表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/11

第6話 裏切り者には悪夢を、優しい人には祝福を

白と黒が反転した瞳の奥で、漆黒の殺意が静かに渦を巻く。


彼を傷つける者は、私が全て消し去ってあげましょう。


あの裏切り者たちの魂が消滅するまで、終わることのない苦痛を与えてやりましょう。


規則正しい彼の寝息を聞きながら、ゆっくりと身体を離した。




(……しかし)


私がこの怒りに任せてその者たちを屠ったとして、もしそれを彼が知ってしまったら。


この縁が切れてしまうことへの恐怖よりも、彼が「己のせいで誰かが死んだ」と自分を責めてしまう、その可能性が何よりも恐ろしかった。


(あなたはきっと、私が復讐を提案したら止めるのでしょうね)


身体に満ちていた絶対零度の殺意を、ゆっくりと胸の奥底に引き戻した。


この心優しい少年に、新たな業を背負わせるわけにはいかない。





(……ええ。命までは取らないでおいてあげるわ)




◇ ◇ ◇


黒い霧と化し、窓の隙間をすり抜けて夜の森へと散っていく。


その霧は夜風に乗り、やがて、忌まわしき街へと辿り着く。




深夜の街は静まり返っていた。城壁をすり抜け、人々の深層心理を辿って関係者たちの寝所を探し当てる。


対象の魂に触れ、思考を読み取っていく。







――見つけた。


彼を裏切った三人。


酒の臭いが充満する部屋の中で、彼らは随分と幸せそうに寝息を立てていた。


すうっと黒い霧を飛ばし、その浅ましい記憶を盗み見る。





『ユーリが先走り、依頼を達成できなかった』


『あいつが欲をかいて財宝を持ち去り、行方をくらませた』





ギルドのリーダーへ報告した虚偽の言葉。


それを完璧な策だと思い込むその思慮の浅さには、呆れにも似た感情を覚えた。



―――ふと、寝室の机の上に置かれていた荷物に目を落とす。




その瞬間、再び空気が凍りついた。


そこには金品の他、何やら古めかしい地図、そして、彼の思念を感じる、ボロボロの財布があった。


(――ええ、本当に。命までは取らないわ)


ツバキの白磁のような顔に、ピキリとひび割れるような笑みが浮かんだ。


それは歓喜でも冷笑でもない。


ただ顔の筋肉を物理的に引き伸ばして、三日月の形に固定しただけの仮面だった。


白と黒が反転した瞳が、極限の怒りによってどろどろに渦を巻いている。


音もなく男たちの枕元へ滑り寄り、氷柱のように冷たい指先を、三人の胸の奥深くへと沈め込んだ。


実体を持たぬ指が物理的な肉体を透過し、その「魂」を荒々しく掴み取る。


途端に、豪快にいびきをかいていた男たちの顔から、一瞬にして血の気が失せた。


冷や汗が滝のように噴き出し、歯は凍えているかのようにガチガチと鳴り始める。酒により上気していた顔は土気色に変色し、やかましかった呼吸は、ヒュー、ヒューと掠れたような浅い喘鳴へと変わっていく。



(彼の治癒に使った分は、返してもらうわ)


生死を操る力の根源は「等価交換」にある。与えるならば、それと同等の生きる力が必要だ。ツバキは彼らの「生命力」を死なない程度に奪い、己の中に蓄えていく。死にはしない。だが、彼らは今後一週間、まともに歩くことすらできない深刻な衰弱に悶え苦しむだろう。


「……あ……ぐっ……」

    


