(一)ミストの魔物:悪魔
「クックックッ、キサマは恐怖にすくむばかりか? 軟弱者めが……」
魔物の嘲笑が心に痛い。痛みと恐怖に腰が抜けて、とても立ち上がれる状態じゃない。あの子はなんて勇敢なんだろう。自分の弱さが情けない。
息が乱れて、肩が揺れる。無様にも傷を負い、精霊プリズムも無く、立ち上がる勇気すら奪われて……。
「決して絶える事の無い連鎖する苦痛の煉獄へ堕ちるが良イィィィィィィ!!!!!」
臭い息を吐き出して、魔物が大口を開けて牙を向く。その頭上で黒い渦が連動するように奇声を上げて回転する。
もうダメだ! 死の恐怖から目を背け、ギュッと身を硬くする。しかし……。
「くっ、グ、ゥヌヌ……!!!!」
思わぬ苦痛の声。
恐る恐る視線を上げると、大きく開いた魔物の口には、まるでクツワのように黒い靄がまとわりついていた。
その黒い力に抗う魔物の全身が、ブルブルと震えている。
俺じゃない……その黒い靄は俺が生み出したものじゃない。だとすると……。
「キ、サ、マ……さては……『悪魔』だな……」
────悪魔、だって……?
「言ったはずです。その人を喰らうのは、わたしを倒してからにしなさい」
凛とした声が、響き渡たる───。
倒れたはずの、あの少女だ……!
まるで魔物の顎を掴むかのように両手を突き出して、仁王立ちしている。突き出した両の拳からは、確かに黒い靄が魔物へと伸びていた。
その胸と腹には、深々と黒い矢が突き刺さったままだ。しかも矢が突き刺さるその傷口は赤々と発光し、澄んだ鳶色の瞳が同じく爛々とした赤い光を放っていた。
そしてその頭上には────魔物と同じ、ドス黒い靄が円状に渦巻いていた。
まさか、この子は……本当に悪魔だっていうのか……? 信じられない……。
たしか昨年末、とある町に悪魔が現れて、町を焼失させた挙句に多くの人命を奪い去るという凄惨な事件があったはず……。この少女は、その虐殺魔と同じ悪魔だというのか?
「……おのれ……この程度で、御せるとでも、思うたか……」
「大人しくしてください。すでにあなたに味方する混沌は、一片足りともありませんよ」
見ると、魔物の頭上にあったドス黒い靄の渦が消えている。
「グヌッググググッ!……こ、む、す、め、がアアアアアアアアアァァァッッ!!!!」
突然、ありったけの力で魔物が「グンッ」と頭を振る。それに引っ張られるようにして、「きゃあ!」と声をあげて少女はバランスを崩してしまった。
間髪を入れず、魔物がグルリと反転する!
「悪魔上等ォォォッ! この身を削ろうともキサマを屠ってみせるわ!!! ウヒャオオオオオオォォゥ!」
雄叫びを上げると「ザンッ!」と地面を蹴り上げて、魔物が少女に向かって突進した! 白い靄が巻き上がり、「ギィンッ!」と鈍い金属音が響いて黒いシールドが煌めいた。少女が寸でのところでガードしたのだ。
「小癪ッ! 生意気ッ! 無知無能ォゥッ!!」
ありとあらゆる罵声を浴びせながら、魔物が少女に突進を繰り返す。少女は腕をクロスさせてシールドを展開しているが、防戦一方だ!
悪魔だって言ってたけど、まるで反撃できそうもない。一体、どうなってるんだ!?
瞬間、魔物の身体が白い靄に掻き消えて、少女が魔物を見失う!
「キシェアアアアアアヒャアアアアアアオオオウウウゥゥゥゥゥ!!!!!!!!!」
「上!」
思わず叫んだ俺の声に反応して、少女が間一髪、巨大なドリルと化した魔物の攻撃を受け止める! 黒い火花が上がったかと思うと、一拍の間を置いて、「グォン!!」という衝撃音と共に周囲の白い靄を掻き散らして豪風が吹き抜けた!
「……くっ!」
魔物の攻撃を受け止めたはずの少女が片膝をつく。魔物は間髪をいれず、再び、上空高くへとジャンプした! もう一度同じ攻撃を繰り出すつもりだ!
「ヒギャアアアアアァァァッァハアァァァァァァァァァッッ!!!!」
さっきよりも激しく「ズダァン!!」と轟く衝撃音! 襲い掛かってくる白い靄と共に砂や小石が俺の身体を打ち付ける。俺は身動きすらままならず、ただただ両腕で防ぐしかなかった。
あの子は……あの子はやられてしまったのか!?