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ラウラの縁談

 立っていても話が進まないのでイルゼン様は用意された椅子に腰かけた。私は適当にその後ろに立つ。まあそのうち嫌味を言われるだろう。


 視線が合わずとも、私は敵意をもってマラデニア様を睨みつけた。色の薄くなった金髪を無理して結い上げ、目立ち始めた皺を隠すようにおしろいを塗っている。


 お父さんを犯人に仕立て上げ、先代侯爵様もろとも橋から転落させたのは、おそらく彼女だ。彼女が最有力の犯人候補である。


 なぜなら、先代侯爵様が亡くなって最も利益を得るのは彼女だからだ。お金の問題ではなく、浮気を重ねる夫への憎しみの問題だ。


 マラデニア様は、以前はよくお酒に溺れて邸内で暴れていた。潔癖で神への信仰の厚い彼女は、どうしても夫の浮気が許せないらしかった。


 だから真犯人を探すと言ってくれたイルゼン様が、あちこちからの調査報告を受けるうちに何も言わなくなってしまったのは、仕方ないことだ。


 やはり彼女が犯人なのだろう。母親を糾弾できないイルゼン様を責める気持ちはない。

 自分の母が、他人を巻き込んで父を殺したと世の中に訴え出たい人はいないだろう。夫を殺した罪は重く、裁判を起こせばマラデニア様は死刑になる。今度はイルゼン様が、母殺しの汚名を負ってしまうのだから。


 ただ私はひっそりと、マラデニア様の不幸を願うだけだ。


「イルゼン様、私の用意したそちらのチョコレートを召し上がって。うちのパティシエに作らせたのですけど、甘さ控えめでイルゼン様好みですわ」


 エニシャ様は、能天気にイルゼン様にお菓子を薦めた。イルゼン様はいつもつれない態度だが、エニシャ様は気にせず笑っている。


「遠慮しておこう。エニシャ、何の用事があってここに来ているんだ?」

「嫌ですわ、私はあなたの将来の妻ですもの。お母様とお喋りして何がいけませんの?」

「君と結婚することはない。何度も言ったはずだが」

「あら。そうでしたか?でも双方の合意がなければ、婚約の解消は不可能ですし、私は合意いたしませんの」


 まるで駄々っ子をなだめるようにエニシャ様は微笑んだ。だけど駄々っ子はエニシャ様である。言葉遣いが丁寧なだけで、言うことは大体のところ嫌だから嫌、とそれだけである。


「そうよ、いい加減けじめをつけなさいイルゼン。それにシノール侯爵家に申し訳ないでしょう?」

「母上……」


 イルゼン様はため息をついた。黒屍病を患っていると知っていのに、マラデニア様は早く結婚しろと無責任なことを言うのだ。


「お母様のおっしゃる通りですわ、そろそろ我慢の限界です。私と結婚しないならお父様が怒ってしまいますよ。シノール家と仲違いしてよろしいのですか?」


 ドミヌティア侯爵家の数多くの事業のひとつに鉄鋼業があり、シノール侯爵家は造船業をしている。親密にした方がよい関係ではあるが、イルゼン様はうんざりした様子で首を振った。


「結婚による結びつきなど必要がない、既に業務提携は結ばれている」

「まあひどい、私を利用するだけ利用して、用が済んだら放り出すというの?」

「それも何度も説明したが、そもそも一切、あなたとの婚約を利用していない。ほかに勢力のある競合相手がいないのだから、変えようがないんだ。単に父上が、深く考えもせずシノール侯爵に頼まれたからと婚約を了承しただけだ」


 イルゼン様がいつもの話を始めると、エニシャ様は自分の爪を見たりして態度を悪くした。都合の悪い話は聞かない人だ。


「まあそんな難しい話は置いておいて、ラウラ」


 急に何かを思い出したかのように両手を合わせ、エニシャ様は私の名を呼んだ。私はギクリとする。


「はい」

「あなたにいいお話を持ってきてあげたのよ。来なさい、ウスターシュ」


 エニシャ様の後ろに数人控えていた中で、焦げ茶色の髪がモジャモジャした男が前に出る。騎士なのだろうが筋肉質な体は逞しく、がっちりした顎、四角い鼻など全体的にゴツゴツしていた。


 エニシャ様は普段、見た目に美麗な騎士を連れ歩くので、このような野性味溢れる騎士は珍しい。


「ウスターシュ・バレ卿よ。彼と結婚しなさい」

「はい?」


 流石に言われたことが信じられず、私の声は間抜けに高くなった。なぜ他家の令嬢にそんなことを命令されなきゃいけないの?