激痛と悪寒に顔を歪め、浅い意識の中で呻く男たち。


その耳元に、仮面の笑みを張り付けたまま、ツバキは顔を寄せ、凍てつく声で囁いた。



『追加で、絶望を見せてあげる。……きっかり九時間、覚めない悪夢に沈みなさい』







◆ ◆ ◆


男は温かい部屋で酒を飲む。


陥れたユーリについては、特に何も思うことは無い。


世の中、お人よしな人間ほど利用しやすいものは無い。


遅かれ早かれ、あいつの性格だったらいつか食い物にされていただろう。


普段から人の顔色ばかり窺っては、誰もやりたがらない面倒な仕事を引き受けるような奴だった。俺たちが有効活用してやったんだ。むしろ感謝してほしいくらいだな。


男は下品な笑いをこぼし、机の上に無造作に放り出されたユーリの使い古した財布や、奪い取った金品の山を眺めながら、安い酒を喉に流し込んだ。


いい気分だった。これでしばらくは、危険な依頼を受けずとも遊んで暮らせる。




――その時だった。


ふと、部屋の空気が急速に冷え込んだ気がした。


暖炉の火は赤々と燃えているのに、骨の髄まで凍りつくような異常な冷気が、背中からじわじわと這い上がってくる。煌々と燃えているはずの暖炉からは、先ほどまでしていた薪のはぜる音が一切聞こえてこない。




……なんだ、急に……悪寒が……


酒の酔いとは違う、強烈で不自然な眩暈が男を襲う。


視界がぐにゃりと歪み、男は立ち上がろうとしてそのまま、糸の切れた人形のように床へと崩れ落ちた。





――そして、男は「暗闇」の中で目を覚ます。


……っ!? ここは……


先程までの温かい自室ではない。


音の無い、夜の海を切り取ったかのような真っ暗な空間だった。


手足は凍りついたように重く、指一本動かすことができない。


そして男は、暗闇の奥で「それ」と目が合ってしまった。


濡れた黒髪の隙間からこちらを覗き込む、白と黒が反転したおぞましい眼球。底なしの闇のようなその瞳が、ぐるぐると渦を巻いている。


男が悲鳴を上げる間もなく、暗黒の底から無数の黒い手が肉体に絡みつく。


それは氷のように冷たく、そして岩のように重かった。


ただ、圧倒的な「死」の気配だけが、男の全身を容赦なく締め上げていく。





息が、できない。






肺に冷たい泥水を流し込まれたような錯覚。


酸素を求めて口を大きく開けるが、音すらもこの闇に吸い込まれ、声帯を震わせることすら許されない。


暗闇の奥から、「それ」が這い寄ってくる。


足音はない。


ただ、空間そのものが歪むようなおぞましい気配と共に、白黒が反転した瞳が、男の顔のすぐ目の前まで迫っていた。


逃げたい。

助けてくれ。

許してくれ。

俺が悪かった。


声にならない命乞いを叫ぶ男に、「それ」は笑みを浮かべた。


次の瞬間、男の体は底なしの深淵へと真っ逆さまに引きずり込まれた。


◇ ◇ ◇


―――ツバキはそれ以上、彼らを見ることはなかった。


机の横に無造作に放られていたユーリのものと思わしき財布を、大切に拾い上げる。


そして彼が本来得るはずだった財宝の中から、一番高価に見えた装飾された剣と指輪を袂にしまう。


冒険者であるユーリなら喜ぶかもしれないと思い、古めかしい地図も合わせて頂戴する。


(お前たちが汚い手段で得た残りの財宝は、そのままくれてやるわ。休業中の補填にでもなさい)


袂にしまった戦利品を闇に呑ませ、ツバキは部屋を後にした。



◇ ◇ ◇


―――街を去る前に、ツバキはもう一つの部屋へと立ち寄った。


裏切り者たちの記憶の中にあった、ギルドのリーダーの寝室だ。


白髪交じりの初老の男は、執務机に突っ伏したまま浅い眠りについていた。


その手にはユーリのギルド登録証らしき羊皮紙が、強く握りしめられている。


そっとその思念に触れると、伝わってきたのはユーリの身を案じる強い心配だった。


わずかに、目を見開き、やがて毒気が抜けたように柔らかく微笑んだ。


あの心優しい少年の本質をちゃんと見て、心から案じてくれている人がこの街にもいたのだ。


男の耳元に顔を寄せ、夢に直接干渉するように、そっと囁いた。



『ユーリは 大丈夫 です』




初老の男の険しかった眉間が、その声を聞いてふっと緩む。


苦しげだった呼吸が安らかな寝息に変わったのを見届け、机の上に「白い百合の花」をそっと置いた。


彼が目覚めた時、今のがただの夢ではなく、確かな知らせであったと気付けるように。




――夜明け前の街を後にし、愛しい人が眠る、あの静かな寝室へと帰っていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