第四章:うひ恋(こひ)ぶみ(一)
一
弓と文学の神・アヅサユミ、
人間を夫に迎え、六人の子を産む。
上から五人は「神代の戦士」、
末の女は「安達太良」二代目当主。
「神代の戦士」は石の肉体、
人間の身を得るも、すぐ脱いだ。
母の「呪い」その名は「祓」、
「読」・「技」・「速」・「知」・「愛」
それぞれ継いだ。
「安達太良」の末葉、まゆみが「引く」は、
「祓」を宿した五人の乙女。
まゆみの命運、この世の平穏、
乙女に託し、神は伏せった。
この地に来たる、災い「障り」、
人間の心を枯らし、世を歩き回る。
「障り」を退かせる術はひとつ、
「祓」にかかれば、明日は虹色。
乙女はか弱き人間ゆえに、
「祓」を無限に使えない。
心の洗濯をせず使い果たすと、
黄泉の旅路へ、さようなら。
眠りより覚めた「神代の戦士」、
「祓」を無限に使えるも、
人間を守る気にはなれない、
封じた者に情けをかけるか?
地を踏む乙女は、天に望みを、
天に育った戦士は、地に恨みを、
天の「祓」と地の「祓」、
重なる後に、生まれ来るものは―
「詩は奥が深いですねえ、散文よりも甘美に、幻想的に。ナレッジさんの力作はいかがです?」
真っ暗にした書庫にて、第四の戦士が寄りましに話しかける。
「天の『祓』と地の『祓』、なかなか洒落たネーミングセンスだと思いませんか? 神話の序章に相応しいでしょう? 真淵は、ナレッジさん達に何を望んでいらっしゃいます? 奇跡、ではありませんよねえ。あなたはメリィゴウラウンドに跨り、プリンセスを誘う役柄ではございませんから。クスクス」
寄りましの拳が、壁を穿たんばかりに殴った。
「おやおや、お気に触ることを申しましたか? もしや、プリンセスとお呼びするのがいけませんでしたか? エンプレス、それとも、ゴッデスでしょうか。あなたが跪き、額ずき、崇め奉っていらっしゃる、ゆ……」
「馴れ馴れしく呼ばないでいただけますか」
「これはこれは失礼。ナレッジさんとしたことが、うっかり真淵との契約を叛きそうになりましたね」
今日初めて、寄りましは目を開いた。めったに外さない笑顔の鉄板の下は……。
「こちらのあなたも、悪くありませんよ。人間らしさが出ております。新たなファンが増えるのではないです? 女子大生を手玉にとってみる、というのも、一興ではございませんか」
「そのような振る舞いを、既にされているお方がいらっしゃいますよ。僕が学生だった頃から、お変わりなく。一緒に働かせていただいて数年後に、意中の人が現れたようですが」
慣れた手つきで、寄りましがそばのランプを点けた。
「ダイヤモンド級の笑みを絶やさないようにしますと、視覚に頼らなくなるのですか。失明された場合の訓練……は違いますね。あなたは本心を周りに隠していらっしゃいます、地の『知』の祓を行使する方には特に」
「あなたは雄弁ですねえ……お母様はさぞかし、頭を痛めていらっしゃったでしょう」
第四の戦士は、前に置かれた鏡に映る寄りましを凝視した。
「手がかからない、いわゆる『良い子』よりも、憎らしい『悪い子』が親や教師の記憶に残りやすいそうですよ。また、可愛がられない子ほど、長生きしますから。アイソポスの寓話は、もちろんご存知ですよねえ?」
「あの種のお話を読み返す方は、豆腐の脳をお持ちの哀れむべき方です。あなたは、確かに、人間ですか?」
「クス、憎まれ口がお上手ですねえ。あなたをお迎えして、毎日が一段と面白くなっております」
第四の戦士の瞳が、ランプの光を受けて輝く。
「通常、寄りましは選ばれる立場なのですが、あなたは稀有なお方でしたよ。スマートに志願されるとは……人間は欲望とお別れできない存在です」
「あなたとお近づきになれば、僕の望みに届きますから」
