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第一章:書(ふみ)を重ねて 大和(やまと)し思ほゆ(四)

     四

 城が、迷宮に思えてくる。

「決められないよ……」

 足が重たくなったので、腰を下ろした。意外と暖かかった。そうだよ、「(よみ)」の(はらえ)はいつも冷えを和らげてくれた。

「最も心に強く残った、って、順位づけするものじゃないでしょ」

 一冊を選ぶ、がかなり難しい。二十年と十ヶ月、たぶん八千冊は読んできている。軽く読み返すだけで卯月が、いや、皐月まで過ぎちゃうよ。

「絵本だって、侮れないからね」

 年代順に順路を作るだなんて、ビブーリオは丁寧だ。絵本は作者の名前を五十音で並べてくれていた。

 ひよこが、かるがもの子やはりねずみと友達になる話、何度も母に読んでとねだっていたなあ。迷子になる話と、猫と夜の散歩をする話も気に入っていた。角がふやけているのは、噛んでいたからだね。私はまだ小さくて、口に入れて感触を楽しみたかったんだろう。本がおもちゃだったんだ。

 ひよこといえば、暗くなるまでひたすら歩いて、眠っていたら、お母さんが迎えにきていた、という話もあった。別の人が描いた、古めの絵本だったはず。同僚の子どものおさがりだと、父が持って帰ってきたんだっけ。

「そして、小二で狂ったように本をあさりだした」

 おはじきじゃ負けしらずだった私が、読書を始めたのは、周りに裏切られたから。裏切られた、は極端な表現かもしれない。「イケてる」と「ださい」の基準を、多数派に合わせないと、孤立してしまうことに気がつく年頃だったんだよ。誰ともつながっていない状態が怖い。背景として扱われることが悲しい。あの人たちは、子どもながら、うまく生きようとわざわざ自分をごまかしていたんじゃないかな。どこかでしわ寄せがくると分かっていても、ひとりになるぐらいなら、ってね。賢いのか、馬鹿なのか。ひとりにならない努力を怠って、おはじきの腕を磨いていた私が変だったのかな。

 自宅から転送したんだろうか。『本朝の神話 (あま)の岩戸』が、壁に掛かっていた。懐かしい。アマテラスがうらやましかった。こもれる場所があったんだもの。母に「学校行きたくない」と言ってみたら「(なま)けてんじゃないよ」と蹴られて玄関へ出されたなあ。理由を聞いてくれたっていいじゃないか。私より先に学校通っていたんだから、狭いながらもそこが「世界」だってこと、経験してきたはずなのに。

 宝石の挿絵がある背表紙は、砂漠のお姫様シリーズだ。高学年の頃、一気に読んだっけ。お姫様が力持ちなんだ。敵や魔物が来ても、恐れない。岩を投げて逃げたり、振り下ろされた剣を受け止めて押し返したりするの。あまりにも危険な時は、契約した魔神に助けてもらうんだよ。炎の髪と水の衣をまとった少女みたいな姿なんだけれど、魔神の王だから侮れない。(にじ)(いろ)(げっ)長石(ちょうせき)の指輪から呼び出すんだ。主人公たちが集めている鍵が、全部宝石で、夢があるなあって、ときめいていた。市立図書館にも置いていたけれど、学校のじゃないといやだった。まとっている空気が違うんだよ。分かりやすくいうなら……鳩だ。公園にいるのと、駅にいるのとで印象が異なるでしょ。

「中学は、生意気にも純文学に首を突っ込んで、高校は、教養系に熱を上げたなあ」

 いわゆる思春期は、厭世的なものの見方をするじゃありませんか(私だけ?)。『杜子(とし)(しゅん)』は、一緒に仙人になるための修行をしているつもりになれた。ところが、なんだよね。私の想像していた結末じゃなかったけれど、杜子春が前を向いていたから、これはこれでありかなと思った。師匠があっぱれだったね。でも、両親を連れてくるのはずるいよ。

