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「5ヶ月通って愛を証明せよ?──じゃあまず、自分で来なさいよ、レイリー殿下」 〜部下に通わせてたこと、全部バレてるから〜

作者: すじお

私の名は、リシェル・フォン・マルグレーヌ。


名門貴族の娘として、それなりの教育を受け、それなりの生活を送り、それなりの未来を夢見ていた。


——その夜までは。


月が鈍く輝く晩、私は屋敷の寝所で目を覚ました。

誰かが、いる。


「……誰?」


シーツを握る手が震えた。闇の中、静かに近づいてくる男の影。

その瞳だけが、月明かりに照らされて光っていた。


「気にしなくていい。すぐに済む」


その声を、私は知っていた。

社交界のプレイボーイ。女遊びが絶えず、それでも貴族としての立場は高く、誰にも咎められない男。


——レイリー・グランヴィル。


そして私は、彼に奪われた。

誇りも、安心も、未来も。


***


「この恥知らずが!」


父の怒声が、広間に響き渡る。

私はただ、母の隣で肩を震わせていた。

レイリーは、相変わらずの笑みを浮かべていた。まるで、昨夜の出来事が茶番だったかのように。


「……責任を取る気はないのか?」

父が低く唸る。


「結婚すれば、すべてを不問にする」


母が静かに告げる。

レイリーの笑みが引きつった。

「結婚は、……少し急ぎすぎでは?」

その一言に、場の空気が凍る。

「だが、愛を証明する機会をいただけるなら」

レイリーは即座に態度を変えた。


「5ヶ月間、毎晩リシェル嬢の元へ通い、誠実さと愛を証明してみせよう。それが叶った時、正式に求婚する」


そうして、5ヶ月間の「愛の証明期間」が始まった。


——最初の2日間だけは、確かに彼が来た。


だが3日目から、私は毎晩眠気に襲われるようになった。

妙に重たい眠り。

そしてある日、私は気づいた。

寝ている私の隣に、レイリーではない誰かが座っていたことに。



眠りの深さが異常だと気づいたのは、通い始めて三週間ほど経った頃だった。

最初の数日は確かに、レイリーだった。

手を握り、目を見て、まるで“誠実さ”を演じるように甘い言葉を囁いていた。 


「安心して。僕はきみを傷つけたりしない」

「愛が証明されたら、きっと幸せになれる」


——そう言って、微笑んだ。

でも、いつからか彼の匂いが変わった。

香水の香りも、体温も、話す言葉の節々の抑揚さえも、違っていた。

それに、何より。


「……名前、間違えたわね?」


ふと、偽レイリーが口走った。



「リネット嬢の方が素直でよかったな……じゃなくて、リシェル嬢」

——私の名前を間違えた。


その瞬間、確信した。


目の前の男は、レイリーではない。

その夜、私は目覚めていた。


“眠り粉”の存在に気づいてから、わざと飲んだふりをして、布の中に吐き出していたのだ。

「誰?」


声を震わせずに言った。

男は驚き、口ごもる。


「……すまない、命じられて……俺は、ただの従者で……!」


命じられて? 誰に? 言わなくてもわかる。


——レイリーだ。


彼は「通う」と約束したのに、その義務すら他人に押しつけた。


それでも愛を証明できると思ったのか。

見くびられていたのは、私の方だった。

次の日、私は証拠を集め始めた。


・眠り粉の残り香

・入れ替わった従者たちの顔ぶれ

・部屋の外で聞いた「今夜はお前の番だ」という言葉

・そして、レイリーが実際には別の女と会っていたという密偵の報告書



完璧だった。

すべてが整ったとき、私は父にすべてを話した。


「父上。レイリー殿下は、愛を証明するどころか——私を愚弄しておりました」


父の顔から、血の気が引いた。



裁判ーー


大広間の扉が開かれると、貴族たちの視線が一斉にこちらに向けられた。


私は、一歩一歩、静かに歩みを進める。


その隣に立つのは、父。そして、背後には王家直属の監察官。

既に、これは「家同士の問題」ではなくなっていた。

なぜなら——


「グランヴィル侯爵家当主、レイリー・グランヴィル殿。本日、あなたに“誓約不履行”および“貴族の品位を損なう行為”の疑いで審問が開かれます」


静寂の中、王家監察官の声が響いた。

レイリーは、相変わらず軽薄な笑みを浮かべていた。

まるで「どうせ証拠はないだろう」とでも言いたげに。

私は、その表情をしっかりと見つめた。

そして、口を開いた。

 

