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連載「嫌な公爵家」  作者: 埴輪庭


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厭な王国⑥

 ◆


 王都への帰還は行きとは比べ物にならないほど迅速であった。レドラムが手配した馬車はまるで風のように荒野を駆け抜け、わずか一日で王都の門をくぐる。


 まあ乗っていたカスパリウスはたまったものではなく、もっとゆっくり走ってくれと御者に懇願したが、その御者ときたら──


「それもまた鍛錬でしょう。元帥閣下におきましては、この王国の剣にして盾! 日頃から心身を鍛えねばなりませぬ」


 などと言って聞く耳を持たなかったが。


 そうしてなんだかんだで王都に到着。


 カスパリウスは変わり果てた王都の姿に改めて眩暈を覚えた。尖塔が林立し、ガーゴイル像が街の至る所で見下ろしている。街行く人々は黒い服を纏い、誰もが不健康そうな顔をしているがその目には奇妙な活気があった。


 謁見の間。


 国王リチャードはカスパリウスの姿を見るなり、驚くでもなく、ただ深く頷いた。彼の顔にはかつての心労の影はなく、むしろ全てを諦観した聖職者のような穏やかさ(あるいは無気力さ)が漂っている。胃痛が改善したせいか、肌艶も良い。


「……戻ったか、カスパリウス」


「は。陛下の御前に、再びまみえることになりました」


 カスパリウスは深く頭を垂れた。


「この度の亡命未遂、万死に値します。いかなる罰もお受けする所存。どうか、死罪を」


「却下だ。死ぬのはつまらん。それにお前を殺したら、レドラムが拗ねる」


「……」


「面をあげよ」


 カスパリウスは顔を上げた。


「なぜ戻ってきた?」


 リチャードの問いに、カスパリウスは唇を噛み締め、聖都イドラでの出来事をありのままに報告する。浄化ビジネスの欺瞞、ケガレへの残虐な扱い、そして自分たちがスパイとして断罪され、追われたこと。


 リチャードは「さもありなん」という表情で、静かに聞き入っている。


「……ガンジャ」


 リチャードが影に控えていた宰相に声をかける。


「はい、陛下」


「元帥に、大陸の状況を説明してやれ」


「かしこまりました」


 ガンジャは一歩前に出ると、分厚い報告書を広げ、淡々と読み上げ始めた。それはカスパリウスが知る世界とは似ても似つかない、地獄の統計データであった。


「まず、ドゥームズガル帝国。飢餓は深刻化の一途を辿り、国土の実に8%が厄地と化しました。食糧難は民衆の理性を奪い、各地で『ケガレ狩り』が横行。異形者や病人を悪魔の手先として広場で焼き殺すことで、残された者たちが精神の均衡を保っているという惨状です」


「南方の商業都市連合も同様です。港町で発生した疫病はとどまるところを知りません。漁業及び海運業は壊滅的打撃を受けました。経済は破綻寸前であり、打ち捨てられた港には疫病が蔓延しております」


「そして聖都イドラ。表向きは秩序を保っておりますがその実態は元帥閣下がご覧になった通り、『浄化ビジネス』という名の詐欺的商法によって支えられているにすぎません。彼らの富は他国の不幸と、殺戮されたケガレたちの血の上に成り立っているのです」


 ガンジャは報告書を閉じ、カスパリウスを無表情で見つめた。


「他の国々も似たりよったりですな。ちなみにヘルゲート公爵閣下のご見解によれば、各国で行われている『ケガレ狩り』こそが厄地を拡大させる要因となっている、とのことです」


 カスパリウスは驚愕に目を見開いた。


「何だと……?」


「厄地とは畢竟、人々の絶望や怨嗟が凝縮したもの。無辜の民を虐殺すれば、その断末魔の叫びと呪詛が新たな『厄』となり、大地を汚染する。イドラ教団は火に油を注ぎながら、その火を消すことで金儲けをしている。実に非効率的で、悪趣味なマッチポンプですな」


 ガンジャは淡々と締めくくった。


「……結論として、元帥閣下。現在、この大陸において、最も経済が安定し、治安が維持され、そして国民の(ヘルゲート的な)幸福度が高い国家は皮肉なことに、このルミナス王国なのです」


