第一章:書(ふみ)を重ねて 大和(やまと)し思ほゆ(序)
序
学びに入りて、青春は頁を駆けめぐる!
来たれ、新人! 日本文学課外研究部隊!
「いいかげん、はがさない? 勧誘のちらし」
私は文庫本から顔を上げて、ため息をついた。
「校舎の至る所に掲示したけれど、来ないんだから」
活動場所だって、扉だけに留まらず、室内にも貼ってあった。なんだか、いわくつきの物件みたいだよ。心霊の特番でよく見かけるでしょ、お札でびっしりの風呂場や部屋。
こちら内嶺県は空満市、空満大学(そのまんまで分かりやすいね)国原キャンパス、研究棟二階・二〇三教室だ。普段閉めているのは、別に、惨たらしい事件が起こったためではない。元々、講義や会議用に空けておいたのだ。
「まだ卯月は終わってないでぇ。ぎりぎりまでおいとこぉなぁ」
紙コップを皆に配りながら、同級生の本居夕陽ちゃんが言った。家に余っていた桜茶だって。少し冷ましてからいただくとするか。いつもできたてに舌をやけどさせられちゃうから。
「皆の、力作です、はがしては、惜しい……です」
仁科唯音先輩が、蕭々と降る雨のように言葉を発する。大学院に進んでお忙しいはずなのに、ちらしの挿絵を描いてくださった。活動服を着た小さな私たちが「一緒に頑張ろう!」と呼びかけていて、いとうつくし。
「姉ちゃんが、泊まりがけの実験ついでに輪転機かけてくれたんだぞっ、報恩謝徳しろいっ!」
先輩の両肩に勢いよく手を乗せたのは、日本文学国語学科、略して日文の一回生・夏祭華火ちゃんだ。先輩のいとこ、そして私と夕陽ちゃんにとって、直接の後輩だよ。
「そーデス、キャッチコピー爆誕マデ流シタ汗ト涙のハンパなさ、忘レ給ふコトなカレ☆」
日文二回生の与謝野・コスフィオレ・明子ちゃん、進級してもコスプレ登校は相変わらずだ。あ、コスフィオレに訂正しなきゃね。彼女特有の用語に合わせないと。ちなみに、本日のコスフィオレは、独国からはるばる「兄君さま」を守りに来た和装系妹なのだそう。
「はい、明ちゃんの分やよ」
「ひゃは、梅昆布茶! ゆうセンパイ、サンキューっス☆」
文学的理由で桜が苦手な明子ちゃんのために、代わりの物を渡す。私の友人は、気配りができて、成績優秀、周りが嫌わないわけがない。
「聞イテくだサイよー、マブチンに名前イジりサレたんデス! 憂鬱ナ春学期スタートっスよー!」
明子ちゃんが、かっこつけて足を組み、目をうんと細めて、前髪をはじく。
「『かの情熱の歌人は、桜をこよなく愛していらっしゃったのですが、一文字違うと嗜好が変わってしまうようですねえ……ふっ』」
ああ、真淵先生のものまねか。わりと再現度が高いよね。
「クラスメイトの面前デしマスか!? 情熱の歌人ッテ何スか!? 与謝野晶子ヘノ冒涜デス!! コノ、ブサヘラ担任ー!!」
うん、私の学年に来なくて助かった。確実に胃炎を起こすもの。
「えぇなぁ。うちかて、いじられたいのにぃ。宣長さんやと嬉しいわぁ。名前つながりやもん」
夕陽ちゃんが、豊かな胸の前に両手を当てる。
「愛しの、真淵先生……ですね」
「ひやぁ、唯音先輩、先に言わないでくださいよぉ!」
出た、泰盤府民お得意の「笑い叩き」。先輩の青白い顔がさらに青白くなって……。隣に座っていたばかりに、おいたわしや。
「担任といやあ、あたしんとこは奇行が目立っててよ、こないだB号棟の廊下で大声あげてた。叫喚地獄っての?」
「えっと、一回生はたしか、宇治先生だったっけ」
華火ちゃんの結んだ髪が、子犬のしっぽみたいに振れた。
