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「勇気」

どろぼうと月

作者: 六福亭(さみ)

月とどろぼうと女の子が出てくる話です!


 エルザはいつでも塔の中にいました。


 もちろん、たまには外に出ます。外に出て、パンやくだものを買ったり、小川のそばを散歩します。でも、ひとりぼっちで外を歩くのは、あんまり好きではありませんでした。


 エルザがまだ11歳の頃に、両親は亡くなりました。馬車で友だちの結婚式に出かけた夜に、盗賊に殺されてしまったのです。

 両親はエルザに、背の高い塔と、その中の宝物と、ちび猫のミイを残してくれました。


 だからエルザは、16歳になった今でも塔を離れようとはしないのです。今までに、遠い親戚や、友だちの家族が、エルザを養子に迎えようと言ってくれましたが、どの誘いもエルザは受けようとしませんでした。宝物を守りたいだけではありません。生まれた時から暮らしていた塔の中には両親との思い出がいっぱいに詰まっていて、ひとりぼっちのエルザを優しく包んでくれているのでした。


 エルザの日課の1つに、お月見があります。毎晩塔のてっぺんの天文台で、まんまるな月や、その周りを巡る星の海を眺めるのです。その時、エルザと猫のミイはおやつを食べます。もちろんお団子ではありません。大抵、冷たいミルクと、お砂糖がちょっとだけかかった小さなパンです。夜のチョコレートやアイスクリームは、にきびの元になるからとお母さんに禁じられていたのでした。


 まんまるなお月様は、エルザがとても幼いころから、1日も欠けることなくそのまるい姿を見せています。不思議ですね。でも、エルザにとっては当たり前のことだったのです。


 ある秋の夜、いつものようにエルザは、お菓子とミルクのつぼを抱えて天文台に登りました。ミイも、急かすように鳴きながらついてきました。らせん階段に、エルザたちの足音が転がり落ちていきます。


 塔の外に出た時、エルザはうーんと背背伸びをしました。つま先で立つと、体がふらふら揺れて、怖いくらいでした。でも、とても涼しくて、清々しい気分になるのです。


 そして夜空を見上げた時、彼女はふと目を細めました。


 真っ黒な何かが、星を隠しながらゆっくりと動いているのです。星たちが一瞬見えなくなり、それからまた輝き始めました。雲でしょうか。だけどそう思った瞬間、その何かは急に動きを早めました。風に吹かれたにしては速すぎます。


 鳥か、こうもりでしょうか。だけど、それにしてはちょっと大きいのです。形は、こわれたかさみたいに見えました。

 

 その何かは、すごい速さで空を飛んで、月の前を横切りました。

「あっ……!」

 

 エルザは大声で叫びます。

 月が、消えてしまったのです。


 さっきまで明るい月があった空には、ぽっかりと寂しいすき間ができていました。


 エルザは慌てて、望遠鏡で月を奪った何かを探しました。そいつは東の方角へ飛んでいきましたが、辛うじて二本の足と、先のとがった男物の靴が見えました。そいつは少なくとも、下半身は人間のようです。


 その夜から、月は見えなくなってしまいました。


 エルザのお月見はすっかり張り合いがなくなってしまいました。まるい月を望遠鏡でのぞくのが、毎晩の楽しみだったのに。ミイもエルザを心配しています。


 そしてたっぷり7日間、月なしの夜を過ごした後で、エルザは月どろぼうを捕まえようと決めました。

「あの、大きなこうもりみたいな奴をとっちめて月を取り返さなきゃ、わたしの平和は戻ってこないわ」

 それから、エルザはミイと一緒に町へずんずん繰り出します。


 エルザは並外れて物覚えが良く、目も野生動物のようによく見えたので、あの夜ちらりと見えた男の靴を、ばっちりと覚えていました。ですからまず、町の靴屋さんに行って、同じ靴を探しました。


 町にある靴屋を5軒も回ったころ、やっとエルザはお目当ての靴を発見しました。

「この靴を売った相手を教えて下さい」

 そう必死で頼み込むエルザに心配の目を向けながらも、靴屋の主人は教えてくれました。エルザの両親には町の皆がお世話になっていたからです。


 その靴の持ち主は、町の外れに住む若い男だそうです。ほとんどいつも家に閉じこもっていて、誰も、彼が何の仕事をしているのか、家族はいるのか、何1つ知らないのです。エルザとミイはその男の住まいを教えてもらい、その日の夕方に訪ねていきました。


