15話 絶望
黒い靄が集まり、実体が姿を現す。
大きな頭に短い手足、真っ黒な体躯に鞭のように細長い尻尾。目や耳は退化しており、頭部は非常にのっぺりとしている。
【終末の獣】汎存種:|猟犬型《タイプ:ハウンドドッグ》。嗅覚が異常に発達した【終末の獣】、盲目の狩人だ。
「グゥオオオオオオオオオ!!!」
雄叫びが上がり、あたり一面の魔水晶が放射状に砕け、空気がジリジリと揺れる。
そして生き残っている人間、ホタルの方へと顔を向けた。
広間の中にはホタルが流した血液の匂いが充満している。だが、|猟犬型《タイプ:ハウンドドッグ》が嫌う臭いではない。逆に人類を滅ぼすという存在意義を持つ【終末の獣】にとっては好物とも言える臭いだ。
よって血液の臭いは|猟犬型《タイプ:ハウンドドッグ》の妨げにはならない。
しっかりと獲物の臭いと血液の臭いを嗅ぎ分けていた。
ホタルは満身創痍の身体を引き摺って後退する。
それを追うようにして|猟犬型《タイプ:ハウンドドッグ》がゆっくりと歩いていく。
|猟犬型《タイプ:ハウンドドッグ》は獲物が死に体なのを理解していた。だからか、恐怖心を煽るようにゆっくりと進む。
その歩みはまさに死神の歩み。|猟犬型《タイプ:ハウンドドッグ》が辿り着いた瞬間、ホタルの胸に灯る命の輝きは終えるだろう。
……動け! 動け! 動け!
ホタルは必死に身体を動かそうとするが、力が入らずにうまくいかない。
それに魔水晶術師との死闘に加え、|朱ノ秘術《Arcana Rouge》の過剰摂取で既に限界は超えていた、
同時摂取の悪影響で効果時間が短縮されており、副作用である多臓器不全の症状も出始めている。
満身創痍という言葉ですら生ぬるい。吸血鬼の身体が無ければ既に死んでいる状態だ。
しかしホタルは諦め切れなかった。
……死にたく……ない!
ただその一心で立ち上がろうとする。
しかし現実は非情だ。程なくして|猟犬型《タイプ:ハウンドドッグ》がホタルの元へと辿り着いた。
地面で踠くホタルを嘲笑うかのように前足を上げる。
「あぁ……」
ホタルの口から掠れた声がこぼれ落ちる。
直後、身体がバラバラになりそうなほど、強烈な衝撃がホタルに襲いかかった。
「がっ!」
凄まじい勢いで吹き飛ばされたホタルは通路を抜け、さらにその先へ。
一度も地面に付くことなく、壁に激突した。
――ピシィ。
脇腹が大きく切り裂かれ、左腕がどこかへ消えていた。
足が曲がってはいけない方向に曲がり、激痛が走る。だけど悲鳴を上げる気力さえなかった。
夥しい量の血液が流れ、地面に真っ赤な血溜まりが広がる。
……いたい。……いたい……よぅ。
しかしそれでもホタルは生きていた。
急所を潰さない限りは吸血鬼の身体がホタルの命を繋ぎ止める。まさに生き地獄だ。
そんな中、ホタルは真っ赤に染まった視界を前に向ける。すると黒い影がゆっくりとこちらに近づいてくるのが見えた。
しかしもう逃げられない。とても歩けるような状態ではない。
ホタルの頬を涙が伝う。
「だれ……か……、たすけ……て」
口から漏れた掠れた言葉。探索者になってからホタルが初めて零した弱音。
しかしその言葉が誰かに届くことはない。ここは地下深くの神代遺跡。仲間はすでに撤退し、残されたのはホタル一人。
誰にも看取られずただ死んでいく。それがホタルの運命。
かと思われた。
しかしそこには――。
――水晶に囚われた少年がいた。
次の瞬間、ホタルは背後で砕ける魔水晶の音を聞いた。