1.ヒモってなんて可愛いの
王子様には善と悪の2種類が存在する。
物語や映画に登場する王子様は前者だ。悪者に捕らえられたお姫様を助け出す勇敢な男や、裕福な家庭で育った眉目秀麗な主人公。一見悪に見えても、結末に辿り着く前に善人だったと判明する話もある。
現実世界はというと、物語や映画とは違い、続きが観たくなるような結末とは限らない。最初から最後まで悪のまま終わることもあるのだ。
ただ──後者のような王子様を好むお姫様は、物語や現実でも聞いたことがない。
『あいりちゃん、お小遣いちょうだい』男が猫撫で声で強請っている。
あいりと呼ばれた女は何に必要なのかと聞く素振りも見せずに、鞄から亜麻色の財布を取り出した。そしていつも通り、札入れから1万円札を幾枚か取出し、眼の前にある大きな両掌に乗せた。
それを見た男は喜色満面の顔で抱きつき『大好き』と耳元で囁く。女は頬を赤らめたが、『私も大好きだよ』と嬉しそうに照れたような笑みを浮かべた。そして自身の顔の真横に並ぶ柔らかい髪を優しく撫でた。
画面に映るその光景は、飼い主と飼い犬を彷彿とさせる。
テレビと呼べる大きさはどこまでなのだろう。そんな思惟が頭を掠めるほどの液晶ディスプレイが、100畳は優に超えているであろう、部屋の壁一面を我が物顔で陣取っている。
日曜日の昼下がり。蝶々や天道虫があちらこちらに顔を出すほど暖かく、出掛けるには最適な休日なのだが、司城琴は何処かへ出掛けようなどとは微塵も思わない。それどころかせっかくの休日なのだからと、もこもこしたピンク色の半袖にショートパンツというお洒落とは正反対の姿だ。
濃鼠色の布に覆われた随分幅広なコの字型ソファに座り、巨大な長方形に映し出されたヒモといわれる主人公を大きな扁桃 のような丸い目で、食い入るように観ている。
今は動画サブスクリプションという便利なサービスがあるのでいつでも好きな時に映画を愉しめる。琴はそれを契約してからというもの、暇さえあればアプリを開いていた。本の虫ならぬ映画の虫だ。
最近のお気に入りは恋愛映画らしい。接着剤でもついているのではないかと思うほど、何時間もその場から動いていない。
恋愛映画といえば、徐々にお互いが惹かれあう中で多種多様な問題が生じながらも、それを乗り越えはれて恋人同士になり2時間後にはハッピーエンドが待っている、という類が多い。
多いということは世界中の大多数の人間はそれを好んでいる、という意味なのだろう。
しかしヒモを主人公にした映画はお互いが惹かれあうのではなく、ターゲットを一方的に惹かれさせ王子様が現れればそれを阻止する。所謂悪役が2時間ずっと主役なのだ。そんな映画を喜々として観る人間は少数だろう。
ある意味人生においての教育番組とみてもいい。
女子というのは漫画やドラマに出てくる王子様に憧れ、自身もそんな恋愛をしてみたい、と思う子も多いのではないか。
しかし、クッションを抱きかかえ双眸を輝かせているこの16歳の女の子は、スクリーンの中にいるヒモに憧憬を抱いている。
「ああ──かわいい。まるで私だけのペットのようだわ。堪らなく可愛すぎる!」
高揚したようすでクッションに顔を埋め、肩より少し伸びた黒髪を左右に振り足をばたつかせている。
そして徐にクッションを両手で抱きかかえると、ヒモはどこに行けば手に入るのだろうかと思案した。
手に入れたいとはいえ人間を金で買う行為は人身売買罪である。罪にならない世の中ならばすぐにでも会場に赴くだろうが──至極当然のことだが犯罪者になる気はない。
街中でわざとらしく落とし物をする? それとも手あたり次第声をかける?
琴は虚空を見つめ思考を繰り返すが、どれも良案とは言えないようで眉間には皺が寄り、口元が歪んでいる。
すると何かを思いついたのか「あっ」と小さく呟くと、顎を引き口許を上げた。
ある人物の顔が脳裏に浮かんだのだ。