(一)ミストの魔物:お手伝い
白い靄がまだまだ激しく巻き上がっている。
あの子は……あの子は無事なのか!?
その時、「タンッ!」と軽やかな音共に俺のすぐ目の前に少女が舞い降りてきた。
「さすがに持たないと思いました、ふうっ……」
さっきまでの勢いはどこへやら、あの柔らかな口調で肩を落とした。
「クククク……混沌も思い直したようだ……我に勝機アリ……」
見ると、白く巻き上がる靄の向こう、魔物の頭上にドス黒い靄が再び渦巻き始めていた。
「良くない状況ですね……」
冷静にそう呟く少女だが、その頭上に浮かぶドス黒い円状の靄が、心なし小さくなっているように見えた。
「あの、ちょっとい……」
少女が何か言いかけたその時、空を切り裂いて何かが飛んできた! 少女は咄嗟に両手をクロスしてシールドを展開し、これを受け止める。シールドに突き刺さっているのは、あの黒い矢だ。
それを見とめた瞬間、「ドンッ!」と鈍い音を立てて魔物がシールドにぶち当たっていた。力任せに引きちぎろうとでもいうのか、黒く靄る少女の盾に爪を立てている。
「こうしてくれるゥゥゥゥゥ!」
爛々と光る大きな赤い目に、憎しみが渦巻いている。その頭上に渦巻いたドス黒いモノが、同調するように悲鳴をあげて急速回転し始めると、魔物の両拳が青白い炎に包まれた!
甲高い金属を削るような音共に、黒く靄るシールドがへし曲げられていく!
「まずい、押し返すんだ!!」
俺の言葉に、少女の頭上のドス黒いモノが「ギュイイイイイイン」と反応した。少女が「はっ!!!」と気合を込めて両手を突き出すと、「ドン!」と衝撃波が魔物を襲った。
「ケヒヒヒヒヒ……」
押し返された魔物が忍び笑いを残して、再び白い靄の中に姿を眩ませる。
「助言ありがとうございます。わたし、戦ったことがなくて、戦い方がわからないんです」
「へ……?」
思わず拍子抜けするようなことを少女が言った。
「……あの、ナツトくん、でしたよね?」
「あ……ああ、そうだけど」
少女が俺の方を振り向いて、申し訳無さそうな表情で小さく微笑んだ。
「ごめんなさい、手伝ってもらってもいいですか?────こんなところを天使様に見つかっては大変ですから────」
その表情、そしてどこかで聞いたことあるセリフ……?
「(……『モンスレ』のシスター・アンジェだ……)」
「この状況下で何を思い起こしてるんだ!?」という思いもあるが、なぜかその一言が、俺の心の奥底を強く揺さぶっていた。
二人の視線が交錯して見つめ合う。一瞬にして暖かな空気に包まれた気がして、ドキドキと胸が高鳴った。今まで感じたことのない感情が心の底から湧いてきて、少女との間に運命めいた何かを感じていた。
「ヒギャウォオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
魔物の発する酷い唸り声が、暖かな空気を切り裂いた。青白い炎を纏い弾丸のように突進してきた魔物を、少女ががっしりとシールドで受け止める。
「ウラアッ! オアアッ! グヒイッ! ケヒャアッ! ドゥヒイイッ!」
魔物は奇声を発しながら、狂ったように拳を振るう。力任せの無駄攻撃かと思えたが、攻撃を受けるたびに少女の漏らす呻き声が、徐々に悲痛の色を帯びていく。少女の頭上のドス黒い靄は、大きくなったり小さくなったりを繰り返しているが、今にも消え入りそうな勢いだ。
「だ、大丈夫?」
思わず少女に問いかける。
「……そ、そろそろ限界かもしれません。お手伝いをお願いします!」
「い、いいけど! こ、こんな状況で何か手伝えることなんてあるのかな!?」
「はい、それは大丈夫です。任せて下さい」
魔物の攻撃を受け止めながらチラリと振り向くと、少女はニコッと微笑んだ。その表情が再び、ゲーム画面のシスター・アンジェと重なって見えた。
ま、まただ……!
この状況に気が動転しておかしくなってるんだろうか?
「では、いきますね……はっ!!!」
がむしゃらに腕を振るう魔物を、さっきと同じように勢い良く押し返す。同時にまばゆい光が煌めくと、魔物が「ギャオウ!」と呻いて両腕で目を覆い、身を翻した。
その一瞬の隙を突いて、少女が右の人差し指で大きな円を描く。するとあちこちで白い靄が渦巻いて、靄の中から宙に地面に無数の少女の姿が現れた。
「かかれ!」
少女の号令で、一斉に魔物に飛びかかる!……と言っても、魔物の身体にしがみつくのが精一杯のようだが……。
まだ視力のおかしい様子の魔物が雄叫びを上げながら、少女の群れを薙ぎ払う!
「今のうちに!」
言うやいなや、少女が俺の身体を跨いで立つ。風でスカートの端がなびいて、その中の……いや、そんなこと気にしてる場合じゃない!
いったい、どうする気だ!?
戸惑うばかりの俺に構わず、少女は両手首を交差するように腕を突き出して、早口に言葉を紡ぎ出す。
「母なる常闇に生まれし緋色の輝きよ
我が主たる魔王アンドアヘイムの名の下に
古しえの盟約により与えし姿となりて
我が前に忠誠の義を示せ……!」
少女の頭上のドス黒い渦が喜びに満ちた奇声を上げてブワッと広がった。すると交差する少女の手の前に、赤い渦が巻き起こる。それはすぐに収縮して、黒光りするナイフのような形を成した。
「古しえの騎士の魂よ────」
呟きながら、少女が宙に浮かぶナイフを両手で掴み取り、そして俺の腰の上に静かに腰を沈める。
「!?」
ぽ、ポジションがピッタリなんだが……!
ドギマギする俺をよそに、少女はナイフの切っ先を俺に向けて頭上高く振り上げた。
ハッとする俺の視線と少女の視線が交差する。俺を見据える少女の瞳は真剣そのもので、冷徹な赤色の光を帯びていた。
その冷たい輝きに、少女が何をしようとしているかを強烈に悟る。
疑いようもなく、彼女は俺にそのナイフを突き立てるつもりだ! 全身が総毛立ってサッと血の気が引いた!
「ちょっ!!!!!!!???」
少女を押しとどめようと、思わず両手を伸ばす。しかしそれより速く、少女の両手が振り下ろされた!
「────そは我が同胞の双眸なる光と成らん!!!」
「ドンッ!」と胸に響く鈍い感触に、声がくぐもって変な呻き声が漏れる。
瞬時に視界が暗転して、俺の意識は深い闇へと突き落とされた────。
<第一章(一)ミストの魔物 終>