第四章:うひ恋(こひ)ぶみ(二)
二
知の神殿、附属空満図書館は、空満神道に関する資料をはじめ、宗教学・世界の言語学と文学の貴重な資料を所蔵している。
「ナレッジは酷なことをします。ここだけは、近づかないよう気をつけていたんです」
「なんだ? 本のおっちゃんが本避けてどーすんだよ」
前の寄りましの名残か、グリーンに愛称を付けられ、ビブーリオは嬉しそうだった。
「パンフレットを読みましたが、あれほどの蔵書数では入り浸ってしまいます。図書室ぐらいが適度に充足するんですよ」
空満大学国原キャンパスには、図書館が二館設けられている。大学創設と共にできた方を「空満図書館」または「図書館」、その分館を「図書室」と呼び分けられていた。
「去年ノ新歓合宿時ニ、センパイ達ガ教エテくれマシたヨ。楽勝なセンセのレポートは図書室デ、強敵なセンセと卒論ハ図書館でクリアっテ☆ みどりんモじゃナイっスかー?」
日本文学国語学科二回生のピンクは、附属高校生から後輩へとなったグリーンの面倒を見たがる。
「四回になると、卒論の文献を探しに書庫の閲覧を許してもらえるんだ。せっかくだから、9門の他も見てみたいなあ」
「ふふっ、卒業後の道を選ぶのが加わって忙しなくなるかもしれないけれど、書庫の探検はいと良し! よ。私は夏休み前に全部読んじゃった」
読書家のレッドへ、日文OGでもあるまゆみがウインクした。危険ではないが、真似すると四回生を永遠に繰り返さなければならないため、しない方が賢明である(空満大学の在籍限度は八年)。
「私は、行っていない……です」
去年、化学科四回生だったブルーが淡々と言った。
「青姉は家が研究所だからな、論文雑誌とか揃ってるし、無けりゃ外部へメール送って取り寄せられるんだっ。あんまし学校行かねえで、新学期に卒研出したもんなっ、成績はもちろん優っ!」
理学部の卒業研究は、通常の卒業論文・研究提出期間前でも受け付けていた。教員陣いわく、完成しだいとっとと教務部へ持っていき、さらに有意義な研究に取り掛かってほしいのだと。ブルーは、史上最速で卒研を済ませた。
「来年デ、レッド隊長ト黄色センパイは卒業なんデスね。まサカなんデスけド、新入部員ヲ確保デキなクテ、ヒロインズは最終的にピンクとみどりんデ細々トPR活動っスか!?」
「ばかやろう、あたしらが引退しても看板と爪痕は残してくんだよっ」
グリーンにチョップされ、ピンクは髪を乱して悶えた。
「『障り』倒して天下泰平にさせりゃ、文学PRに専念できるんだっ。入隊条件は問わねえんだぞ。たまたまあたしらが『祓』持ちだっただけでよ、なっ、まゆみ」
「ええ。日本文学を好きも嫌いも、『スーパーヒロインズ!』は歓迎するわ」
まゆみの白いハイヒールが、最後の石段に響いた。
「『皐月の障り』を祓って、また勧誘しよう」
レッドの呼びかけに、仲間が色とりどりにうなずいた。
重厚な扉を開けると、浪漫な広間が利用者を静寂へと招く。「知」を司る神代の戦士と対峙する場は、ここをおいてほかにない。
「こんばんは」
入り口右の小カウンターに、職員が虚ろな目をして紙切れを差し出した。
「ど、どうして……!」
レッドは驚きを隠せなかった。彼女の前髪に留まっていた「読」を司る神代の戦士・ビブーリオも同様だった。
「誠五―」
前に憑いていた時進教授の息子は、当館の司書である。レッドこと大和ふみかは、訪れるたび彼に資料探しを手伝ってもらったり、おすすめの本を紹介しあったりしていた。
ビブーリオはすぐさま平静を取り戻して訊ねた。
「帰りなさい。残業ではないでしょう」
「入館証にお名前をご記入ください」
案内に、温もりが感じられない。
「起きてください、あなたは操られているんです」
「入館証にお名前をご記入ください」
第四の戦士はどこだ。戦いに無関係の人……しかも知り合いを手駒にして。ただですませるものか。レッドの怒りがこみあげてくる。
「傷めるため不本意なんですが、時進とふみかレッドさんのためです。書を重ねて 誠五し思ほゆ―堪えよ、本の訓戒」
誠五の頭上に、緋色の極めて細かい粒が舞う。縦が長い四角にまとまり、書物となった。『マインドコントロール脱出のコツ』が、彼に落とされた。
「ぴぎゃー!」
ピンクが代弁して、誠五は昏倒した。
「誠五さん、ごめんね……」
レッドは彼をちょっと見て、再び前を向いた。
「招かれてなくても降臨してやったぞっ、シュトルムを返せ、なれずしゲラ男っ!!」
グリーンが啖呵を切ると、館内が真っ暗になった。
「おい、マジかよっ」「にゃにゃ!?」「て、停電?」「動いては、いけない……です」「安達太良の末裔よ、詠み照らさんかい」
「それが行使できないのよ」
繰り返し、歌を頭に描いてみるも、効果が現れない。
「ナレッジのしわざよね」
解法の型を定めるため、術を分析する……より前に、光が、ヒロインズと窓口の中央に当てられた。