「講義、生徒指導、茶道部に輪講っ、毎日全力投球しスギて、ストレスたまってんのかもしんねえ」
「THEマジメ、デスかラな」
そんなにつらいなら、休んだらどうなのかな。いや、簡単にいかないんだろうね。私たちとは違って、働いているんだからなあ。
「せや、華ちゃん。キャンパスライフに慣れてきたぁ?」
夕陽ちゃんが微笑んで訊ねた。
「おうっ、講義は九十分つってたけど、早く切り上げんのが多いなっ。お花見行こう、とか、株主総会があっから帰る、とか。あと、教室出ることもあんだなっ。『日本文学研究A』で大和神社か和爾下神社かの歌碑を見てこいって。場所のヒントはネット禁止、本で探せ、だぞ」
私は、懐かしく思った。たぶん、夕陽ちゃんも。担任の講義はたまに、教科書と黒板から離れるんだ。
「奇想天外っ、まゆみの講義って面白いよなっ!」
「ふふっ。そう言ってくれたのなら、教師冥利に尽きるわねー」
『!!』
十の瞳が、扉の方へ向いた。日文では、先生の話をしたらご本人が登場しがちなのだ。
「せっかく学ぶのなら、楽しくやらなきゃ」
いつでもおろしたてみたいな、白いハイヒールを鳴らし、白いスーツを着たご婦人がこちらへいらっしゃる。
「いつもいきなり出てきて、ノックぐらいしろい、あたかもまゆみっ!」
「入室の際は三回ノックしています。そして私は直喩で表現しきれない存在よ」
指さす華火ちゃんに、ご婦人は不敵に笑った。
「この世に並びなき萬葉レディにしてあなた達の司令官! そうです、私の名前は安達太良まゆみ!」
上座に腰かけ、まゆみ先生が皆を見回した。
「さあて、今日も楽しく文学PRしましょ! と始めたいところなんだけれど……」
首にかけていた弓矢のペンダントを手に取る。
「アヅサユミがあなた達にお話があるそうなの。代わるわね」
ペンダントが白銀の光を放った。まぶしさが収まると、先生の席に、藤色の長い髪をした白い弓道着の女性が坐していた。先生の面影が残っているのは、当たり前だ。安達太良家の先祖だから。人の姿だが、人にあらず。弓と文学を司る神・アヅサユミである。
【久しきものなり―】
袖にかけた領巾が、藤の香りを振りまく。神を前にすると、背筋を伸ばさないでいられない。
【つつがなしや、ふみか、唯音、華火、夕陽、明子よ】
夕陽ちゃんは深く、唯音先輩は浅くおじぎをした。明子ちゃんは柏手を打っていた。空満市発祥の宗教・空満神道の信者だからか、神と向き合うことに慣れているんだね。もしも、ここにいるのが空満王命だったら、泣いてしまうんじゃない?
「元気してっけど、フツーに来られなかったのかっ? 回復してんだからまゆみの体借りなくてもよ」
相手が神だろうとお構いなしの華火ちゃん。誰に対してだったら敬語を使うんだろうか。
【慣れし地なれど、社より外は弱りやすし。ゆゑに、我が末葉を寄りましにするなり】
つまり、村雲神社の中でなら自由に動いてもさしさわりないのか。ここから歩いてすぐの神社は、相当験があるってことなんだね。
【汝らに請ふ―】
皆、固唾を飲んだ。
【再び、障りを祓ひたまへるや?】
私は耳を疑った。
「あ、あの、障りって前に祓ったんですけど」
【『大いなる障り』とは異なる、次なる障りなり】
あっさり言ったし。厄介事を持ち込む家系だなあ、んもう。
「いつ来る……ですか」
アヅサユミは、良くぞ! と先輩に目を輝かせた。
【卯月と皐月の間なり。此より『皐月の障り』と呼ばむ】
「今度ノ障りモ、人ノ心ヲ失ワセるんデスか?」
明子ちゃんが机に身を乗り出す。たとえ神様であっても困っていたらお助けするのが彼女だ。
