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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

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君のために罪を隠す

作者: かん
掲載日:2026/04/03

人を殺してしまった。



「はぁっ、はあっ、はっ……」



呼吸が荒くなる。

頭がうまく働かない。


23時。目の前で動かなくなってしまった恋人を前に、私は指先一つすら動かせなかった。


わざとではなかった。

彼氏は浮気性で、今日はそのことで喧嘩をしていた。

いつも、「理花だけだよ」とか甘い言葉で私のご機嫌を取ってきて、私も許していたのだけど。

けれど今日は、何度目か分からない浮気に苛立ってしまい、言い訳をする彼を無視して布団のあるロフトに籠った。

諦めて帰ってくれたらこんなことにはならなかったのに。

追いかけてきた彼に、私は「出て行って」とロフトへのはしごを登る彼を突き飛ばしたのだ。

危険だなんて考えは思い浮かばなかった。ただただ遠ざけたくて、彼の体を押してしまった。

彼はそのままはしごから落ちて、階下にあるテーブルに頭を打ってしまった。

すごい音がした。

慌てて下に降りたけれど、いくら呼んでも彼はぴくりとも動かない。

後頭部から流れでる血の量に、さあっと血の気が引いた。

救急車を呼ばなければいけない。分かっている。けれど、息を吸うことでいっぱいいっぱいで、体が言うことを聞かない。


どうしよう、どうしよう、どうしよう。


だらりと四肢を投げ出した彼の姿は、思わず目を逸らしたくなってしまうほどに痛々しい。

ラグの赤いシミがどんどん広がっていくのと連動するように、心拍数がどんどん上がっていく。



ぐるぐると悪いほうに渦巻く思考を断ち切るように、部屋のインターホンが鳴った。

その音に、びくりと体を震わせる。

もう23時だし、誰かが訪ねてくる予定なんてない。

いったい誰だろう。

彼が落下した時に物凄い音がしたから、不審に思った人が訪ねてきたのではないか。

私がいる場所からインターホンのモニターは見えず、腰が抜けてしまい動けないので、非常識な時間の訪問者にがたがたと震えるしかなかった。


何回かインターホンが鳴りそれに答えずにいると、私のスマホが着信を告げた。

画面に映し出されたのは幼馴染の隼人の名前。私の兄的な存在で、隣の部屋に住んでいる隼人からの着信だった。


そうだ、どうして隼人のことを思い出さなかったのだろう。

先ほどから鳴っているインターホンも、きっと隼人が鳴らしているのだろう。

隼人は普段こんな時間に訪ねてきたりはしないが、先ほどの音を聞いたのなら私に何かあったんじゃないかと心配してくれるはず。

隼人に助けを求めよう。彼ならきっと冷静に救急車を呼んでくれる。


なんとか体を動かして玄関の扉を開けると、驚いた表情の隼人が立っていた。


「理花!さっきすごい音したけど大丈夫?」


いつもの優しい隼人の声に、堰を切ったかのように涙が溢れた。

ぎょっと目を剝く隼人に、私は声を震わせながらしがみついた。


「たすけて、はやと……っ」




「……っこれは……」


部屋に横たわる彼氏の姿に、隼人は言葉を失う。


「ごめ……っ、ごめ、んなさい……っ。きゅ、救急車、おねがい……っ」

「……、大丈夫だよ、理花。心配しないで。とりあえず、俺の部屋に行こう」



促されるまま隼人の部屋に行くと、彼は手際よくホットミルクを作ってくれた。

けれどとても飲む気にはなれず、マグカップを両手で握った。

ホットミルクが入ったマグカップは冷えた指先を温めたけれど、私の心は混乱したままだった。

そんな私を気遣ってか、隼人は安心させるように微笑んで私の頭を撫でた。


「理花、俺ちょっと出かけてくるね」

「……っ、悠汰くんは……」

「大丈夫だよ。俺に任せて」


そう言って隼人は部屋を出て行った。

一人取り残され、不安と恐怖で胸が押し潰されそうになる。