革張りの閲覧椅子に、漆黒のスーツを召した女性が眠っていた。膝には星形の翡翠が、ごろんと置かれていた。
「ひろこっ!!」
グリーンがためらいなく担任・宇治紘子の元へ走る。気づかずとはいえ、「速」を司る神代の戦士・シュトルムに乗り移られて疲れただろう。
「でかい石は、シュトルムだなっ!? 今度こそ助けにきたぞっ!」
紘子と翡翠を目前にして、グリーンが何かを踏んだ。ブルーとまゆみは、スイッチではないかと推測した。
「緑さん……!」「罠よ!」
ブルーが飛び、まゆみが跳ねる。ピンクとレッドも続く。
「クス、クスクス……感動のクライマックスは、三流の手法ですよ」
紘子が椅子から滑り落ち、首に金の輪が付けられた。グリーン達にも首輪がはめられ、床の一部がひっくり返って現れた本棚へ投げ込まれた。
シャンデリアより鎖が数本伸びて、輪の後ろ側とつながった。さらに「神代の戦士」三人を縛り、配架を完了させた。
「中世の欧州では、当時、書物は希少にして貴重とされておりました。図書館、とりわけ修道院の図書館において、紛失を防ぐため、図書に鎖を付け、書架や机に留めたのです」
仰々しい説明に、「知」のスーパーヒロインは口を開いた。
「チェインドライブラリーですね」
熱のこもった拍手が降る。
「ご名答です。ゆうひイエローさんには、ウォーミングアップにもなりませんでしたか?」
貸出し窓口の真上に、第四の戦士(もしくは真淵)が頭を下にして立っていた。
「退屈されないよう仕掛けを作ったのですが、いかがです? 予定通り資料九点を収めましたよ」
「資料やありません」
主催者は恭しく礼をした。
「大変、失礼致しました。お連れの方々でいらっしゃいましたね。以後、気をつけます。それではご案内を……」
「おい、ふざけんなっ、あたしらも連れてけっ!」
グリーンが片足を踏み鳴らした。金の鎖がジャラジャラ音を立てる。
「それは致しかねますねえ。『知』の祓を行使する者同士の問題ですから、あなた方はお静かに待っていただきたいのです」
「センパイに変なコトしタラ、レーザーで炭にシテやりマスよ! わいせつジャカパチ外道担任兼司書!!」
「この際なので言っておきますけど、ごく一般の女子受けがいい顔をしているからって、何しても許されるとか思わないで。まったくもって不愉快極まりないですよ」
罵倒に対しても主催者は、ずっと目を細めていた。
「造語は作者の品性を如実に示しますよ、あきこピンクさん。担任の指導が足りないのでしょうか、いいえ、責任をとる必要はございませんね。そして、ふみかレッドさん。顔に甘んじているように思われましたか。ここまで誤解されては、さすがに切なくなりますねえ……」
ピンクは口をめいっぱい引っ張り、レッドは本棚に鎖をぶつけた。
「あなた達、言葉で戦っては暖簾に腕押しよ。今こそ武を以て制する時!」
「鎖が邪魔なら、切ってしまえ……です」
まゆみが深く息を吸い、ブルーは水の刃を構える。
「矢詠・巻第三・第三六四番歌! ま」
「重要事項をひとつ、お伝えしましょうか」
勢い余って、まゆみがつんのめり、自身の鎖とブルーの鎖が絡み合い、二人は無様に転んだ。
「も……もったいぶらないで、疾く教えなさいな!」
「観察のしがいがございますよ、術を省略なさらずあえて暗誦された安達太良先生。そちらの書架と鎖は、当館と複雑に組み合わさっておりまして、射る・切るなどされて、傷ひとつ付けられますと、当館が分解されてしまうのです」
レッドのパッチン留め「敷島」が小さく叫んだ。
「倒壊するように細工をしましたね。ナレッジ、知識をそのように使って、悪魔と化したんですか」
「想像が豊かでいらっしゃいますねえ、第一の戦士。僭越ながら申し上げますが、与えられたものをどのように活かすかは、他者が決めることではございませんよ」
第四の戦士か真淵か不明瞭な存在が、シャンデリアの周りをゆっくり歩く。
「あなた方の命はさておき、もしも、ゆうひイエローさんが瓦礫に埋もれて永遠の眠りにつかれてしまわれましたら、『障り』が訪れるより先にこの世は終焉を迎えているでしょう」
ブルーの背中にくっついていたキミックが、鼻で笑った。
「おぬしの寄りましが怒り狂うのやろ? あやつがときめかしておる黄色姫がおらん世は意味無しやー、とな」
「察しがよろしくて、助かりますよ。あなた方には、ゆうひイエローさんが鑑賞を終えられるまで、休んでいただきたいのです。ご無理をお願いして申し訳ございませんが」
移動の過程を省いたような速さで、主催者はイエローの前に下りた。執事または騎士さながら片膝をつき、胸に手を当て、目を開いた。
「お待たせしております。今度こそ参りましょう」
イエローは、いっそう気を引き締めた。向けられた瞳が、琥珀の色をしていたのである。




