11話 吸血姫
そうして歩くこと数分、螢火隊は再び広大な空間に出た。
その空間は魔水晶に囚われた隻眼隻腕の少年がいた空間と比べても広く、周囲に生えている魔水晶も一際大きい。
そしてその広間の中心に、楽園ヴァルハラが求めていたものがあった。
中心に鎮座していたのは、禁忌録の碑石。
黒曜石に似た漆黒の鉱物で出来た長方形の板で、薄ぼんやりと光を放っている。碑石というように表面には複雑怪奇な文字が彫られており、魔水晶しか存在しない空間の中で一際異彩を放っていた。
……ようやく。
探索から三日と少し、螢火隊は目的の禁忌録の碑石を発見した。
見つけた碑石はかなり大きく、生み出す魔力は計り知れないと容易に予想できた。ヴァルハラにとって多くの恵みを齎すことになるのは間違いないだろう。
しかし喜ばしい事ばかりではない。少し前から漂っていた死臭がまた強くなっていた。
その為、螢火隊はここに魔物がいると断定。広間に入ることなく周囲を警戒し、遺体を探していた。
……どこに。
近くに遺体がある事は明らか。しかし何処にも見当たらない。
「……警戒しつつ、広間に入ります」
「了解」
「了解っ!」
見える範囲にはない。そう判断したホタルは広間に足を踏み入れることを決断した。
腰からレイピアを引き抜きゆっくりと一歩ずつ、慎重に歩を進めていく。
しかし魔物は出現しない。
そして十歩ほど進んだ時、物陰に何かが倒れているのが見えた。
「発見。引き続き警戒しつつ接近し――」
その瞬間、ホタルは背筋が粟立つような殺気を感じた。
ホタルは自身の直感に従い、後退を決断する。しかしそれは少しだけ遅かった。
螢火隊の足元に奇怪な文字が出現する。ホタルはこの現象に覚えがあった。
……魔術!
自分一人ならともかく、このままでは避けられない。そう判断したホタルはリリーの首根っこを掴んで後ろへ放り投げる。
それと同時にアイザックを蹴り飛ばした。
「うわ!」
「がぁ!」
瞬間、地面が隆起し魔水晶が槍のように突き出してきた。
レイピアでは受け切れないと判断したホタルは即座に身をひねる。しかしそれは苦し紛れの行動でしか無く、魔水晶の槍はホタルの脇腹を深々と貫いた。
「ぐぅ!」
激痛に顔を顰めながらもホタルは後退する。すると夥しい量の血が地面を濡らした。
「隊長!」
「ホタルちゃん!」
駆け寄ってこようとした2人をホタルは手で制す。
「だい……じょうぶです! それより撤退を! 碑石は断念します! ヴァルハラへ情報を持ち帰ってください!」
「でも! ホタルちゃんが!」
「リリー! 命令です! こいつの足止めは私しかできません!」
いつのまに姿を現したのか、ホタルの視線の先にいたのは悍ましい姿をした異形の怪物だった。
真っ黒な靄を纏った赤黒く流動する球体。靄をマントのようにたなびかせ、球体の中央についた単眼から螢火隊を睥睨している。
その名も魔水晶術師。
魔術という人智を超えた力を扱う特殊な魔物だ。
「リリー行くぞ!」
「でも!」
「しっかりしろ! 全滅する気か!!!」
アイザックの言葉に我に返ったリリーは一瞬の逡巡の後、頷いた。
「ホタルちゃん! 必ず生きて帰ってきて!」
「ヴァルハラで待ってるからな!」
そう言い残して二人の姿は遠ざかっていった。
……無理を言いますね。
ホタルは内心で呟く。
なにせ相手は魔水晶術師。
討伐には最低でも特級魔術師が3人必要だと言われている正真正銘のバケモノだ。
加えて魔物には必ず生えている魔水晶が生えていない。
明らかに特殊個体だ。
強さのほどは不明だが、特殊個体の討伐に必要な人数は単純計算で二倍だとされている。
魔水晶術師の特殊個体ともなればヴァルハラに7人しか存在しない特級魔術師が総出で討伐隊を組まなければならない事態と言えるだろう。
……それに――。
ホタルは禁忌録の碑石へと視線を向ける。
水晶遺跡の魔物が弱かったのは確実に魔水晶術師の影響だ。
この規模の碑石が生み出す魔力を一身に受け、強化されているはずだ。
一体全体どれほどの強さを持っているのか。ホタルは全く想像が付かなかった。
……使うしかありませんか。
特級探索者である自分でも瞬殺される。時間稼ぎすら出来ない。
そう判断したホタルは開幕から切札を切ることを選択した。
ホタルは己の剣に向けて起句を呟く。
「貫け。|紅血剣《Bloody Vermilion》」
その瞬間、レイピアの持ち手から無数の棘が突き立ち、ホタルの手を貫いた。
ホタルは痛みに顔を顰める。
しかし血は出ない。正確には出血した瞬間から棘が血を吸収していく。そして吸収した血を糧として荊が育ち、ホタルの右腕を覆い尽くした。
白銀だった刀身が真紅に染まっていく。
「ふぅ」
一度深呼吸をするホタル。
その肉体にも変化は起きていた。
犬歯と爪が鋭く伸び、瞳孔が猫のように縦長となっている。
これが特級探索者、【吸血姫】如月螢の戦闘形態。固有遺物、|紅血剣《Bloody Vermilion》の力を解放した姿だ。
「行きます!」
ホタルが腰を落とした瞬間、四方八方から魔水晶が襲いかかった。
怪物と怪物の戦闘が幕を開ける。