第五章:ローザヸタ・セクスアリス(四)
四
いばらの園にて、もう一人の「薔薇水晶の瞳を持つ者」が目覚めた。
「ああ、ああ……! 逢いたかったよ、ローザ!」
近松に宿った「神代の戦士」が、エリスだった者を抱擁した。
「対になるカラダを手に入れたんだ、久方ぶりのosculumを!」
あきこピンクの前にもかかわらず、男は女の唇に己が唇を重ねようとする……。
「ダ・メ・よ♡」
ローザが男の頬を人差し指で押し返した。
「ヸタ、ここに蝿がいるわ。再会を悦ぶのは二人きりになってからにしなーい?」
埋め合わせにシナモン色の髪を手に取らされたヸタは、目を潤ませるも、賛成した。
「そうだね。醜い蝿は、つぶしてしまおう」
二人は腰を抱き合い、互いに撫子色の「祓」を噴き出し、絡ませた。
「durum sacrificium!」
ヸタが「祓」を右手に集中させ、屋上に張り巡らされたいばらにまんべんなく連射した。当たった所はステンドグラスに変化し、聖堂を築き上げる。聖人ローザヸタの奇跡と受難が時系列に描かれていた。
「ローザ! どうしよう、外に六匹わいてきたよ」
「そんなの、後でまとめて駆除すればいいの♡ まずは見せしめよ!」
ローザが左手を鉄砲の形にして、余った「祓」をピンクへ飛ばした。
「amissa passion♡」
ハート形の光弾が、ピンクの髪をかすった。
「ごめんなさーい、手元が狂ってしまったわ♡」
落ちる髪を振り払い、ピンクはローザとヸタを鋭くにらんだ。
「ピンクのダイスキな森センセと近ちゃんセンセを、コレ以上汚さナイでクだサイ!!」
杖の頭部にはまっている灰簾石が、「愛」の祓でじりじり煌めく。
「チョープ・チョープ・ビーム☆」
撫子色の光線が数本、灰簾石より放たれる。こちらの攻撃もハート形だ。
「安い愛ね」
嘆くローザを、ヸタがステンドグラスを生成して守った。薔薇の絵がビームに染まり、妖しさが増す。
「見せしめは飽きたわ、皆を招きましょう♡」
「ローザ、それは難しいよ。ボク達の処刑場は、最高の密室なのだから」
ローザとヸタが指を交わらせる。ピンクの眉がどんどん吊り上がった。
「二人ノ気持ちヲ無視スルなアアアアア!!」
呪いの具を棍棒として扱い、ピンクは二人をくっつかせまいと殴り込んでいった。
「ローザヸタ、私達を観客にさせるつもりね!」
厳かにして繊細な壁を叩き、まゆみは歯噛みした。
「俺は、締め出しを食らうのが嫌いなんだよオ!!! 毒竜の巌砕き!!!」
シュトルムが常盤色の竜巻を空に昇らせると、まゆみがいたずらっぽく笑って弓を番うしぐさをした。
「奇遇ねー、私もよ! 矢詠・巻第三・第三六四番歌! ますらをの 弓末振り起こし 射つる矢を 後見む人は 語り継ぐかね!」
竜巻が呼んだ雷と、まゆみが「呪い」で射た藤色の矢が、ステンドグラスを粉々に砕いた。
「やるじゃねエか、県召の子孫!!!」
「ふふっ、あいにく私立大学の教職員なのよ、私の名前は安達太良まゆみ!」
辺境の地へはあまり任ぜられたくないものである。話が逸れて御免、結界を破った、ピンクに加勢しよう!
