第9話 東への旅路と銀の狐
まだ白い息の出るほどの冷たい空気を吸い込みながら、僕たちは木々の間を縫うように歩き出した。
手の甲の手袋に仕込んだ魔法のコンパスと、木漏れ日の向こうに見える太陽の位置をすり合わせる。
出発した家は森の深部にあり、目指す遺跡は森を抜けた東の山脈だ。
太陽の位置を頼りに進めば大きく道を外れることはない。
道中、森の中は不自然なほど静まり返っていた。
本来であれば2、3は魔物と出くわしていても不思議では無いのだが、どうやら横を歩くツバキから漏れ出ている威圧的な気配を魔物たちは本能的に恐れ、避けているようだった。
進路に魔物の気配を感じても、近づくと波が引くように逃げていく。
だが、中にはその気配に怯まない魔物もいる。
ガサガサと前方の茂みが揺れ、巨大な牙を持つフォレストボアが飛び出してきた。
猛烈な勢いでこちらにまっすぐ突進してくる。慌てることなくツバキの前に出て魔法剣を抜き、構える。
ボア種の魔物の対処は突進力こそ脅威だが、弱点は明確だ。
突き出した鼻先や頭部の強度は恐ろしいものの、逆にそれ以外は柔い。
突進の軌道から体を1個分ズレて躱し、すれ違いざまに刃の腹でボアの柔らかい横腹をバシンと叩いてやる。
「ブギィッ!!?」
急所を打たれたボアは驚いたような鳴き声を上げ、戦意を喪失して森の奥へと逃げ帰っていく。
逃げてくれるなら、命を奪う必要はない。
素材が欲しいわけでも、食料が無いわけでもないのだから。
剣を鞘に納めると、背後でツバキがパチパチと拍手を送ってくれていた。
◇ ◇ ◇
太陽が沈み掛かる頃、見晴らしの良い泉のほとりで足を止めた。
地図によれば、ここからもう二十分ほど歩いたところが目的地であった。
「今日はここでテントを張ろうか」
ドサッ、と背負った荷物を降ろす。
ユーリがテントの設営と、魔力で作動する焚火の設置を進める傍ら、ツバキはいそいそと手提げバッグから弁当箱を取り出し、布を広げる。
綺麗に詰められた彩り豊かなおかずと、俵型に整えられたおにぎり。
自分でこしらえるときはいつもパンにハムや野菜を挟んだ簡素なものばかりだったため、その彩りの美しさは彼の目を楽しませ、胃袋を鳴らした。
「いただきます」
左手におにぎりを持ち、右手で木製のフォークを使い、卵焼きを取る。
甘い味わいの後にふんわりと深みのあるスープの旨味が広がる。
鶏の唐揚げは朝から時間が経っているが、外はサクっと、中からはジューシーな肉汁があふれ出し、歩き疲れた身体に塩気が染み渡る。
「おいしい。冷めてもこんなにおいしいなんて凄いな」
料理の腕を褒めると、ツバキは嬉しそうに目を細め微笑み、あの金属製の筒、水筒のふたをコップにしてお茶を注いでくれた。
受け取ったコップからは確かな温かさ―――熱さを感た。受け取ってふーふーと息を吹きかけ、少しずつ口に含む。
「熱々だね。おいしい」
肌寒い森の中を一日歩いたのに、注がれたお茶は淹れたてのように熱々だった。
この世界にも後で温めることのできる水筒は存在するが、この水筒にはそういった魔術的な仕掛けは見られない。いったいどんな高度な技術力を持っているのだろうか。
次元の間から行ける「あちらの世界」はどれほどの文明を築いているのだろうか。
ちらりとツバキの方を見ると、彼女もまたおいしそうに食を進めていた。
今朝、横で無防備に眠る姿を見た時から薄々感じてはいたが、どうやら実体化している時は普通の人と変わらず、空腹も感じるし、適度な睡眠も必要とするらしい。
ユーリがそんな分析をしていると、ふと、対岸の茂みから微かな気配を感じた。
敵意はない。ひどく弱々しい、命の灯火が消えかけの気配。
警戒しながら近づくと、そこには美しい銀色の毛並みを持った一匹の魔物―――フォックス種の魔物が倒れていた。
後ろ足に深い裂傷を負い、荒い息を吐いている。
「酷い怪我だ…」
ユーリがその傷口を確認しようとしゃがみ込んでも、逃げるどころか何かしらの行動すらなかった。
それほど弱っているのだろう。見ると、ボウガンのような鋭利な傷であった。
フォックス種はその美しい毛皮から人気が高い。
特に銀色の毛並みを持つ個体は希少である。
その需要の高さから競って狩猟され、大きく個体数を減らしてしまった。
やがて狩猟が禁止された今でも、密猟者は後を絶たなかった。
「申し訳ない…」
常備している治癒薬を取り出し、裂傷した足にかける。
みるみるうちに傷は塞がり血は止まったが、消耗し過ぎている。このままでは、いずれ…。
そう考えていると、横からツバキの手が伸びてくる。
手のひらからは薄い、白とピンク色が混じった淡い光がこぼれ、温かな波動とともに魔物の体を優しく抱きかかえた。
慈愛に満ちたその姿は、最初に出会ったあの時の冷たい悪霊からは想像もつかない、聖女のような佇まいだった。
『良くなって…』
あれほど弱っていた魔物の息が落ち着き、静かな呼吸へと変わる。
苦しそうに上下していた体も、呼吸に合わせてゆっくりと、少しふくらむほど。
やがてパチリと目を開けた。
ほっと、安心して息をついた。ツバキの腕に抱かれている魔物は、ただ静かに撫でられている。
怯える様子のない魔物に、ツバキの許可を取った上でそっと、唐揚げを一つ差し出してみる。
匂いを嗅ぐと、ぱくりとそれを咥え、よく噛んで飲み込んだ。
途端にその瞳がキラキラと輝き、ツバキの胸元にすりすりと頭をこすりつけている。
どうやら完全に懐いてしまったようだ。
―――その夜は温かい毛並みのおかげで、二人はテントの中でも快適に眠ることができた。




