第11話 首の無い騎士
幻想的な光の胞子が舞う苔むした通路をしばらく進むとやがて、巨大な円形の広間が見えた。
その空間は、周囲の石壁にびっしりと古代の文字が刻み込まれ、床の中央には魔法陣のような意匠が施されている。どうやら、ここがこの遺跡の最奥部らしい。
その荘厳な静けさに感嘆のため息を漏らし、足を踏み入れた――その時だった。
遺跡を照らしていた天窓の光や、胞子が放っていた淡い輝きが、文字通り一瞬にして消失した。
完全な無明。自分自身の呼吸の音すら闇に吸い込まれていくような、鼓膜を圧迫する異様な静寂。
ただ灯りが消えたというレベルではない。空間そのものが闇に溶け込むような本能的な恐怖を感じた。
数秒ののち、再びパっと空間が明るさを取り戻す。そして、目の前の光景に息を呑む。
広間の中央。先ほどまでは何も無かったはずのその場所に、「甲冑」が立っていたのだ。
ただの鎧ではない。ところどころが赤黒く錆びつき、禍々しい気配を放つその姿には、肝心の「頭部」が存在しなかった。首の断面からはどろどろとした黒い霧のようなものが絶えず立ち昇っている。
明確な殺意がゆっくりと、肌に絡みついてくる。
いち早く反応したのはツバキだった。
彼女は瞬時に僕を庇うようにすっと前へ出た。彼女の指先が鋭い刃のように伸びる。
そしてその甲冑に勢いよく飛び掛かる。
―――だが、違った。
中央に現れた首なしの騎士は、ただの幻影、あるいは僕たちの注意を引くための囮だったのだ。
本当の死の気配は、前ではなく、背後。
いや、真下から立ち昇った。
ぞくり、と全身の産毛が逆立つ。ツバキが前へ出たその一瞬の隙。その死角を突き、あろうことか僕自身の影の中から実体を持った本物の首なし騎士が、身の丈ほどもある大剣を振り被ってずる…と這い出してきたのだ。
「―――ッ!」
回避は、間に合わない。
反射的に身体をねじり、首なし騎士の剣の軌道の反対側に飛びのいた。
その直後、熱さを感じる。違う。煮えたぎる熱湯を直接内臓に叩き込まれたような、圧倒的な痛み。
脇腹を斬られた。
視界が上下に反転する。しかしここで倒れては、確実に殺される。
なるべく、その騎士がいるであろう位置から離れた所に倒れ込む。
激痛に遅れて、自分の身体から大量の血液が流れていくのを感じる。切り裂かれた革鎧。その下の皮膚、筋肉、そして内臓までが完全に断ち切られていた。床に広がる赤黒い血の海。
血の気が引き、思考が急速に白く染まっていく中、ホルダーの治癒薬に手を伸ばす。栓を歯で引き抜き、ばしゃりと傷口にぶちまけた。
これで傷は塞がるが、失血で意識が遠のく。
「立たなきゃ死ぬぞ」と己に喝を入れて身をよじると、ツバキが瞬きする間もなく僕の傍に現れ、傷口の位置に両手を強く押し当てた。淡く、しかし強い、生命力の光が掌から溢れ出す。
心地よい。
この生死のかかっている瞬間にそんなことを考えてしまうほど、温かさを感じた。
僕を治癒したツバキは、そのまま憤怒の勢いのまま、首なし騎士へと飛びかかった。どす黒いオーラを纏った漆黒の爪撃。
ガキィィィン―――……
―――しかし、ツバキの渾身の攻撃は黒い鎧に完全に弾かれ、激しい火花を散らすにとどまった。
(魔力が、通じない……!?)