「私は、レイリー殿が私に愛を証明すると誓った五ヶ月間——最初の三日を除き、一度たりとも“本人”と会っておりません」


ざわめきが起こる。


「彼は私に睡眠薬を盛り、別人を差し向けていたのです。それも、自らの部下を。愛を証明するためと称して、女遊びを続けながら」


レイリーの顔が、ほんの一瞬、歪んだ。

「馬鹿馬鹿しい。証拠はあるのか?」

その問いに、私は笑った。

「ええ。もちろん」


私は例の証拠を提出するとともに、一人の男を呼んだ。


「証人として、グランヴィル家従者、エルド・ネイムズをお呼びしております」


震える男が一人、前に出た。


それは、私の寝所に“来た”人物の一人だった。


「お、俺は命じられた通り、寝ているリシェル嬢の隣に座って、ただ……“見守ってろ”と……。何も、してません! 本当です!」

「命じたのは?」

「レイリー様、です……」


その瞬間、会場の空気が変わった。

レイリーの顔から、ついに笑みが消えた。


「おまえ、裏切ったな……!」

「……私は、真実を語っただけです」


エルドのその言葉に、数人の従者が追随した。

皆、同じ命令を受け、同じように「偽りの証明」に加担していた。


「レイリー・グランヴィル殿。あなたは“王命下”で結ばれた誓約を、自ら偽り、欺き、他者を騙しました」

王家監察官の声は、冷たく、はっきりと告げた。

「その罪により、本日をもって——爵位剥奪、及び家名の剥奪を宣告する」


レイリーが叫ぶ。


「ふざけるな! 俺がどれだけの女に愛されたと思ってる!? こいつだけが被害者ヅラして——!」

その言葉が出た瞬間、貴族席からは絶句の声が上がる。


「……黙りなさい」


それは、私の父の声だった。

「貴族である前に、人としての品位を失った者に、もはや言葉を交わす価値もない」


レイリー・グランヴィル。


かつては王都一のモテ男と呼ばれた貴族は、その場で貴族の証である“紋章の指輪”を剥ぎ取られ、侍従に連行されていった。

静かになった広間。

私は深く息を吐いた。


証人たちの証言が終わり、貴族たちの視線が一点に集中する。


その男、レイリー・グランヴィル。


社交界の寵児とまで呼ばれた男は、顔を赤く染めながら立ち上がった。

だが、怯える様子は一切なかった。

それどころか——その口元は、にやりと歪んでいた。

「——おいおい、何をそんな大袈裟にしてる?」

誰もが静まり返る中、レイリーはゆっくりと場を見渡す。

「俺は確かに“通う”と約束した。だがな……通ったのは俺だけじゃない。“俺の代理人”たちも、お前の元を訪れた」


その言葉に、貴族席がざわめいた。


「彼らは俺の信頼する部下たちだ。俺の代わりに優しくした。可愛がってやった。

……それの、何がいけない?」


私は呆然とした。

彼は何を言っているの?


