10話 遺体
探索を続けること数十分、これまで変わらなかった環境に変化が訪れた。しかしそれは決して歓迎されるべきではない変化だ。
「この匂いは……」
何処からともなく鼻に付くような臭いが螢火隊の元に漂ってきた。一歩一歩進むにつれ、螢火隊全員の表情が険しくなっていく。
「間違いねぇな。こりゃ……」
アイザックの言葉は他二人も心中で感じていたことだ。
長く探索者をやっていれば誰もが嗅いだ事のある臭い、つまりは――死臭だ。
三人は匂いのする方へと向かって無言で進んでいく。
そして何度か分岐路を越えると地面に二体の遺体が転がっていた。
「リリー。警戒をお願いします」
「任せて」
さすがのリリーもいつものふわふわとした雰囲気はナリを顰めていた。
「アイザックはそちらをお願いします」
「おう」
ホタルに続き、アイザックも遺体の元へと歩いていく。
水晶遺跡は比較的気温が低いが、それでも死後数週間は経っている。その為、遺体の腐敗が激しい。
近付くにつれ強烈な異臭が二人の鼻をつく。
しかしホタルは手袋を付けると躊躇せずに首元に手を伸ばした。
「やはり先遣隊ですね。装備品で分かっていましたが……」
ホタルが手に取ったのはヴァルハラの探索者ならば全員が着用を義務付けられているドックタグだ。
そこにはB級探索者を示すエンブレムや探索者の名前、生年月日といった個人情報が記載されている。
「なんて姿になってんだよ……ルーカス。テメェは子供が生まれたばっかだろうがッ!」
ホタルの隣でアイザックが吐き捨てるように呟いた。
「知り合いですか?」
「……ああ。よく行く酒場の常連だ。最後に会った時は子供が生まれたって嬉しそうに報告してやがったんだ……」
探索者という職業はいつも死と隣り合わせ。
ホタル自身、そういう仕事だとは分かっている。しかし遺された家族を思うと居た堪れない気持ちになり、表情が歪んだ。
「……そうですか。せめて、せめて遺品だけでも持ち帰りましょう」
「そう……だな」
地上で死んだ者の遺体は基本的に持ち帰ることができない。
理由は単純明快。いつどこで魔物に襲われるかわからない終末において、遺体は荷物でしかないからだ。
非情だが、仕方ない。終末とはそういう世界だ。
だからこそ、戦って死んだ同胞の遺品は必ず持ち帰る。それがせめてもの弔いだ。
「ったく。何回やっても慣れねぇなコレばっかりは……」
ホタルとアイザックは無言で遺品を回収していく。
しかし持っているのは大体ペンダントや手帳といった小物ぐらいで、回収作業はすぐに終わる。
今回も例に漏れずそれほど時間はかからなかった。
「リリー」
「うん」
二人は回収した遺品を専用の袋に入れ、リリーに手渡した。
そしてすぐに意識を切り替え、遺体の状態を調べていく。リリーもアイザックと入れ替わり、遺体の元にしゃがみ込む。
「これは……魔物だねぇ」
「私も同意見です。間違いはなさそうですね」
二人は魔物に殺されたと早々に断定した。
【終末の獣】に襲われた場合、ほぼほぼ遺体は残らないからだ。残っていても原型を留めていなかったり、一部分しか残っていないなんてことがほとんどだ。
それに比べて魔物に殺された場合、遺体は残る。
魔物は野生動物とは違い、腹を満たすために殺しているのではないからだ。ただ、殺すためだけに殺している。
よって息絶えた身体に用はなく、基本的に放置する。
だからこそ原型を留めている遺体は魔物に殺されたと見て間違いない。
しかしそこで問題になってくるのはなにが殺したか、だ。
今、この場に至るまで螢火隊は幾度となく魔物と戦闘を繰り返してきた。しかしその中にB級探索者の探索隊を殺せる魔物はいない。
……それに、残りの三人が何処に行ったのかも気になりますね。
先遣隊は合計五人いた。
しかしここに居るのは二人。残りの三人がどうなったのかが不明なのだ。
「死因は……これかなぁ? 脚部の骨が砕けてる。この砕け方は何か硬質なもので貫かれた?」
「角、とかですか?」
「近いと思う。角だとしたら結構太いねぇ。そうだな……あれぐらい?」
リリーが周囲を見渡し、拳二つ分ぐらいの太さを持つ魔水晶を指差した。
「太いですね。角ならば、かなり大きな個体ですかね」
「だねぇ」
「死因はわかりますか?」
「うん。この位置だと大腿動脈を貫かれたことによる大量出血、出血性ショック死かなぁ。それでこの血痕だと、多分あっちから逃げてきてここで生き絶えたって感じだと思う」
リリーが指差した方向の地面には、乾いて茶色くなった血痕がべっとりと残っていた。
身体を引き摺った影響か、血痕は尾を引くようにして遺跡の深部を指し示している。
その先には薄暗い道がただひたすらと続いていた。
「ホタルちゃん。一応、そっちも調べるね」
「はい。よろしくお願いします」
ホタルは立ち上がると、腰からレイピアを引き抜いて警戒に加わる。
すると数分でリリーは立ち上がった。
「こっちは心臓を一突きかなぁ。たぶん亡くなったのはこの場だと思う。血痕が真下にしかないから。たぶん、ルーカスさん? は助けようとしたんだねぇ」
リリーの言葉にアイザックは眉を寄せた。
「ったく。お人好しのアイツらしいぜ……」
「……リリー。もう大丈夫ですか?」
「うん。大丈夫〜」
「ではせめて、壁際に寄せておきましょう」
埋葬できなくてもせめてそのぐらいはと、ホタルはアイザックと協力して遺体を壁際へ寄せた。
それほど広くない通路の為、遺体を焼く事はできない。あとは朽ちていくのを待つだけだ。
手袋を取ったホタルは一度目を閉じ、黙祷を捧げてから踵を返す。
「行きましょう」
「ああ」
「はぁ〜い」
螢火隊の探索はまだまだ続く。