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連載「嫌な公爵家」  作者: 埴輪庭


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厭な王国⑦

 ◆


 産業革命とは詰まるところエネルギーの解放である。人力や畜力といった、か弱く、気まぐれな自然の力に依存していた人類が地中深く眠るエネルギー資源を掘り起こし、それを制御可能な動力へと変換した瞬間、歴史の歯車は不可逆的に加速を始めるだろう。


 生産性は爆発的に向上し、都市は拡大し、そして世界は煤煙と、新たな貧困と、進歩という名の幻想で満たされることとなる。


 さて、ここルミナス王国で始まったのはその極めて効率的で、悪趣味で、そして決定的に邪悪なバージョンアップ版であった。


 彼らが手に入れた動力源は石炭などという古風な代物ではない。ヘルゲート公爵領の「厄地」深部から採掘される魔石──人々の絶望や怨嗟が凝縮し、物理的な形を持った負のエネルギーの結晶体である。これを燃料とする『魔導蒸気機関』はルミナス王国の産業発展に大いに寄与した。


 そしてその副産物もまた、実にユニークだ。煙突から吐き出されるのは煤煙ではなく、虹色に輝く燐光を伴ったスモッグ。それは奇妙な甘い香りがし、吸い込むと軽度の幻覚と多幸感、そして理由のない不安感をもたらすという、実に素敵な代物だった。


 なお、人体への影響もただちに影響はないため安心だ。


 王都の空はゴシック様式の尖塔とガーゴイル像に加え、林立する工場の煙突から吐き出される極彩色の煙によって、常に不安定なマーブル模様を描くようになった。


「見ろよ、今日の空は特に美しい紫色だぜ」


「ああ。きっと今日は工場で素敵な事故が起きる前触れだな」


「爆発事故か?」


「だったら最高だな!」


 市民たちはそんな会話を交わしながら、うっとりと空を見上げる。彼らにとって、公害は進歩の証であり、不吉はエンターテイメントなのだ。


 この狂乱の経済活動を完璧にコントロールしているのはもちろん宰相ガンジャである。彼は狂気を否定するのではなく、それを効率化し、最適化することで、国家の利益を最大化していた。


 ガンジャの執務室。壁には生産効率を示すグラフと、国民の「精神的充足度(陰鬱度)」を示すグラフが並べて貼られている。その全てが不自然な角度で右肩上がりに伸びていた。


「ガーゴイル像の生産量が前月比で三倍増。素晴らしい」


 ガンジャは感情のこもらない声で報告書を読み上げた。


「だがまだ効率化の余地がある。特に、ヘルゲート公爵領からの魔石輸送。これがボトルネックとなっている」


 ガンジャは地図を広げ、王都とヘルゲート公爵領を結ぶラインを赤いペンでなぞった。


「二点を、何かしらの輸送手段で高速輸送できれば──」


 ◆


 王国辺境部、旧態依然とした価値観が根強く残る農村地帯。


 カスパリウス・ヴォル・ガイア元帥は今日も泥と汗にまみれながら、その「罰」を遂行していた。彼の心はもはやかつてのような義憤に駆られてはいなかった。聖都イドラで見た偽善と、王都で見た狂気の繁栄。その両方を経験した彼の精神は怒りを通り越し、ある種の冷徹なプラグマティズムへと変貌していたのである。


 ある村の広場。そこでは一人の青年が村人たちに取り囲まれていた。彼の罪は生まれつき異様に腕が長かったこと。それだけの理由で、彼は「悪魔の子」と呼ばれ、石を投げつけられていた。まあ生まれも余り良くなかったのかもしれない。何せ彼の両親は兄妹だったのだから。近親相姦で産まれる子供は遺伝的なリスクを背負う事になるため、悪趣味極まりない現在のルミナス王国でも推奨はされていない。


「この化け物め! お前のせいで今年の収穫が減ったんだ!」


 既視感のある光景。人間は理解できないものを恐れる。そしてその恐怖を正当化するために、相手に「悪」のレッテルを貼る。集団心理学において「スケープゴート理論」と呼ばれるこの現象は古今東西、あらゆる社会で観察される普遍的な人間の弱さである。カスパリウスは今、その弱さを「悪」として断罪するのではなく、単なる「非効率」として観察していた。


 カスパリウスが感情的な頑固おやじであることは衆知の事実だが、同時に優れた軍人でもある。冷徹に、冷静に、現実的に振舞う事ができないわけではないのだ。


「待たれよ」


 カスパリウスは静かに、だが威厳のある声で割って入った。村人たちが一斉に彼を振り返る。


「その男、王国が徴用する。これは勅命である」


「し、しかし元帥閣下! こいつは腕が異様に長く、気味が悪いだけで何の役にも立ちませんぞ!」


「それは貴殿らが決めることではない」


 カスパリウスは淡々と、まるで家畜を品定めするかのように言った。


「その長い腕、鉄道建設現場での高所作業、あるいは重量物の運搬において、絶大な威力を発揮するだろう。重要なのは彼が労働力として有用かどうかだ」


 腕の長い男は呆然とカスパリウスを見上げていた。


「立て」カスパリウスが命じた。「貴様には王国の発展のために働く義務がある」


 こうして、カスパリウスは各地を回り、次々と「ケガレ」たちを回収していった。ある村では「鱗のある女」を。彼のアプローチは常に同じだった。感情を排し、ただ淡々と、彼らを労働力として確保していく。