彼氏……悠汰くんは無事だろうか。

隼人はきっと悠汰くんを助けるために動いてくれているのだろう。

取り乱すだけで何もできなかったことに申し訳なくなる。

それでも、悠汰くんのあの姿を見たら背筋が寒くなって震えが止まらなくなってしまう。


緊張からか、口の中がカラカラで唇も乾燥している。ホットミルクを口に運ぶけれど、味がよく分からなかった。

それでも体が温まったからだろうか、次第に瞼が重くなる。

次に気が付いた時には、朝だった。



「……っ!」


夢だったらよかった。

けれど今隼人の部屋にいる時点で、昨日の出来事は夢じゃないんだと思い絶望する。


「あ、起きた?おはよう」


私が飛び起きたことに気付いた隼人が近付いてきた。

その手には切ったリンゴが乗った皿。

私の前に差し出すと、彼からふわりとシャンプーの香りがした。

お風呂に入ったばかりなのだろうか、髪がまだ少し濡れている。


「……っ悠汰くんは!?」

「……大丈夫。見つからないように埋めてきたから」


聞き間違いかと思った。

あまりにも平然とそう言うから。


「……ごめん、もう一回聞いていい?」

「うん。あいつは、山に埋めてきたよ。誰にもばれないと思うから理花は気にしないで」


隼人は、いつもの優しい幼馴染のお兄ちゃんの笑みを私に向ける。

いつもと同じ笑顔。安心して頼りたくなってしまう隼人のこの笑顔が大好きだった。

けれど今は、隼人の言葉に視界はぐにゃりと歪み、心臓は嫌な音を立てていた。



「ど、どういうこと?埋めてきたって何……?」


隼人は私を落ち着かせるようにゆっくりと最初から説明してくれた。

昨日、隼人が私の部屋に入った時には悠汰くんは死んでしまっていたこと。

混乱する私を置いて、隼人が一人で悠汰くんを車で片道一時間半ほどかかる山奥に埋めに行ったこと。

私が目覚める一時間前くらいに帰ってきたこと。


丁寧に話してくれた事実に、頭がぐらぐらと重くなる。

彼氏が死んでしまった、私が殺してしまった事に吐き出してしまいそうだ。けれどそれ以上に隼人が死体を隠蔽したという衝撃が大きすぎる。


「……なんで、どうしてそんなことしたの?それって犯罪だよね……?隼人がそんなことする必要なかったんだよ!?」

「なんでって……。理花のことが大切だからだよ。誰にもバレなければ、理花を守れるだろ?」

「そんな、そんな理由で……」

「俺にとっては大事な理由だよ」


隼人が何を考えているか分からない。

小さいころからずっと一緒にいたし、大学生になって一人暮らしするときも、両親から「隼人くんと隣同士なら安心だから」って言われて住む部屋を決めたくらいなのに。

学校の話とか、友達や彼氏の話もたくさんした。

お互い信頼していたし、考えていることは何でも分かるとそう思っていたのに。


私のために死体を隠すなんて、おかしい。

事故みたいなものとはいえ、人を殺してしまった。私はいくらだって罪を償う。

でも、隼人は関係なかったのに。

死体を隠すなんてことしなければ隼人は無罪だったのに。


「自首しよう。隠し続けるなんて無理だよ。自首した方が刑は軽くなるよね?」


そう言うと、隼人は悲しそうに目を伏せた。


「自首するなんてダメだよ。俺は、例え事故だろうと理花に前科ができるなんて嫌だ……。自首したら、俺たちの人生はめちゃくちゃになっちゃうんだよ」

「……っ」

「ねえ、自首しないでくれるよね?大丈夫。絶対バレないようにうまくやるよ。理花はただ俺の言うとおりにしてくれたらいい」



私は、人を殺してしまった。

隼人は、私を守るために死体を隠した。


昨日までの私は、まさかこんなことになるなんて思わずただただ悠汰くんの浮気に腹を立てていた。

一晩で罪人になってしまうなんて、思ってもいなかった。


自首をしたら、隼人はどうなるの?

私が隼人を巻き込んでしまった。私のせいで、隼人は罪を犯してしまった。

死体遺棄ってどれくらいの刑なの?

隼人は社会人だ。もしも捕まったら、仕事は?第一希望の会社に入れたと喜んでいたのに、辞めることになってしまうの?