「クス、クスクスクス……78125番目のパターンを攻略して、勝ち誇った気になられるとは、おめでたい方々ですねえ」
ナレッジの言葉に、シュトルムとまゆみは耳を疑った。
「ナレッジさんの知識が、次のように申しております。第五の戦士・男性人格による結界は、十万通りものパターンがございます。複数種類をランダムに展開しておりますから、幸運にも一枚壊しただけでは、通過できかねるのですよ」
シュトルムが、割れて空いた穴へ疾走したが、薄く塗られていた粘液の壁に阻まれた。
「不快だな!!! 鉢飛ば……」
まゆみがすかさずシュトルムを引きはがし、海水を流す術で洗ってあげた。
「ダメよ。風で散らされた液が、私達をじっくり溶かしてゆくわ。海水で中和させられるけど、解き方は別のようね」
舌打ちするシュトルムを、ゆうひイエローは憐れんだ。
「ナレさん、全パターンの解き方を教えてくれへん? うちが覚えて、シュトルムさん達を行かせるわ!」
「レクチャーしたいのは山々ですが、解除に数日要するパターンがいくつかございまして、うち二種がこちらに使われているのです。術者を倒してしまえば……ご無礼を、その術者はバリアーの内にいるのでしたねえ。階下より侵入を試み、成功したとしても、防御に特化した術者の袖にすら指が届かないでしょう」
イエローの表情が翳る。
「ふみかレッド、登場だよ!」「はなびグリーン、降臨っ!」
後ろの扉が最大限に開けられた。講義組が、なぜここに?
「臨時休講っ、キャンパス中がバラ園になっちまった!!」
「バラ園というか『眠れる森の美女』の城みたいだったけれどもね」
まゆみがやや声を低めて訊ねる。
「他の学生達も無事?」
「おうっ、あたしらのいたA・B号棟は、ゲラ男とひろこが安全地帯を作ってくれたんだっ!」
グリーンが受ける予定だった「国語学研究A」の担当教員・ゲラ男こと真淵丈夫准教授が、二人を二〇三教室へ転送してくれたのだそうだ。
「宇治先生が各教室を走り回って、次々と避難させていったよ」
宇治紘子准教授は、レッドがいたB号棟端っこの教室までも大きな身体をきびきび動かしていた。
「第五子め、これほどまでの力をつけてきおったとはのう」
「先ほど思い出しました。ローザヸタらしき者の功績が、近代の洋書に記されていたんです。滞在した国で腕を磨いていたんではないでしょうか」
ぬいぐるみキミックとパッチン留めビブーリオが、さして深刻そうではなく語る。
「修業した結果、煩わしい壁ができているんだろうが!!!」
「カテドラルへ参れない以上、『愛』のスーパーヒロインが勝利してくださることをお祈りするしかございませんね」
水琴鈴ナレッジの皮肉に、シュトルムは翡翠の体を点滅させて憤った。
「まゆみに教えてもらったぞ、シュトルム。偏袒扼腕だよなっ、あたしだって必殺技びゅーんってやって、強行突破してえよ」
グリーンは、飴のようなステンドグラスを拳で叩いた。
「……桃色っ、こんなやつらに負けんじゃねえぞ」
「やアアアアア!!」
ラブリーな杖「共感のシグナルシグナレス」は、ヸタの盾を虚しく打つばかりであった。
「醜いんだよ、他人なんかのために本気になってさ」
「ワタシはどーデモいい、センセ達を辱メルな!!」
杖を振り下ろすピンクを、ヸタは横へ滑るように避ける。待ち構えていたローザが「ばきゅん♡」と撃ち、ピンクは吹き飛ばされた。
「本物の愛は、大好きな人だけにあげるの。その他へは戯れに適当にばらまけば嫌われないわよ♡」
「ローザ、もっともだよ。そうやって、旅先で治療を施してあげて、quid pro quoにカラダをもらって、強くなっていったんだ」
「弱いなんてからかってきたビブーリオとキミックとシュトルムとナレッジのプライドをポキポキ折るためにね♡」
「醜い四つの石ころが、狭い島国で威張っている間に、千年かけてローザは攻めを、ボクは守りを、高めてきたのさ!」
「恋のお相手の名前を口にしたら、なんでもしますからーなんてペコペコされちゃって、寄りましになってくれたの♡ クタクタになるまで術の練習をして、新しい物に替えたのよ」
「最初に癒してあげたのだから、後はどうとでもなれ、さ。ローザと幾夜明かしただろうなあ……」
肩を組むな、頬を寄せ合うな、視線で睦び合うな!!
