厭な大戦争②
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歴史家という人種は往々にして過去の出来事を論理的で必然的な連鎖として記述したがるものである。曰く、かくかくしかじかの経済的背景があり、これこれの政治的対立があり、故に戦争は不可避であった、と。だがそれは後知恵という名の安全地帯から、高みの見物を決め込んでいるに過ぎない。
実際の歴史はもっと杜撰で、衝動的で、そして何より、しょうもない理由で動いていることの方が多いのだ。今回のドゥームズガル帝国による宣戦布告も、その典型と言えよう。それは国家戦略というよりはむしろ、飢餓と絶望が生み出した集団ヒステリーの発作に近い。
そして、その発作に対するルミナス王国の反応は国家存亡の危機に瀕しているとは到底思えない、奇妙な高揚感に満ちていた。
──一言で言えば、「イケイケドンドン」である。
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王宮の大会議室はまるで待ちに待った祭りの開幕を告げられたかのような雰囲気に包まれていた。
「戦争ですって! まあ、素敵!」
デスデモーナは恍惚とした表情で両手を合わせた。彼女は今日のために特別に誂えた、漆黒の軍服風ドレスを身に纏っている。機能性よりも悪趣味さを追求したそのデザインは至る所に無意味なベルトや鎖が取り付けられていた。
「退屈な平和がようやく終わるのね。血と硝煙とそして絶望に満ちた、世界で最も不健全で、最も美しい舞台の幕開けですわ!」
「同感だ、デスデモーナ!」
エリアスもまた、興奮を隠しきれない様子で身を乗り出す。彼もまた、ヘルゲート家の紋章をあしらった、無駄に装飾過多な軍服を着用している。
「これは単なる戦争ではない! 旧時代の蒙昧と新時代の狂気の激突だ! 我々の技術と我々の悪趣味がどれほど素晴らしいものであるかを証明する絶好の機会だよ!」
彼らにとって、戦争とは究極のエンターテイメントであり、自らの美学を世界に叩きつけるためのデモンストレーションに過ぎない。国王リチャードも、この状況を心底楽しんでいるように見えた。胃痛から解放された彼の顔色はすこぶる良い。
「ふむ。帝国も懲りないものだな。だがこれも良い機会だ。ガンジャ、現状分析を」
「は」
宰相ガンジャはいつものように感情のこもらない声で応じた。この男の有能さは平時よりもむしろ、このような狂気の沙汰においてこそ真価を発揮する。
「ドゥームズガル帝国の推定動員兵力、約二十万。その大半が農民からの徴兵であり、装備は旧式のフリントロック銃と槍が中心。彼らの切り札は帝国魔術師団ですが……」
ガンジャは地図を広げ、両国の戦力比較表を示した。
「もはや、それは過去の遺物です」
この世界において、魔術は長らく戦場の華であった。訓練された魔術師が放つ巨大な火球や氷の槍は物理的な防御を容易く打ち破る。初期のフリントロック銃など、その命中精度の低さと装填時間の長さから、魔術の前には児戯に等しいとされていた時代が長かったのだ。帝国が未だに旧時代の戦術に固執しているのはこの「魔術最強神話」に囚われているからに他ならない。
「重要なのは兵力ではなく、効率です。そして、技術的優位性です」
ガンジャは淡々と戦争遂行のための計画を説明し始めた。それは狂気と合理性の奇妙な融合であった。
「まず、兵站について。我が国には魔導鉄道があります。これにより、兵員と物資を迅速かつ大量に前線に輸送することが可能です」
兵站。それは戦争の勝敗を決定づける最も重要な要素である。いかに強力な軍隊であっても、食料や弾薬がなければ戦うことはできない。歴史上、多くの大軍が兵站の失敗によって自滅してきた。ドゥームズガル帝国が未だに馬車と人力に頼っているのに対し、ルミナス王国は近代的な輸送システムを手に入れている。この差は決定的だった。
「次に対魔術戦について。王立魔術科学院が開発した『魔導拡散フィールド発生装置』を実戦投入します」
それは巨大なパラボラアンテナのような装置であり、魔石を燃料として周囲の空間に特殊な波動を発生させる。これにより、敵の魔術師が放った攻撃魔術を霧散させ、無力化するというのだ。
「そして、火力について」
ガンジャが言ったその時だった。
──ドォォォォン!!!