 芥川(あくたがわ)龍之(りゅうの)(すけ)の全集は、高校の夏休みに読んでいった。ふざけた題名があった。『あばばばば』、よく編集を通ったよね。信頼おけるほどの才能があったから、許されるんだろう。恥じらい、か。最近は、子どもがいなくたって、結婚していなくたって、開き直っている女性が多いんじゃない? (やす)(きち)は幻滅しすぎて嫁を取らなくなるかもね。ちなみに、母は、赤ちゃんだった私を「こよこよこよ」とあやしていた。去年の春学期に受けた「国語表現」で『こよこよこよ』を書いたが、芥川におこがましくも対抗したことに気づいてくれたのは、夕陽ちゃんだけだった。駄文でかたじけない。

 理系科目は授業だと苦痛なのに、生活と結びつけて説明してもらうと、するする頭に入るんだ。味噌汁をよそったお椀が食卓をすべる現象は、物理のある法則がはたらいているんだって。えっと、ゆで卵っぽい名前……すぐ出ない。シュレディンガーの猫は、有名どころだからおさえている。箱に閉じ込められた猫は、どんな気持ちだったんだろうね。『数学(すうがく)物語(ものがたり)』は、簡単な文章だったから半日で読めた。おかげでギリシア数字の四と六は、間違えなくなった。書き取り問題が数学の試験にあったら、点数を稼げただろうに。

「大学生になったら、もっと本が読める時間が増えると思っていた」

 一日二冊が、一週間二冊に速さが落ちた。悔しかった。誰かと競っているのではない。本と出会う機会をできるだけ多くしたいのだ。人生には、終わりが来るから。朝起きたら、世界中の本が消え失せているかもしれない。事故か衰えで目が見えなくなる日だって訪れるかもしれない。「こうなるなら、あの本を読んでおけばよかった」って、言わないように。でも、出会いは粗末にしちゃだめ。読み終わったら、「さよなら」じゃなくて「また会おうね」。いつか読み直す時が、きっとやってくる。

 書店や図書館を歩くと、あらかじめこれだ! と決めていた本以外にも興味がわくんだよね。題名、ジャケット、紹介文に引き込まれるんだ。特集もわくわくする。全部持って帰って、一気読みしたいなあ。

 本が、ひとりでいる日々を埋めてくれた。過去・未来へ連れて行ってくれた。紙の上から全国、海外へ旅をさせてくれた。分からないことを的確に教えてくれたし、既に知っていることの中に新たな発見を掘り出す手助けをしてくれた。自分の言葉では充分に表せない喜び、怒り、悲しみを形にしてくれた。私では無理なことを、代わりにやって、体験させてくれた。

 本は、人と人をつなぐんだよ。昔を生きていた人、今も存命の人、実在・架空を問わず、私は本を介していろんな人に会った。同じ本を読んだのがきっかけで、よく顔を合わすようになった人がいる。例えば、同級生、附属図書館の司書、バイト先(書店)の常連客、それから……。

「……そう、そうだよ」

 背筋が伸び、顔が上がった。まだ、歩ける。

「遠回りするのが、私の短所でもあり長所だ!」

 壁は、題名はひと通り確かめた。床は、普段うつむきがちだから、見落としはないはず。

「あとは、上に行けたら……」

 「祓」が潤沢にあれば、スーパーヒロインになって、飛び回れるのになあ。

「そういえば」

 そばの文庫本を抜く。普通の建物でこんなことしたら壊れちゃうけれど、「(まじな)い」だから大丈夫なのだ。

 「祓」で覆って、傷や汚れを防いでいるんだったよね。

「借りられないかな」

 (さは)りの前に、試練で負けてなんていられない。ビブーリオの「祓」でなんとかあの本を探し出すんだ。

 わずかしかない私の「祓」を、指先に集める。薄い緋色の気流を、数冊積んできた本にあてがう。本を守っているはっきりした緋色の気流で、濃さを調整してゆくんだ。パレットの上で、水っぽくなった色に絵の具を足すように。

「できた……!」

 両手を包める量の「祓」を、まんべんなく全身へ行き渡らせる。二度とない好機を、つかんでみせるんだ!

