第三章:宇治殿嵐(シュトルム)に憑かれ給ひて夏祭華火に挑むる事(一)
一
講義中ともなると、あおぞらホールは空いていた。
空満大学国原キャンパスA・B号棟は、全学部がお世話になる所であった。空満神道科目・基礎英語などの共通必修科目や、宗教学部、文学部の専攻科目、資格課程の指定科目、パソコンを用いる授業はここで行われる。あおぞらホールは、一階に設けられた学生の憩い場だ。
「ふみセンパイが居眠リっスか。最前列デ堂々とヤラかしマシたネ」
与謝野・コスフィオレ・明子が、瓶ラムネを片手に笑っていた。本日の服装は、夏を先取りした白のワンピースだった。ゲームの登場人物で、家庭菜園にのめり込み、ミミズなんかへっちゃらの幼なじみ、なのだそう。
「急いでいるとはいっても、立て続けに『神代の戦士』に会うとちょっと疲れちゃうんだよね」
大和ふみかが蛍光ペンで教科書に線を引いた。『情報資源組織論』、司書課程だから受けているものの、ちんぷんかんぷんだ。早く目録を作らせてほしい。
「夢を、見た……ですか」
一滴ずつ垂らすように、仁科唯音が訊ねる。
「ま、まあ、先生に寝言聞かれましたからね」
明子と唯音が身を乗り出した。どちらも背が高いので、そんなつもりはなくても威圧感がある。
「とてつもなくつまらない夢ですよ」
二人の熱い視線が止まなかった。後ろ向きな表現を使われたならば、さらに気になる質なのか。化学者の卵と、コスプレ(彼女の用語では、コスフィオレ)愛好家、知りたがりな所は同じらしい。ふみかは観念した。
らっぱが、鳴っていたんだ。「さあ、始まるぞ!」って、活気づける音楽だった。
前で応援団の女性たちが、ポンポンを振り回しているの。衣装は白で統一されていたなあ。うちの担任がいたと思う。たぶん、今朝に演習の相談しに行っていたから、無意識が映し出したのかもしれないね。
奥の方で、黒いスーツの五人組が背中を向けて立っていたんだ。階段の上でね。段の中央に色のついた太い線が五本走っていて、左から緑、黄、赤、桃、青だった。音が小さくなっていって、応援団が整列したのね。で、五人組が回れ右して、歌が始まったんだ。
♪ ほ・ほ・放課後 大爆笑
チャイムが聞こえりゃ 集合よ
おなかを抱えて 今週も
はばかることなく うふふのふ ♪
下りてきた五人組は、私たちだったんだよね。両手を音楽に乗ってゆるく揺らしているんだ。私が踊っているところを私が見ているの。幽体離脱じゃあるまいし。
♪ ほ・ほ・放課後 大爆笑
五人はいつでも絶好調
今日のPR何かしら
全身全霊頑張ります! ♪
華火ちゃんははつらつと、夕陽ちゃんはリズムに乗って、私は恥ずかしいからおいといて。明子ちゃんはサービスを忘れずに、先輩は淡々とやっていたよ。
♪ ほ・ほ・放課後 大爆笑
周りも愉快な人柄よ
座布団を敷いてお待ちかね
これを見ずして何を見る
ほ・ほ・放課後 大爆笑
父母兄姉 祖父に祖母
弟妹 いらっしゃい
皆集まれ いざ文学!