凄まじい爆音と共に会議室の壁がまたしても粉々に砕け散った。もはやこの部屋の壁は消耗品と考えるべきだろう。
「呼んだかね!?」
陽気な声と共に硝煙の中から現れたのはもちろん、レドラム・ヘルゲート公爵その人であった。
「レドラム公爵!」ガンジャがこめかみに青筋を浮かべた。「会議室の壁を破壊するのはこれで四度目ですぞ! 修理費が……!」
「まあまあ、経費で落ちるだろう! 戦争特別予算でな!」
レドラムは全く悪びれることなく笑い、埃を払いながら席に着いた。
「それよりも戦争だ! 素晴らしい! 私の可愛い玩具たちの出番だな!」
レドラムは興奮した様子で、大きな木箱をテーブルの上に置いた。その中から取り出したのは奇妙な形をした銃だった。
「これが我がヘルゲート公爵家と王立魔術科学院が共同開発した新型魔導銃、『ヘルファイアMk.I』だ!」
それは従来の火器とは根本的に構造が異なっていた。銃身にはライフリングが施され、弾丸は魔石を内蔵したカートリッジ式になっている。引き金を引くと魔石のエネルギーが解放され、弾丸を超高速で射出する仕組みだ。
「その性能は?」ガンジャが冷静に尋ねる。
「素晴らしいぞ!」レドラムは自信満々に胸を張った。「有効射程は五百メートル! 発射速度は一分間に二十発! そして何より、その弾丸は旧式の鎧など紙屑同然に貫通する! 魔術障壁に対しても、ある程度の効果が期待できる!」
マスケット銃(フリントロック式)の歴史は火器の進化の過程における一里塚である。火打石を用いて点火するこの機構はそれ以前の火縄銃に比べて信頼性は向上したがその基本原理──滑腔銃身から球形の弾丸を発射するという点においては数百年間ほとんど変化がなかった。命中精度は低く、発射速度も遅い。ルミナス王国の技術革新はこの停滞を一気に飛び越えるものだった。
「だがそれだけではない!」
レドラムはさらに別の設計図を広げた。そこに描かれていたのは巨大な鋼鉄の箱のようなものだった。
「これが今回の戦争の主役! 魔導戦車『ベヒモス』だ!」
それは魔導蒸気機関を搭載し、分厚い装甲と強力な魔導砲を備えた、動く要塞であった。車輪の代わりに無限軌道を採用し、あらゆる地形を走破可能となっている。
「こいつが敵陣を蹂躙し、我が軍の勝利を決定づけるだろう!」
レドラムの提案に閣議は熱狂に包まれた。
その時、今まで沈黙を守っていた男が静かに口を開いた。カスパリウス・ヴォル・ガイア元帥である。
「……承知した」
彼の声は低く、重々しかった。その顔にはもはや、かつてのような頑迷さはない。あるのはただ、冷徹な現実主義者の目だけだ。
「これらの新兵器を運用する総指揮はこの私が執る。だが一つ条件がある」
カスパリウスはガンジャを見据えた。
「『厄地適応進化人類』たちを中心とした特別機動部隊を編成する。新兵器の運用には旧来の常識に囚われない柔軟な思考が必要だ。そして何より、彼らこそがこの新しい時代の戦争を担うに相応しい」
「許可します」ガンジャは即答した。「既にその準備は進めております」
カスパリウスは満足げに頷いた。彼はこの狂った国の軍隊を最も効率的に運用することだけを考えていた。
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一方、ドゥームズガル帝国は絶望が生み出した熱狂の中で、戦争へと突き進んでいた。
最高指導者となったアレクセイ元帥(自称)は国民の不満を外部に向けさせるため、連日、熱狂的な演説を繰り返している。だがその熱狂の裏で、帝国の戦争準備は極めて杜撰なものだった。アレクセイは理想主義者ではあったが現実主義者ではなかった。彼は精神論を重視し、兵站を軽視した。
集められた二十万の兵士たち。その大半が満足な訓練も受けていない農民たちであり、彼らに与えられたのは旧式の装備だけ。彼らの切り札は帝国が誇る魔術師団であったがその力もまた、旧時代の遺物に過ぎなかった。
彼らはルミナス王国がどれほどの技術的進歩を遂げたかを知らなかった。いや、知ろうとしなかった。その無知と傲慢が彼らを破滅へと導くことになる。
