08 推しの胸板
08 推しの胸板
ハクメイは首の皮一枚で、キッドのハートを掴むことに成功。
ふたりは正式に、ビジネス・パートナーとなり、『ハクメイ商船』が設立された。
船長はもちろんキッドで、船員はキッドが選んだワル仲間たち。
週末にはさっそく、ハクメイがおばけテーマパークの資金で作った船がお披露目された。
その日のハクメイのファッションは、麦わら帽子に白いワンピース。
前髪が邪魔だったので、ヘアピンで留めておく。
いままで幽霊スタイルを維持してきた彼女が視界を確保したのには理由があった。
キッドの姿をその目でよく見るためである。
港で落ち合った瞬間、ハクメイは太陽を直接見てしまったかのように目を押さえてのけぞっていた。
――くっはぁーーーーっ! ま……まぶしぎるっ……!
推しの船乗りスタイル! 想像以上だわ! パイレーツ・オブ・何ビアン!?
しかもこの服装の時にはキッドはメガネを掛ける。
目があまりよくないので普段は目を細めがちなってしまい、周囲に威圧的な印象を与えていた。
しかしメガネを掛けると目を細める必要はなくなるので、顔立ちは少し柔和になる。
それがハクメイ的には天井知らずのギャップ萌えとなっていた。
――くっはぁーーーーっ! と……尊すぎるっ……!
キッドとの愛情度が一定にならないと見られないメガネスタイル……!
ワイルドなのにメガネが似合いすぎてて、急に知的な感じるなるのがたまらないっ……!
眼福とばかりにここぞとばかりに凝視するハクメイ。
しかし見とれていたのは彼女だけではなかった。
――こ……コイツ、本当にあの幽霊か……? 別人みたいにじゃねぇか……!
ハクメイは生まれ変わってからというもの食欲旺盛で、ガリガリだった身体が普通の少女と呼べるくらいの身体につきになっていた。
しかも初めてお披露目された瞳は大きくて宝石のように美しい。
身長差から自然と上目遣いになるので、その破壊力はすさまじかった。
まわりにいたワル仲間の船員たちはみな頬を染め「か……かわいい……!」と漏らしてしまうほどに。
ハクメイとキッドはしばらくお互いを見つめ合っていた。
自分が、相手のハートをわし掴みにしていることも気づかずに。
「そ……それで、お前の船はどこなんだ?」
キッドは他人のことを『テメェ』と呼ぶ。しかし親密な相手は『お前』と呼ぶようになる。
ハクメイは心は弾ませながら、港に停泊している白い帆船を指差す。
船体には『キッド号』と書かれており、他の帆船とは明らかに違う帆の形状していた。
「おいおい、なんだありゃ? 帆の形がおかしいぞ? それに斜めってるじゃねぇか」
「船大工に特別に作らせましたの。操縦方法をお教えいたしますから、少し沖のほうまで出てみましょうか」
「今日は強い追い風だから無理だな。見てみろよ、一隻だって沖には出てねぇだろうが」
「まぁまぁ、騙されたと思ってわたしの言うとおりにするのですわ」
キッドは半信半疑ながらも、船員に指示を出して配置に付かせる。
ハクメイは船首の近くに行くと、船首の帆を操る船員になにやら指示を出した。
指示を出された船員が帆を動かした途端、船はゆっくりと港から進みはじめる。
それだけで船内は騒然。港にいた者たちまでもが大騒ぎしていた。
「な……なんだ!? 船が出てるぞ!?」
「バカな!? 魔船でもないのに、この追い風で進めるなんて……!?」
キッドは舵を放り出す勢いでハクメイに詰め寄っていた。
「おい、いったいなにをやったんだ!? 追い風なのに船が進むなんてありえねぇのに!?」
ハクメイは短く答える「タッキングですわ」と。
タッキングとは、現代ヨット航法のひとつ。
船首を風上に向け、帆の向きを変えることで風上に向かって進むという航法である。
『GTH』の世界では3種類の船がある。
いまハクメイたちが乗っている帆船、オールで漕いで進む櫂船、魔法の力で進む魔船。
王国では最新鋭とされている魔船の研究に力が割かれているせいで、帆船の技術はぜんぜん発達していない。
しかしハクメイは前世の趣味としてヨットセイリングをやっていたので、タッキングの知識があったのだ。
ようは空気力学なのだが、追い風に向かって進む船はこの世界の人々にとっては魔法にしか見えなかった。
「す……すげぇ……! これなら、3ヶ月でディンド大陸も夢じゃねぇ……!」
「言ったでしょう? これは博打でも、夢物語でもないと」
船はあっという間に沖まで進み、ハクメイは船首で両手を広げて笑っていた。
不意に強い風が吹き、麦わら帽子が飛ばされる。キッドはバスケットボールのダンクシュートばりのジャンプ力で麦わら帽子をキャッチ。
キッドはケンカが強いのはもちろんだが、運動神経も抜群であった。
「ほらよ」と返してくれるキッドの姿に、ハクメイはさらにときめく。
「あ……ありがとう」長い髪をなびかせながら帽子を受け取るハクメイに、キッドはいっそうときめていた。
いたずらな天使がふたりをくっつけるように、さらに強い風が吹く。
よろめいたハクメイを、キッドはすかさず抱きとめていた。
たくましい胸に顔を埋める形となり、ハクメイの心臓が跳ね上がる。
――む……胸板っ!?
すごい胸板! なにこの筋肉!? キッドきんに君!?
軽く抱きしめられてるだけなのに、やばい、この感じ……! メロメロになりそう……!
小さな身体を包み込むキッドも、気が気ではなかった。
――おいおいコイツ、メチャクチャ華奢じゃねぇか。
力を入れたら折れちまうんじゃねぇか。
それに、すっげぇいい匂い……。まるで、花みてぇだ……。
小さな花が、いっしょうけんめいに咲こうとしてるみたいだな……。
ハクメイが顔を上げると、自然と目が合う。
見つめ合うと、風の音まで聞こえなくなった。
「……なあ、ひとつ聞いていいか?」
「なんですの?」
「なんで、俺に声を掛けたんだ? 船長を探してるなら、貴族の坊ちゃん連中にいくらでもいるだろうに」
「あなたは漁師の跡継ぎになるのが嫌だったのでしょう? でも、あなたは生まれついての海の男。誰よりも海を愛していると思ったからですわ」
――本当の理由は違う。通常のルートだと、キッドは海賊になってしまう。
そしてわたしの婚約者であるトゥエルス王子と対決し、敗れて処刑されちゃうんだ。
わたしは自分の非業だけでなく、推しの非業も変えようとしている。
これが、この世界にどういう影響を及ぼすかはわからないけど……。
キッドは「へっ」と笑う。
それは見下したものではなく、心を許した仲間にしか見せない笑顔だった。
「俺は、お前に選ばれたってわけか。なら、全力で応えてやらねぇとな。ぜったいに、お前を破産させねぇ」