イルゼンの計画
「ちなみに愛人手当は如何ほどもらっていましたか?今は身につけていらっしゃいませんが、宝石もたんまりせしめたのでしょう?」
バレ卿の目元が、私を値踏みするかのように細くなる。
「何をおっしゃっているのか……」
「またまた。私もこの縁談を成立させれば報酬を頂けるのです。互いの収入を合わせれば裕福な暮らしができますね!」
彼はガハハ、と品のない笑い方をした。見た目はともかく、心は優しい人という希望が音を立てて崩れた。そして爪先から頭のてっぺんまで、この人は嫌、という感情が駆け巡る。
「……嫌です」
「はい?」
「あなたと結婚するなんて、絶対に嫌です!その辺の岩と結婚した方がましです」
勢いのまま、私はそう告げていた。バレ卿が目を丸くする。
「なんて失礼な!」
「失礼なのはあなたでしょう。この縁談、私は絶対に拒否します」
「自分が何を言っているかおわかりでないのか?ドミヌティア家の女主人の命令に逆らって済むとでも?」
「いくら女主人であろうと、望まない結婚をさせる権利などありません」
結婚まで指示される決まりや契約なんてない。クビにすると脅されたって、イルゼン様の治療があるから私はクビにならない。完璧な理論だ。
そこまでは驚いて口をパクパクさせているバレ卿に言えないけど、余裕の笑みを浮かべる。
「この縁談は不成立です。では」
私は今度は捕まらないよう、早足で駆け戻り、息を切らせてマラデニア様とエニシャ様のところへ到着する。
お茶とお菓子、お話を楽しんでいた二人は何事かと動きを止めた。でもすぐに侮蔑する笑みを浮かべる。
「どうしたのラウラ?婚約者の方を置き去りにしてはいけないでしょう?早くお連れして」
「そうよ、彼はあれでも子爵家の三男、あなたより身分が上なのよ」
「そんなの知りません。とにかく、私はバレ卿と結婚しませんから」
「まあ」
マラデニア様は挑発するようにゆっくりティーカップを持ち上げ、人を待たせて一口だけ飲んだ。
「この私の命令が聞けないと言うのかしら?」
「はい。マラデニア様は勘違いされているようですが、私の雇用契約書に、どんな命令にも従いますなんて条項はありません。月の給金と、秘密保持契約があるくらいです」
秘密保持契約、と口にしたことでマラデニア様の眉がぴくりと動く。秘密にしなければならないことといえば、イルゼン様の病だ。利用して申し訳ないが、イルゼン様が黒屍病であることが、私の盾になっているのである。
私はじっとり手に汗をかいていた。
逆らってはいけないと幼少期から教え込まれている。うっかり少しでも反抗してしまうと、もっとひどいことになると、何度も身に覚え込まされてきた。だけど、この件だけは譲れない。あんな人と結婚なんてしちゃったら人生終わり、真っ暗闇だ。
「ああ、本当に小賢しい、生意気な娘ね」
マラデニア様は激しく怒っていた。この人は怒ると首に力が入るのか血管が浮くのだ。迫力満点で困る。横にいるエニシャ様も、紅茶を私にかけたそうに口を歪めた。流石にマラデニア様の前でそこまではしないと思うが――
「では、結婚はお断りしたとイルゼン様に伝えて参ります」
これ以上ここにいると危なそうなので、イルゼン様の庇護を求めるべく執務室へと逃げた。
「イルゼン様!」
ノックもそこそこに中へ駆け込むと、驚いた顔のイルゼン様と目が合った。机に向かい、仕事を再開していたようだが書類の山は部屋を出る前から変わっていないような気がした。
「どうした……あの男と話さなくていいのか?」
「いいも何も、縁談はお断りしてきました。あんな人嫌です」
「そ……うか」
「ただ、私が反抗したことでマラデニア様は大変お怒りです。でも、私がクビにならないようにして頂けると助かります」
「それは当然だ。嫌がらせ行為もやめるよう注意する」
インクが付いたペンを置き、イルゼン様はすっくと立ち上がる。そしてなぜか、私に広い背中を向けた。そこには壁一面を覆うように本棚があるので、本を見たいのかもしれない。