「やまとは国のまほろば! スーパーヒロイン・ふみかレッド!」

 新しいヒロイン服に、真っ白な衣が重ねられる。足元にはおぼろな「読」の(まる)(じん)が敷かれ、瞳には緋の円が光った。「祓」を自在に行使する者、スーパーヒロインの登場である。

「羽衣でのたりのたり巡るよりも!」

 前髪に付けていた二つの円いパッチン留めを外し、てのひらに乗せる。赤と黒のタータンチェックは「ことのはじき」、初めて文学PR活動をさせられた日にまゆみ先生からいただいた。辰砂(しんしゃ)に油性ペンで「文歌(ふみか)」と落書きした「敷島(しきしま)」は、祖母とのほろ苦い思い出の品だ。

 「ことのはじき」に「敷島」を合わせ、本の城を攻略するよ!

言霊(ことだま)の (たす)くる国に ()(さき)くあれ! ふみかムーブメント!!」

 おはじきの要領で武器を弾き、私は二枚が飛ぶ方向へ走った。

「敷島、拡大して!」

左の指をLの字に、右の指は反転したLの字にして、斜めに両腕を離してゆく。液晶型携帯電話の技法、ピンチアウトに着想を得たんだ。辰砂のおはじきは、寝転がれるくらいの大きさになり、急降下した。私はその上に乗り、ぽつんと置かれた赤いおはじきを拾って、ハンドルにした。高く持って、上昇させる。中央を押して、速める。

「あった!!」

 城内で一番高い所に、その本は収まっていた。

「ビブーリオ、私の最も心に強く残った本は、これだよ」

 お腹から声を出して、ぐるりと回って表紙を八方に掲げた。

「『五色(ごしょく)五人女(ごにんおんな)』、私がヒロインになろう、って決めた小説だよ。自分のことが何も分からない(しろ)少女(しょうじょ)を、五人の少女が戦士に変身して、助けにいくんだ。五人は日常に埋もれていた、ごく普通の女の子なんだ、まあ、特技や好きな物があって、皆それなりに個性はあるんだけれど」

 地味に目立たず過ごしていたい私が、学園アイドルみたいな衣装を着て、『古事記(こじき)』の神話をキャンパスで演じたり、大勢を前にして即興で和歌を詠んだりしている日々は、この一冊を読んでいた頃に始まったんだ。

「作者がね、そこにいる顧問なの。陸奥(みちのく)ゆめは筆名(ひつめい)、意外だったよ。顧問が望んだ未来なのかもしれない。だって、戦士がほぼ私たちなんだもの。驚かないでいられる?」

 何も無いから消えてしまおう、と思った白の少女を、私は、いや、私たちは無関心になれなかった。

「イエロー、ブルー、グリーン、ピンクも読んでいたんだ。偶然に次ぐ偶然、私たちの(えん)はまゆみ先生の作品で結ばれていたんだよ。広い世界で、島国の小さな大学の、ほんの小さな教室に勢揃いしているなんて、考えてみたらすさまじくおかしなことだってば」

 だから、胸に刻んでおきたい。卒業しても、さよなら、で終わらせない。

「私と皆をつないで、私をせわしなくも豊かな毎日に招いて、誰かのために精いっぱいやろうと踏み出させた。『五色五人女』を、私は選んだよ」

「そうですか」

 ビブーリオが喜んでいるのか、がっかりしているのか、言葉だけでは全然読み取れなかった。

「試練を終わります―」

 厚みのあった城壁が、薄くなって、砂粒に分解されてゆく。緋色の砂がゆったり踊る先に、安堵する仲間たちが待っていた。

 ビブーリオが一歩、また一歩踏みしめて、私に近寄った。そして、おもむろに言った。

「―正解です。よく見つけられましたね、ふみかレッドさん」







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