第四章:うひ恋(こひ)ぶみ(三)
三
無類のおしゃべり好きなのか、ただ単に静けさが怖いのか、階段でもナレッジは話し続けていた。
「あなただけは、チェインドライブラリーを回避されるのだと信じておりました。ご興味はおありでしたか?」
「司書課程のテキストは、文章しかありませんでした。写真で構いませんから、本物を拝見したかったです」
「緊張されていらっしゃいます? ナレッジさんはあなたの敵ではございませんよ」
イエローは口をつぐんだ。こちらへ振り返らずに訊いてくる相手に、親しみを覚えられようか。
「よそよそしくされては、うら悲しくなります。ナレッジさんの寄りましを慕っていらっしゃるのですよね? ナレッジさんもその範囲に加えてくださいませんか」
展示室は二階なのに、まだ着かない。階段が長くなっているのだ! しばしば利用しているので、すぐに分かった。
「まさか、お怒りです? 彼の心身を奪ってしまいましたから? 彼のイメージを台無しにする振る舞いをいたしましたから? 彼の全てを知り尽くしておりますから? 考えられうる原因は百ほど挙げられますよ、お聞きになります?」
「…………うちは怒っていません」
ソプラノの彼女にしては、かなり低い声が出た。
「ご無礼を。ナレッジさんは彼の術を行使できないようです。ファンタスティックな『呪い』ですよね、任意の場所へ瞬時に行けますし、心の声を聞けるのですから」
琥珀色の瞳を閉じて、イエローに微笑んだ。
「ナレッジさんは知識の深海を以て、可能性を論じることはできますよ。ですが、解答がその中にあるかどうかまでは、検証しかねます。解答は流動的なものですから、ナレッジさんが全パターンを申し上げた一秒後には、新たなパターンXが解答の場合もあり得るのです」
「先生はオブラートに包んではっても、仰りたいことがはっきりしています。ご自身にしか解かれへん論理パズルやない」
「おやおや、手厳しいですねえ……。ご心配なく、彼の意識は表層・深層を自由に動けますよ。只今の会話は……」
ナレッジは足を使わずスーパーヒロインの耳元へ寄った。
「寄りましは遠慮して深層に丸まっておりますので、ご安心を」
「来やんといてください!」
払いのける手をかわし、ナレッジは不気味に笑った。天井に移り、逆さまになって先を進む。
「こちらの方が、落ち着きます。母胎を離れた瞬間に、重力を逆らう術をマスターしたのです。反抗はナレッジさんの代名詞でございますよ」
「アヅサユミさんにも、反抗しはったんですか」
「……さあ、いかがでしょうね」
手すりを平均台のように渡り、上り終えたゲストにお辞儀した。
「特別展『知の饗宴 ―天地のデュエット―』にようこそ。心ゆくまで語り合いましょう。あなたのためならば、時計の針を亀より遅くいたしますよ」
「アキレスさんを抜かす亀やとしてもですか」
「クス。ジョークもお上手なのですね」
ナレッジは展示室中央の席をすすめたのだった。
「ご気分が優れないようでしたら、いつでもお申し付けを。十二階へと増築いたしましたが、あくまで空間を改変したのです。現実の当館とのギャップに、酔われるかもしれませんから」
蒲公英色の気を、ティーカップとソーサーの形に固めて、テーブルにふわりと置いた。オレンジとライムの香りが、湯気とともにやってくる。
「真淵のチョイスですよ、毒入りではございません。最近は、ミステリーをお読みになっているようですから、念のためことわっておきます」
「いただきます……」
惜しいけれども、ちょっと口を付けるだけにとどめた。第四の戦士を完全に信用できなかったのだ。
「さて、『知』の祓を行使するふたりで、これからのお話をいたしましょう。真淵はあなたに、戦うことを辞めていただきたく思っております。ナレッジさんは契約上、彼側についております。対してゆうひイエローさんは、異能を持てる者の義務として、凡庸なる方々を『障り』から守ろうとされていらっしゃいます。お互いに納得できる答えを生み出そうではございませんか」
テーブルに白い駒と黒い駒が、各十六個、所定の位置に並べられた。
「このテーブルは、チェス盤でもあるんですか」
白黒の市松模様が8×8マス、もしかして、と思っていたら当たりだった。祓でどんな物でも創り、動かす。戦闘にならなくて、ほっとした。相手は、はるかに強い。
