第二章:我と等しき人に(三)
三
「な、は、は、は、は! なーっ、は、は、は、は、は!!」
豪快な笑い声が、ホールに響きわたった。
「神代の戦士の頂点に坐すわたいにかかれば、かやうなしょうもない玩具をいじくるぐらい、朝餉の前の、前の、前やわい!」
毛の失われた頭が、くどく灯を反射している。
「うかつだったわ……あなただったとはね」
第二の「神代の戦士」は、顔を隠していた雅な物をどけた。
「土御門隆彬とちゃうで、今はキミックや。よろしうのう」
瑠璃色の瞳をした、こんがり焼けた肌の翁が偉そうに名乗った。
「自然の理を解き明かす者だと聞いていましたが、術の干渉までできるんですか」
びっくりさせられてばかりのビブーリオに、キミックが鼻を鳴らした。
「いつぶりなんか数えるんも煩わしいのう、アヅサユミが長子よ。毛玉に乗り移りよって、落ちぶれたものやわい」
「扇で、見えなく、していた理由は、目と肌の色で、気づかれなく、するため……ですか」
眼光鋭くする唯音を、キミックは「あな、怖い、怖い」とあしらった。
「わたいのありがたい話を聞かんかったわりには、けっこうな洞察力やのう」
ふみかはキミックの言動を振り返ってみた。
「そ、そうだ……方言が微妙に違っていたし、横文字が舌足らずだった」
あおぞらホールに、他の学生達はすっかりいなくなっていた。
「な、は、は、ぴんぽん、ぴんぽん、ぴんぽーんや!」
膝を扇で乱雑に叩き、キミックは莞爾として笑った。
「わたいは『すーぱーひろいんず!』とやらを、ごっつう見くびっておった……やがのう」
カシャン、と何かが嵌まった音が、連続した。
「傍らの者を守れずして、『障り』を祓うっちゅうんはうつけやで」
まゆみ、時進、北里が、巨大なシャックルに拘束された。
「をかしやろ? 錨をりさいくるしたのや。わたいの住んでおった所には、ようけい転がっておってのう」
求めもしていないことを、キミックはべらべらしゃべる。
「おぬしらにちゃんすを与えようかの。変身して、C号棟へ来よ! わたいと力比べして勝てたらば、こやつらを返してやらう」
「『祓』も、貸してくれる……?」
静かなる問いに、キミックは扇をひらひらさせた。
「聞いたるで。盥落としでも髭踊りでも生麦生米生卵でもやったるわ!」
ふみかと唯音が属している「日本文学課外研究部隊」には、愛称がある。「スーパーヒロインズ!」、三度のご飯も好きだけれど戦隊物も好き! な顧問が付けた。
愛称で収まれば、日常は平穏であった。五分されたアヅサユミの呪い「祓」を自在に行使する者ども、という意味を有しているために、戦わねばならない。人々の心を腐らせ枯らす「障り」を退けられる術は「祓」だけなのだ。
活動用に顧問が縫ったヒロイン服に着替え、「神代の戦士」に力を貸してもらうよう奔走する。去る「大いなる障り」との戦いで減った「祓」を、来たる「皐月の障り」に備えて補給しなければならない。「祓」はあまりにも強く、人の身では無限に放てず、行使を続ければ消耗する。休みをとれば徐々に溜まってゆくが、三日やそこらで「皐月の障り」と渡り合える量に至れない。一方、アヅサユミの子ども達である「神代の戦士」は、受け継いだ「祓」が尽きる心配はいらなかった。
悲しいかな、封印を解かれたアヅサユミの子ども達は、寄りましを見つけて、したい放題。素直に諾してくれないようだ。
「戦うっつーなら、疾風迅雷っ、あたしが秒で決めてやるっ!」
拳を掌に合わせ、夏祭華火がC号棟をにらんだ。
「スーパーヒロインに二段変身デキる明子タチは、ハイパーウルトラ無敵デス☆」
与謝野・コスフィオレ・明子は、ニーハイソックスで包まれた美しい脚を開き、腕組みして猛者を演出した。
「問題は、キミックさんがどの教室にいらっしゃるかやけどぉ……」
本居夕陽が、幸せを運んでくれそうな色のリボンを結んだ頭をひねっていた。
「大和ふみかさん、リハビリを兼ねて居場所を『読ん』でみましょう」
ぬいぐるみ「アトムすけ」に憑いたビブーリオの提案に、ふみかはうなずいた。
「『読』の祓は、土の要素を持っています。心の大地を、柔らかくするんです」
