第一章:書(ふみ)を重ねて 大和(やまと)し思ほゆ(一)
一
本で、家が建てられないだろうか。
多くの本は、紙を綴じて作られている。
紙は、木が原料だ。
だったら、本の家は木造住宅のうちに入ると思う。
読みたくなったら、抜き出せばいいの。一日中、いや、一ヶ月、ううん、一年いても飽きないはずだ。
どんな願いでもひとつ叶えてくれるなら、そんな暮らしがしてみたい。
「……みちゃん、ふみちゃん」
なんて、現実から遠ざかっていたら、歌うような友人の声が引き戻した。
「え、あ、はい」
夕陽ちゃんが私をのぞき込んでいた。波うたせた栗色の髪に結ばれた黄色いリボンが、蝶のようにふわり揺れる。そこにひっつけられていた大ぶりな鈴が、清らかに鳴る。
「おつかれぇ」
私も、同じ言葉を返す。日文生同士の挨拶だ。しんどくなくたって、おつかれ、なのだ。まあ、私は精も根も尽き果てそうなんですけど。
「先に研究棟へ行っているんかなぁて思てたんやけど、あおぞらホールにいたんやね」
あおぞらホールは、学生のたまり場だ。昼休みだけじゃなく、講義が早く終わっちゃった時、突然休講になって手持ち無沙汰な時、放課後にも利用されている。相席と一人席があって、その日の気分で選べるのがありがたい。講義棟のA・B号棟一階、ふらりと立ち寄りやすいんだ。
「ルーズリーフ、授業プリント、教本、いろいろ広げているみたいやけど、レジュメ作っているん?」
「うん。じゃんけんで負けて一番手になって。『国語学演習A』ね」
「時進先生やんなぁ」
隣えぇ? と、夕陽ちゃんは椅子に腰かける。いつもなら、一人席で壁に向かってこそこそ作業するんだけれど、円卓でのびのびやりたかったんだ。
「国語史かぁ。ふみちゃん、万葉仮名について調べているんや?」
「そうなの。上代の演習とっているし、突き詰めてみようかなって」
日本文学は、時代ごとに分類されているんだよ。私の大学では古い順に、上代・中古・中世・近世・近現代と分けている。上代の代表的な作品は『古事記』、『日本書紀』、『萬葉集』だ。私と夕陽ちゃん三回生の担任兼「日本文学課外研究部隊」顧問のまゆみ先生は、上代文学を専門とされているよ。
「共同研究室か図書室でしてるイメージあったからぁ。ふみちゃん、よう資料集めしているやろぉ」
「できれば本のそばで取りかかりたかったよ。でも……」
「どないしたん?」
私は机に両腕をのばし、あごを乗せた。
「ついていけなくて、板書と先生の話、覚えているうちに整理しないといけないんだ」
レジュメを作りながら講義内容をかみ砕いていこうと思ったんだけれど、自分の不器用さに呆れるよ。
「時進先生が九十分越して百分授業だなんて、おかしいでしょ」
夕陽ちゃんが手を口元に当てた。
「あらま」
まず、時進先生が九十分、教壇に立っていられることが、とんでもないのだ。
「貧血を患っていはるもんね……。一回生の時、必修の『国語学研究A・B』は毎回三十分が限界やった」
「出欠取って前の確認テストを返して終わり、もあったじゃない。去年の小説書くあれ、『国語表現』なんてもっとひどかったよ」
「出席簿を置いただけで、立ちくらみされてなぁ」
大半の学生は、講義が短くて喜んだ。この大学で九十分きっちり教える先生はめったにいないんだが。わけありなんですよ、入試に落ちてばかりの人が最後に拾われる所、である意味有名なんだから。
「体調優れすぎて、教科書一章単位で進んでいるんだ。皆、あわてふためいているわけ」
「無病息災っ、旭日昇天っ! 時っちゃんハッスルしてるよなっ」
華火ちゃんが風切って走ってきた。
「マリンダ、バイバーイ!」「また明日ね、マリンダ」
「おうっ、またなっ!!」
同級生に華火ちゃんはご機嫌で手を振った。
「おつかれ。マリンダ、すっかり広まったね」
「おつかれっ! へっ、似合ってるって好評なんだぞ」
学科別新歓合宿で、一回生は自分であだ名を考えて、泊まっている間に呼び合うのだ。
「おつかれぇ。ロマンチックな由来やんなぁ。夢の世界でお芝居していた役やったやんね。『トパーズの盟友』、ぜひ大学祭で再現してほしいわぁ」