 王都に連れてこられた彼らはすぐに新たな環境に適応していった。いや、適応というよりは解放と言った方が正確だろう。


 彼らはもはや「ケガレ」ではない。『厄地適応進化人類ヘルゲイター』──新たな時代の労働者であり、そして英雄だった。


 腕の長い男は巨大な歯車の組み立て作業に従事した。彼の腕はクレーンのように機能し、重い部品を軽々と持ち上げる。彼は「神の腕」と呼ばれ、高給を得て、王都での生活を満喫し始める。


 鱗のある女はその特異な皮膚が高温にも耐えられることが判明し、魔導蒸気機関の機関士として重宝された。彼女は「鉄の乙女」と呼ばれ、男性社会の中で確固たる地位を築いていった。


 彼らの活躍は王国のプロパガンダによって美化され、人々の羨望の的となっていく。


 ◆


 労働力の確保という最大の難関をクリアした鉄道敷設プロジェクトは次なる段階へと移行した。そしてその計画会議は控えめに言っても悪夢のような様相を呈していた。


 王宮の大会議室。ガンジャ、エリアス、デスデモーナ、そして王立魔術科学院の技術者たちが集まっている。


「では魔導列車のデザインについて議論する」


 ガンジャが淡々と議事を進めた。


「僕から提案がある!」エリアスが自信満々に手を挙げ、自らが描いた設計図を広げた。


 そこに描かれていたのは列車というよりはむしろ巨大な鋼鉄のムカデのようだった。先頭車両はドラゴンの頭蓋骨を模しており、その口からは常に黒い蒸気を噴き出す仕掛けになっている。客車は棺桶のような形をしており、窓は鉄格子で覆われている。そして車輪には鋭利なスパイクが取り付けられていた。無論そんな車輪で走行できるわけはないのだが、エリアスはなぜか自慢げだった。


「これが僕が考える理想の魔導列車、『ダークネス・エクスプレス』だ!」


「素晴らしいわ、エリアス様!」デスデモーナが感嘆の声を上げた。「この不吉さ! この悪趣味さ! そしてこの絶望的なまでの乗り心地の悪さ! そして恐らくは走行不可能であるという無意味さ! これこそがわたくしたちの美学を体現する列車ですわ!」


 技術者たちは顔面蒼白で固まっていたが──


「……却下します」


 ガンジャが静かに、だが有無を言わせぬ声で言った。


「なぜだ!?」エリアスが抗議した。


「空力特性が劣悪であり、重心が高すぎるため、高速走行時に脱線する危険性があります。また、車輪のスパイクは線路を破壊するだけです。非効率的です」


 ガンジャの判断は国王のそれより優先される。そしてそれを、この場の全員が受け入れていた。権力がどうこうという問題ではない。ガンジャの言う通りにしないと物事がうまくいかないからだ。それに──


「ですが折衷案を提案します」


 ガンジャは素早くメモを取り、新たな設計図を描き出した。


「車体の基本構造は流線型を採用します。ですが塗装は漆黒とし、先頭車両にはドラゴンの頭蓋骨を模した『装飾』を取り付けます。客車の内装についてはデスデモーナ様の案を採用し、棺桶風の座席と、鉄格子風の窓枠を設置します」


 この様に、ガンジャはただ却下するだけではなく、提案をきちんときいてくれるのだ。


「まあ!」デスデモーナの目が輝いた。「それも素敵ですわ! まるで、生きたまま埋葬されるような気分が味わえるわ!」


 エリアスも渋々ながら同意した。


 次に議題は路線選定と工法に移った。王都とヘルゲート公爵領の間には険しい山岳地帯と、広大な湿地帯が広がっている。


「この区間についてはヘルゲート公爵閣下の協力を仰ぐ必要があります。公爵閣下はもうそろそろ到着すると──」


 ガンジャが言ったその瞬間だった。


 ──ドォォォォン! 