 男の家は、干し草の塚ほどの広さしかない小屋でした。屋根のかやは痛んでぼろぼろで、土を固めた壁にはひびが入っていました。不安になったエルザですが、日が暮れる時間になっても月が見えないことを思い出して、決心しました。


 扉を叩くと、中からつっけんどんな返事がありました。しばらく待たされて、嫌々とでも言うようにゆっくりと開いた扉からのぞいた顔を、エルザはまっすぐに見つめます。


 家のみかけに反して、整った顔立ちの男です。不機嫌そうに歪んだ口が、エルザを見て愛想笑いの形に変わりました。瞳はきらきらといたずらっぽく輝いて、まるで星のようです。

「何のご用でしょう、お嬢さん?」

 男は、やってきたのが少女と見て、警戒を解いたようでした。月を返せとぴしゃりと言ってやろうと思っていたエルザはちょっとためらいました。靴が同じだというだけで、彼がどろぼうである証拠は何もないのです。

「あ、あの……」

「道にでも迷ったのかな?」

 男は優しくなぐさめるように言いました。そのせいで、エルザの勇気はくじけてしまいました。

 

 やっぱり帰ろう。後ずさりした時、側にいたミイが鋭く鳴きました。それでエルザははっとしたのです。


 今ここで帰ったら、月は戻ってこない。また、寂しい日々に戻るだけです。

 エルザは勇気を出して問いかけました。

「月が、なくなったんです」

「何?」

 男は困惑したように首を傾げました。「何の話だい?」

 だけどその時、男の顔がかすかにひきつったのを、エルザは確かに見ました。

「誰かが月を盗んだんです。私は望遠鏡で見てました。空を飛ぶ男の人が、月を消してしまいました!」

「夢の話なら、よそでやってくれ」

 男は、身を乗り出したエルザを押し返そうとしました。その指先が、震えています。

「いいえ、夢じゃありません! それに、私はもう1つ見ました。そのどろぼうは、あなたと同じ靴をはいていました……」

 男はその場で凍りついてしまいました。エルザの足下で、ミイが満足げにのどを鳴らしています。

「……参ったね」

 男は長い溜息をはいて、髪をかきあげました。それから、エルザの目をまっすぐ見つめて、言いました。

「たしかに、月は僕が盗んだ」

 いざはっきりとそう言われると、エルザは驚いてしまいました。

「ほほほ本当に……?」

「そうだ。……まさか、見られていたなんて思わなかった」

「どうして、そんなことをしたんですか?」

 男は__どろぼうは、首を振りました。

「それは、秘密だよ」

 エルザは少しがっかりしましたが、理由は二の次です。

「月を返してくれる?」

 どろぼうは、かなり長いこと黙っていましたが、やがてうなずきました。

「わかったよ。……だけど、すぐに全部は返せない。あの月は小さくばらばらに分けてしまったから」

「そんな」

 月をばらばらにしてしまっただなんて。エルザはショックで開いた口がふさがりません。

「だから、少しずつ返してあげる。30日もするころには、今までどおりの月が戻ってくるよ」

 どろぼうは、気弱な目でエルザを見ました。

「それじゃあ、駄目かな?」

 彼があまりにも悲しそうな顔をしているので、エルザはつい同情してしまいました。

「いいわ。でも、最後には必ず全部帰ってくるんでしょう?」

「約束するよ」

「毎晩待ってるから。忘れないでね」

「ああ」

 それでもまだ疑い深くどろぼうの顔を観察していると、どろぼうがおもむろにエルザの手を取り、小指と小指をからめました。

「あ……」

 エルザは、どろぼうの手のやわらかさに緊張しました。

「約束だ。30日。少しずつ月を返す。それまで待ってくれ」

 一部始終を見守っていたミイが、にゃあと鳴きました。


 それ以来、エルザは毎晩、どろぼうが月を返すのを見張っています。どろぼうは、あの夜のように黒い雲のような姿になって、月があった空まで飛んでいきました。そして、袋から月の小さなかけらを取り出し、元あった場所に戻すのでした。エルザは望遠鏡で全てを見ていました。


