用が馬鹿にならなかったりと、あまり進められた物ではないのだ。
特別な理由があるならまだしも常用するような物では決してないこの技術は、所詮は二流三流の技術なのである事を如実に示していると言えよう。
ユーキはこう言った知識をなしで感覚だけでこれを行う特異能力を持っている訳なのだが、その能力はまだ発展途上の物であった。既に複数体の召喚獣を同時に扱える現在において、まだ拙いと言って過言ではない状態なのだ。
末は魔王か魔神か、はたまた神か。
召喚獣達のユーキへの期待は止まることを知らない。
脳裏に浮かぶ立派に育った主の姿に、満足そうに頷く二人は互いに目を合わせ小さく笑った。
「さて、まぁ、何がともあれ、ユーキ様の方も事が済んだご様子。早急に向かうと致しましょう。お待たせするのもよくありせんし。」
「そうっすね。ちょっち急ぐっすかねぇ。」
そう言ってネアクーネは後ろを振り向く。
ネアクーネの視界の中には一面に敷き詰められた猿達の姿があった。洗脳を解かれ、力で捩じ伏せられた森の猿達だ。
どの猿も等しくネアクーネ達と交戦したお蔭で、体の至る所に痛々しい怪我を負っている。顔が倍以上に膨れ上がった者、無惨にも頭の毛をむしり取られた者、手足が可笑しな方向へと曲がっている者などなど。
ユーキの命令を守ったネアクーネ達はただの一匹も猿達を殺す事なく事を済ませたのだが、無傷で済ませる慈悲など持ち合わせておらずこのような惨状になってしまったのだ。
尤も、手加減しなければただの一匹とて生きていられなかった事を考えると、この惨状も恩情と言えなくもないが。
ネアクーネは糸を使い背後で列をなしていた猿達全員に同時に通達する。
「急ぎ、翡翠の園とやらに向かうっす。ちょっと飛ばすっすから、頑張ってついてくるっすよ。」
ざわり。
猿達の間に緊張が走った。
その様子に眉を潜めたヤヨイがネアクーネの肩をつつく。
「ネアクーネ。私の言葉も送って頂いても?」
「ふへ?それは別に良いっすけど・・・・お手柔らかにするっすよ?」
「勿論です。この毛玉に話せば良いのでしょうか?」
「そうっす。」
ヤヨイは糸で垂らされた毛玉を手にとり、静かに言った。
「まだ、ご自分の立場を理解されていないようなので、一言申し上げておきます。━━━━━貴様等のようなただの獣風情がこうして息をしていられるのは、我が主ユーキ様の恩情あっての事。その恩情を受けて尚、敬意を示せぬような脳みそのかわりに糞でも詰まっているような者は最早生き物でありません。ただの糞袋です。この場で処分します。」
猿達の間に緊張なんて目じゃない、恐怖が走った。
何匹かは成人した大人にも関わらず目に涙を浮かべる。
「良いですか?貴様等はゴミなのです。どんな理由があれ、ユーキ様に牙を剥いたその瞬間から糞に飛び交う害虫と成り果てた、存在すら疎ましいゴミのです。ゴミが息をするなんて烏滸がましいでしょう?本当は直ぐにでも貴様等一匹一匹の腸を抉り出し、手足を細かく砕き、余った頭蓋にそれらを詰め込んで海にでも放り投げて処分したいのです。」
ヤヨイの本気が伝わっているのかブルブルと猿達が震え出す。
音を流しているネアクーネも若干引いた。
だが、そんな回りの様子には気にも止めずヤヨイは続ける。
「ですがっ!主がっ、我が主であるユーキ様がっ!それを許すと、海よりも深く空よりも高い寛大なお気持ちで、それを許してやろうと仰っておられるのです。それなのに、貴様等ときたら、感謝の言葉もなく、敬意の欠片も示さず、まるで己の命は己の物だと言わんばかりの態度。━━━━━あまりふざけるなゴミ共がっ!!!貴様等のくだらないとるに足らない命は既にユーキ様の物なんですよ、糞が。喩え主たるユーキ様がお許しになろうと、これ以上ユーキ様に対して無礼を極めるようなら、ぶち殺します。喩え後に叱責され見放されようとも、そんな無礼者共は生きてる事を後悔させる程の責めくを与え、一匹残らず殺して差し上げます。私の全身全霊を持って。分かったら返事をなさい、この愚物共ぉぉぉぉぉぉ!!!!」
ヤヨイの怒声に、猿達は合わせたように足を揃え背を伸ばした。
そして教えられたかのように右腕を斜め上にあげて叫ぶ。
「「「「「「キィィィィーーー!!」」」」」
後に猿達の間で使われるようになる、最大の敬意を示すポーズの誕生である。
その様子に、今度こそ納得したヤヨイは猿達に向けて言葉を続ける。
「宜しい。遅れる事は許しません。腕がもげようと、足がもげようと、血ヘドを撒き散らし着いてきなさい。それ以外に貴様等がする事はありません。命を掛けて駆けなさい。」
「ちょ、ヤヨイん。そこまで急がなくても良いと思うっすよ?ユーキんはそう言うの気にする人じゃ━━━」
「全員、小さく前ならえ!!一定間隔を空け、足が前後の者と絡まぬようになさい!」