大先輩にあたる第一の戦士が、復習させた。乾ききった土は、新しい物が足されて耕しやすくなっている。ふみかの指先に、暖かな気流が上ってゆく。
「以前は、文章をたどるように、手と目に集中させていましたね。私が別の方法を教えます。足の裏に祓を噴かせてください」
あまり流すことがなかった部位だ。ふみかは草履を想像した。
「その調子です。あなたが踏んでいる地面は、様々な足形を覚え、時の移り変わりに寄り添っています。本をひとまず閉じて、歩くんです。キミック達の道筋を辿りましょう」
緋色の気を帯びた足で、前へ。跡を「読む」んだ。
「いつか通ったみたいに、行ける」
たとえ真夜中だとしても、止まらずに着ける。自分が体験したのだと錯覚してしまう。
「ビブリん流『読』の祓活用法デスな! 強化さレタふみセンパイ、SOクールっス」
「い、いやあ、それほどでも」
明子に褒められ、照れながらもふみかは先頭を維持した。
「ゴゼックのガボットか、ギミックか知らんけど、そいつは『技』の祓を使えるんだよなっ?」
階段を楽々と駆け上り、華火は唯音に訊ねた。
「…………」
唯音は機械がかったように、首を縦に振った。
「まゆみさんの、『詠唱』に、細工をした……です」
夕陽が追いついたのを見届けてから、唯音は答えた。
「へっ、まゆみに盾突くたあ、大胆不敵っ」
踊り場に出た華火だったが、ふみかと明子にふさがれた。
「危ねえなっ!」
「ごめん」
ふみかは右へずれて、通してあげた。
「よりにもよって、北里先生の研究室だなんて」
嫌な予感ほど、的中するものはない。
「ひょほー、明子、キャラが即分かっチャイまシタ」
出入り口に「天才の中の天才、とっぷおぶ神代の戦士、キミック公のさいえんすしょーにいらっしゃーい」と書かれた大看板が打ちつけられていた。縁にはLEDライトが几帳面に並び、毒々しく点滅していた。
「進取果敢っ、まゆみ達が捕まってんだっ、突入するぞ!」
ポニーテールを振り、勇ましく華火が攻め込んだ。
「な、は、は、は! 愚かにも力比べに挑むか娘らよ」
キミックが教卓に寝そべって、扇を開いた。地紙の「雅」が、角度の加減か、はたまた持ち主の性根が悪いのか「邪」に見えなくもなかった。
「囚われの者どもは、わたいの下や」
汚ない物を扱うように、扇で示す。北里、時進、まゆみともう一人、フェライト磁石の輪に皆詰め込まれていた。
「野依さん……」
雨粒のような唯音の声が、やや低く、かすかに震えていた。
「小賢しい人間の分際で、わたいの求めに応じへんかってのう。ちいと貸し切らせてくれへんかと下手に出たっちゅうのに、こけこけやかましうてな」
野依のモヒカンが濡れてそそけていた。
「仁科やったな。そやつ、おぬしにぞっこんやったで。安達太良の末裔を目にして顔色変えよってのう、姐さんはどないした、姐さんにもひどいことしたらただじゃおかへん、なんぞ喚いておった」
「何が、おかしい……ですか」
唯音が腰に提げている武器を抜き取った。
「煽りに乗ってはダメよ!」
まゆみが唯音を制する。
「キミックはその気になれば、この場全員の命を溺れさせて、いたづらになせるわ」
徒に成す、日文の講義を聴講している唯音は、すぐに意味が理解できた。
「わたいが直々に寝かしつけてやったのやが、安達太良の末裔は瞼が堅いのう」
「知らないんですか。現代の安達太良家は、術を解けるんですよ」
図に乗らせまいと、ビブーリオが言った。
「進化し続けてもらわんと、意味無いがのう……」
キミックはあくびをし、教壇を下りた。ゆっくりまゆみへと近づき、扇に彼女のあごを乗せた。
「せっかくや、末裔に立ち合ってもらおうかの。おぬしらに敗北、挫折を教えたる」
「口惜しいわね。教えるのは、本職の私よ」
まゆみの視線が、キミックを射た。
「おぬしらよ、帰って幸せな日記をつけるなら、今のうちやで」
「誰が、するか……です」
色黒の「神代の戦士」が、瑠璃色の瞳をおぞましく光らせた。
「やまとは国のまほろば! スーパーヒロイン・ふみかレッド!」
「原子見ざる歌詠みは、スーパーヒロイン・いおんブルー……です」