私が自首したら、隼人の人生は狂ってしまうの?



……隼人の、言うとおりにしよう。



そうだ、隼人はいつも私を優しく導いてくれた。

頼れるお兄ちゃん的な存在で。

隼人の言う通りにすれば、きっと一番いい道に進めるのだろう。


目の前には、いつもの優しい笑みを浮かべた隼人。

私は考えることを放棄して、隼人に従うことにした。


ずぶずぶと底なし沼に足を突っ込んでいることはわかっている。それでも、隼人がそれでいいと言うのなら、私は沼に足を突っ込むのだろう。




それからの日々は、生きた心地がしなかった。

隼人の言う通り、いつも通りの日々を過ごす。

いつも通り大学に行って、バイトに行って、自分の部屋に帰る。

隼人は血で染みたラグを取り換えてくれた。

悠汰くんの私物を捨て、彼が部屋に来た痕跡を消した。

悠汰くんは私以外にも複数人彼女がいたようで、事件当日私と会うことを誰にも言っていなかったようだ。

彼の捜索が行われ、私も事情聴取を受けたけれど、死体が発見されていないからだろうか。身構えていたほど詰問されなかった。


拍子抜けするほどあっさりと、日常に戻った。

ただ、そこに悠汰くんだけがいない。


心に大きく大きくついてしまった傷を舐めあうように、私は隼人と過ごした。

隣同士の部屋だけど、いつの間にか隼人の部屋で過ごすことの方が多くなった。

不安に押しつぶされそうな時は、幼馴染の領域を超えて隼人と繋がる。


私たちの関係は?

幼馴染?友達?恋人?

