第三章:宇治殿嵐(シュトルム)に憑かれ給ひて夏祭華火に挑むる事(序)
序
ものすごく荒唐無稽なことを、考えてる。
誰一人傷つかねえで、人を救えるのか。
身体・心に痛みを受けねえで、苦しんでるやつらを助けられるのか。
唯我独尊って、周りは思うだろうな。仏様になったつもりか、ってな。誤解するやつは、どれだけあたしが説明したとこで、いっそう反感を持つんだ。だから、気にしねえでおく。
講義で読んだ説話に、荒ぶる神を鎮めるために若い女を生け贄にして……ってやつがあった。あたしは、人身御供が嫌いだ。差し出すのが動物でも、やめろよって思う。ってか、あんでよそ者が訪れる前に「それはおかしいから別の方法を考えよう」って言わねえんだろな。ならわしつっても、続けるべきやつと、終わらせるべきやつがあるだろ。命を捨ててるんだぞ? ずっと住んでたら感覚がまひしてくるのか? 声をあげたら、罰当たりとか不吉だとかで追放されるのか。そんな甘くねえよな、住人全員でそいつを「いなかったこと」にするんだ。自分と家族の身は大事だ、言いたくても無理だよな……。仲間外れが怖いんだ。集団が間違ったやり方を通していても、輪の中にいたいんだな。時代はかなり変わってるってのに、あたしら人間は進んでねえよ。
スーパーヒロインなのに無力なあたしが、バカだけどバカなりに頭使ってるんだ。
「そのような方法、ありません!!」
ひろこに一刀両断されちまった。発表資料作りの質問したついでに、言ってみたってのによ。
「とても叶わない理想なのですよ! 華火ちゃんが生涯をかけたとしても、その先の未来も、犠牲無しには救われません!」
おい、担任だろっ。真っ正直スギるぞ。ちょいと夢を持たせるぐらい、閻魔大王は無罪放免してくれるっての。
「私、うわべだけの励ましやなぐさめは、嫌いなのですよ!」
ひろこにして良かったのかもしれねえ。他人に優しくしている自分に酔ってるやつ、言葉に責任を負わねえやつらよりずっとな。
「卑近な例を挙げますよ! 華火ちゃんが日本文学国語学科に合格して、受験の苦しみから救われました。ですけどけど、その陰では不合格だった方々がいますよね? 華火ちゃんは、合格をその方々に譲りますか?」
あたしは、黙っちまってた。
「できませんよね? 努力して勝ち取ったのですから! もし譲ったとしても、救えるのは一人です、受験者全員助からないのですよ!」
限界っつーことか。周りが不幸にならねえように遠慮会釈してたら、いつまで経っても自分が救われねえし、幸せにはならねえよな……。空理空論だっ。
「生きている限り、競争と無縁ではいられません! 勝ち負けで未来を決めてゆくのですよ!」
弱肉強食だろ。現実ってシビアだな。
「これだけは私でも分かりますよ、華火ちゃんはスーパーヒロインの素質があった、と!」
あたしの顔が、熱くなった。
「人を救おうと悩むことは、並の方はしませんから!」
だけど、無力だぞあたし。
「煩わしくて避けたくなる問題に体当たりできる、華火ちゃんの強みじゃないですか!!」
なんでだろ、すんげく走りたい気分。キャンパス越えて、めちゃくちゃ遠くへすっ飛んでいきてえよ。
突き動かすのは、言葉なのか、ひろこなのか。考えるまでもなかった。
夜明け前に、意識のスイッチが入ります。目覚まし時計はいりません。私、物心ついた頃から、早起きなのですよ。静かな雨の日でも、毛布が恋しい冬でも、怠けに負けたことありません。
おにぎりを食べて、ジョギングです! 適正体重の維持と、きびきび仕事ができるようにするためが主ですけど、町の風景も楽しみなのですよ。木々と草花が、朝日に照らされてイキイキしだすのが好きなのです。空気に暮らしのにおいが溶け込んでゆくのも、胸がときめきます。湯船の音とせっけんの香りがしましたら、そろそろ汗を流さないといけませんね! と、ラストスパートをかけるのですよ。
シャワーを浴びて、朝食です。よく和か洋か話題にあがりますけど、私はだんぜん和です! お米はしっかり食べた感じがするのですよ。お味噌汁は欠かせませんね! わかめと豆腐が、気合いを注入してくれるのです。余力があれば、魚もしくは卵を焼きます!
今月になってから、日中の記憶が丸ごと抜けているのです。まるで、ハードルを飛び越えるように。初めての一回生担任ですから、流れを覚えておかなければならないのですよ!? 私、忘れっぽくないのですけど。熱中して働いていたということなのでしょうか? 教師はやりがいがありますよ、定年まで勤めあげたいです。ですけどけど、仕事狂いではありません。嫌だと思う時もあります。時進先生の無茶振りに応えて、土御門先生に文書事務を丸投げされて、近松先生の偶然を装った(絶対そうなのですよ!)破廉恥な行いをかわして、真淵先生にねちねち叱られて、どえりゃあえらいでかんわ! 私はまだ、安達太良先生や森先生のようなしたたかさを身につけていないのですよ。
寝る三十分前に、九相図を見て精神をなだらかにします。あ、九相図とは、屍になった人が土または灰に還るまでにたどる九段階の姿を描いた絵なのですよ。お寺と交渉を重ねてやっと譲っていただけました。どんなに着飾って美しさを極めた人も、あらゆる手を使って権力を握るに至った人も、最後には皆同じ骨になるのです。焼かれて、地獄に行くのですよ。そう思うと、すっきりしませんか? 私のおすすめ、ストレス解消法です!
眠りに沈んでゆきながら、誰にともなく訊ねるのです。
「昼の私は、学生を指導していますか? 怠けていないですか?」




