社畜、効率を極め伝説の序章へ
「私の残業代は、今、このゲームで金になる」
パソコンのシャットダウンボタンを押す指先が、痙攣するように微かに震えた。
プロジェクト成功の祝杯はとうに終わった時間だ。私の体内には、達成感の代わりに、過剰なカフェインと疲労物質が血管内で凝固したような、冷たい虚無感だけが残っていた。
桜庭梓、二十九歳。大手経営コンサルタント会社のエース。通称『鉄血のコンサルタント姫』。
世間は勝手に私を「完璧なキャリアウーマン」と呼ぶ。だが私は知っている。完璧な仕事は、私から永遠に安らぎを奪い続ける、終わりのない鎖だ。
数千億規模の企業再編という難題を、徹夜で弾き出した超論理的な戦略で完遂させた今日。この疲労の極致で、私は悟った。「完璧」を求め続ける限り、現実世界は私に次の非効率という名の泥沼を与え続ける。私の渇望は、満たされない。
「もう、いい」
静かに呟き、デスクの『効率化ポーション』こと栄養ドリンクを一気に飲み干す。今日だけは、この空っぽな心を埋めるための、唯一の逃避行に身を投じる。
新作フルダイブVRMMO、『エピック・テイルズ・オンライン』、通称『ETO』。
帰宅後、私はカプセル型接続装置に身を沈めた。ゲームが謳う「究極の自由度」?それはつまり、「効率を最適化する余地」が無限にあるということ。私の論理を試す、最高の舞台だ。
「ログイン」
視界が光に満たされ、石畳の広場に降り立つ。ファンタジーの世界に、現実の業務システムのようなステータスウィンドウが展開した。
名前:アルカディア・リリー
ジョブ:【生産系:統括プロデューサー】
初期スキル:『リソース配分論理』『プロジェクト・タスク管理』『最適化バフ(Lv.1)』
――ジョブ名を見た瞬間、私は、疲労で凍っていたはずの顔で笑った。徹夜と残業で培った私の「効率化スキル」が、そのまま特殊スキルとしてゲームに認識されている。
「戦闘力は極めて低いが、アイテム生産効率、人員配置、資源管理における補正値は異常に高い。彼女の指示自体がバフとなる。」
これこそが、現実世界で誰も与えてくれなかった、私の価値の証明だ。最高の効率でこの世界を支配すための土台は整った。
「さて、チュートリアルからだ」
私は目の前のギルドマスターらしきNPCに声をかけた。彼の頭上には、現実の業務と同じように「【必須】初心者向け・食料調達クエスト(推奨時間:60分)」というポップアップが表示されている。
NPC
「おお、新人冒険者よ。まずは街の北にある森で、森キノコを10個採集してきておくれ。食料調達は基本中の基本じゃ」
周囲の新米プレイヤーたちは、意気揚々と森へと走り出していく。一般的なプレイなら、森でキノコを探し、途中の雑魚敵を倒しつつ、一時間かけて戻るのが平均だろう。
しかし、私の頭の中では、既にこのクエストの最適化チャートが完成していた。
『森キノコの採集場所は、チュートリアルエリアのランダムだが、北側エリア内の「湿気の多い日陰」という条件で固定されている。NPCは北森のランダム採集を促すが、これは誘導である。最も効率的なのは、街から最も近い北東の廃墟の陰。NPCの提示する推奨時間60分は、徒歩時間・戦闘時間を含めた平均値であり、純粋な採集時間は10分で済む。』
非効率は、私の最も恐れる「完璧の崩壊」に繋がる。
私は街を走らず、廃墟へ向かう道すがら、立ち止まった。
視界の端に、茂みに隠れたNPCの姿を捉えた。彼は頭上に「【未達】村への緊急食料輸送(残り時間:15分)」という表示を付けている。
通常プレイヤーは誰も気づかない隠しクエストだ。多くのプレイヤーが、自分の目の前のチュートリアルに集中しすぎて、全体最適を見落とす。現実のコンサルティングでも同じだ。目の前の個別の問題に囚われ、会社全体の利益を最大化する視点を見失う。
私はNPCに声をかけた。
リリー
「その食料、私が輸送しましょう。村までの最短経路、輸送時の事故リスク、村の現在の在庫状況、全て把握していますね?」
NPC
「え?あ、ああ…しかし君は新人だろう?道中はゴブリンが出るし、推奨はベテランだ」