皆集まれ いざ文学! ♪
「机を叩かれて、顔上げたら、先生が笑いをこらえていたんだよね。『大和、コメディアンを目指すのか』って」
瓶の中でビー玉が、ゴトン、と転がった。
「センパイ、『あ、こりゃだめだ』ッてカンジっスかラネ」
明子が鼻の下に指二本乗せて、舌を出した。
「おぬしはやられ役やが、仁科は無芸のおぶうちゃうやらう」
丸をつなげたぬいぐるみが、唯音の肩でしゃべった。
「キ、キミック!?」
ふみかは一旦深呼吸し、辺りを見回した。
「ふう……聞こえてなさそうだね」
「仁科の隠し芸にしておけば、問題無いやろうが」
ぬいぐるみはフェルトの前足を高くして、唯音に同意を求めた。
「声に、時間差が、生じる……です」
唯音が、口の動きと、声をずらしてみせた。まことに器用なお人である。物静かだが、場の雰囲気にほど良く乗ってくれる。どうりで好感が持てるわけだ。
「ほれ、これで慎まんでかまわんやらう」
ふみかはあきれてしまった。「神代の戦士」キミックは自分本位だ。
「キミック、話す際は合図をしてください」
ふみかの円いパッチン留めが振動した。
「時を経ても、あなたは周りを困らせるんですか」
太字ペンで「文歌」と落書きされた辰砂の髪飾りには、これも「神代の戦士」ビブーリオが憑いていた。
「恨みが混じっておるで、長子よ。そないに『アトムすけ』なる人形に執しておったか」
「追い出しておきながら、偉そうに言えますね」
「これは仁科がでざいんした、化学科のますこっときゃらくたあや。仁科と『祓』の縁であるわたいが寄りましにすべきやろう?」
「順番を守りなさいと、父に教わりませんでしたか」
「年下の者が先や、を忘れておるとちゃうんか?」
パッチン留めとぬいぐるみがいがみ合っている。ふみかと唯音は、腹話術の練習をしているように振る舞った。
「きょうだいバトルは、大昔カラあるんデスねー」
明子は炭酸に顔全体をすぼめて、うなった。
彼女達は、単なる女子大生・院生ではない。弓と文学を司る神アヅサユミの力「祓」を宿し、意のままに使う「スーパーヒロイン」なのである。
卯月晦日と皐月朔日の間に、災い「障り」がこの地―空満へ訪れる。人間の心を食み、枯らし、命のともしび尽きるまで虚しく生かす「障り」を撃退できるただ一つの方便は、「祓」。ある子孫の望みを叶えて衰えたアヅサユミに代わり、五色五人の「スーパーヒロイン」が戦うのだ。
先の「大いなる障り」を乗り越えた彼女達の「祓」は、たいそうすり減っていた。五つに分けてもなお強い「祓」は、人間が無尽蔵に持てるものではない。行使すれば色あせ、消耗する。しばらく休めば溜まってゆくのだが、待てば「障り」を遊ばせてしまう。この地では飽き足らず、本朝全国を、海を超えて全ての人類に災厄は及ぶだろう。
火急の事態を切り抜ける策を、先週末アヅサユミより告げられた。アヅサユミの子ども達「神代の戦士」に「祓」を分けてもらい、共に「障り」を祓う。ちょうど良い時に、本学の研究棟に封じられた「神代の戦士」が解き放たれ、寄りましに落ち着き自由を謳っていたのだ。
ヒロインズを導くは、アヅサユミの子孫・安達太良まゆみ。彼女達が集うサークルの顧問にして、日本文学国語学科の准教授、同学科三回生担任、そしてこれまでの出来事を「引き」寄せた不惑レディであった。
「あと三人か……。あっさり協力してもらえると助かるんだけれど」
ビブーリオとキミックでしんどい思いをしている。ふみかはため息をついた。
「大和よ、人ちゃうで。柱や」
「好きなように数えて構いません。神と人の子ですので」
「わたいは人間なんぞと括られたうないわい」
「あまのじゃくですね」
また争う両者を、唯音はそのままにしていた。彼女には、年が一回り違う兄がいる。研究漬けかつ無口だったので、感情をぶつけたことはゼロであった。再来月結婚するけれども、配偶者とも諍いを起こさないのだろうか。義理の姉となる人は、兄をウォータースライダーのようだと興奮して語っていた。両親とは違い、仮面夫婦にはならなさそうだ。
「明子もパートナー欲しいデスよ。バディで『障り』ヲずっきゅーんッて追イ払いタイっス」
「それはできへんな」「それは難しいです」
キミックとビブーリオが即答した。
「ホワイ!?」
黒髪の美少女は、辺り構わず叫んだ。立った際に、勢い余って椅子が倒れていた。
「与謝野よ、わたいらはまだ忠実心ある方やで。なんてったってわたいはアヅサユミが第二子、あやつは仮にも長子やからのう。見ずとも明らかやが、わたいは長子と比べて聡い!」
豪快に笑われ、ビブーリオは咳払いをした。
