第一章:書(ふみ)を重ねて 大和(やまと)し思ほゆ(三)
三
時進先生……いや、ビブーリオは、称える代わりに頁を四度めくった。
「素晴らしいです。安達太良家は、幾千年を経て呪いを克服しましたか」
「ふふっ、父の代で完成したのよ」
どんなに優れた行使者でも、「呪い」を解くことはかなり難しい。かけた人が止めてくれるか、かけた人の魂が尽きるか(肉体の有る無しは問わないようだ)じゃないとだめなんだって。相手を上回る「呪い」で押し切る方法もあるけれど、そう手軽なものではない。
「『萬葉集』巻第十六・第三八四二番歌をもじり、私の術を除きました。画期的なことです。お名前はあるんですか」
「安達太良解法、私の師が名付けたわ。あいにく、現在は私しか使えないのよねー」
まゆみ先生の家は、「祓」の次に強い「呪い」が代々、主に受け継がれてきたそうだ。「詠唱」、『萬葉集』に収められている歌で奇跡を実現させるんだ。先生は、次なる主として、先代である祖母に育てられてきたため、行使できる。
「主は女性に限られています。あなたのお父様は、解法を編み出すことにさぞ苦心されたでしょう」
「家にかかった『のろい』をも解いたのよ」
先生と安達太良家、先生の父についての話は、春休みに少しずつ聞いた。平凡な家庭にて口を開けてだらだら暮らしてきた私には、縁遠く、すさまじい半生だった。
「親族会はここまでにして」
切り揃えられた短髪を揺らし、先生はビブーリオに手を差し出した。
「力を貸してほしいの。共に『皐月の障り』を祓いましょ」
ビブーリオは、書物を閉じた。穏やかな表情のまま、先生の手を……引っ込ませた。
「二つ返事はしません」
華火ちゃんが耐えかねて、ビブーリオに近寄った。
「ふざけんなっ! 時っちゃんに憑いといて傍若無人っ、障りをほったらかしにしたらどーなんのか、知ってんだろっ!!」
ネクタイをつかもうとするのを、華火ちゃんは直前で我慢した。
「はい。痛いほど、理解しています」
落ち着いて答えるビブーリオのこめかみに、三角形を組み合わせた小型ドライヤーが突きつけられる。空気砲と水の刀を出せる唯音先輩の武器「沖つ青波・改」だ。
「理解しているなら、協力しろ……です」
華火ちゃんが噴火なら、先輩は激流だと思う。油断していたら、あっという間に飲み込まれているんだ。
「しないわけではありません。人間が抜け殻になってしまわれては、本が世に出ませんので」
ビブーリオは席を立ち、辞典を戻して新しい本を抜いた。撃たれる、または刺されるかもしれないというのに、どうして平常心を保っていられるの。
「優しい娘さん達です。怒りをぶつけても、命を脅かしはしないでしょう」
「……!」
唯音先輩は銃剣を腰にしまって、うつむいた。
「私からの試練を乗り切れましたら、『祓』を貸します」
分厚い本を抱えて、ビブーリオは私の前まで来た。
「大和ふみかさん、あなたに試練を授けます」
「え、ええ?」
ビブーリオが、温かく笑う。
「私の祓は、『読』です。同じ祓を持つ者として、大和さんの考えをしっかり見届けたいんです」
指名されて、あんまり嬉しいとは言えない。でも、ここで受けなきゃ、障りを祓えない。
「私、やるよ。やり遂げたら、約束守ってよね」
「当然です」
珊瑚色の双眸に、光る円がそれぞれ浮かんだ。
「その前に、あなた達が何者か教えてください。寄りましの情報にありました。もうひとつの顔があるんだと」
まゆみ先生が「名乗りなさい」と目で合図した。大変長らくお待たせしました、戦隊物といえばこれだよね。
「やまとは国のまほろば! ふみかレッド!」
「原子見ざる歌詠みは、いおんブルー……です」
「花は盛りだっ! はなびグリーン!」
「言草の すずろにたまる 玉勝間、 ゆうひイエロー!」
「こよい会う人みな美シキ☆ あきこピンク!」
『いざ子ども 心に宿せ 文学を! 五人合わせて……スーパーヒロインズ!』
「ありがとうございます。永き眠りより覚めた甲斐がありました」
ビブーリオは脇に本をはさみながら、手を叩いた。
「それでは、ふみかレッドさんを招待しましょう」
三千頁もある本を流れるようにめくり、ゆっくり閉じてまゆみ先生に預けた。
「寄りましの術は、私と相性が非常によろしいです。携帯しなくとも術者がいる空間に、文字が記された物さえあれば、行使できますので―」
ビブーリオは軽く曲げた手と手を合わせ、円を作った。
「書を重ねて 大和し思ほゆ―堆く、本の城」
絨毯が、緋色の気に染められた。そこから大小様々な本が、次々に浮かび上がる。
「高い所へ、退避する……です」
いおんブルーが、はなびグリーンをおぶって椅子に飛び乗った。
「羽衣さえありゃ、余裕綽々だってのにっ」
「『祓』ガ枯渇してルト、不便デス!」
あきこピンクは本棚によじ登った。司書資格課程を受けている私にとって、眉をひそめたくなる。
「土足なんは、ちょっとぉ……」
「後で拭きましょ。今は身の安全を図って」
まゆみ先生に促され、ゆうひイエローは通路をはさんだ椅子に避難した。
