2.ヒモはどこで見つけるの ①
ソファに腰を下ろしたまま軽く辺りを見回し、今しがた浮かんだ──嘲笑的な笑みでいつも馬鹿にしてくる人物を呼んだのだが、返事がない。
仕方ない、と息を漏らし、のっそりと立ち上がった。
ソファの後ろに回り込みそのまま部屋の奥まで進むと、キッチンとを隔てる戸を開けた。
「ねぇ槇生──いないじゃない」
キッチンにいるのだろうと思ったのだが当てが外れたようだ。
とすると別の部屋にいるのだろうかとキッチン内の左に位置する扉から廊下に顔を出し、鼻孔から酸素を吸い込み息を吐くと同時に声を出した。
すると、探している人物とは正反対の声音が耳に届いた。
「お嬢様、眞生さんならお庭の手入れをされていらっしゃいますよ」
ピナフォアといわれる白いエプロンを纏い、黒髪を奇麗に編み込みでまとめた女性。琴をお嬢様と呼称するあたり使用人のようだ。
琴の父親は警備や防犯グッズの開発を手掛ける会社を経営している。そのため多忙な父親に代わり住み込みで2人の使用人が琴の身の周りの世話をしている。その内の1人がこの、埣谷杏である。
槇生を呼んでも返事がないことに得心した琴は、眼の前にいる色白で優しい笑顔が特徴的な女性を勝手に暇そうだと決めつけ、「そうだったのね。杏、一緒にお茶しましょう」と言う。
「いいですよ、急ぎのお仕事があるわけでもありませんし。お嬢様とお喋りするのも私のお仕事の1つですしね」
一人娘と会話をしてやってくれ、とでも頼まれているのだろうか。ただの口実ともとれる言葉を発した顔からは、愉色が漂っている。続けて、槇生お手製のスコーンがあることを告げる。
琴は上機嫌で部屋に戻り、窓際にあるカフェテーブルに座った。頭の中の面積はヒモよりスコーンのが増している。
槇生が作る料理やお菓子はどれも美味しくその中でもスコーンはお気に入りの1つなのだが、あんな性格なのになぜこんなに美味しい物が作れるのだろうかと不思議でたまらない。琴が不満気な顔でそう呟いていると、それに同調するかのように杏がくすくすと笑いながら2人分の紅茶とスコーンを運んできてテーブルを挟んで琴の前に座った。
「先ほど槇生さんを探されてましたけど、何か御用がおありでしたか?」
ティーカップを右手で持ち上げ、杏が尋ねた。
「あ、そうなの。ヒモが欲しいのだけれど、そんな簡単に見つからないだろうから……どう探せばいいのかわからないのよ」
眼の前の丸く成形された2種類のお菓子に、何を乗せたら至福の時間を味わえるかと頭の中で考えを巡らせていた琴は本来の目的を思い出し、しっとりと柔らかいスコーンを両手で持ちくぼみに指先を沿わせ答えた。
杏は紐なら雑貨店か手芸用品店にあるのではないかと思ったが、珍しい紐なのだろう、と思い「象牙の紐とかですか?」と真剣な面もちで尋ねる。
「違う違う! 子犬のような子猫のような、見た目はやっぱり可愛い感じね。それでいて雄雄しい感じかしら。象牙のヒモなんて想像しただけで恐ろしいわね」
琴は全身を幾つもの象牙で覆われた人間を空想したが、それはもはや人ですらないのではないかとかぶりを振った。
「子犬……子猫……可愛い紐……けれど男性らしいかっこよさ……どなたかの贈り物なのですか?」
始めは可愛いらしい紐ならどの店にも置いてあるだろうと首を傾げたが、男性が持っていても違和感がないような紐なのだろうかと思い直した。もしかするとプレゼントしたい相手がいるのでは、と杏はにんまりと笑みをこぼした。
しかし琴から返ってきたのは予想とは違う言葉だった。
「いいえ、私のよ。あげたり貰ったりするものではないし失礼になるわ。可哀想よ」
人間を贈るなんて人身売買と大差ないではないか。人間を尊厳なく扱うまねなどできるはずがない。ましてや可愛いヒモにそんな可哀想なこと、と内心で思いながら返した。
「そうですか?素敵な贈り物には変わりないと思いますけれど……。あ、そういえば少し前に楽しそうな大きなお店ができましたよね。そこなら──」
まだ話の続きがあるのだが、それは椅子の脚が床に擦れる音と共に止まってしまった。