 凄まじい爆音と共に、会議室の壁が粉々に砕け散った。


「呼んだかね!?」


 陽気な声と共に、硝煙の中から現れたのはレドラム・ヘルゲート公爵その人だった。彼は燕尾服姿で、満面の笑みを浮かべている。


「レドラム公爵! 貴方、また……!」ガンジャが珍しく眉をひそめた。「会議室の壁を破壊するのは三度目ですぞ。修理費が嵩みます」


「おや、これは失礼!」レドラムは全く悪びれることなく笑った。「いやはや、鉄道の話と聞いて、いてもたってもいられなくてね! で、何が問題かね?」


 ガンジャはため息をつき、山岳地帯と湿地帯の問題を説明した。


「なるほど! 実に興味深い難題だ! 任せたまえ!」


 レドラムは自信満々に胸を張った。


「まず山岳地帯だがこれは簡単だ。私が開発した新型爆弾で、トンネルを掘削しよう! もちろん、ただ掘るだけでは面白くない。トンネル内部には乗客の恐怖心を煽るための、様々な仕掛けを施すのだ! 例えば、突然壁から骸骨が飛び出すとか!」


「却下します。無駄なコストです」


「ちっ……相変わらず融通が利かないな。ではせめてトンネルの形状を、巨大な蛇の口のようにしてはどうか!?」


「……それは構造力学的に見て、合理的ですな。採用します」


 ガンジャの判断基準は時折、常人には理解不能なものだった。


「次に湿地帯だが」レドラムは続けた。「これは妻のウェネフィカの領分だ。我が領地の『イカれ柳』を移植しよう。あの柳は成長が早く、その根は地中深くまで伸びて、強固な地盤を形成する。しかも、常に不気味な呻き声を発している! 実に風情があるだろう!」


「……採用します。地盤改良材として、最適です」


 こうして建設計画が決定した。


 ◆


 鉄道敷設工事は驚異的な速度で進められた。


 現場を指揮するのはカスパリウス元帥。彼はこの狂気の沙汰としか思えない工事を、完璧な規律と統率で管理していた。


 山岳地帯ではレドラム公爵自らが指揮を執り、次々と爆破を繰り返していく。


「芸術は爆発だ! そして爆発は芸術だ!」


 湿地帯ではウェネフィカ公爵夫人が指揮を執り、呪術を用いて『イカれ柳』を急速に成長させていった。柳の根は地中深くまで伸び、強固な地盤を形成していく。その根が時折、地中から這い出して作業員に襲いかかることもあったがそれはご愛嬌というものだ。


 そして現場で最も活躍したのはカスパリウスが集めた「ヘルゲイター」たちだった。


 腕の長い男はそのリーチを活かして、高所での危険な作業を軽々とこなした。岩のような肌を持つ男はその怪力で巨大な岩盤を砕き、重い資材を運んだ。


 彼らは皆、生き生きとしていた。自らの異形を才能として最大限に活用し、この国の未来を築いているという誇りに満ちていたのだ。


「見ろ! この橋は俺たちが架けたんだ!」


「俺たちの力がこの国を変えていくんだ!」


 彼らの労働歌が虹色の煙に包まれた空に響き渡る。


 そして着工からしばし時が経ち。ついに、王都とヘルゲート公爵領を結ぶ魔導鉄道が完成したのである。


 ◆


 開通式典は王都の中央駅で盛大に開催された。


 新設された駅舎もまた、ゴシック様式の壮麗な建物だった。巨大なアーチ、そして至る所に設置されたガーゴイル像。まるで、闇の神殿のような佇まいである。


 プラットフォームには完成したばかりの魔導列車が停車していた。漆黒の車体は不気味な光沢を放ち、先頭車両のドラゴンの頭蓋骨(装飾)が威圧感を放っている。


 式典には国王リチャードをはじめとする王国の重鎮たちが勢揃いしていた。


「素晴らしい!」レドラム公爵が感嘆の声を上げた。「これほど不吉で、これほど美しい列車は見たことがない! これぞ、我が国の新たな時代の象徴だ!」


 リチャードはこの光景を前にご満悦であった。


「……ガンジャ。これでルミナス王国はまた一つ()()()な」


「はい、陛下。安全性も(最低限)確認済みです。発展効率は飛躍的に向上するでしょう」


 カスパリウスがリチャードの前に進み出てくる。


「陛下。この度の鉄道敷設、見事に完遂いたしました」


 彼の顔にはかつてのような怒りも、戸惑いもなかった。あるのはただ、任務を達成した軍人としての凛々しい表情だけだ。


「うむ。ご苦労だった、カスパリウス」


 リチャードは彼の功績を称えた。


「ではこれより、試運転を開始する!」


 ガンジャが宣言した。


 ◆


 ──ヒギャアアアアァァァ!!!!!!! 


 魔導列車がけたたましい汽笛を鳴らした。それはまるで旧時代の断末魔にも聞こえる。


 列車がゆっくりと動き出した。


 客車の内装はエリアスとデスデモーナの案通り、棺桶風の座席と、鉄格子風の窓枠が設置されていた。乗り心地は最悪だったがそれはつまり、最高ということだ。


「素晴らしいわ、エリアス様! この閉塞感! この圧迫感! たまりませんわ!」


「同感だ、デスデモーナ! この鉄格子風の窓から見える景色も、実に陰鬱で素晴らしい!」


 列車は驚異的な速度で疾走し、わずか数時間でヘルゲート公爵領に到着した。これまで馬車で数日かかっていた道のりを、圧倒的に短縮したのである。


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