リリー
「ゴブリンの出現パターンと索敵範囲は、このエリアの環境データから予測可能です。また、最短経路で走れば、ゴブリンとの接触確率は5%以下に抑えられる。在庫が残り少ないなら、私の報酬は結構。代わりに、「街の倉庫の利用許可」をください」
NPCは驚きと困惑の表情を浮かべた。彼のリアクションから、私の提示したロジックが完璧だと確信した。
リリー
「さあ、判断を」
NPC
「わ、わかった。報酬は、街の倉庫の一時利用権だ」
私は最短距離を走破し、食料輸送を完了。所要時間は五分。
そして、廃墟のキノコを採集し、NPCに報告。所要時間は合計十五分。推奨時間の四分の一だ。
NPC
「な、なんと……キノコを10個、推奨時間の四分の一で…君は、まさか『効率の鬼』か!?」
周囲にざわめきが起こる。これが、私のゲーム内での最初の「完璧な仕事」だった。
◇
その夜、私は街の倉庫で、誰も手を付けていない「廃棄予定の資源」を分類していた。
リリー
「これは低級ポーションの材料、これは防具の修理素材、これは…ふむ、換金率が高い隠し素材の残り香がある。換金は非効率だから、これはポーション生産に回す」
誰も注目しない資源に、私は価値を見出す。これが、現実世界で培ったコストカットと資源最適化のスキルだ。
そこに、一人の青年が駆け込んできた。彼は背中よりも大きな剣を背負い、どこか泥だらけだ。
青年
「うわっ、誰かいる!あ、お姉さん、大丈夫?こんな夜中に倉庫で一人で…って、何してるんですか?」
リリー
「資源の再利用計画の策定です。あなたは?」
青年
「あー…俺はカケルって言います!さっきゴブリンと戦ってて、ポーションが尽きちゃって。薬草を採りに来ました。ゴブリン、楽しかったなー!」
彼の頭上には、「橘 駆」という表示。
彼の言動と、彼の背負う剣の非効率な大きさから、私は瞬時に彼を「非効率だが情熱的な天才プレイヤー」と分析した。
リリー
「非効率です。ポーションは街の薬屋で買うか、自分で作れば良い。薬草の採集は、戦闘の合間に済ませておくべきタスクです。あなたの行動は『計画の破綻リスク』を高めています」
カケルは目を丸くする。
カケル
「え?計画?ゲームですよ?俺、考えるより先に動く方が楽しいんで!」
リリー
「『楽しむ』と『完璧な結果』は、同義でなければならない。楽しむための計画が必要です」
カケルは私を指さした。
カケル
「でも、お姉さん、そんな顔してて楽しいんですか?超絶イケメンな美人なのに、すっげー怖い顔してますよ」
「――!」
その言葉は、私の心の奥底に眠っていた「完璧の崩壊」への恐怖を微かに揺さぶった。
現実世界で、私は疲労で顔にクマを作り、感情を殺してロジックだけで動いている。その私の人間的な弱さを、彼はゲーム内で一瞬で見抜いた。
リリー
「私は…『効率が良いから楽しい』のです。それ以外に、『楽しむ』理由はありません」
私は顔色を変えず、そう断言した。
カケル
「ふーん。じゃあ、俺は『純粋に楽しいから完璧な結果もついてくる』って考えます!またね、リリーさん!あ、俺の名前、カケルって言うんで、覚えてて!」
彼はそう言って、採集した薬草を手に、文字通り駆け出していった。その背中には、まるで「楽しむことによる爆発的な機転」が宿っているような、眩い光を感じた。
私は、倉庫の奥で、現実の疲労とゲームのロジックが交差する感覚に、一人静かに集中した。
そして、倉庫の廃棄物から、通常のルートでは絶対に手に入らない「隠しダンジョンへの鍵」を精製することに成功した。
『この鍵は、論理的な思考と、誰も目を向けない資源の最適化によってのみ生成される。』
システムからのポップアップが表示される。
リリー
「完璧だ。これで、初日から隠しダンジョンをロジカルに攻略し、世界に名を轟かせます」
私の「完璧な仕事」への渇望は、VRMMOの世界でも満たされようとしていた。
社畜姫、アルカディア・リリー。
私の異世界無双は、今、その序章を開いたばかりだ。
その行動原理は、ただ一つ。
「非効率は、最大の悪である」