「花は盛りだっ! スーパーヒロイン・はなびグリーン!」
「言草の すずろにたまる 玉勝間、 スーパーヒロイン・ゆうひイエロー!」
「こよい会う人みな美シキ☆ スーパーヒロイン・あきこピンク!」
『いざ子ども 心に宿せ 文学を! 五人合わせて……スーパーヒロインズ!』
―いざ、戦闘開始。
「『祓』はまだ少ねえ、総攻撃をぶつけるぞっ!!」
『ラジャー!』
巫女のごときいで立ちの乙女達が、星・円・下弦の三日月・ハート・三角の羽衣で身体を宙に浮かせる。
「ホーリー・ラブリー・パンチ☆」
あきこピンクは、拳にあらん限りの祓を放出した。
「先生方の解放を求めます!」
ゆうひイエローは、髪を飾るリボンを長くさせた。
「燻製みてえなつるっぱげしやがってっ!」
はなびグリーンは、脚を螺旋状の祓で包んだ。
「属性を活かせるのは私しかいない、しっかりしなきゃ」
ふみかレッドは、辰砂のおはじき「敷島」を弾き、両腕を広げた。「読」の祓をたっぷり吸った「敷島」が、八人がけの円卓ぐらいに大きくなる。厚みが増して、もはや岩であった。
「……………………」
焦燥、のひと言では足りない。教官と後輩に危害を加えた、戦場に研究室を選んだ、ひどい憎まれ口。
のぼせるな。ただ切り、倒す。いおんブルーは銃剣「沖つ青波・改」に水のタンクを接続した。
「仲良しこよしか、醜いのう」
扇を天井に、片足を控えめに上げて、床を鳴らす。キミックの全身に、露草色の気流がうねっていた。
「涙し給ふ、青海波!」
キミックの舞に合わせて、祓の大波がヒロインズを押し流す。
「な、は、は、は! ひよわよのう、ひよっこやのう」
水浸しの室内に、ヒロインズが倒れ伏した。
「末裔よ、おぬしの傅いておった娘らは、本意無しやったな。藻屑の方が旨いだし出るわ」
まゆみは全然揺らがなかった。
「若人に嘆くだなんて、己が老いを正しいとする言い訳よ」
「すさまじ。水に飽きさしてひとからげに黄泉送りにしたらう」
あふれる「技」の祓をもう一度かぶせてやろうと、キミックが扇を振り下ろ……す前に、落とされた。
「死なせない……!」
ふらつきながらも、いおんブルーは立つ。祓を使わず、水の刀でキミックを止めたのだ。
「ちいと骨のあるもんがおったか」
「そうです、祓をはじめ、あなたと共通するヒロインですので」
実験台の下から、ビブーリオがはって来た。
「おぬし、やせぎすが好みやったのか? 人間の肩を持つとはのう」
「彼女は、私が濡れないように守ってくれたんです」
キミックがあごひげをかきむしった。
「ごっつええことをひらめいたわい」
重々しい足踏みに、四人のヒロインが目覚めた。
「わたいは、物を作るほかに、心を扱えるのや」
キミックに切りかかるいおんブルーを、仲間達が阻んだ。
「…………!?」
ふみかレッドに突き飛ばされ、とっさに椅子をつかんだ。
「すいっちを切り替えてやったのや、機械みたいにのう……。おぬしに対する建前を、本音にな」
次ははなびグリーンがかかと落としをお見舞いする。かわすと、あきこピンクに殴られた。距離を取ろうと後ろへ歩けば、ゆうひイエローのリボンが巻きつき、転ばされた。
「脳しんとうで楽にさせてやれたっちゅうのに、余計やでビブーリオ」
フェルト玉の寄せ集めなれども、いおんブルーの頭にかかる衝撃を吸収した。
「彼女達が亡くなったら、誰が『障り』を祓うんですか」
「くだらん問いよの、わたいらがおるやろうが」
耳の穴に指を突っ込み、垢を捨てながらキミックは言った。
「その前に、祓う気は毛頭無いがな。あれや、この間の大和国みたいに、いっぺん国ごと『障り』に食わしたれ。たまには腹を満たしてやらんとな。人間かて懲りるやろ」
いおんブルーの沸点が再び達しつつあった。
「娘らに聞かせておらんかったのか? わたいらが封じられた経緯を」
瑠璃の瞳が、暗くなった。
「いけません、いおんブルーさん。耳をふさいでください」
ビブーリオの手では、彼女の耳片方さえ閉じられなかった。
「『神代の戦士』は、人間によって永く眠らされたのや」
いおんブルーの胸が、急速に冷やされていった。