「ゲームをしながら、雑談のように、はいかがです? 勝敗はこだわらず。ナレッジさんは、五百年ほど昼寝をしておりました。歌の文句ではございませんが、路に行きあう方々は、顔も知らない者ばかりでして、みなしごの雀に声をかけるほど心細いのです」
我と来て遊べや 親のない雀―、ナレッジの根底にあるワードにふれた気がした。
「レディファースト、いつでもどうぞ」
イエローはgファイル1段目のナイトを取ろうとしたが、指をすり抜けてしまう。
「ホログラム……!?」
eファイル2段目のポーンは、実体を持っていた。
「あかん、初めにナイトを選んだんや。せやけど……」
「ポーンを動かして構いませんよ。ナレッジさんの不手際です。ご覧ください」
ナレッジが黒のクイーンを指で倒そうとしてみせるも、空気を押すばかりであった。
「祓に欠陥がみられるのです。封じられるまでは、完璧でしたが……なぜでしょうねえ。展示物も然りでございまして」
椅子を引き、室内を見回すナレッジ。おもむろにイエローも立ち上がった。
「ご自由に」
ナレッジにささやかれ、おそるおそる順路通りに歩いてゆく。
内裏雛、月を模した立体パズルと銀河のジグソーパズル、五百色の色鉛筆セット、ピエロのマリオネット、婦人用の革靴、シンバルとビブラフォン、ピアノ……どれも精巧にできている。
「『知』の祓は、行使者の記憶を再現させてくれますからねえ。こちらは全て、ナレッジさんが真淵の記憶を拝見して、ナレッジさんのものといたしまして行使しました。お手にとってくださいますか」
日常では禁じられている行為を、いざ許されるとかえってオロオロしてしまう。
「お助けしましょうか?」
「ふええ、遠慮しますぅ!」
今になって胸が早鐘を打った。尊敬を超えた想いを寄せている人の体で、急接近しないでほしい。
「C8が鳴らされへん……。ビブラフォンは、あちこちがホログラムや。片方だけのシンバルにローファー、マリオネットの糸は一本切れていて、バランスとられへん」
色鉛筆は黄色系統がどれも握れなく、パズルは一ピースが本物ではないから未完成、雛人形は男雛が寂しそうだった。
「どこかが欠けているのですよ。実を申しますと、あちらのティーカップは、ナレッジさんの分が映像です。ゆうひイエローさん、以上からナレッジさんのメッセージをお解りいただけましたか?」
イエローは、ちょっとの間うつむいた。
「違うていたらごめんなさい。うちにも欠けている何かがあるゆうことですか」
ナレッジがオーバーに首を縦に振った。
「ご明察でございますよ。あなたの心が満たされれば『障り』など、関わりの無い問題となります。真淵の悲願も叶い、双方がハッピーに。ナレッジさんは契約を履行しこれにて丸く収まるのです」
「欠けが埋まったからやって、『障り』をどうでもえぇて思いません。心を失った人達に、ストーリーは生まれへん。何も感じられへんて、遺影のような景色やんか。それに『祓』が足りてへん。うちが出たら、皆の負担が少なくなるんや。先生のご希望には添いかねます」
「師事する彼を、裏切るのですか?」
イエローは、ナレッジの奥に咎めるような視線を投げた。
「せやったら、なんで先生はうちをスーパーヒロインに目覚めさせたんですかぁ!」
ナレッジは弱々しくその場に座り、目を開けた。
「……初めは、ゆうひイエローさんのお気持ちを尊重しておりました。松阪公園にてあなたに『玉の小櫛』をお渡しした後、僕は自責の念にとらわれました。いずれあなたを悩ませてしまうだろう、と」
清らかな音が、鳴る。イエローの髪に結んだ金の水琴鈴が揺れていたのだ。黄色いリボンと一緒にあるそれが、呪いの具「玉の小櫛」であった。
「大事な場面を前にしますと、迷ってしまいます。僕は、気概が無い痴れ者なのです」
「うちだけを戦わせたないのはなんでか、聞かせていただけないんですか。真淵先生」
彼は答える代わりに、二通の文を捧げた。どこにしまっていたのだろうか。授業外で児童文学の書き方を教わっている時も、手品にわくわくさせられた。
「こちらを読まれていかがなさるかによって、今後の行方を決めましょう。第四の戦士が初めて書いたラブレターと、その返事です。ご本人の了承をいただいておりますから、お気になさらずに」