そのどれもが違う気がする。

一番しっくりくるのは、共犯者という言葉。

誰にも言えない秘密を、二人だけで抱えている。

もうとっくに、ただの幼馴染ではなくなってしまったんだ。



「理花、結婚しよう」



そう言われたのは、あの夜から五年が経った日だった。

夕食を終え、二人でテレビを見ていた時に急に切り出された。

隼人の言葉に驚いて何も言えずにいると、隼人は私の左手を取り薬指に指輪をつけた。

その輝きに、嬉しさよりも罪悪感でいっぱいになってしまう。


「隼人……ごめん、無理だよ……」


拒否されると思っていなかったのだろうか。

隼人は驚きで目を丸くさせた後、焦ったように私の左手を両手で包み込んだ。


「どうして……?俺、理花のこと大切にするよ」

「あ……ごめんね。隼人が嫌だからとか、そういうのじゃないの。……ただ、私が幸せになるのは駄目だと思うの。一人の人生を奪った私に、幸せになる資格なんてないんだよ」


俯くと、私の手を覆っている隼人の手に水滴が落ちた。

右手で拭うけれど、とめどなく溢れる涙は手では拭いきれない。


あの日から、何回涙を流したのだろうか。

五年経ってもなお、あの夜のことは鮮明に思い出してしまうし、息がうまく吸えなくなる時がある。

何度も何度も後悔して懺悔して、苦しさから自殺を図ったこともあった。

隼人に支えてもらってなんとか日々を過ごしているけれど、私はずっと前に進めないし進んではいけないだろう。


「…………理花」


隼人が私の名前を呼ぶ。

涙と鼻水でぐちゃぐちゃになってしまった顔を上げると、隼人も泣き出しそうな顔をしていた。


「理花がそう思うなら、無理に結婚しなくてもいいよ。……でも、これから何年、何十年後もずっと傍にいさせて?俺は理花じゃないと駄目だから」


……私も、隼人じゃないと駄目だ。

隼人がいないと、呼吸すらできなくなってしまう。


こくりと頷くと、隼人は涙でぬれた私の瞼にキスを落とした。







あの夜は、俺の人生を大きく変えた。


お風呂上りに部屋で寛いでいると、隣の理花の部屋から大きな音がして、心配になった。

今日は、あいつが来ている日だったんじゃないか。

昨日連絡したとき、「また彼氏が浮気した、明日問い詰める」とかなり怒っていたことを思い出す。

かなり迷いながらも、俺は理花の部屋のインターホンを鳴らした。



俺は、理花のことが好きだ。

いずれ告白しようと思っていたのに、彼氏ができたと言われた時はショックだった。

それでも、理花は嬉しそうだし、彼女が幸せならそれでもいいか、とも思った。

けれどその彼氏が相当のクズで。

理花から浮気されたと愚痴を言われたのをきっかけに調べてみると、そいつはとんだ遊び人だった。

一度に何人もの恋人を作る。理花のこともきっとただの遊びなんだろう。

大事な人を雑に扱われたことに、憤りを感じた。

やっぱり、理花は俺が幸せにしたい。


どうやって別れさせようか。

数回浮気されても、奴の口がうまいのか理花は許してしまう。

いっそのこと、理花と別れるよう奴を脅すか?


そう考えていた矢先のことだった。

ぴくりとも動かないそいつと、青ざめ助けを求める理花を見て、思ったんだ。

理花を守らないと、と。



だから俺は、理花を俺の部屋に残し、奴を連れて山に向かった。

片道一時間半。

運転しながらいろいろなことを考えた。

不安ももちろんあった。

俺は、超えてはいけない一線を超えようとしている。

これからやろうとしているのは紛うことなき犯罪。

上手く隠し通せるものなのだろうか。警察を欺くことなんてできるのだろうか。

ずっと心臓がうるさく鳴っている。

けれどもう、引き返すことなんてできない。



その山は、手入れがあまりされていなかった。

車で行けるところまで登り、生い茂る木々の中、外に出る。

あかりなんてもちろんなく、今夜は月も雲に覆われていて頼りになるのは車のライトだけ。

秋の夜の山は、とても寒い。

上着も着ずに出てきたので、軽く身震いしてしまう。

静かな空間にただただ風が木々を揺らす音だけがしていて、まるで世界でここだけ切り離されたかのようだった。


……まさか、死体を埋める日が来るとは思わなかったな。



後部座席を開け、奴を外へ運び出そうとする。


けれど持ち上げようとした瞬間、奴は小さく呻いた。


……生きていたのか。

後頭部の出血量から見て死んだものだと思い込んでいたから、心底驚く。

もしかしたら、今から病院に連れて行けば助かるのだろうか。

一瞬そんな考えがよぎるけれど、もう手遅れだと気付いた。

この山に来た時点で、もう手遅れだ。

事故の後、救急車を呼ぶでもなく遠方のこの山まで来たことをどう説明する?

何を言っても、誤魔化すことなんてできないだろう。


俺は持ってきていたシャベルでそいつの頭を殴った。

何度も、何度も何度も何度も殴った。

今度こそ動かなくなると、穴を掘った。

体を動かしながら、俺はべったりと汗をかいた。

それが重労働による発汗なのか、それとも冷や汗なのかは分からない。


……気持ち悪い。



何回か吐き戻してしまう。

それでも体に鞭を打ち、心を殺しながら穴を掘った。

そう深くは掘れなかったけれど、それでいい。

血の香りにつられて、野生動物が遺体を食べてくれるかもしれないから。

穴に遺体と、シャベルを埋めた。


今にも罪の意識で押しつぶされてしまいそうだった。

俺は、人殺しになってしまったんだ。

この手で、殺した。

これから先きっと、俺は土の香りがする度にこの夜を思い出すことになるのだろう。


理花は、俺を軽蔑するだろうか。

怖く思う反面、そんなことはないと、ずっと一緒にいたからこそ分かる。

けれど自分のせいで俺が殺してしまったのだと知ったら、理花は深く悲しむだろう。

事故で死んでしまった、俺は隠蔽しただけ、とお互いを守りあう方がよっぽどましなはずだ。

自首はしないしさせない。俺が捕まってしまったら、本当のことを知った理花の心を誰が守れるというんだろう。



……大丈夫、俺の判断は間違っていない。

理花が壊れてしまわないように、俺が理花を守るんだ。

これは、正しいことなんだ。



人を殺してしまった俺は、傲慢な選択肢しか選べない。

もしかしたら、俺は狂ってしまったのかもしれない。

それでも、彼女といたくて。

例えこの先が苦しいものだとしても、俺は嘘をつき通すことを決めた。

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