「ゆうひとふみかも、マリンダつってもいーかんな」
鼻の下をこすり、マリンダちゃんは犬歯を見せて笑った。
「先週の研究A、黒板に発音記号を羅列されて、吐いちまったやついたぞ」
あ、聞いたよ。つらかっただろうね……。
「時っちゃん、饒舌多弁なんだよ。しゃべるだけしゃべって、んで締めに『テストに出します』ってよ。ブーイング殺到っ」
「お身体が治ったにしても、妙やなぁ。神がかっているとしかぁ……」
三人、息を吐くのが合わさった。
「いみじく物憂げねー、あなた達」
「まゆみっ」「まゆみ先生」「安達太良先生」
我らが顧問が、太陽みたいに笑顔を輝かせていた。
「この後に活動があるんだから、顔上げなさいな」
講義終わりだったのか手提げ鞄を持っていた。私物か? 「破邪顕正いたす、成敗!」なんて書いてあるし。
「上げてられないですよ。時進先生が暴挙に出ているっていうのに」
「暴挙、ね。むべなりよ。このところ無茶振りが多くて困っていたの」
時進先生は今年も学科主任ですからね。学生手帳に載っていましたよ。
「もしかすると『神代の戦士』の寄りましに選ばれたのかもしれないわ!」
「揣摩憶測っ、テキトーじゃ間がすぐソコに来ちまうぞ」
苦そうな表情を浮かべる華火ちゃんに、先生は胸を叩いてみせた。
「真か偽りか、確かめてみれば良し!」
額に指を当てて、先生は和歌を詠んだ。
―空ニ満ツ アダタラマユミ 矢ヲ番ヒ 萬引キ引キ 言霊ムスブ
しばらくして、先生は託宣を得たかのように目と口がばっと開けた。
「驚きの結果だったわ……」
「あの力を使われたのですね」
「そうよ、本居さん。辞書で知りたい語句を検索するように、時進先生という名の大辞典を『引い』たのよ」
十二年ほど前、アヅサユミが「祓」を私たちに蒔いたのは、子孫のまゆみ先生を救うためでもあった。まゆみ先生が嚆矢だったといっても過言じゃない。
当時、先生は、アヅサユミの力を借りて急逝した父親を蘇らせた。望みは成就したけれど、アヅサユミはかなり弱ってしまった。さらに、命を操ることは「人を外れた行い」だったため、先生は「人と人ならざるものとの間におかれた存在」となった。償いに「特別な力」を宿されて。
「特別な力」とは、あらゆる物事を「引く」力。使い方しだいでこの世を思い通りにすることだってできる。そんな危ないものを、先生は去年の霜月末まで制御できずにいたんだ。父親に生きながらえることを拒まれ、再び黄泉へ旅立たれて衝撃を受け、記憶にふたをしたからだ。
『萬葉集』の野守、『徒然草』の鼎などを「引き」連れて、「引き」起こしたおかしな現象を、私たちが知らず知らずに「祓」を行使して鎮めてきた。子孫を案じた先祖の備えが役立ったのだ。
「アヅサユミが長子、第一の戦士・ビブーリオが先生の中にいるわ」
華火ちゃんが椅子をガタンと鳴らし、夕陽ちゃんは首をさわった。え、出だしが良いではありませんか。
「ビブーリオは虚弱体質を克服するため、養生に関する伝承を書物にまとめて、貪るように読んだといわれているの。いわゆる健康おたくね」
「ビブーリオさんが、時進先生を元気にさせたゆうんですか」
まゆみ先生が、夕陽ちゃんにウインクした。
「力を貸してもらうよう、会いにいくわよ!」
はりきってホールを飛び出た先生を、華火ちゃんが自慢の足で追う。私は卓上に散らかした筆記用具を肩掛け鞄に詰め込んだ。
「ふみちゃん、焦らへんでえぇよ。ぐちゃぐちゃになるで」
「後で入れ直すってば」
夕陽ちゃんの手を引っぱって、負けるものかと走ったのだった。
『トパーズの盟友』は、花浅葱様(ユーザID:2353214)の作品です。
→https://ncode.syosetu.com/n2990ic/
華火は、花浅葱様の代表作『Dead or chicken ~ヒヨコに転生したので、地球に戻るためにヒヨコライフを謳歌する~』の主人公と演劇部で活動していた記憶があります。
→https://ncode.syosetu.com/n3551ho/
花浅葱様、華火と共演の機会をいただき、誠にありがとうございました。