【さやう。『皐月の障り』は、心を枯らす前に、若さを啜り尽くし、ものくさき人にす。『五月病』なる今の言の葉は、此が謂れなり】
「昔からあったんですかぁ」
黒ぶちメガネのつるを上げて、夕陽ちゃんはびっくりしていた。
「要は危急存亡っつーことだろ? 迅速果敢っ、倒してやんよっ!」
【それは成し難し―】
ひじをついていた華火ちゃんが、机に頭をぶつけそうになった。
「なんだよ、助け求めといて、あたしらには無理だとか、自家撞着してんぞっ!」
【我が指し示す通りに、円を作れ】
華火ちゃんは唇をとがらせつつ、アヅサユミに従った。
アヅサユミの向かいに明子ちゃん、明子ちゃんの左隣から華火ちゃん、私、夕陽ちゃん、唯音先輩、が並ぶ。
【汝らの『祓』を、映し出さむ】
領巾を右手にからめて、アヅサユミは目をゆっくり閉じる。藤色の光が紐状になり、私たちを囲んだ。
【諸手を前へ。花を受けるがごとく、器にせよ】
皆の手の中に、輪郭がぼやけた蕾が現れた。
「祓」は、アヅサユミが行使する「呪い」の名前だ。かつて本朝で広く用いられてきた、理を超えた奇跡を現実に起こす術「呪い」の中で、最も難しくて強い力。十二年ほど前、アヅサユミが五つに分けて私たちに宿したんだ。
【色を良く見よ―】
薄まっている。私の「祓」は、鮮やかな緋とかけ離れていた。夕陽ちゃんたちの「祓」も、淡かったり褪せていたりして、元の色が損なわれていた。
「あたしのなんか、くすんじまってるぞっ」
「決戦終エテ自堕落ライフ送っテタからデスか!?」
アヅサユミは刮目して、華火ちゃんと明子ちゃんを気迫で静かにさせた。
【『大いなる障り』との戦にて、汝らの心と身体はすり減らされき。人ゆゑに、使ひ続ければいづれ尽く】
人の心を枯らして、何も感じなくさせる災い「障り」は「祓」でしか退けられない。弥生晦日と卯月朔日の「間」に空満へ迫った「大いなる障り」に、私たちは勝ったんだけれど……。
「戦えるぐらいの量が残っていないんだね」
アヅサユミにうなずかれ、私はため息をついた。
「補給する方法があったらえぇんやけどぉ」
【心をよく休めよ、と言ひたけれど、癒ゆる時はいづれか我にも分からぬ】
「今日は、二十三日です、間まで八日、時間が無い……」
夕陽ちゃんと唯音先輩に、アヅサユミは領巾を振った。
【たづきあり。我が子らの『祓』を借りよ】
「神サマ、お子サンいらシタんデスか!?」
「おいあきこ、ツッコミどころソコじゃねえだろっ。そいつらにはすぐ会えんのかよ」
「さっさと準備せなあかんわぁ!」
「…………」
ざわつきはじめた場を、アヅサユミが簪にしている弓を鳴らして音を消した。
【つもる話は後ほど聞かむ。我が子ら『神代の戦士』此の学び舎にて眠りたるが、去年に封、解けけり】
「け、研究棟に封印されていたんだ」
身近じゃないか。じゃあ簡単だね。お願いしたら聞いてくれるでしょ。
【気難しき子らなり。我を離れ、永き時を過ごしけり。ここを訪ねども、皆、おらず。寄りましが心に住むべし】
「頼りない親……ですね」
先輩が毒づく気持ちが分かる。
「寄りまし、て、キャンパスにはぎょうさん人いますよ。アヅサユミさん、一緒に探していただけませんか?」
【夕陽よ、我は未だ力揮はず。まゆみを頼みにせよ。我が跡を継ぐ者なり、汝らを『神代の戦士』へ導かむ―】
アヅサユミは言い終えると、瞬時にまゆみ先生に切り替えたのだった。
「おほかたは教えてもらったわ。次の間までに『神代の戦士』を探しましょ!」
四人はすぐに返事したけれど、私は頭を抱えてこう叫んだ。
「どうして、また私がこんなことに!」