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両軍が激突したのは国境付近に広がるアルド平原であった。
ドゥームズガル帝国軍の先鋒部隊、約五万が平原を埋め尽くすように布陣していた。指揮官は猛将として知られるバルバロッサ将軍。彼はアレクセイの腹心であり、旧時代の戦術の信奉者であった。
「見よ! 我が軍の威容を!」
バルバロッサは馬上で、整然と並んだ兵士たちを見渡しながら、満足げに笑った。歩兵部隊が密集隊形を組み、その後方には魔術師団が控え、そして両翼には重装騎兵部隊が展開している。それは教科書通りの、完璧な布陣であった。
対するルミナス王国軍は遥か後方の丘の上に布陣している。その数は約一万。
「ふん、ルミナス王国の軟弱者どもめ! 数で劣りながら、遠巻きにするとは腰抜けか! まずは魔術師団による一斉攻撃で、奴らを燻り出してやる!」
バルバロッサの号令一下、帝国魔術師団が前進した。その数、約五百名。彼らは帝国の誇る精鋭である。
「我らが偉大なる魔力を持って、邪悪なる敵を焼き尽くさん!」
魔術師団長が叫び、全員が一斉に詠唱を開始した。彼らの周囲に膨大な魔力が集束し、空気が歪む。そして、巨大な火球や氷の槍が次々と生成され、ルミナス王国軍に向かって放たれた。
それは本来ならば、一瞬で敵陣を壊滅させるはずの、強力な攻撃魔術だった。
だが。
ルミナス王国軍の陣地で、カスパリウス元帥が静かに命じた。
「第一段階、開始。『魔導拡散フィールド』、展開」
奇妙なパラボラアンテナが回転し、目に見えない波動が空間に放射される。
その瞬間、異変が起こった。
空を切り裂いていた火球や氷の槍がまるで水に溶けるようにその形を崩し、霧散し始めたのである。そして、拡散された魔力は空中で乱反射し、美しいオーロラとなって輝き始めた。
「なっ……!?」
バルバロッサ将軍は驚愕に目を見開いた。魔術師団長も同様だ。
「馬鹿な! 我々の魔術が消えた!? いや、あれは……オーロラか!?」
彼らは混乱し、再び魔術を放とうとしたが結果は同じだった。彼らの誇る魔力は全て、戦場を彩るイルミネーションへと姿を変えてしまう。それはレドラムが「どうせなら美しく」と付け加えた、悪趣味な機能であった。
「どうなっている!?」バルバロッサ将軍が狼狽えた。「なぜ魔術が効かないのだ!」
その混乱の最中、カスパリウスは次の命令を下していた。
「第二段階、開始。長距離魔導砲、砲撃開始。目標、敵中央密集部隊」
その瞬間、遥か後方から、何かが発射された。
──ヒュゥゥゥゥゥ……
奇妙な音を立てながら、巨大な砲弾が帝国軍の頭上に降り注いだ。
ドォォォン! ドォォォン! ドォォォン!
凄まじい爆音と共に地面が抉れ、土煙が舞い上がった。砲弾は敵陣の中央に着弾し、数十人の兵士が一度に吹き飛ぶ。その精度と威力は彼らの想像を絶していた。
「馬鹿な! こんな遠距離からの砲撃など、あり得ん!」
彼らの視界には敵の砲兵の姿は全く見えない。それは当然だった。ルミナス王国軍が使用している長距離魔導砲の射程は数キロルにも及ぶのだから。
帝国軍は完全に混乱に陥った。魔術は封じられ、見えない敵からの砲撃に晒される。密集隊形が仇となり、被害は拡大する一方だ。彼らの士気は急速に低下していく。
「怯むな! 全軍、前進せよ! 接近戦に持ち込めば、我々の勝利だ!」
バルバロッサは絶叫し、全軍に突撃を命じた。それは勇猛果敢な行動に見えたがその実、自殺行為に等しかった。
「第三段階、開始。『ベヒモス』隊、及び特別機動部隊、突撃」
カスパリウスが静かにだが有無を言わせぬ声で命じた。
その瞬間、地響きがした。
──ゴゴゴゴゴゴ……
丘の斜面を駆け下りてきたのは巨大な鋼鉄の怪物たちだった。
魔導戦車『ベヒモス』。その数、実に五十両。漆黒の車体は不気味な光沢を放ち、その巨大な砲塔がゆっくりと帝国軍を捉える。
「ば、化け物だ!」
帝国軍の兵士たちはその異様な姿に恐怖し、立ち尽くした。
「騎兵隊、突撃せよ! あの鉄の塊を破壊するのだ!」
バルバロッサは最後の切り札である重装騎兵部隊を投入した。だが彼らの突撃はベヒモスの分厚い装甲の前には無力だった。槍は折れ、剣は弾かれる。
──ズドォォォン!!!