「アアアアアアアアアア!!」
がむしゃらにビームを繰り出すピンクだったが、はがきほどのステンドグラスでことごとく防がれてしまった。
「威力が弱まっているよ、自らmorsへ進むつもりかね?」
羽衣が短くなった。杖に「祓」を集めても、チューリップのつぼみ大が精いっぱいだった。
「ヸタ、選択肢をあげましょう? 『祓』を出し尽くして自滅か、わたし達の『祓』を余すことなく注がれて絶命するか♡」
ローザがピンクを見下ろす。
「最期に耳寄りな話を聞かせてあげちゃおうかしらー」
巻いた髪をいじりながら、薔薇水晶の瞳をほのかに光らせた。
「森エリスと、近松初徳の大好きな人は…………」
ピンクの身体中に、大輪の撫子が咲いた。ただならぬ気配を察したのか、ローザは後退した。
「やだ……わたし達のレベルに至っているわ! 千年の積み重ねを、一時間未満で……!」
悲鳴をあげるローザ。ピンクに首のスカーフをつかまれたのだ。
「森センセから、出テ行ケ」
「蝿風情がローザに迫るでない!」
両腕に細長い盾を装着したヸタが、ピンクの背後を狙う。だが、満開の「祓」に四肢をわしづかみにされた。
「速い……!」
「まとメテ、悔イ改メさせマス」
怒っているにしては、あまりに平坦な声だった。ピンクがとんな顔をしているかは、ローザヸタのみぞ知る。
ピンクの「祓」が、大爆発を起こした。結界が、熱そうな、冷たそうな、乾いた、湿った音をさせて何枚か割れてゆく。
「十番目のパターンが残りましたね。コンクリート状です、賢友・ゆうひイエロー、お裁きを」
ナレッジが三度揺れて、執行の合図を送った。
「思ひくづをれて止めたらあかん! ゆうひブレスィング・鎖の裁き!!」
呪いの具「玉の小櫛」に付いている珠鎖が、聖堂を破砕せんと伸びる。
「あたしもまぜろっ! 風の前の塵となれっ! はなびサイクロン!!」
グリーンの呪いの具「無常の花」が、橄欖石の蓮を散らして、颶風を起こした。
「よっしゃ、てめえら突入だっ!!」
自然と最後尾になったレッドに、ビブーリオが話しかける。
「『愛』の祓は、マイナスの感情によって濃縮させられる、恐ろしい気です」
「ピンクが逆転したのは、そのため?」
「はい―。ですが、ようやく半分まで回復した祓を、濃縮しているとはいえ、あんなに放出すると―命に関わります」
レッドは悪寒がした。嫌な予感がする。
「ピンク、だめだよ! 怒りに呑まれたら帰ってこられなくなる!」
円い羽衣を緋色に光らせて、レッドはまっすぐ飛んだ。
「は……ははは、この通りカラダは返したよ。だから、矛を収めておくれ」
「そうよ、寄りましを壊したらわたし達までご臨終なの! 出ていくしかないわ!」
ハート形の薔薇水晶が、ぷかぷか宙を浮いてピンクをなだめていた。一体に二つの人格を持っていて、うるさそうだ。
「まだデスよ、センセ達に謝ってナイ」
『ひい!!』
負傷した近松とエリスを一瞥して、ピンクはローザヸタをつかみ取った。
「もういーデス。ピンクはパワーアップしまシタ。愛ナキアナタ達ヲ生カシたトコロで、何ノ足しニモなりまセン」
「愛」の祓が、ピンクの右手に繁る。彩度が高すぎる撫子色であった。
「林檎ヲ握りツブスみタイに、別れまショウ」
ハエトリグサを模した祓が、ローザヸタを喰らおうと葉を閉じ―
「ことのはじき・花醒!」
寸前で赤いおはじきがピンクの手首を打ち、ローザヸタを落とした。
「けりはついたよ、やめて!」
とてつもなく陰気な笑みをしたピンクが倒れ、ハエトリグサは瞬時に枯れた。
「ピンク!」
「『祓』が切れたのかもしれません」
「そ、そんなわけ……」
合流したグリーン達も、尋常でない事態に気づいたのだった。