「ヤヨイん、ヤヨイん。別に庇うつもりはないんすけど、あいつら怪我して━━━」
「全員、用意!!━━━━━走れ!!」
ヤヨイの号令と共に猿達が一斉に駆け出す。
足を怪我した者もいる筈なのだが、何故か列は乱れる事なく綺麗な行進であった。ネアクーネが気にして見ていると、どうやら足を怪我した者は隣にいる者が肩を貸しなんとかしているようで、取り合えずヤヨイに殺される事がない事を知りほっとする。
「それにしても、ヤヨイんはユーキん好きすぎっす。まぁ、ウチもユーキんは好きではあるっすけど・・・流石にあそこまでではないっすからねぇ。」
ふと、ネアクーネはかつての主の姿を思い浮かべた。
そして当時のヤヨイの姿も。
「でもまぁ、ヤヨイんは仕方ないっすかね?ヤヨイんからすれば、特別なんでしょうから。」
翡翠の園へと向かう行進を、のんびり眺めながら走るネアクーネの元にムゥに騎乗したキングゴリラがやってきた。
勿論キングゴリラがネアクーネに用があるのではなく、ムゥがネアクーネに用があっての事である。
「どうしたんすか、先輩?」
ムゥが口をもにょもにょさせる。
するとネアクーネが眉間に皺を寄せた。
そして背後の様子を知るために残していた策敵用の糸に触れる。
糸から伝わる震えから、ムゥが懸念している事を正確に捉えたネアクーネは頭を押さえた。
「少しだけ、いや、かなり驚きっす。まさか、この平和ボケした時代にあんな化物がいるなんて・・・・・敵だとしたら厄介っすねぇ。」
もにょり。
ムゥの口が動く。
「分かってるっす。下手に手は出さないっすよ。これ以上探るのも危険だと思うんで、策敵用の糸も切っとくっす。」
ぷつん、と音が鳴りネアクーネの手元にあった糸が散り散りになって消えていく。
糸の様子を見送ったネアクーネはムゥへと視線を向ける。
「これでウチの事は気づかれないと思うっすけど・・・・早急に森を出るよう、ユーキんに言っておいた方が良いっすよね?」
ムゥの表情に変化はないのだが、ネアクーネはその横顔に頷く。
「っすね。言って素直に頷く人でもないっすけど、避けれるなら避けるに越した事はないっすよね。これからのユーキんなら分からないっすけど、今のユーキんじゃ━━━━━」
ネアクーネは創成の木にいるであろう、その存在を想像し呟く。
「━━━勝てないっすからね。」
◇━◇
創成の木。
アジャータに住まう者達から大樹ベロンも呼ばれ親しまれてきた木の根元に、一人と一頭の姿があった。
黒衣を纏う魔人ヴィシャスブェルデスとその愛馬ネーロスパーダである。
ヴィシャスブェルデスは赤い紋様が刻まれた銀剣を手にする。
そして目の前に高く聳える大樹を眺めた。
「━━━━━これで、最後か。皮肉なものだ。探し求めていた物が、ここにあるとはな。この場所に。」
何かを振り切るように頭をふり、ヴィシャスブェルデスは銀剣を両手で握りしめ構えた。
「許せとは言わぬ。恨み、憎み、呪うが良い。それでも晴らせぬと言うのであれば、全てが終わりし時、死の楽園にて永劫の禊へと沈めた我が身、魂共に、思いの限りを尽くすが良い。だが、今は━━━━」
ヴィシャスブェルデスの手元から銀が放たれる。
宙を煌めく銀の一閃は大樹をなぞるように走り、光がなぞったその場所は白煙が起こる。
「━━━━我が蛮行、その目で見届けてくれ。」
大きな地鳴りが周辺一体に響き、大樹が揺り動いた。
葉がざわめき、絡みつく枝達が軋み、僅かにその場に残っていた鳥達が飛び去っていく。
ゆっくりと影が動いていく。
森を覆うように落ちていた影が、数百年もの間そのにあり続けたその影が、ゆっくりと、ゆっくりと、動いていく。
そして長い時間をかけ、大樹は轟音と共に砂埃をあげて地に落ちた。木々を薙ぎ倒し、地面を粉砕し、そこにあった命を潰して。
アジャータの森にて数多の命を育み、そのに住まう全ての命を見守り続けてきた豊穣の化身は、その日を持ってその役目を終えた。
ピシッ。
不意に倒れた木が割れる。
そして次の瞬間にはその割れた場所から限界まで溜め込まれた間欠泉の如く、夥しい程の魔力が溢れ出した。
噴き上がった魔力は輝きながら流水の如く渦を巻き空を舞う。
暫く空を舞踊った後、それが当然であるかのようにヴィシャスブェルデスの持つ剣に飛び込んでいった。
豪風が吹き荒れる中、ヴィシャスブェルデスは光を放ちながら膨大な魔力をその身に取り込んでいく銀剣をその腕力で押さえつける。カタカタと震え、甲高い音をあげ軋む。魔力の圧力でヴィシャスブェルデスの足が地面へと埋まっていく。
だが、ヴィシャスブェルデスと銀剣はその圧力に負ける事なく、その全てを捩じ伏せた。
淡く輝く銀剣を手にしたヴィシャスブェルデスは残骸と成り果てた大樹に背を向ける。
そして愛馬の背に颯爽と飛び乗ると静かにそこを後にした。
ただの一度も振り返る事なく。