ベヒモスの主砲が一斉に火を噴いた。魔導榴弾が騎兵隊の密集陣形の中で炸裂し、人馬もろとも吹き飛ばしていく。
そして、ベヒモスの後方から、新たな部隊が展開した。ヘルゲイターたちを中心とした、特別機動部隊である。彼らは皆、新型魔導銃『ヘルファイアMk.I』を装備していた。
彼らはベヒモスを盾にしながら前進し、その隙間から正確な射撃を加えていく。
「撃て」
部隊長が命じた瞬間、凄まじい銃声が響き渡った。
ダダダダダ!!!
連射される弾丸が容赦なく帝国軍の兵士たちを貫いていった。彼らの鎧は紙屑のように引き裂かれ、次々と血飛沫を上げて倒れていく。
それはもはや、戦争ではなかった。一方的な蹂躙であり、虐殺である。技術格差という冷徹な現実が旧時代の幻想を粉々に打ち砕いた瞬間だった。
ドゥームズガル帝国軍は総崩れとなった。彼らは武器を捨て、我先にと逃げ出した。
「馬鹿な……こんなはずでは……」
バルバロッサはその光景を呆然と見つめていた。彼の信じてきた戦争の常識が完全に覆されたのだ。
戦闘はわずか一時間足らずで終了した。ドゥームズガル帝国軍の先鋒部隊五万はほぼ壊滅。対するルミナス王国軍の損害は軽微であった。
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カスパリウスはこの凄惨な光景を前にしても、感情の揺らぎを見せなかった。
「……これが新しい時代の戦争か」
彼は静かに呟いた。そこにはかつてのような騎士道精神も、名誉もなかった。あるのはただ、効率的な殺戮と冷徹な現実だけだ。
その時、上空から甲高い笑い声が響き渡った。
「ハッハッハッハ!!」
見上げるとそこにはヘルゲート公爵家の紋章が描かれた気球が浮かんでいた。籠にはレドラム公爵が乗っており、ワイングラスを片手に優雅に戦場を見下ろしている。
「素晴らしいショーだった! 特にあの将軍の顔! 自分の常識が崩壊する瞬間を目の当たりにした、あの絶望的な表情! たまらないな!」
レドラムは満足げに頷いた。
「さて、捕虜の回収だ! ガンジャがうるさいからな。貴重な労働力は無駄にはできん!」
緒戦の勝利はルミナス王国にさらなる熱狂をもたらした。だがこの勝利がドゥームズガル帝国に与えた衝撃はそれ以上に深刻だった。
帝都。アレクセイはその報告を受けた時、信じられないといった表情で立ち尽くしていた。
「五万の兵が……たった一時間で壊滅だと……? 魔術を封じられ、鉄の怪物に蹂躙されただと?」
彼はまだ、自分たちが直面している現実を理解していなかった。あるいは理解したくなかったのかもしれない。
「……だがまだ負けたわけではない」
アレクセイは自分に言い聞かせるように呟いた。その瞳には狂気と絶望が入り混じった暗い炎が轟と燃えている。
「次は我々の本気を見せてやる。あの邪悪な王国に真の恐怖を教えてやるのだ」
戦争はまだ、始まったばかりである。そしてこの不毛で滑稽な悲劇はさらなる混沌と狂気とそして悪趣味な展開を迎えようとしていた。