 最初の夜、月はごくごく細い葦のストローのように見えました。けれど、どろぼうがかけらを返すたびに、月は太って、まるに近くなっていくのです。


 どろぼうは、月を返した後、必ずエルザの方を見下ろして、優雅にお辞儀をします。エルザは何だか盗み見をしていたのが恥ずかしくなるのですが、次第に慣れて、手を振り返すようになりました。


 どろぼうはどうして空が飛べるのでしょう? エルザは、マントが怪しいと睨んでいます。黒いマントを羽のように使ってどろぼうは空を自在に移動するのです。


 29日経った朝、エルザは寝ぼけ眼をこすりながら町へ買い物に出かけました。そして、市場まで来た時、どろぼうとばったり出会ってしまったのです。


 朝の光の中で出会ったどろぼうは、疲れて不健康そうでした。けれど、エルザに気がつくと近寄ってきて笑顔を見せました。

「食べ物を買いに来たのか」

「うん」

 市場の人たちは、滅多に姿を現さない男と、エルザが顔見知りであることに驚いているみたいです。

「おいで。良い物をご馳走してあげよう」

 

 どろぼうがエルザの分も買ってくれたのは、半熟卵とカリカリのベーコンがのった焼きたてのマフィンでした。

 道端に腰を下ろして、2人は並んでマフィンを食べます。

 熱々のマフィンをほおばって、エルザは目を丸くしました。

「おいしい!」

「だろう。たまにものすごくこれが食べたくなる」

「こんなのを売ってるなんて、知らなかった」

「君は変わってるからね……」

 どろぼうがからかうように言いました。エルザは彼を軽く睨みます。

「何それ、どういう意味?」

「あんなに毎晩、1人で空ばっかり見上げてる女の子なんて君ぐらいのもんだよ」

 エルザはつんと顔をそらしました。

「でも、そのおかげで月が盗まれたことに気づいたのよ」

「そうだね」

 どろぼうが、ふと唇を噛んで黙りました。


 エルザは、マフィンの包みがもう1つあることに気づきました。誰に買ったのでしょうか?

「……ねえ、どうして、月を盗んだの?」

 あの日答えてもらえなかった質問を、エルザは再びどろぼうに送ります。どろぼうは優しい目でエルザを見やりました。

「僕の恋人が、月を欲しがっているからだ」

「恋人……」

 突然、エルザを、決まり悪さの波が襲いました。

「どうして、月が欲しいの」

「彼女は月がないと生きられないんだよ」

 どろぼうはとても悲しそうでした。

「月の光に照らされている時だけ、彼女は生きていられる。だけど最近はすっかり弱ってしまって、遠い空からの月光だけでは動けない。そういう生き物なんだよ」

 どろぼうは遠くを見て、言葉を連ねます。

「ずっと彼女のそばに月を置いておきたかった。まばゆい月の光を浴びて、いつまでも美しく幸せにいてほしかった。……だから僕は月を盗んだ」

 エルザは何も言えませんでした。

「でも、それは僕のエゴだった。君たちにとっても、彼女にとっても」

 どろぼうは立ち上がり、エルザに手を差し出します。

「彼女に叱られてしまったよ。私だけのために月を皆から奪うなって。誰も気づいていなくても、月がなければ生きられないものは他にも沢山いるんだって。僕は愚かだった」

 エルザはとっさに首を振りました。

「あの……ごめんなさい。わたし、何にも知らなかった」

「いいんだ」

「月も返さなくていいわ。彼女にあげて。絶対その方がいい」

「そうはいかない。君と約束したんだからね」

 どろぼうはエルザの頭をなでて、微笑みました。

「今夜、月は元のまんまるに戻るよ。楽しみにしていて下さい、お嬢さん」



 どろぼうと別れてから、エルザはずっと考えていました。ミイに朝ごはんの小魚をあげてから、彼女はもう1回町に出ました。町で、真っ黒な布地を1巻き買いました。


 塔に戻った後、エルザは針仕事に精を出しました。1日中頑張って、夕方には背丈に合ったマントが出来上がりました。


 エルザはその時にはもう、決心していたのです。


 今夜、どろぼうは月を全部返します。そしたら、彼の恋人は、死んでしまうのでしょうか? もしそうなったら、あの優しいどろぼうは、どんなに悲しむことでしょう?