師匠の言葉を思い出す。通常の生態系から外れ、特殊な条件で生まれ落ちた特異な個体がいると。
奴の鎧には、ツバキの霊的な魔力攻撃を完全に無効化する強力な結界が張られているようだった。
ツバキの攻撃が通じないと見るや、首なし騎士は反撃することなく、再び足元の影の中へと泥のように沈み込んだ。
まずい。
死への恐怖を抑え込みながら周囲に気を張る。また影から現れるのだろうが、そう思わせるのも奴の手かもしれない。決して自分の都合の良いように考えてはいけない。
今度は壁の文字の小さな影から、無音で巨大な剣が突き出された。ツバキに手を引かれ、何とか回避する。影の大きさは関係がないことがわかった。
右、左、そして頭上の暗がり。予測不能の場所から、幾度も幾度も剣による一撃。
幻想的な空間を演出していた複数の天窓――皮肉なことに、その光が作り出す無数の影のせいで、奴の出現ポイントは全方位に及んでいた。
ツバキは強い。しかし、彼女の攻撃は相手に通じなかった。相手はいくらでも殺すチャンスを持っている。一瞬でも反応が遅れれば、真っ二つにされる。死と隣り合わせの防戦一方。
徐々に、ツバキの動きに焦りが見え始める。僕を庇いながらの回避は、彼女の精神と魔力を著しく消耗させていた。同時に、自分だけでは回避を続けることは難しく、彼女に頼らざるを得ない。
(ちくしょう……ッ!)
死ぬ気で頭を回転させながら、強く唇を噛み締めた。口の中に血の味が広がる。つい先ほどまで、僕は彼女の愛が誰に向けられたものなのかなどと、下らない葛藤で腑抜けていた。自分はただの身代わりだと、勝手に悲劇の主人公を気取っていた。
だが、現実はどうだ。そんな僕を守るために彼女は今、自分の存在そのものを削って死に物狂いで戦ってくれている。彼女の想いが前世の誰かに向けられたものだったとしても、今、目の前で僕を守るために泣きそうな顔で必死に剣を弾いているのは、紛れもなくツバキなのだ。
不甲斐ない。
彼女に感謝を伝えたいなら、そんなくだらないことで悩んでいる暇など無かった。恩返しのためにダンジョンに誘いながら、危機に陥って…それで彼女の愛の先が自分じゃないから悲しい?お前は何様なんだ。
弱音を吐くな。最善を尽くせ。冒険者として生きてきた知識を総動員しろ。
回避行動を続けながら、思考に集中する。
大変だろうが、今はツバキを頼らせてもらう。
頭部を持たず、影を渡り、強固な呪いの鎧を持つ不死の騎士。
御伽話で聞いたことがある。あれは―――『デュラハン』。
奴らは自身の失われた頭部を永遠に探し続けているという伝説の魔物だ。不死身に思える彼らだが、明確な弱点が存在する。それは、己の姿を正確に映し出す「鏡」だ。鏡を見せられ、自分の首が「無い」という事実を強制的に認識させられた瞬間、逃げ出すと言われている。
鏡。姿を映し出すもの。僕の荷物の中にそんなものはない。だが、僕たちには「あちらの世界の遺物」がある。つい先程、ツバキが綺麗なステンドグラスを記録していた、あの黒い板、スマホだ。あれならそういった機能もあるかもしれない。
(いける……!)
迫り来る影の刃と対峙しながら、ツバキに向かって叫ぶ。
「君が持ってるスマホを出してくれ!」
ただならぬ気迫を感じ取ったのか、ツバキは袂から一瞬でスマートフォンを取り出した。
「回避は任せてくれ!何とか、奴に顔を見せてくれ!!」
ツバキは少し逡巡している素振りを見せたが、意図が伝わったようで急いで操作を開始した。後は、このツバキの助けが無い数秒、奴の剣閃を回避することに専念する。
脳の処理をすべて「回避」に割り当てる。だが、奴の狙いがツバキへ向かないよう、あえて浅い踏み込みで隙を晒し、標的を自分に向けさせることだけは忘れなかった。
『OK』
ツバキと決めていた短い合図が聞こえる。
反撃の準備は整った。