「本に囲まれて戦うなんて、まったくもってぞんざいな扱いなんですけど」
「私は争いが苦手です。それに、本は一冊ずつ『祓』で防護しています」
私とビブーリオの間に、本が積み重なってゆく。城に閉じ込めるつもりだね。
「あなたがこれまで読んできた本で築いています。この中から、最もあなたの心に強く残った本を、私に教えてください。それが試練です」
ビブーリオの顔が、頭のてっぺんが、埋まってゆく。願いが叶うと、どうして寂しくなるんだろう。満たされるはずが、かえって空になってしまうの。欲が出るから? ううん、叶うまでの道のりが恋しくなったのかもしれない。
「再びの機会は差しあげません。どうか、慎重に選んでください」
本の壁が「神代の戦士」の声を、存分に伝える。外に建っていたら、車が通るとかなりうるさく感じただろうなあ。
「建前だよね。ゆっくり読み返せないのが、惜しいよ」
緋に灯った城内を、私は歩きはじめた。
まゆみが四人のヒロインに、下りて良しと指示した。アヅサユミの子は、大がかりな術をかけてくれる。
「意地の悪い試練だわ」
「そうでしょうか」
当の本人は、悠長に空満神道の資料を閲覧していた。
「答えはあなたの気分しだいじゃないの。したたかな時進先生さえ、さやうな問いを出さないわよ」
「開祖の逸話に、欠番が見受けられます。散逸したんでしょうか―」
悪びれもせず、ビブーリオは本文についてつぶやく。
「無我夢中っ、聞こえてねえな」
「戦闘ナラ、イージーな相手デス」
はなびグリーンとあきこピンクに、緋色の「祓」が降りかかった。砂粒のように細かい気流は、二人の頭上で四角くまとめられる。
「ふみかレッドさんが手を伸ばす一冊は、決まっています。彼女がそこに至れるならば、ですが」
はなびグリーンの頭に、本が現れた。四角い「祓」からできた一冊は『先入観があなたを破滅させる!』であった。
「争いで決めなかった理由は、もうひとつあります。わずかな『祓』で私に挑まれては、元も子もないからです。もし、尽きてなお行使しようとすれば、明日はあの世ですよ」
あきこピンクの上に『捨て身の時代は終わった』という新書本が浮かんだ。
「『祓』で取り寄せました。あきこピンクさんとはなびグリーンさんへ贈ります」
「うげ……あたし、中間レポートの課題図書だけでも限界なんだけど」
「ピンク、意識高イ系ノ本ハ、タイトル聞くダケでアチこちカユくナルんデスよネ」
文学部らしからぬ言葉に、まゆみとゆうひイエローは苦笑いした。
「ビブーリオさん、レッドの様子を見せていただけないでしょうか」
ビブーリオは、ゆうひイエローの頼みを、快く受け入れた。
「館内の資料でしたらどれでも開けば、城内を覗けます」
ゆうひイエローは、近くに並んである辞書を取った。
「無事みたいやね。良かったわぁ」
いおんブルーは『万有百科大事典』の十五巻をまゆみと共用した。はなびグリーンとあきこピンクは、もらったばかりの本をしぶしぶ開いた。
「巡り合わせ、といいましょうか、彼女とは話が弾むような気がするんです」
「本に、ついて……ですか」
「はい。同じ著作を味わって、感じたこと、思ったことは読者によって異なります。ふみかレッドさんは、多くの本と出会いを重ねてきました。永く本にふれてきた私は、彼女に綴られた、本の話を読んでみたくてたまらないんです」
ビブーリオは、いおんブルーに構わず熱く語りだした。
「本には、言語となった心が記されています。私は、その原典である、心を持った存在―人間にあたろうと考えました。時と共に移ろいゆく、強さと弱さ、正しさと誤り、善行と悪行などに対するものさし、他者への関わり方―対話を続けるほど、深掘りしたいことが増えてゆくんです」
空満神道の本棚を全て読み終えて、歴史の本棚へとビブーリオは歩む。
「人間は、書くことを辞めません。物語は、人間の数をゆうに超えます。読んでも、読んでも、また新たに出版されるんです。本の旅は、永遠に終わらないんですよ。生涯かけても、人類は全ての書物を読めない―。限りある身の、切ないところです」
社会科学、自然科学の参考資料を素早くめくって、次の分野に進む。食欲ならぬ読欲旺盛な「神代の戦士」である。
「私は、人間の悲願を果たすためにも、城を完成させます。全ての書物を余すことなく―」
ビブーリオの瞳が、ますます赤みを濃くして輝いた。
「ロマンチストなんデスね」
「汗牛充棟っ、気宇壮大っ! 緑様が一目置いてやるぞっ」
「ありがとうございます」
物腰柔らかな受け答えは、寄りましである時進誠の人柄もあるのだろう。
「赤さんが、立ち止まった……です」
いおんブルーの声に、あきこピンクとはなびグリーンが一緒に振り返った。
「悩むわよね……。本との思い出が多いと、絞りづらくなる。もしも、わたしがあそこにいたら、三日は欲しいわ」
まゆみは、ふみかレッドの成功を願った。
「レッド、焦ったらあかんよ。じっくり、答えを求めるんやでぇ」
ゆうひイエローは、胸の前で指を組んだのだった。