 エルザはそんな悲しいことになる前に、彼にもう1度月をあげたいのです。エルザが空を飛ぶためのマントは、彼の顔を思い出しながら縫いました。きっと、エルザだって飛べるにきまっています。


 そして夜がきた時、エルザは少し早めに天文台に昇りました。ミイはいつの間にか姿を消していて、ついてきてくれませんでした。それでも、エルザの胸の中は緊張と期待でいっぱいです。


 ほとんどまんまるに近い月が、空で輝いています。天文台のへりに立ち、大きく息を吸って、エルザは月を見つめました。マントは、彼女の体を包むようにして、風に揺れています。迷いをはねのけるようにして、エルザは飛び立ちました。


 

 エルザがふわりと浮かんだのは、ほんの一瞬のことでした。それから後は、下に落ちるだけでした。エルザはみるみる近づく地面を見て尾を引く悲鳴を上げました。


 どさっ! 


 気がついた時、エルザはやわらかい布に包まれて、空に浮かんでいました。誰かがしっかりとエルザの体を支えています。

 どろぼうでした。

「馬鹿だなあ、君は……」

 どろぼうはエルザを抱きかかえつつ、ちゃんと空を飛んでいました。

「どうしてこんなことをしたの?」

 呆れたように聞かれて、エルザはさっきの恐怖を思い出しました。答えようとすると勝手に涙がでてきます。

「だって……あ、あなたたちに、月をもう1回あげたくて」

「馬鹿だな」

 そう繰り返し、どろぼうは懐から器用に最後のかけらを取り出しました。かけらは白銀に輝いています。

「そのために君が死んでしまったら、何も嬉しくないよ。そうだろう?」

 エルザは何度もうなずきました。

「これは、今夜は返す。いいね? それが約束だった」

 それからどろぼうは有無を言わさずに、月に向かって飛んでいきました。


 天文台に降り立ったとき、どろぼうのふところから、ミイが飛び出しました。

「ミイ!」

 エルザは驚きました。

「この子が、君の無茶を知らせてくれたのさ」

 どろぼうはおでこの汗をぬぐい、ミイのあごをくすぐります。

「ありがとう……」

 エルザはミイを抱きしめました。

 頭上には、完全な球となった月が光っています。

「この後、とてもすぐには眠れないだろう?」

 どろぼうがエルザに尋ねます。

「うん」

「じゃあ、一緒においで。会わせたい人がいる」


 どろぼうの家に入るよりも前に、エルザは誰が待っているのか分かる気がしました。

 窓を締め切った家の中に、ランプの光だけがぼうっと灯っています。どろぼうは家の前で立ち尽くすエルザを呼びました。

「おいで。彼女も君を待ってる」

 そして通されたどろぼうの家の中は、とてもこざっぱりとしていました。ですが本棚には、植物の本がどっさり並んでいました。

 奥のベッドの上に、彼女は座っていました。

 とても美しい人でした。透き通るように白い肌に、銀色の髪。大きな瞳を、長い睫毛が縁取っていました。彼女はぼんやりと空中を眺めていましたが、エルザが身じろぎすると、やっと目を合わせてくれました。

「はじめまして、どうもありがとう」

 彼女はエルザに深く頭を下げて、そのままあれよあれよというまに縮んでいき、……ついには一輪のしおれた花に変わってしまいました。

 エルザは言葉もなくその様子を見つめていましたが、どろぼうが肩を叩いてくれたので、やっと我に返りました。

 どろぼうは、頑なな表情でベッドの上の花を見下ろしました。



 それから相変わらず、エルザは毎晩お月見をします。月を望遠鏡でのぞいていると、毎日面白い光景が見られるのです。

 30日の半分は、あのどろぼうが月を少しずつ盗んで持って帰り、月は日に日にやせ細っていきます。そして完全になくなってしまった夜の次は、また少しずつどろぼうがかけらを返してくれるので、月は太っていくのです。


何だか、仲間が書いた『砂男の物語』という小説に似てしまったな……と思ったり思わなかったりします。

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― 新着の感想 ―
[一言] タイトルに惹かれて読んだのですが、何回も何回も繰り返し読みたくなるくらいにかわいくて大好きな作品になりました……! 1日ちょっとずつ月を盗んだり、また返しにきたり、まるで月の満ち欠けのようで…
[良い点] ゲッカビジンは月光を浴びないと咲かないわけではないですが、 咲いてからしおれるまでの時間がすごく短いので、 「もっと咲いててほしいのに!」と、もったいない気持ちにさせられます。 満月も、毎…
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