寄りましの顔つきは、真剣であった。
「ラッキーでしたね。最初に目覚めた戦士が、ナレッジさんでした。ナレッジさんが肩慣らしに『祓』を行使したところを、あなたが発見しました。厳密には、聞かれた、でしょうか」
「僕は、他の方々に聞こえない音が聞こえてしまいまして」
寄りましは胸元のブローチを小突いて、次に耳を指した。
「あなたの悲痛な声に、親切なナレッジさんはお心に住んで差し上げました。コンビでの記念すべき一回目の活動は、『知』のスーパーヒロイン覚醒のプレゼントを入手しに本朝を飛び回ったことでしたねえ」
「半日にも満たない旅でしたが、それなりに息抜きができましたよ」
「凝った演出をされましたよね、覚醒の地を松阪公園でなさるとは。賀茂と宣長……夜は、あえて避けられたのですか?」
「………………彼女は、深窓の令嬢ですから」
「………………本居世夜を、恨んでいらっしゃいます?」
寄りましは鏡をにらみすえた。
「彼女にあの男の血が流れていて、おつらいですよねえ……。『障り』への姿勢は、あの男が持つ鋼の正義感を受けています。しかし、あなたは彼女を消せない。なぜなら」
第四の戦士と寄りましを映す道具が伏せられた。
「別の話題を、いたしませんか」
契約を違えていないというのに。第四の戦士は不服そうに顎を上げた。
「僕の望みは、複雑ではございません。『知』のスーパーヒロインを戦いから解放する、です。努力家の彼女は、ご存知ではないのです、生きる上で不要な努力があることを」
「クス、歩き始めた嬰児のために、危ないと思われる物を何でも撤去して差し上げる子煩悩のようですねえ……」
「……安達太良先生は、抜け目の無い教師です。学生に青春を、と理想を掲げ、ご自身が引き起こした問題をその学生達に解かせるように唆したのですから」
讃える気のない拍手が、響く、響く。
「それでは、彼女をたぶらかした魔女を楽にさせてはいかがです? ナレッジさんの知識を活用されますと、人と人ならざるものの間におかれた存在を無にできますよ、まるで誤字を消す消しゴムのように」
「未来の声を聞き取れる耳でしたら、先生をこの学び舎に入れないよう、それなりの措置をとれたのですがねえ。出会ってしまいました以上、その方法は邪道ですよ」
「知」のスーパーヒロインの前では強気に出たが、彼女を悲しませる結果にさせたくない、が彼の本心だった。
「イレギュラーが阻めば阻むほど、得た財宝の輝きが目に染みますからねえ……おやおや、ナレッジさんは俗物的な表現を致しました。心よりお詫び申し上げます」
「僕の方こそお詫びしなければなりませんよ。心を半分しかお渡ししておりませんので、ご都合がよろしくないのではと思いまして」
どちらのものか判別しかねる含み笑いが聞こえた。
「ナレッジさんにまつろわないお方がいらっしゃるとは、この世はワンダーランドですねえ」
「千年以上も神の御許にいらっしゃるお方は、態度の構え方が違いますね。いつの日か、玉座を戴けるのでしょう?」
第四の戦士は、残念そうにまぶたを閉ざした。
「あのお方と並ぼうとはさらさら思いませんよ」
寄りましが人差し指を口元に持ってゆき、ランプを消した。
「お客様がお越しくださいました。至高のおもてなしをいたしましょう」
戸締まりの必要はなかった。寄りましは、意のままに空間を移動できる「呪い」を使いこなせたのである。
「他述陳呪」―散文を介して奇跡を起こす「正述陳呪」を応用した「呪い」を、寄りましは継承した。ワイシャツの襟元を飾るブローチが、その証だ。蒼穹を丸く切り取ったような石の下に、シックなリボンが付いている。ある賢婦人(……今はもう賢夫人か)に賜った。
賢夫人は、彼の人生に最も深く刻み込んだ存在であり、望みの根源であった。




