5話 冠を被った豚
「はぁ……はぁ……」
俺は息を切らせながら転移ポータルのある15階に辿り着いた。
荒い呼吸を落ち着けようと、一度大きく深呼吸をする。すると脳裏に死んでいった同志たちの顔が浮かんだ。
……死んだ。全員死んだ。……いや違うな。俺が殺したんだ。
俺が生き残るためだけに、囮になって死ねと命じた。その事実が両肩に重くのしかかる。
……くそ!
つい1時間前まで生きていた仲間たちはもういない。
こんなに人を死なせてしまったのは俺が兵士になってから五年で初めてだ。
――運が悪かった。
|夜の訪れを告げる者《The Night Teller》は神出鬼没。約百年前にその存在が確認され、遭遇した部隊はたったの三つ。最後に遭遇した記録は47年前だ。
……いや実際はもっと多かったんだな。
こんな惨事になるのなら、報告できていない部隊がもっといたはずだ。
生き残りが居なければ報告はなされない。故に、遭遇回数なんて記録に意味はない。
認識が甘かった。
運が悪かったのは紛れもない事実だがその後の対応、責任は全て部隊長である俺にある。もう少し犠牲は減らせたんじゃないか、そう考えずにはいられない。
……クソ。
もしもの事なんて考えても意味はない。
しかし「もしあの時、別の決断をしていたら」と次々に可能性が思い浮かんでくる。
誰も死ななかった未来、少ない犠牲で済んだ未来はあったのではないかと考えてしまう。
……切り替えなきゃダメだ。
全ては悲願、楽園を堕とすために立ち止まってはいられない。
それが死んでいった同志たちの願いだ。
「……帰ろう」
あのクソみたいな楽園に。
俺はすぐに転移ポータルの設置してある部屋に辿り着いた。その扉は何かの拍子に壊されるといけないのでしっかりと施錠してある。
俺は胸元からカードキーを取り出し、タッチパネルにかざす。
直後、ピッと甲高い電子音が鳴り、静かに扉が開いた。
「……は?」
俺は飛び込んだ光景に目を疑った。
いつもは青白い光を湛えている転移ポータルにその光がない。
「なんでだ!?」
俺は即座に腕時計を確認。
外は|夜の訪れを告げる者《The Night Teller》の影響で夜だが、日没までは時間がある。
「……うそ、だろ?」
俺は転移ポータルに駆け寄り、付随されている操作盤を叩く。すぐにホログラムのキーボードが立ち上がったので、転移ポータルの強制起動コードを打ち込んだ。
「……」
しかしブッと拒絶音が鳴るだけで、転移ポータルはうんともすんとも言わない。
「どういう事だ!?」
操作盤に拳を振り下ろす。
高速で思考を回し、原因を模索する。手を止めずに操作盤を叩き続ける。
しかし特にエラーは見当たらず、転移ポータルをチェックしても破損はない。
まるで楽園側からシャットダウンされているような状態だ。
……楽園……側?
自分の考えに血の気が引いていく。
『フフフッ! ハァーッハッハッハ!!!』
すると唐突に転移ポータルから下品な笑い声が聞こえてきた。ホログラムが立ち上がり、一人の人物の顔が映し出される。
「……アドスト……さま」
俺は怒り狂いそうになる程の激情をなんとか呑み下し、その人物の名を呼んだ。
アドスト=エリュシオン。
楽園エリュシオンの貴族にして統括議会の理事長。
実質的なエリュシオンの支配者だ。
『頭が高いぞ隷属兵』
その言葉に俺は歯を食いしばりながらも膝を突き、首を垂れる。
「失礼いたしました」
『まあ良い。此度は非常に面白い喜劇だった。なので水に流してやる』
……面白い喜劇? どこが?
歯の奥が嫌な音を鳴らし、目の前が赤く染まる。
冠を被った豚どもの思考が理解できない。人が大勢死んだのにも関わらずヤツらはそれを喜劇と呼ぶ。
頭が沸騰しそうになる。同じ人間とは思えない。
心の底からドス黒い憎悪が溢れてくる。
「……喜んでいただけて……幸い……です」
こんな言葉は口にしたくない。だが今は堪えなくてはならない。俺の生殺与奪の権利は今、この男に握られているのだ。
死んでしまったら無駄死にだ。悲願を達成することが出来なくなる。
『よいよい。それでK……なんだったかな?』
「K5895でございます」
『そうだったそうだった。まあどうでもよいがな。ご苦労だった』
そんな事より早くポータルを開けろ。
喉元から出かかった言葉を必死の思いで抑える。
言ったところで意味はないし、ヤツらを楽しませるだけだ。
「ありがたきお言葉」
『じゃあ魔水晶はそこに置いておいてくれ。さらばだ』
「……は?」
……さらば? どういう事だ?
ヤツの言葉が理解できない。
それがどういう意味を持つ言葉なのか。それを理解することを俺の脳が拒んでいる。
『ヒャーッハッハッハッハッハッ!!!』
すると再び下品な笑い声が響いた。
『それだよ! その顔だよ! 希望が絶望に変わる瞬間ッ!!! 最高だ!!! これに関しては何度見ても飽きないなぁあああああ!!!』
嗤い声が響く。響く。響く。
無数の嗤い声が輪唱する。
遅れて俺はヤツらの言葉を理解した。
つまり、転移ポータルを遮断したのは冠を被った豚どもということだ。
全ては娯楽の為、俺を嘲笑う為。たったそれだけの為に。
腐っている。心の底から救えない。
こいつらは理解しているのだろうか。
俺の分隊が持ち帰る魔水晶がどれほどの数になるのかを。しかしそれを言っても無駄だ。ヤツらは自分の楽しみの為ならなんでもやる。
それに吐いたツバを飲み込むこともない。
「ああ。そうか」
俺は理解した。
――もう楽園には帰れない。
ならばもう媚び諂う必要はない。
「クソが!」
俺は胸元に付いているカメラを引きちぎりホログラムに投げつけた。そして中指を立てる。
「覚悟しろ冠を被った豚ども。いずれ俺がお前達の楽園を堕としてやる。それまで残りの人生をせいぜい楽しめ!」
『これから死ぬ隷属兵に何ができると言うのかな? まさか呪い殺すとでも? 滑稽だなぁ! ハァーッハッハッハ!!!』
下品な声を無視して俺は踵を返した。
俺は覚悟を改める。必ず生き残ってヤツらを――。
「――ヒヒヒ」
耳元で背筋が凍る様な嗤い声が響く。
その瞬間、右腕が捩じ切れた。