 嫌な予感がして、マラデニア様に視線を向ける。彼女はにやっと口の両端に皺を作った。


「あら、エニシャ令嬢から素敵な縁談を頂いたのに、何かしらその顔は。ドミヌティア家の使用人教育が疑われるでしょう?早くエニシャ令嬢に感謝しなさい」


 それはマラデニア様からの命令だった。こう言っているのだ。『女主人として命令する、バレ卿と結婚しなさい』


「母上、私の専属侍女に勝手な命令をしないでもらえるか」


 怒りを孕んだ声でイルゼン様が止めてくれ、私は希望を抱いて彼を見つめた。


「どうしていけないのかしら?結婚したって、必要な務めくらいはさせられるでしょう?今までが間違っていたのよイルゼン。エニシャ令嬢との結婚を先延ばしにし、結婚適齢期の平民女を連れ歩くなんて、おかしな噂が立ってしまうわ」


 おかしな噂なんて既に立っているのに、マラデニア様はいかにも大変なことかのように抑揚をつけた。


「イルゼン、あなたは今、二人の女性の名誉を損なっているのよ」

「それは……」

「この母のように辛い思いをさせるつもり?わかっているでしょう?あの人の不埒な行動にどれだけ私が傷ついたか」


 あの人、とは先代侯爵のアウゼン様のことだ。よそに愛人を作り、テオ様をもうけ、二人目の息子とした。本妻のマラデニア様の心が傷ついたことは理解できる。


 でもだからって、私を結婚させる理由にはならない。要は私に、先代侯爵様の浮気相手を重ねて八つ当たりをしているのだ。


「それとこれとは無関係だ。私にはラウラが必要なんだ」


「だから、世話をさせるだけならラウラが結婚したって構わないでしょう?よく考えなさい、あなたはラウラの幸せを損ね、若い女性の青春を奪っているの。この年になるとつくづく思うのよ、若さは決して取り返せない、どれだけお金を積んでも得られない貴重な財産なの。このような何も持たない平民は特にそうよ。だから価値のあるうちに良縁を結んであげなさい」

「……っ」


 何ていうこと。イルゼン様が絶句され、この口喧嘩の勝敗がついてしまった。私は今の生活に満足しているというのに。いつ何が起きるかわからないからこそ、私はイルゼン様の傍にいたい。それだけなのに。


 マラデニア様とエニシャ様は、本物の親子のように揃って笑い出した。


「良かったわねラウラ。行き遅れになるまえにバレ卿と結婚できるわ。私も女主人として安心よ」

「うふふ、そんな鳩みたいに目を丸くして。まあ初対面ですもの、少しはお話する必要がありそうね。二人で庭園を散歩するといいわ」


 本当にこれで結婚という流れになるのか信じられず、私は目まいがした。バレ卿が力強く私の腕を引っ張るので、もつれるように私は足を動かす。ほとんど罪人の連行の歩かせられ方だ。


 彼はドミヌティア侯爵家に初めて来たはずだが、事前に下見していたかのように人目につかない緑廊の方へとずんずん進んだ。緑の葉が生い茂っていて、涼しい日陰がある場所だ。そこでバレ卿はやっと拘束を解き、振り向いた。


「……急に縁談を持ちかけられ少々不安でしたが、きれいな方で嬉しいです。ここに花は咲いていませんが、あなた自身が花のようです。赤い髪と唇が情熱的な薔薇のようで、触れてみたくなる」

「あ、ありがとうございます」


 何はともあれ、美しいと褒められるのは嫌いじゃない。礼儀として褒め返そうかと必死で言葉を考える。

 でも私は美しいイルゼン様ばかり見てきたから目が肥えてしまっていて、何も思いつかなかった。


 岩にも美しさはあるだろうが、あなたは岩のようですね、なんて一般的には褒め言葉じゃない。


「噂通り、これは侯爵様の手がついても仕方がない美貌です。あ、私は純潔かどうかは気にしませんので」

「は?」


 失礼すぎて頭が真っ白になり、私はまさに言葉を失った。

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