表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/11

第1話 死にかけた俺の首を絞めたのは悪霊でした

冷たい雨が、容赦なくユーリの体温を奪い続けていた。


泥にまみれた右半身を庇うように、暗い森の木々の間を歩き続ける。


手で押さえた脇腹の深い傷からは、熱い血がじわじわと、とめどなく溢れ出している。


指の間からこぼれ落ちる赤色は、雨水に洗われ、黒い泥の中へと消えていった。


(……もう、着くかな)





意識が遠のきそうになるのを必死に堪え、彼は目的の場所へと足を引きずる。一歩ごとに、焼けるような痛みが全身を貫いた。


それでも、この先にある景色を確かめるために歩き続けた。




ユーリには親がいない。産まれてから親の顔を知る前に、火事で亡くしてしまった。


産まれながらにあった右目のアザのせいで、周囲からは「呪われた子」として疎まれていた。


孤児院も、誰もかれもが引き取りを拒否する中、引き取ってくれたのは師匠であった。


その師匠も今はいない。



この不条理な運命を変えたい一心で誰よりも仲間に尽くしてきたつもりだった。


しかし、待っていたのは裏切りだった。背後から刃を突き立てられ、冷たい泥水の中に捨てられた。


『素性を隠せば大丈夫だと思ったのか?』


『呪いを振りまいていたんじゃないの?気持ち悪い』


『お前の右目も性格も、みんな嫌いだったぜ。じゃあな』





(……信じていたんだけどな)


今回の冒険の成果も、路銀すらも全て奪われた。


街へ辿り着けたとしても、僕の居場所は、もうどこにもないだろう。


それならいっそ、最期はこの世ではないどこかで――。








◇ ◇ ◇


どの程度歩いたかはわからない。数分だったかもしれないし、一時間は歩いたかもしれない。それほどに意識は混濁していたが、ついに目的である「次元の間」を発見することができた。


一度だけ、亡き師匠とここに訪れたことがある。


『この世ではない世界に通ずる門さ』


その師匠の言葉を頼りに、ここまで来たのだ。





自分のことを誰も知らない、別の世界。そこでなら、少しは幸せに生きられたのだろうか。


バチバチと音を立てるその歪んだ空間へ、震える手を伸ばす。


空間の奥には、美しいピンク色の木々が揺れる優しい景色が見えていた。


幻想的で、美しかった。


この綺麗な世界に、行けるなら――。





そう願った瞬間、目の前で空間はフッ……と掻き消えた。





伸ばした指先は虚しく、冷たい虚空を掻く。


美しい景色を映していた門は指が触れるほんの数寸のところで、完全に閉ざされてしまったのだ。



「あ……」


絶望が、物理的な重さを伴って背中にのしかかる。





膝の力が抜け、そのまま泥水の中へ崩れ落ちた。


傷口に泥の混じった雨水が入り込み、焼けるような痛みが走るが、今やどうでもよかった。あの美しく優しい世界にも、自分は拒絶された。居場所どころか、存在そのものを否定された気分だった。


深く息を吐き、泥の上に仰向けに倒れ込む。もう何も考えたくない。


そのまま目を瞑り、静かに死を待とうとした。





――その時。


~♪♪ ~♪♬




暗い森の中に、不意にオルゴールの音が鳴り響いた。


一音一音がはっきりと聞こえる、優しいメロディ。


重い頭をわずかに持ち上げる。音のする方を見ると、泥の中で何やら青白い光が点滅していた。


(なんだろう……この音楽は……)


体を起こし、吸い寄せられるようにその光へ手を伸ばす。


掴んだそれは、金属製と思わしき薄く平べったい長方形の板だった。


淀んだ思考のまま、その物体から流れるオルゴールの音に耳を傾ける。


理由はわからないが、その優しい音色は彼の心を奇妙なほどに揺さぶった。





――しかし。音が、あまりにも綺麗に聞こえすぎる。


激しく打ち付ける雨の音も、風が木々を揺らす音も、自分の荒い呼吸さえも。いつの間にか周囲のあらゆる環境音が消え失せ、ただ手元の板から流れるオルゴールの旋律だけが、耳元で異常なほど鮮明に響いていた。


それに気が付いた瞬間。手元の板――画面らしき場所に、突如として映像が映し出された。





ザザッ……!


不規則な砂嵐が走り、ひどく劣化したセピア色の情景が流れる。


木製の、どこか古びた家屋。重たい金属音と、その中心を邪悪な笑み()で囲む大勢の人々。泣きながら必死で止血()を施す女性と、涙を流しながらも優しく微()笑む男性。そして、見下ろすような高い位()置から映し出される、暗い海の様()子。



映像に激しいノイズが走るたび、脳髄に直接、悍ましい文字が焼き付けられていく。



突然周囲の空気が急速に凍り付き、吐く息が真っ白に染まった。手にした画面がミシリと音を立て、びっしりと蜘蛛の巣状の亀裂が走る。



(まずい――)


本能的な危険を察知し、板を遠くへ投げ捨てようとした瞬間。ぎょっと目を見開いた。

 


投げられない。


いつの間にか、右手には「濡れた黒い髪の毛」がびっしりと絡みついていたのだ。まるで無数の生き物のように皮膚に食い込み、手首から先をがっちりと固定している。ひんやりとした、死臭が鼻を突いた。


メキ……ベキ……ゴキ……!



小さな画面の内側から、ありえない方向に折れ曲がった青白い指が、ずるり……と這い出してきた。


声を出そうとしても、凍り付いた空気が喉に詰まって音にならない。


指に続き、ひび割れた画面の枠を完全に無視して、黒いもやの中から青白い腕が、そして長い黒髪に覆われた頭部が現れる。


それは、死装束のような白い布をまとった、人のような「何か」だった。




その何かはこちらを伺うようにカクン、と。首を傾けた。


首がへし折れたような不自然な角度で、その顔がこちらに向けられる。


濡れた黒髪の隙間から覗く、白目と黒目が完全に逆転した漆黒の眼球が、こちらをじっと見ている。




「っぐぇ……!」


次の瞬間には、氷のように冷たい手が首を掴み上げていた。


鋭い爪が皮膚を引き裂き、喉元に深く食い込む。




息が、できない。



耳元で、オルゴールの優しい音色に混じって、地の底から這い出るような怨嗟の声が響く。


恐怖と酸欠で視界が点滅する中、僕はただ自分を殺そうとする異形の瞳を見つめ返すことしかできなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