 カスパリウスはその残酷な真実に打ちのめされる。彼の信じてきた「秩序」が支配する世界は地獄と化し、彼が「狂気」と断じたこの国が唯一の楽園となっているのだ。


 彼はその場に膝から崩れ落ちそうになるのを、必死で堪える。彼の足元がぐらぐらと揺れていた。


「……どうだ、カスパリウス」


 リチャードはその様子をどこか面白そうに眺めている。そうしてふと思いついたように、悪戯っぽく笑った。


「ガンジャ。元帥に、王都の『今』をたっぷりと見せてやれ。リハビリだ。ああ、そうだ。せっかくだから一番良い席でな」


 ◆


「地獄めぐりツアーへようこそ、元帥閣下」


 ガンジャは無表情のまま、カスパリウスを王都の観光馬車に乗せた。その馬車もまた、黒く塗られ、不気味な装飾が施されている。


 カスパリウスが目にした光景は彼の常識を根底から覆すものとなる。


 王都は彼の知る美しい都ではない。ゴシック様式の尖塔が空を突き、ガーゴイル像が建物の至る所から睨みを利かせていた。中央広場の噴水は本当に血のような赤い水を吹き上げている。もちろん血そのものではなく、色のついた水だが。


 ともあれ人々は黒い服を纏い、不健康そうな顔をしながらも、その表情には活気が、エネルギーがあった。


「おい、そのガーゴイル、もっと凶悪な顔にできないか? うちの隣の伯爵邸のやつより迫力がないと困るんだ!」


「かしこまりました! では特別オプションで、目から血の涙(染料)を流す仕掛けはいかがでしょうか?」


 建設現場ではそんな狂った会話が飛び交い、活気に満ちている。


 そしてカスパリウスが最も衝撃を受けたのは「ケガレ」たちの姿だった。


 彼が聖都イドラで見た、石を投げつけられる弱々しい存在はどこにもいない。


 生まれつき指が六本ある男が王立魔術科学院の新しい研究施設で、複雑な機械の組み立て作業を監督していた。


「この繊細な作業は五本指の凡人には無理だ! 私のこの『神の手』があってこそ可能なのだ!」


 彼は誇らしげに胸を張っている。その手は呪いではなく、祝福として機能していた。


 肌が青白い鱗に覆われた女性が王立劇場で「人魚姫(ただし、人魚が王子を裏切り、王国を乗っ取るダーク・ファンタジー版)」の主役として、満場の喝采を浴びていた。彼女の異形は恐怖の対象ではなく、神秘的な美しさとして称賛されている。


 生まれつき背中が大きく曲がった小柄な男が新しい教会のガーゴイル像のモデルとして高給で雇われ、不気味なポーズをとっていた。


「もっとだ! もっと絶望感を! 君のその曲がった背中こそがこの世界の歪みを体現する芸術なのだ!」


 芸術家が興奮した様子で彼に指示を飛ばしている。


 カスパリウスは混乱した。彼の常識では彼らは「救われるべき弱者」か「排除すべき異端」である。だがこの狂った王都では彼らは「個性的な労働者」として、あるいは「稀有な才能を持つスター」として、堂々と経済活動に参加していた。