琴がテーブルに両手をついて立ち上がり、その勢いでカップに入っていた紅茶が零れそうになる。
そして身を乗り出し、それはどこにあるの──と早口で尋ねた。楽しそうと言う言葉から、カラオケルームなどのアミューズメント施設ができたと連想したようだ。
しかし杏が答える前に扉の方から男性の低い声がした。
2人は同時にその声の主へと振り向き、名前を口にする。
「杏、お前とお嬢様の話は齟齬だらけだ。たしかにヒモと聞けばそうなるだろうが、よくそこまで話が進むものだな」
テールコートに白い手袋、少し長めの黒い髪に切れ長の目。槇生沢真だ。
ため息交じりに言葉を放ちながらこちらに歩いてくるが、2人は何のことだか分からずきょとんとしている。
槇生は腹中で、阿呆なのは前から知ってはいたが本当に阿呆なのか? と呟くが、声に出す代わりに嘆息した。
そして仏頂面で、ヒモについて分かりやすく説明するよう言い放つ。
「お嬢様がお探しになっているヒモは、断固として働かず、女性の収入ですべてを賄い、世話になって生きる寄生虫の様な理解しがたい男の事で何かを結ぶための紐ではない」
琴はテーブルに手をついた姿勢のまま、「極悪非道のように言うわね」と眉をひそめた。
2人の会話を静かに聞いていた杏は愕然としていた。
紅茶とスコーンでテーブルを囲み、誰かに贈る品でも探しているのでは、と勝手な妄想をして内心にやつきながら楽しく会話をしていたというのに、まさかのひも違いだったとは。ヒモは贈れない。いやむしろ贈られても迷惑極まりないだろう。
そんなことを考えていると、琴が会話の1つを思い出し納得したようすで口にした。
「だから象牙のヒモって意味不明な事を言っていたのね。ちょっと原始人みたいな感じを想像してしまったわ」
「ち、違いますよ。それはあれですよ。だからお嬢様が珍しい紐と……」
杏はなぜそんなことになったのかと椅子から立ち上がり必死で説明しようとする。
しかし琴はそんなことはどうでもいいというように、それでヒモはどこにいるの? と、切れ長の目で冷たい視線を向ける男の横で狼狽している杏に尋ねた。
「知りません! そんな物騒な殿方と関わる人生ではありませんし!」
「さっき楽しそうなお店ができたと言っていたじゃない。アミューズメント施設でしょう? どこにできたの?」
「アミューズメント施設?……輸入品なども扱っている雑貨店らしく、見ているだけでも楽しそうなお店だな、と──すみません」
琴が目をしばたたかせているのを見て、杏は申し訳ない気持ちになり思わず謝ってしまった。
槇生は隣で目を伏せる女性を一瞥し、呆れたようすで吐息を漏らす。
「ペットショップじゃないんですから探しても見つかりませんよ。それともまさか、ペットだとお思いですか」
そう問いかけると怪訝な顔を見せた。
それを聞いた杏は、もしかしてよからぬ相手からヒモを買おうとしているのではないか、と慌てた。
「ペットなら犬とか猫とか麒麟とか他にたくさんいるではないですか!」
これに槇生は麒麟は飼えないだろう、と真顔で答えた。
琴は、使われていない部屋も有効活用できるからと得意げな顔をして言うのだが、槇生は瞬時に玩物喪志と啖呵を切り、歯に衣着せぬ言葉を並べる。
杏は、首が折れるのではないかと思うほど首を何度も縦に振り、勉強や稽古事が疎かになりかねないとでも言うようだ。
しかし、琴の荒唐無稽な発言は今に始まったことではない。過去にもロックスターになると言い出し、突飛な服装や髪型をしたりと枚挙に遑がない。そのせいもあり、槇生は泰然として驚かない。
「2人が協力してくれないならもういいわ。自分で何とかする。後から欲しいって言われても分けてあげないからね! 槇生と杏のばか、分からず屋」
琴は2人の反対する様子にこれ以上聞いても無駄だと判断し自力で探すしかないと思った。そして同時に悪態をつき自室に戻った。
「杏、ヒモなんて欲しいか?」
「欲しくないです……ましてや裂けないので分けれないですしね」
「お前の分け方は裂くのか。相変わらず発想が怖いな」
「槇生さんほどではありませんよ」
杏はにっこり微笑みながら槇生を見た。