「私達の後に生まれた『神代の戦士』は、親の手を焼かせました。気性が荒くて剛腕、頭でっかちのつむじ曲がり、心を開かない寂しがり屋―。説得はおろか、実力勝負に勝っても、協力しないでしょう」
ふみかは頭を抱えた。
「してくれなきゃきついんですけど。今までの苦労が台無しだよ」
「そこが腕の見せ所やで。甘やかされしはらからを、びしりばしり更生させたれい!」
「子育て、失敗……ですね」
涼しい顔をして唯音がつぶやいた。キミック達の母親は、ここから少し歩いた神社に坐している。まゆみを寄りましにして会えなくもない。
「神サマ、本調子じゃナイのデあんマシお出カケできナイっスけドね」
空になった瓶の水滴をなぞり、明子は言った。
「気が向いてくれる契機を作れたら、良いんですが―」
思案するビブーリオを、激しい足音が乱した。
「ああっ、ふみかっち、いた!」
同級生の曽我るりこが、ふみかにすがりついた。
「大変!! 宇治先生が……宇治先生が……!」
涙ぐんでしどろもどろになったるりこを、友達の和泉たまおが手助けする。
「宇治先生が教室を荒らしているの。近くに座っていた子につかみかかったところを、華火ちゃんが、かばって……」
「どこ……ですか」
唯音が電話をかけながら問うた。妹のようにかわいがっている従姉妹の危機だ。駆けつけたい気持ちを押し留め、冷静にかつ早く対応方法を練る。
「B34教室です。夕陽も受けているの。ふみかは知っているかもしれないけど」
「ううん、初耳だった。ありがとう、た……たまおちゃん」
ふみか達は椅子を戻した。
「たまおちゃんとるりこちゃんは、ここで待っていて!」
「警備員に、連絡済み……です」
「エマージェンシー、猛烈スピードダッシュっスよ☆」
あおぞらホールを去る三人が、たまおとるりこには輝かしくみえた。
水曜日も、階段を駆け上るだなんて。ふみかは不謹慎ながら、厄日ならぬ厄週だなあと思った。
「大和さんも『読め』ましたか」
ビブーリオにはお見通しだったようだ。ふみかとビブーリオの「祓」は、物事を「読み」取れる。
「うん……。宇治先生の豹変は『神代の戦士』が関わっていそうだよね」
「暴れていると伺いましたので、第三の戦士でしょう」
「家出しよって寺に拾われた、三番目の子かのう」
唯音の白衣にくっついていたキミックが、割って入ってきた。
「五百年熱でひいひい言うて、母の恩を『速』の祓で返したのや。矛先が父やったら、三枚におろされておったわ」
なかなかの剣呑さに、明子は口をあんぐりさせていた。
「私は、外で待機する……です」
キミックをポケットに沈め、唯音が二人に視線を送った。
「ガードマンさんノ案内デスね、デハ突入しマース!」
「ちょっと、こっそり入るんだよ、刺激させちゃだめなんだからね」
ふみかの心配は取り越し苦労に終わった。B号棟三階四番教室の引き戸が前後ともに倒されていたからだ。ひっくり返され散り散りになった机と、粉砕されたチョーク、裂かれて綿がこぼれ出た黒板消しが非日常性を物語っていた。
空いた所に、ポニーテールの小柄な女の子が首をおさえてうずくまっていた。
「はなっち!」
明子が駆け寄る。はなっちこと夏祭華火は、ぜいぜいと音のする息をしていた。
「そ、そうだ、夕陽ちゃんは……」
赤いスタジアムジャケットの袖を、弱々しくつかまれた。
「ふみちゃん…………ごめん……なぁ」
本居夕陽の声が、痛々しかった。毎朝整えているであろう、波打った栗色の髪が崩れている。清楚な組み合わせの服に足形がたくさん付き、目印の黒縁メガネをかけていない。まさか、壊されたのか。
「うちは、平気やから……」
「全然、大丈夫じゃないよ!」
宇治先生に怒っていけないのは、分かっている。
「先生は、寄りましにされているんやろぉ……?」
第三の戦士だと伝えるより先に、学生らの叫びがあがった。
「どきやがれ、畜生!!!」
男子四人がかりで抑えられている者が、哮る。
「あいつの首を捻じ切らねエと、俺の噴火が収まらねエんだよオー!!!」
常盤色の突風が、男子学生達を吹き飛ばした。
「…………ひ、ろ、こ……っ」
華火が慕う、宇治紘子准教授はいない。紘子だった存在は、上着のボタンを外し、シャツをはだけさせ、教員が佩用すべき伝統の腕章をひだスカートに垂らしていた。
「あいつの匂いが、まだ残っている!!!」
右頬から額の左側にかけて切り傷が走り、割れてすさまじい痕となっている。翡翠色の瞳が、「祓」の風と同様に荒んでいた。
「俺があいつを、無間地獄に叩き落としてやる!!!」