 差別も、迫害も、そこにはない。あるのはただ、悪趣味な需要と、それに応える供給だけ。


 ◆


 執務室に戻ったカスパリウスはリチャードの前に立つ。その顔からはかつての怒りも、頑固さも消え失せ、ただ深い疲労と、それ以上の戸惑いが浮かんでいた。


「……どうだった? 我が国の新しい秩序は」


 リチャードが面白くてたまらないといった様子で尋ねる。


 カスパリウスはしばらく黙った後、絞り出すような、消え入りそうな声で答えた。


「……民は笑っておりました」


 彼はゆっくりと顔を上げ、リチャードを真っ直ぐに見据える。そして深く、深く頭を垂れた。


「陛下。……私が間違っておりました」


 それは彼の騎士道と秩序がヘルゲートという名の狂気と現実に、完全に敗北した瞬間だった。彼の身体から、何かが音を立てて抜け落ちていく。


「ふむ。分かれば良い」


 リチャードは満足げに頷く。彼はこの老将を、ただでは転ばせぬつもりだった。


「では罰だ、カスパリウス」


 リチャードの声が厳かに響く。


「貴様に、新たな任務を与える」


「は……」


「王国内の領地に、未だ旧来の価値観に囚われ、虐げられている『ケガレ』たちがいるはずだ。貴様の目で見た、あの村のようにな。彼らを全て、王都へ集めよ」


「……それは救済、でございますか」


「救済などという生温いものではない」リチャードは冷ややかに笑った。「労働力の確保だ」


 リチャードは立ち上がり、窓辺に歩み寄る。


「ただし、条件がある。その地に既になじんでいる者、そしてヘルゲート公爵領の『完成品』どもには手を出すな。あれはレドラムの管轄だ」


 リチャードは狂気に満ちた王都を見下ろしながら続けた。


「この国は今、新たな力を手に入れようとしている」


 ガンジャが静かに補足する。


「王立魔術科学院が先日、ついに『魔導蒸気機関』の実用化に成功いたしました。石炭ではなく、ヘルゲート領で採掘される魔石を燃料とする、クリーンで強力な動力源です」


 産業革命。それは人類史において生産体制を根底から覆した技術革新である。石炭と蒸気の力が馬や水車といった自然の力を凌駕し、工場制機械工業という新たな社会システムを生み出した。その結果、都市には労働者が集中し、スモッグが空を覆い、富と貧困が劇的に拡大した。ロンドンの霧はその繁栄と汚濁の象徴であった。


「工場が建つ。鉄路が敷かれる。そのためには人手が必要なのだ」


 リチャードが言う。


「旧来の常識に囚われない、多様な労働力がな。貴様が『間違っていた』と言うのなら、その手で、新しい秩序の礎を築いてみせよ。それが貴様への罰だ」


 カスパリウスは任務の真意を理解する。それは「ケガレ狩り」の対極にある、「労働力の確保」という、極めて合理的で、そして冷徹な国家戦略。


 彼はもはや反論する言葉を持たない。


 静かに、深く、再び頭を下げる。


「……御意」



 ◆


 カスパリウスが去った後、執務室にはリチャードとガンジャだけが残された。


「ガンジャ。これで良かったのか?」


 リチャードはもはや痛みを感じなくなった自らの胃のあたりをさすりながら、静かに呟いた。


「合理的かと存じます」


 ガンジャは悪趣味なネクタイを直しながら、淡々と答える。


「秩序とは時代に合わせてその姿を変えるもの。カスパリウス元帥も、ようやく新しい秩序の形を理解されたご様子。彼ほどの人物が『ケガレ』の徴兵……いえ、スカウトを担当すれば、効率は飛躍的に上がるでしょう」


 リチャードは窓の外の狂った王都を見下ろした。ガーゴイル像が鉛色の空の下で不気味に笑っている。


「ふむ……まああの像も、冷静に見ればなかなか勇壮で良いかもしれん」


 そんなことを言うリチャードを、ガンジャは無表情で眺めていた。


 ・

 ・

 ・


 一方、その頃。ヘルゲート公爵邸ではカスパリウスの部下たちを乗せた黒い騎兵団がようやく帰還していた。


 レドラムは屋敷のバルコニーからその光景を眺め、満足げに笑っている。


「おお、戻ったか! カミィラ、ご苦労だったな!」


 銀髪の美女、カミィラは馬から降りると、レドラムの前に跪いた。


「は。旦那様のご命令通り、聖騎士団は無力化し、元帥閣下のご友人たちを『保護』してまいりました」


「うむ! 素晴らしい手際だ! して、ジャガンは?」


「命令違反を犯しましたので、先ほど裏庭に埋めておきました。三日もすれば反省して生えてくるかと存じます」


「そうかそうか! それでこそ我が精鋭だ!」


 レドラムは高笑いした。


 その傍らで、カスパリウスの部下たちは異形の黒騎士たちに取り囲まれ、青ざめた顔で震えている。


「ようこそ、諸君! ヘルゲート公爵邸へ!」


 レドラムは両手を広げ、彼らに向かって陽気に叫んだ。


「貴殿らの主君は一足先に王都へ戻られた! だが心配はいらん! 貴殿らにはここで我々の『友情』の証を、たっぷりと味わってもらうことにする!」


 レドラムの言葉に、取り囲む異形の男たちがぎょろりと目を光らせ、下卑た笑い声を上げた。


「ギャハハ! 新鮮な肉だ! いや、客人だったな! 歓迎するぜェ!」


 カスパリウスの部下たちの悲鳴がヘルゲート領の陰鬱な空に虚しく響き渡る。


 彼らの受難もまた、始まったばかりなのだった。

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