(一)ミストの魔物:謎の少女現る
「ま、マジかよ! こんな……知らない町で、いきなり……!」
ミストに巻き込まれようものなら生命が危ない……!
精霊魔術師育成プログラムで聞いてはいたが、まさか自分がそんな事態に巻き込まれるなんて思ってもみなかった。血の気がサッと引くのを感じるとともに、さっきまで流れ落ちていた汗とは違う汗が、ブワっと噴き出してくる。
こんな時は確か……ミスト発生地点をスマホで確認して、安全な場所へ避難する!
「そ、そうだ! す、スマホ!」
ハッとしてスマホに視線を向けると、スマホを握りしめる手が小刻みに震えていた。
「え、えっと……ど、どのアプリだっけ!?」
気が動転して頭がおかしくなりそうだ。頭の周りをグルグルと周回している精霊プリズムの動きが、急かすかのように慌ただしくなる。
「わかってるよ! わかってる!」
落ち着け! アイコンを見ればわかるはずだ!
スマホ画面を横にスライドさせながら、『ミスト発生情報アプリ』を探し求める。
「……あった! こ、これだ!!」
喜び勇んでアプリアイコンをタップした瞬間、思わず「はっ」とした。
「霧……?」
足元をふわーっと通り過ぎて行く白い靄。驚いて辺りを見渡すと、住宅の軒並みがゆっくりと白く霞んでいくのが目に映った。
それに────。
「……アナウンスの声が……?」
さっきまで聞こえていたはずのアナウンスとサイレンが、パッタリと止んでいる。俺の右前あたりを漂う精霊プリズムも、さっきまでの慌ただしさが嘘のように落ち着きを取り戻している。
いつの間にか、静寂が辺りを支配していたのだ。
……まさか、これって?
アプリを起動したはずのスマホに目をやると……。
「ネット接続が途切れてる……」
ミストの中では通信障害が発生する────。
精霊魔術師育成プログラムで習った通りだ……なんて感心してる場合じゃない!
俺は……俺は、ミストの中に巻き込まれてしまったのだ!
万が一、ミストに巻き込まれたならば、救援が来るまで自力で生き延びるほかない。魔物に、見つからないように。
フシュウと冷たい風が吹き抜けて、そのあとを追うように白い靄がじわりじわりと湧いてくる。山を巻くように続いていた坂道の先が視界から消え、地面は10m先ぐらいまでしか見えなくなっていた。背筋がゾッとして冷たい汗が流れ落ちる。
「そこで立ち止まっていては危険ですよ!」
突然の声に、思わず振り返る。霧の中から少女が一人、息を弾ませながら駆け出てきた。
白いワンピースにつば広の白い帽子、そしてその左肩あたりに、精霊プリズムが寄り添うように漂っていた。
「き、キミは……?」
「こっちです!」
少女は右手の方を指し示すと、すぐに駆け出した。
「ま、待って! 荷物……」
俺は慌ててスポーツバッグを抱え上げようとするが、さっきまで肩に担いでいたのが信じられないぐらい、ずっしりと重みを感じてしまう。
「早く! 隠れないと!」
少女は駆け寄ってくると、スポーツバッグ抱え上げるのを手伝ってくれようとした、が……。
「うーん」とばかりに力を入れる顔が、みるみる紅潮していった。細くて白いその腕は、見るからに腕力が無さそうだ……。
「何が入っているんですか、これ……?」
「ごめん……いろいろと」
少女はあきらめて、バッグから手を離すと、手をさすりながら申し訳なさそうな表情をした。
「……今は生命の方が大切だと思います……あっ!」
アオオオオオォォォゥ、アオオオオン────。
どこからか聞こえてくる、狼の遠吠えのような鳴き声。ドキリとひとつ、嫌な音を立てて心臓が鼓動した。
「……早く、隠れましょう!」
「あ、ああ」
「今は見つかるわけにはいきません……!」
頷く俺の手を取ると、少女は再び駆け出した。手を引かれるままに、俺もその後を追いかける。
「(ああ……俺のお宝が……)」
走りながら後ろ髪引かれる思いで後ろを振り返る。と、視線の先で大きな黒い影が「ザザーッ」と音を立てて地面を滑り込んできた。
そしてその黒い影が白い靄に溶けこんでいくかに思えた瞬間、爛々と光る真っ赤な視線がこちらを向いた────。