「誓いを破ったのよ。あなた自身が来なかった。それだけで——」

「いいや、違うな」


レイリーは指を一本立てて、口元に笑みを戻す。


「お前の寝顔を見て、手を握って、声をかけたのは……“俺たち”だ。それはつまり——“俺の気持ち”だろう?」


空気が変わった。

侮蔑の目、軽蔑の吐息、遠巻きに呆れる声。だが彼は止まらない。


「俺の代理人が可愛がってやった。優しく、丁寧に。

お前が目覚めていなかったのは残念だが、それも“愛”の一形だと、俺は思っている」


誰かが「はぁ……?」と小さく声を漏らす。

だが、レイリーは真剣だった。


「何が“偽り”だ? 何が“裏切り”だ? 俺はお前に、俺の方法で愛を与えた。


眠っていようと、意識がなかろうと、俺の愛は確かに“そこにあった”んだよ!」


彼の声は怒鳴り声に変わる。


「誰が“愛”の定義を決めた!? 俺の部下と過ごすことが“偽り”だって?

じゃあ聞くが、お前は——俺が来た最初の数日は、嬉しそうに笑ってただろう?」

「…………」

「眠っていたから分からなかった? ならどうして、最初は信じていた!?

お前は“気づいていた”んじゃないのか? 俺の不在に、気づきたくなかっただけだろう!」


私は立ち上がった。


「あなたは、愛を“演じただけ”です。本物の愛は、自分が苦労してでも、相手を知ろうとするもの。

……代理人を送って、自分は他の女の元に行っていた。それが、あなたの“愛”なら——」


私は、はっきりと言い切った。


「そんなもの、“ただの自己満足”です」


——その言葉に、ついに彼の顔から笑みが消えた。

レイリー・グランヴィル。


その傲慢な「愛の定義」は、誰にも受け入れられなかった。

そしてその瞬間、王家監察官が静かに言った。



「……以上をもちまして、グランヴィル侯爵家の爵位を剥奪。全ての家督権を剥き、追放処分と致します」



レイリー・グランヴィルの爵位剥奪は、王都の社交界に激震をもたらした。

栄華を誇った名門家は一夜にして瓦解し、城下では「愛人を代理に送った男」や「自己愛で失墜した貴族」として、連日噂の的となった。



——そして私も、また違う意味で、視線を集めるようになった。


「リシェル嬢、大変でしたね……お気の毒に」

「まぁでも、爵位剥奪まで追い込んだなんて……立派なものですわ」



そんな“同情とも好奇心ともつかぬ目”を、私は静かに受け流した。

夜、鏡の前でひとり。

レイリーが去った今、すべてが終わったと思っていた。

でも——なぜだろう。心にぽっかりと穴が空いていた。


「怒っていたのに。悔しかったのに……」


裁きを終えた帰り道、私は泣かなかった。

でも今、誰も見ていないこの場所でだけ、涙が落ちた。

裏切られたことより、

“本気で愛されたことが一度もなかった”事実の方が——ずっと、ずっと痛かった。


数日後、父が私の部屋を訪れた。


「……政略結婚の話が来ている。第二王子殿下からだ」

私はゆっくりと顔を上げた。


「王子殿下……?」

「今回の件で、お前の名は“誠実な乙女”として王宮にも響いた。

王族の側妃として迎えたいという申し出だ」


条件は良かった。王家の庇護下、安定した地位。

だが私は、首を横に振った。


「私は、誰かに選ばれるのではなく——自分で選びたいのです」


父の目が見開かれた。けれど、何も言わなかった。

私は、決めた。

名門の令嬢として“嫁ぐ人生”ではなく、

自分の足で立ち、自分の心で築く人生を——。

かつて、レイリーが使っていた元従者の一人が、私にこう言った。


「リシェル様……貴族の女が何をするかは分かりませんが、もし本当に“自分の力で生きたい”と思うのなら、手を貸します」


私はその手を取った。

そして——屋敷の一角を売り払い、小さな書斎と相談室を作った。

名付けて、

《リシェル相談室〜貴族淑女のための“婚約破棄”専門相談所〜》

「……意外と需要、ありそうでしょ?」


私は、あの日“目を覚ました”自分自身のように、

もう誰にも支配されない女性たちを、支えていくことを選んだ。


まだ始まったばかりの道。

でもその一歩は、かつての私とは違う。

もう、誰かの“愛の代理人”なんていらない。

——真実の愛は、自分で見極めるものだから。



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