「だが母上の言葉は、少し堪えた。ラウラは本来なら結婚してもおかしくない年頃だというのに、私が君の厚意に甘え、このような生活をさせてしまっている。いくら大金を積んでも時間は取り戻せないというのに、本当に申し訳ない」
「気にしないでください、私は一生結婚しませんから」
だって、どうせ大好きなイルゼン様とは結婚できないから。
怪訝な表情でイルゼン様は振り向いた。眉間にくっきりと皺を寄せ、青い瞳をすがめている。
「なぜそう考えるんだ?」
正直な理由は言えず、私は奥歯を噛み締めた。だって、あなたが私を好きじゃないから。
貴族と平民が結婚していけない法律はないけど、余程の事情がなければあり得ない。そして、イルゼン様が余程のことをする理由が見当たらない。
イルゼン様は優しい方なので親切にはしてくれるけれど、大人になるにつれ、これ以上近づくなという拒絶を滲ませるようになった。私の好意を知っているせいだろう。専属侍女だなんて肩書がついても、私とイルゼン様の距離は遠いままだ。
なんて言えないので、ひとまず話題をずらそうと私は口を開く。
「とにかく、バレ卿はひどかったです。初対面で私のお金目当てみたいな話をしてきたんですよ?イルゼン様には遠く及びませんが、私は平民女性にしてはお金持ちと見られているんですね、あはは……」
性的なことを言われたなんてとても知られたくなく、無理に笑うとやけに虚しく響いた。イルゼン様が渋い顔つきをやめ、真顔になる。
「確かに、ラウラは資産家だから金銭目的の男には気を付けた方がいい」
「はい?」
この国屈指のお金持ちであるイルゼン様が、私に資産家だなんて冗談なのかな。治療師としての手当やお給金は無駄遣いせず貯めてあるけれど、普段動かしている金額からしたら、本当に微々たる額だ。
「ラウラが運用して増やした海外資産は、全て君のものだ。伝えるのはもう少し後にしようと思っていたが」
本日、二度目の頭が真っ白状態が私に訪れる。
侯爵家の資産と思っていた10億バトラ。東帝国の通貨9億シュリーブルにして、そこから各国の通貨にしたので正確にはいえないが、約2倍の資産価値に増やしたあれ。
私が一生かかっても稼げないし、使い切るやり方もわからない金額のあれ。
「……私とドミヌティア家は、ラウラの人生を台無しにしてしまったから、せめてもの償いとして受け取って欲しい。本来なら、光魔法使いである君は神官となり名誉ある人生を送るはずだった」
「名誉なんて、いりません。分不相応なお金もいりません。やめてください」
声が震えた。指先が冷えて、全身まで震えそうになる。私の働きはイルゼン様のためになっていると思っていたのに、ずっと切り離されていたというの?
読みが当たっていい値で売れたと喜んでいたとき、褒めてくれたこともあったけど、どんな思いで褒めてくれていたの?
「私の傍にいれば、いつまでも君のせいではないことで責められる。私は、君を悪意から守りきれない」
「それは、私ひとりで外国にでも行けというお話ですか?イルゼン様が完治されたら?」
「病については忘れてくれ。望むなら母君と一緒に行ってもいいし、不安なら護衛もつけよう。できるだけ早く出発して欲しいと思っている」
「そんなのって……」
鼻の奥がツンと痛み、イルゼン様を直視できなくなる。ここまではっきり拒絶されたのは初めてだ。私は断りなく部屋を飛び出した。哀れっぽく泣いてしまいそうで、そんな姿は見せたくなかった。
イルゼン様には悪意がないとわかっているけれど、どうしようもなく寂しかった。これだったら、エニシャ様やマラデニア様に嫌味を言われる方がましだ。いや、あんなものは砂粒程度の問題であり、イルゼン様からの拒絶は私にとって世界の終わりに近い。
本当に終わればいいのにと思う。外貨資産が増えるにつれ、イルゼン様と手に手を取り合って船に乗り込んで外国に逃げる妄想を何度もしていたけれど、もうそれもできない。
「はあ……」
逃げたって行くあてのない私は、私室に行って顔でも洗おうかと考えた。顔を洗って出直し、というやつだ。だが気配もなく、後ろから肩をつかまれて私は飛び上がった。